坂東祐大
TRANCE/花火
若き作曲家、その創造の軌跡
text by 八木宏之
Artwork by Hideki Inaba
共有可能な音楽言語と双方向のコミュニケーション
坂東祐大という存在は、日本における「作曲家」のあり方を変えようとしている。24歳で日本の前衛音楽の最も重要な賞のひとつである芥川作曲賞(現芥川也寸志サントリー作曲賞)を受賞した坂東は、28歳にして同賞の史上最年少審査員を務めるなど、コンテンポラリーの作曲家として早くから注目を集めてきた。しかし坂東の活動は、従来の「現代音楽」の領域にとどまらず、映画やドラマなど映像のための音楽や、ポップスのアーティストとのコラボレーションなどに拡大していった。
近年作曲家たちは「現代音楽」という閉じられた世界のなかで自らの創造物を発表してきたが、それはなかなかコミュニティの外には届かなかった。届かないならばそれで結構! という考えを持つ作曲家も少なからずいたが、坂東はそれを潔しとはしなかった。そうした日本のコンテンポラリーの状況に危機感を抱いた坂東は、今日の作曲家が持つべき社会との接点を模索していく(そうした坂東の考えはFREUDEの「坂東祐大と考えるクラシック現在進行形」に詳しい)。その結果が、ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』や映画『竜とそばかすの姫』の音楽であり、米津玄師や宇多田ヒカルとのコラボレーションだった。
だからこそ、坂東の作品リストを「ポップス」と「クラシック」に分けようとするのはナンセンスであり、そのようなアプローチでは坂東の実像を捉えることはできない。かつての日本のコンテンポラリーには、坂東のように社会との関わりを持ちながら創作活動を展開する作曲家が確かに存在した。黛敏郎や武満徹、一柳慧といったクリエイターたちは常に生きた社会のなかで創作活動を展開していた。彼らが活躍した時代には、作曲家と聴衆の間に双方向のコミュニケーションが存在していたのだ。
しかしバブル崩壊を境に、すなわち坂東が生まれた頃には、人々は作曲という行為に「ポップス」「クラシック」といった線を引き始め、いつしか私たちの生活からコンテンポラリーの作曲家は遠ざかっていった。作曲家と聴衆の間で共有可能な音楽言語は失われ、人々は「現代音楽」と呼ばれるものを聴いても、作り手のメッセージを音楽から理解することが難しくなった。そんな時代が四半世紀続いた後、私たちの前に坂東祐大が現れたのだ。坂東は作品の持つコンセプトがキャプションではなく音楽によって理解されるために、作曲家と聴衆が再び共有できる音楽言語を再構築し始めた。
パーソナルとパブリック
坂東が20代で作曲した3つの作品を収めたアルバム『TRANCE/花火』は、ひとりの若き作曲家の創造と探求の軌跡である。ピアノ協奏曲《花火》は、芥川作曲賞受賞を記念したサントリー芸術財団からの委嘱作品で、2017年に永野英樹のピアノと杉山洋一指揮新日本フィルハーモニー交響楽団によってサントリーホールで世界初演された。ここに収められているのはそのライヴ録音である。
花火を用いたインスタレーションで世界的に知られる中国のアーティスト、蔡國強(ツァイ・グオチャン)の『スカイ・ラダー』(2016年)という作品(Netflixでこの作品を取り上げたドキュメンタリーを観ることができる)にインスピレーションを受けて作曲された《花火》は、アーティストの創作活動が持つパーソナルな側面とパブリックな側面、その二面性に光を当てている。人工的に調律が狂わされたピアノが儚く消える花火を想起させるこの静謐な作品は、坂東の洗練されたエクリチュールを堪能できるものだが、同時にそこには坂東の活動の根底にある「作曲家と社会」というテーマが横たわっているのだ。
《TRANCE》と《ドレミのうた》は兄弟のような作品であり、どちらも坂東がEnsemble FOVEの仲間たち(坂東とFOVEの創造的関係は、ピエール・ブーレーズとアンサンブル・アンテルコンタンポランを思い起こさせる)とスタジオに篭って作り上げたものだ。音楽が今日取るべき「形態」をテーマとした《TRANCE》は、坂東が既に作曲していた器楽や室内楽の作品のレコーディングを出発点に、ワーク・イン・プログレスとして拡大していき、最終的に50分の大作となった。
作曲という行為の着地点が楽譜へのアウトプットであるというこれまでの常識に、坂東は疑問を投げかける。私たちが録音を通して音楽を聴く今日においては、楽譜による記録の先にある音像のデザインまでが作曲家の仕事ではないかと坂東は考え、その答えとして5年の歳月をかけて《TRANCE》を完成させた。こうした問題提起も、坂東がポップスや映像作品の仕事に取り組むなかで見出したものだ。ループして聴くことができるように書かれた《TRANCE》は、始まりと終わりがない音による無限の体験であり、そのタイトルの通り、私たちを日常とは違うところへ連れていってくれる。
次なる10年への出発点
坂東がクラシック音楽の世界で信じられている「当たり前」に挑んだ《ドレミのうた》(この作品が配信リリースされた際にFREUDEに掲載された「Cross Review」もご一読いただきたい)もループして聴くことが可能だろう。西洋音楽の文化圏で当たり前に受け入れられている「普通」が解体され、脱構築されていく《ドレミのうた》は、坂東の「声」に対する探究のスタートとなる作品でもある。
