カーチュン・ウォンが教えてくれた、今ここでしか聴けない音
《身近なホールのクラシック》
大阪フィル 箕面演奏会に寄せて

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カーチュン・ウォンが教えてくれた、今ここでしか聴けない音

《身近なホールのクラシック》

大阪フィル 箕面演奏会に寄せて

text by 八木宏之
cover photo by 飯島隆

カーチュン・ウォンがメイプルホールにやって来る!

日本のオーケストラ・シーンに旋風を巻き起こす指揮者、カーチュン・ウォンが箕面市立メイプルホール(大阪府)にやって来る。2025年11月6日にメイプルホールで開催される、ウォンと大阪フィルハーモニー交響楽団による演奏会「指揮者の領分」は、このホールの2025年度キャッチコピー「冒険心を持って」を象徴するような公演となるだろう。

地域の公共ホールのあり方を「攻める」プログラミングによって問い続けるメイプルホールのステージは、リスクを恐れずに絶えず挑戦を続けるウォンのような指揮者にこそふさわしい場所である。数年来、活動を追い続けてきた指揮者とホール、両者のコラボレーションが実現することに、私は興奮を隠しきれない。

大阪フィルは、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団と並び、ウォンが関西でとくに密な関係を築いてきたオーケストラだ。これまでの共演で、ムソルグスキーの《展覧会の絵》やベルリオーズの《幻想交響曲》など、大阪フィルの華麗なサウンドが活きる作品を取り上げてきたウォンだが、今回箕面では、名旋律の宝庫であるエルガーの《エニグマ変奏曲》とドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》が演奏される。

大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮するカーチュン・ウォン ©飯島隆

ウォンは座席数501席のメイプルホールのためにプログラムを吟味し、この2曲を選択した。客席の一人ひとりの顔が見えるホールのあたたかい空気には、室内楽のような作品がふさわしく、《エニグマ変奏曲》の親密な音楽はまさにぴったりだとウォンは語っている。またドヴォルザークの交響曲第9番では、とりわけ第2楽章が特別なものになるという。オーケストラとの距離が近いメイプルホールのような空間でこそ味わえる、《新世界交響曲》の繊細な音色の変化を存分に楽しみたい。オーケストラのダイナミックな表現もまた、交響曲第9番の魅力のひとつであるが、メイプルホールをオーケストラの全奏が満たす喜びを、私たちはすでに、坂入健司郎&大阪交響楽団のブラームス・ツィクルスを通して知っている

関東で暮らす私は、日本フィルハーモニー交響楽団との数々の共演を通して、ウォンの音楽に魅了されてきた。ウォンの指揮になぜこれほどまで惹かれるのか。箕面での演奏会を前に、私がこれまで聴いてきたウォンと日本フィルの共演を振り返りながら、その理由を少し考えてみようと思う。

1986年、シンガポール生まれの若きマエストロが、日本フィルに鮮烈なデビューを飾ったのは2021年3月のこと。ベートーヴェンの交響曲第6番を核にしたプログラムでオーケストラと音楽ファン双方の心を鷲掴みにしたウォンは、同年9月に日本フィルの首席客演指揮者に就任。12月にサントリーホールで開催された首席客演指揮者就任披露演奏会におけるマーラーの交響曲第5番の熱演は、新時代の幕開けを強く感じさせるものであった。このときの演奏はCD化もされており、ウォンが創り出す圧巻のドラマを追体験することができる。私もこの演奏会に立ち会い、ウォンの音楽にすっかり打ちのめされてしまった。作曲家がスコアに書き込んだ多彩な指示をひとつ一つ丁寧に、かつ明確に具現化していくウォンのマーラー演奏は、実に立体的で、明暗のコントラストも際立っていた。ウォンが類い稀な才能を持った指揮者であると確信した私は、その後すぐさまインタビューを申し込み、彼の素顔に迫る記事をFREUDEに掲載した。

