新たに創造される自画像としてのバッハ
イザベル・ファウスト J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ 全曲演奏会

<Review>
新たに創造される自画像としてのバッハ

イザベル・ファウスト J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ 全曲演奏会

text by 八木宏之
cover photo ©大窪道治/提供:東京オペラシティ文化財団

今まさに生み出されていくバッハ

東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアルはJ. S. バッハと強く結びついた場所である。芸術監督として設計段階から深く携わり、オープニング企画の監修も手がけた作曲家の武満徹は、バッハの作品を深く愛し、1997年9月10日のオープニングコンサートでは武満がとりわけ大切にしていた《マタイ受難曲》が、小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラによって演奏された。武満は残念ながらこけら落としを見届けることなくこの世を去ったが、このとき以来、東京オペラシティ コンサートホールには絶えずバッハが息づいている。コンサートホールでのバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会や、リサイタルホールで行われる『B→C(ビートゥーシー):バッハからコンテンポラリーヘ』など、これらの場所には日々バッハが鳴り響き、アイデンティティとなっているのだ。

11月17日、18日の2晩にわたる、イザベル・ファウストの『J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ 全曲演奏会』も、このホールにこそふさわしいものであった。ファウストはハルモニア・ムンディにバッハの無伴奏ソナタとパルティータを全曲録音しており(2009年、2011年録音)、それらは不朽の名盤として高く評価されている。ファウストは実に幅広いレパートリーを誇るが(2021年には没後50年となるストラヴィンスキーの《兵士の物語》をリリース)、ファウストの音楽を考えるときには、まずこのバッハの録音を思い浮かべるという方も多いだろう。私もこの録音を愛聴しており、今回のリサイタルでは、アルバムに収められている緻密で完成されたバッハの小宇宙がステージ上で再現されるのだろうと思っていた。しかし実際に聴かれたのは、すでに完成されたものの提示ではなく、ホールと、そこに集う聴き手と対話しながら、今まさに生み出されていくバッハであった。

両公演とも休憩を挟まずに、3作品が続けて演奏される1時間強のコンサート。ファウストは愛用するストラティヴァリウス「スリーピング・ビューティー」にバロックボウを組み合わせて、ロマン派の作品を演奏するときとは異なる、右肘を低くした構えでバッハの音楽を紡いでいった。

©大窪道治/提供:東京オペラシティ文化財団

「即興」というよりも「創造」

初日はソナタ第1番(BWV1001)、パルティータ第1番(BWV1002)、そしてソナタ第3番(BWV1005)という組み合わせである。冒頭のソナタ第1番からファウストが東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアルの空間を意識して演奏しているのがはっきりと伝わってくる。その演奏は「即興」というよりも「創造」という言葉がふさわしく、目の前で新しいものが作り上げられていくプロセスを目撃しているような感覚を抱かせるのだ。

この日の頂点はソナタ第3番の瞑想的なアダージョからフーガへと至るところにあった。バッハの無伴奏ヴァイオリンのための作品では何より〈シャコンヌ〉が名高いが、聖霊降臨祭(ペンテコステ)のコラール《来れ、創造主にして聖霊なる神よ》に基づくこの長大なフーガも忘れることのできないものである。ペンテコステは、キリストの昇天後、真っ赤な舌のような聖霊が天から降り注ぎ、使徒たちに特別な力(さまざまな外国語を話せるようになる)が授けられた出来事で、それによって世界中にキリスト教が広まっていったことから教会の誕生日とも言われる。この出来事を記念するコラールをファウストが語り始めると、それはまるで福音(良い知らせ)のように感じられ、複雑なフーガをファウストがひとつひとつ解きほぐしてくれると、まるで聖フランチェスコの説教を聞く小鳥になったような幸福感に満たされる

2日目のプログラムはパルティータ第3番(BWV1006)、ソナタ第2番(BWV1003)、そしてパルティータ第2番(BWV1004)。全6曲中最も流麗でエレガントなパルティータ第3番で2日目の幕が開けると、この日の最終目的地であるパルティータ第2番の〈シャコンヌ〉へ向けての旅が始まる。ファウストの演奏は初日に聴かれた「模索」がなくなり、一段と落ち着きを増している。ヴァイオリンをはじめとする弦楽器の演奏では、しばしば音楽は右手で作られると言われるが、この第3番の演奏を聴いて、弦楽器を演奏したことのない私も、その言葉の意味をはっきりと理解することができた。たったひとつのヴァイオリンからいくつもの声部がまるでオーケストラのような輝きをもって現れる。この豊かなポリフォニーを実現しているのは、ほかでもないファウストの魔法のような右手なのだ。

プログラムノートのなかでファウストはバッハの無伴奏ソナタとパルティータについて「生涯を共に生きてゆくので、一種の鏡のよう」な作品だと語っているが、パルティータ第2番はその言葉通りの自画像のような世界であった。優れた自画像をじっと見つめていると絵のなかに吸い込まれそうになるが、ファウストの演奏はまさにレンブラントやデューラーの自画像のような、奥へ奥へと世界が広がっていく深淵なものなのだ。

この2日間に体験した奇跡のような時間は、もちろんイザベル・ファウストという偉大な芸術家が作り上げたものなのだが、それを完成させるには東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアルに集った聴衆の驚異的な集中力も必要不可欠な要素だったのではないか。〈シャコンヌ〉のあとの果てしない静寂のあとで、私はそのことに思い至った。演奏家、ホール、そして聴衆。それらが三位一体となって演奏会が特別なものとなる。この2晩のリサイタルは、武満徹が思い描いたこのホールの理想を確かに実現していた。

アンコールは、17日にソナタ第2番より〈アンダンテ〉が、18日にはソナタ第1番より〈シチリアーノ〉が演奏され、1公演のみ訪れた聴き手への小さなプレゼントとなった。

【公演webページ】
https://www.operacity.jp/concert/calendar/details/faust_bach/

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