アルバムから少し離れるが、2021年12月24日から2022年1月16日にかけて、トーキョーアーツアンドスペース本郷で行われた坂東と、詩人の文月悠光によるインスタレーション OPEN SITE 6『声の現場』も、坂東の「声」に対する関心を感じさせる作品だった。文月がコロナ禍の東京で綴ったテキストのなかで、特に強いエネルギーを持った言葉が声となって、長方形の部屋に設置された6つのスピーカーから放出されていく。文月は『声の現場』に寄せたメッセージのなかで、「接触」「距離」「宣言」といった言葉がコロナ禍の世界で変容していったことを指摘するが、文月が社会のなかで捉えたこれら変容する言葉の数々を、坂東は音としてデザインしていった。
坂東は音と言葉(そこには音名のドレミも含まれる)が重なり合う場としての「声」に強い関心を持っている。そして坂東は30代を通して、声についてのさまざまな探求をしていくという。その先には坂東によってスクラップ&ビルドされたオペラがあるのだろうか。《ドレミの歌》は、20代の坂東の美学を記録したこのアルバムのなかにあって、30代の坂東の創作の出発点を示している。
坂東祐大という作曲家をどのようなきっかけで知ったのかは人それぞれだろう。ある人は映画かもしれないし、ある人はドラマかもしれない。坂東には扉がたくさんついている。坂東の音楽世界にどの扉から入ったとしても、私たちはこの作品集に行き着くことになる。このアルバムを聴いて、坂東祐大の次なる10年を追いかけていきたい。
©Hideki Inaba
『TRANCE/花火』
《花火》―ピアノとオーケストラのための協奏曲―
第25回芥川作曲賞受賞記念サントリー芸術財団委嘱作品
永野英樹(ピアノ)
杉山洋一(指揮)新日本フィルハーモニー交響楽団
2017年9月2日 サントリーホール(ライヴ)《TRANCE》
坂東祐大
青葉市子(Voice)U-zhaan(Tabla)石若駿(Drums)多久潤一朗(Flute)上野耕平(Saxophone)中川ヒデ鷹(Bassoon)尾池亜美(Violin)
ROSCO
Ensemble FOVE
録音:2017年4月〜6月《ドレミのうた》
坂東祐大
Ensemble FOVE
涂櫻(Sop)工藤和真(Ten)Sugar me(Voice & Guitar)日本コロムビア
アルバム詳細:https://columbia.jp/artist-info/yutabandoh/discography/COCQ-85575-6.html坂東祐大 Yuta Bandoh
作曲家/音楽家。1991年生まれ。大阪府出身。
多様なスタイルを横断し、異化や脱構築による刺激と知覚の可能性などをテーマに、幅広い創作活動を行う。
作品はオーケストラ、室内楽から立体音響を駆使したサウンドデザイン、シアター・パフォーマンスなど多岐に渡る。
東京藝術大学附属音楽高等学校を経て、東京藝術大学作曲科を首席で卒業。同修士課程作曲専攻修了。
第25回芥川作曲賞受賞(2015年)、長谷川良夫賞(2012年)、アカンサス音楽賞(2013年)受賞、第83回日本音楽コンクール入賞。
作品はフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン・シンフォニエッタ、東京フィルハーモニー交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、いずみシンフォニエッタ大阪、東京現音計画、LAPS Ensemble などによって国内外で多数演奏されている。
代表作に《花火》―ピアノとオーケストラのための協奏曲―(2017年サントリー芸術財団委嘱作品)《SONAR-FIELD》(2019, Ensemble FOVE, Shibaurahouse)《TRANCE》(2018, 京都芸術センターでの共同製作)。
2016年、Ensemble FOVE を創立。代表として気鋭のメンバーと共にジャンルの枠を拡張する、様々な新しいアートプロジェクトを多方面に展開している。 2021年、最新作となる《ドレミのうた》をリリース。
また上記のメインワークに加え、ジャンルを横断した活動も多方面に展開する。
映像作品の音楽に、ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(坂元裕二 脚本)、映画『竜とそばかすの姫』(細田守監督、 音楽:岩崎太整、Ludwig Forsellと共に)、映画『来る』(中島哲也監督)、TV アニメーションシリーズ 『ユーリ!!! on ice』(松司馬 拓名義)等。
米津玄師 5thアルバム『STRAY SHEEP』における全面的な共同編曲(「海の幽霊」、「馬と鹿」、「パプリカ」、「感電」、「カナリヤ」等)
宇多田ヒカル 「Beautiful World (Da Capo Version)」、「少年時代」(井上陽水トリビュート)編曲及び指揮。
嵐 「カイト」(NHK2020ソング)オーケストラアレンジメント等。
作曲を野田暉行、安良岡章夫、野平一郎、 ピアノを中井正子 各氏に師事。
https://www.yutabandoh.com/