オリジナリティを追い求めて

首席客演指揮者の就任披露演奏会からわずか半年後の2022年5月には、2023/2024シーズンから、日本フィルの新しい首席指揮者にウォンが迎えられることが発表され、いよいよウォンと日本フィルの長期的なコラボレーションがスタートした。両者の共同作業はまだ始まったばかりだが、ウォンはすでに多くの名演を成し遂げ、日本フィルのアンサンブルの精度を飛躍的に向上させた。とりわけマーラーの交響曲の連続演奏(すでに第2番、第3番、第4番、第5番、第9番を演奏し、今秋には第6番を取り上げる予定)はこのコンビの躍進を象徴するものとなった。ウォンと日本フィルがマーラーの交響曲を演奏する公演は、毎度チケットが完売し、SNSでは熱心な音楽ファンたちがその演奏をめぐって激論を交わしている。マーラーだけでなく、ブルックナーやショスタコーヴィチの交響曲でも大きな成果を挙げており、今後の連続演奏に期待が高まっている。また伊福部昭や芥川也寸志をはじめとする戦後日本の作曲家や、チナリー・ウンのような東南アジアにルーツを持つ作曲家、プーランクやコリン・マクフィ、ブリテンといったガムランに魅せられた西洋の作曲家の作品も積極的に取り上げている。「アジア」をテーマにしたユニークで刺激的なプログラムは、ウォン時代の日本フィルを語るうえで欠かすことのできないものだろう。

©山口敦 写真提供:(公財)日本フィルハーモニー交響楽団
2023年10月東京定期演奏会 マーラー:交響曲第3番

ウォンは日本フィルの首席指揮者だけでなく、イギリス、マンチェスターのハレ管弦楽団の首席指揮者や、ドイツのドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務め、欧米の名門オーケストラとも数多く共演しているが、彼の指揮者としての美質はそれぞれのオーケストラの個性を引き出し、唯一無二の演奏を常に追い求める点にある。日本フィルのシェフとしても、楽員の「職人魂」(彼はしばしばこの言葉を用いる)に最大限の敬意を払い、日本フィルにしか奏でることのできないサウンドを探求している。「欧米の名門オーケストラの響きに触れたいのなら、そのオーケストラの演奏会を聴きに行けば良い。我々は日本フィルでしか聴くことのできないものをお客さまに提供するのだ」というウォンの気概は、オーケストラのメンバーにも確実に伝播し、日本フィルを新たな次元へと導く原動力になっている。

そうしたウォンのスピリットを強く感じたのは、2024年1月の第757回東京定期演奏会で演奏されたドビュッシーの交響詩《海》であった。第3楽章〈風と海の対話〉でオーボエが提示する主要主題を、ウォンはゆったりと、大きくテンポを落として歌わせたのだが、蜃気楼を思わせるその幻想的な響きは、これまで聴いてきたどんな演奏とも異なる、圧倒的な個性を放っていた。「フランスのオーケストラのコピーをしても意味がない。それならパリ管弦楽団を聴けばよいのだから。私たちは日本フィルのドビュッシーを聴いて欲しいのだ」というウォンの言葉の真意を、この瞬間、私は音楽によって理解したのだった。この作品の背景に作曲家の日本への憧れがあるとすれば、ウォンと日本フィルのオリジナリティ溢れる演奏はドビュッシーを大いに喜ばせるものかもしれない。そんな風に思わせる説得力が、彼らの《海》にはあったのだ。マーラーやブルックナーから伊福部昭まで、ウォンと日本フィルの忘れ難い名演は数多くあるが、とりわけドビュッシーの《海》は、このコンビが目指すものの核心に触れる音楽体験となった。

©山口敦 写真提供:(公財)日本フィルハーモニー交響楽団
2024年1月東京定期演奏会 ドビュッシー:交響詩《海》

ここまで、日本フィルにおけるウォンの仕事についてあれこれ書いてきたが、大阪フィルとの共演でも、彼はオーケストラの個性と持ち味を存分に引き出して、箕面でしか聴くことのできないエルガーとドヴォルザークを披露してくれるに違いない。ウォンは、演奏会がいつだって一期一会であることを改めて思い出させてくれる指揮者なのだ。まだウォンの音楽に接していない人は、ぜひメイプルホールの贅沢な空間でそれを体験して欲しい。メイプルホール名物となった音楽評論家の奥田佳道による『ゲネプロ見学会』とプレトークも、ウォンとの出会いをさらに印象深いものにしてくれるだろう。ウォンの箕面初登場、大いに期待したい。

公演情報

《身近なホールのクラシック》
大阪フィルハーモニー交響楽団 箕面演奏会
「指揮者の領分」

2025年11月6日(木) 19:00開演(18:30開場)
18:45~ 音楽評論家 奥田佳道氏によるプレ・トークあり(10分程度)
箕面市立メイプルホール

カーチュン・ウォン(指揮)
大阪フィルハーモニー交響楽団

エルガー:エニグマ変奏曲 作品36
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95 B.178「新世界より」

公演詳細:https://minoh-bunka.com/2025/04/18/20251106-kahchunwong/

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