坂入健司郎インタビュー【前編】
箕面市立メイプルホールでのブラームス交響曲全曲演奏会に向けて

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坂入健司郎インタビュー【前編】

箕面市立メイプルホールでのブラームス交響曲全曲演奏会に向けて

text by 原典子
cover photo ©Taira Tairadate

箕面市立メイプルホール(大阪府)の《身近なホールのクラシック》シリーズの一環として、坂入健司郎指揮 大阪交響楽団によるブラームスの交響曲全曲演奏会が開催される。2022年9月15日の公演を皮切りに、2024年までに全4回、3年間にわたる一大プロジェクトだ。今回は指揮の坂入に、このプロジェクトにかける想いを聞いた。

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煉瓦を積み上げていくように
冷静に、確実に準備する

坂入が大阪交響楽団を指揮して関西のプロ・オーケストラ・デビューを飾ったのは2021年6月、メイプルホールでのことだった。盟友のヴァイオリニスト、石上真由子をソリストに迎えたベートーヴェン・プログラムは好評を博し、それが今回のブラームス・ツィクルスにつながったという。

「このベートーヴェン・プログラムはコロナ禍で2度も延期になってしまい、3度目の正直でようやく実現した公演でした。メイプルホールにはそのたびに延期日程を用意していただき、リハーサルの予定も組んでいただいて、オーケストラも指揮者もソリストも、関わる人すべてにとって思い入れの深い、忘れがたい公演になりました。その場所で、今度はブラームスのツィクルスを振れることになってとても嬉しいです」

3年間にわたるツィクルスだけに、坂入自身の音楽性の変化を感じられる歳月にもなりそうだ。

「変化は当然あるでしょうね。僕はそうやって時間をかけて音楽を作っていくのが好きで、自分が主宰する東京ユヴェントス・フィルハーモニーでも6年かけてベートーヴェンの交響曲全曲を演奏しました。それ以前は絶対にベートーヴェンなんてできやしないと思っていたのですが、つねにベートーヴェンのことを考えているような歳月を経て、最後に第九を振ったときには、すっかり身体のなかにベートーヴェンが入っていました。もちろんそれで完璧ではなく、指揮者は死ぬまで勉強ですから、ベートーヴェンにしてもブラームスにしても、何度振っても失敗や発見があるでしょうが、時間をかけることによってどんどん精密なものになっていく気はします」

©Taira Tairadate

幼い頃からクラシック音楽をこよなく愛し、たくさん聴いてきた坂入にとってブラームスはどのような存在なのかを問うと、意外な答えが返ってきた。

「じつを言うと、僕にとってブラームスは長らく、非常に振りたくない作曲家でした。中学生の頃は交響曲第1番が大好きで、CDを何百枚と集め、演奏会にはすべて行ったりしていたのですが、あるときから距離を置くようになった。それは自分が演奏する立場になって、聴く側にいるときはシンプルに楽しめていた音楽が、難しく感じるようになってしまったからです。

ブラームスのどんなところに難しさを感じていたかというと、たとえば弱拍から音楽がはじまるようなところ。ベートーヴェンは交響曲第3番《英雄》の“パン、パン”という冒頭のように強拍でガツンといく音楽ですが、ブラームスはそうではないんです。和声の変化もすごく難しくて……。指揮者に委ねられている自由な部分があまりない音楽で、僕自身、20代ぐらいまでは魅力を感じていなかったというのが正直なところです」

そこに変化が訪れたのは、30代に入ってから。会社員生活をやめて専業指揮者になるタイミングで、それまで使っていたブラームスの交響曲のスコアをすべて新しいものに買い替え、あらためて読み直したのだという。ちょうどインタビュー当日も、翌週に控えた読売日本交響楽団とのブラームスの演奏会に向けて準備中だった坂入は、一冊の本を見せてこう語った。

「これは『Brahms in der Meininger Tradition』という本で、ブラームスが生きていた時代から彼の交響曲を十八番にしていたマイニンゲン宮廷楽団の音楽監督、フリッツ・シュタインバッハがどう演奏していたかをまとめた資料です。これを読むと、指揮者が作品をどう解釈するかよりも、いかにブラームスの譜面を実際の演奏に落とし込むかというところに特化されていて、細かいフレージングやアーティキュレーションがもっとも大切であることが分かります。スラーひとつをとっても、どうやって次のフレーズへとつなぐのか、この小さなモティーフが全楽章のどこに含まれていて、どう展開していくのか、煉瓦をひとつひとつ確認していくように積み上げていく。そうすることで、1小節から4小節に、16小節にと構築感をもって音楽を感じられるようになっていくわけです。

ブルックナーと違い、ブラームスは譜面にほとんど手直しを入れなかったので、譜面に残されている情報は確実な情報であると思っていいはずです。だからこそ、指揮者は譜面の隅々まで考え抜いて、それを実践することに徹するべきなんです。“スケールたっぷりに演奏しよう”といった指揮者の解釈や奇抜なひらめきは必要なくて、ただ冷静に、確実に準備をする。そこにブラームスを演奏する面白さがあると最近気づいて、考え方が変わりました」

エモい美メロも満載!
交響曲それぞれの着目ポイント

とはいえ、演奏する側にとっては難しいブラームスの交響曲だが、聴くときはそういったことを忘れて、ただただ“エモい美メロ”にひたるのも楽しみ方のひとつだと坂入は語る。

心にぐっとくる美しいメロディの宝庫だと思うんですよね。第1番から第4番まで、いいメロディを探しながら聴いていたら、はじめての方でもまったく飽きずに聴けると思います。僕も最初はそうやってブラームスにハマりましたから。いっぽうで、ブラームスはもう聴き飽きたという耳の肥えたお客さんも、伝統に照らし合わせて細部まで考え抜いた演奏をお届けできたら、きっと新たな発見があることと思います。そうやって、両方のお客さんに楽しんでいただけるようにしたいですね」

せっかくの機会なので、ここでブラームスの交響曲の第1番から第4番まで、坂入が考える面白さや聴きどころを語ってもらった。

©Taira Tairadate

<第1番>
重苦しい序奏からはじまりますが、『Brahms in der Meininger Tradition』には「あまり遅くしすぎないように」と書かれており、僕も大賛成です。非常に遅い演奏が一時期流行りましたが、ここは一音一音の悲劇を追うのではなく、目の前を大河がわーっと流れ過ぎていくような、大きな流れとして感じていただけたらと思います。最初のインパクトより、第1楽章のその後の展開を楽しんでほしいですね。
なんといっても美しいのが第2楽章と第3楽章。箕面は自然が豊かな土地で、空気もきれいだし、山や滝もありますが、第3楽章はまさにそういった自然を想起させる音楽です。そして第4楽章には、あの有名なメロディが登場します。展開の激しいドラマティックな音楽と、ベートーヴェンの第九にも匹敵するような文化遺産的なメロディを存分に味わってください。

<第2番>
第4楽章の圧倒的な迫力とスピード感が注目されがちですが、この交響曲の要となるのは第1楽章の冒頭に登場するチェロとコントラバスによる「レード#ーレー」というモティーフ。この刺繍のような小さなモティーフが第1楽章から第4楽章まで、さまざまに展開しながらずーっと続いていくんです。そういう意味では、ミニマル・ミュージックのはしりとも言えるのではないでしょうか。

<第3番>
第3楽章のチェロの美しいメロディは映画音楽などにも使われ、誰もが好きになるブラームスの魔法のような音楽ですが、それとは対照的に第1楽章はブラームスのなかでももっとも難しい音楽かもしれませんね。とくに第1楽章と第4楽章は輝かしく終わらず、おとなしく終わっていくところが、それまでの第1番と第2番の交響曲とは違います。それゆえ内省的とも言われますが、僕はいちばん素直にブラームスの本質が出ているのが、この第3番だと思います。
交響曲第1番は完成までに21年という歳月がかかっているだけに、なかなか一筆書きではいかない難しさがある。第2番はすぐに完成したものの、先ほども言ったようにミニマル的な面白さがある、どちらかというと頭で考える音楽。それらと比べると、やはり第3番はブラームスがいちばん慣れ親しんだ話し方で、肩肘張らず、シンプルに自分の好きな音楽を表現している感じがします。

<第4番>
ブラームス自身、そろそろ最後の交響曲になるだろうと自覚しながら書いたであろう第4番は、第1番の表現意欲にあふれていた頃とは違い、アクが抜けたような悟りの境地で原点回帰した作品。戻るところはバロックや中世の音楽だと思ったのでしょう。パッサカリア形式で書かれた第4楽章などはバロックそのものです。教会で歌われていた旋法も使われ、宗教的かつ内省的な性格を帯びた作品です。
こういうと難しく感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、メロディはとても美しく、哀しげな表情をたたえていたかと思えば、すぐに明るくなって、その明るさと暗さの襞(ひだ)を彷徨うような音楽に心打たれる方も多いでしょう。ブラームスの交響曲というと第1番が人気ですが、はじめて聴く人には第4番がじつはいちばん楽しめるのでは? とも思っています。

ブラームスが一作ごとに新しい挑戦をしながら生み出していった交響曲。それぞれ異なる個性を坂入がどう描いていくのか、期待が高まる。後編ではさらに深く踏み込んで、ドイツ音楽に対する坂入の考え方、そして大阪交響楽団と作り上げたい音楽についての話をお届けする。

公演情報

《身近なホールのクラシック》ブラームス交響曲全曲演奏会
箕面市立メイプルホール 大ホール
坂入健司郎指揮 大阪交響楽団

Vol.1 2022年9月15日(木)
モーツァルト:歌劇《魔笛》序曲
シューベルト:交響曲第5番 変ロ長調
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調
※チケット発売中!
https://minoh-bunka.com/2022/03/29/20220915-brahmssymphony/

Vol.2 2023年4月28日(金)
メンデルスゾーン:《真夏の夜の夢》序曲
モーツァルト:交響曲第35番 ニ長調《ハフナー》
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調

Vol.3 2023年9月~10月
ブラームス:《ハイドンの主題による変奏曲》
ハイドン:交響曲第88番 ト長調《V字》
ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調

Vol.4 2024年4月~5月
J.S. バッハ/ストコフスキー編:平均律クラヴィーア曲集 第1巻-第24番 前奏曲
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調(ヴァイオリン独奏:石上真由子)
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調

公演詳細:https://minoh-bunka.com/2022/03/29/2022-2024brahmssymphony/

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