FREUDE試写室 Vol.10
『モリコーネ 映画が恋した音楽家』
text by 有馬慶
cover photo ©2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras
映画音楽の巨人の知られざる葛藤
トーマス・マンの小説『トニオ・クレーガー』には、「芸術家」と「大衆」の狭間で苦悩する主人公が描かれる。フランツ・カフカや三島由紀夫も影響を受けたと言われるそのキャラクターは、19世紀ロマン主義の芸術家のあり方を象徴している。
『モリコーネ 映画が恋した音楽家』で描かれるエンニオ・モリコーネも、そうした芸術家像を踏襲している。芸術音楽を書かずに映画音楽を書き続けることへの葛藤が彼の口から語られる。まさに「大衆」文化そのものである映画界で活躍した音楽家の姿として、それはまったく意外なものであった。
メトロノームの規則的な音が刻まれるなか、黙々とストレッチを行うモリコーネの姿からこの映画は始まる。時折、五線譜に鉛筆を走らせる彼の姿が挿入される。まるで作曲という行為も日々のルーティン・ワークであるかのように。
モリコーネはローマの名門、サンタ・チェチーリア音楽院で作曲家ゴッフレード・ペトラッシに作曲を学ぶ。ダルムシュタットで出会ったジョン・ケージに影響されて、仲間たちと共に前衛的な実験音楽を創ったりもした。彼は「クラシック音楽」の作曲家としてのキャリアを歩むはずだったのだ。しかし、生活のために始めた編曲の仕事が評判を呼び、やがて映画音楽の仕事のオファーも入るようになる。『荒野の用心棒』で知られる盟友セルジオ・レオーネ監督とのタッグは、特に評判となり彼に富と名声をもたらした。
一方でペトラッシをはじめとする「クラシック音楽」の音楽家たちからは厳しい視線を向けられた。「芸術家」としての誇りを捨て、「大衆」に媚びるその姿は「裏切り者」だと。ある映画のためにペトラッシが書いた曲が「難解すぎる」と断られ、モリコーネに仕事が回ってきたというエピソードは皮肉である。ペトラッシは映画音楽から距離を置き、「商業的な音楽を書くことは、アカデミックな音楽家にとって道徳的に非難される」という姿勢を取るようになった。モリコーネは「芸術」と「大衆」の間で引き裂かれ、映画音楽を書くことに罪悪感を抱くようになる。
けれども、彼は「芸術」を捨てたわけではない。例えば、『ウエスタン(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウエスタン)』では梯子がきしむ音を用い、ノイズを音楽として取り込んだ。偶然性や自然音を効果的に用い、音楽に昇華してみせるその手腕は、もはや「大衆」文化を超えて「芸術家」のそれである。「最初、映画音楽を書くなど屈辱的と思ったが、やがて考え直した。実際、今では映画音楽は本格的な現代音楽と思っている」とモリコーネは語る。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の成功でモリコーネの才能をクラシック音楽界も認めるようになったころ、渾身の一作『ミッション』を書き上げた。これでアカデミー賞は確実と目されていたが、結局逃してしまう。このことをきっかけに彼は映画音楽から離れてしまう。「芸術家」として認められたかと思えば、「大衆」から見放された。そう感じたのかもしれない。
そんな彼を映画音楽に引き戻したのは、本作の監督ジュゼッペ・トルナトーレである。まだ無名の新人だった彼の脚本に惚れ込んで、モリコーネ自ら「私が曲を書こう」と申し出たのである。その作品こそ『ニュー・シネマ・パラダイス』である。
最初に映画の曲を書いたのは1961年。
妻に言った。「1970年には映画をやめる」
1970年に言った。「1980年にはやめる」
1980年に言った。「1990年にはやめる」
1990年に言った。「2000年にはやめる」
もう言わない。
(本編字幕よりモリコーネの言葉)
モリコーネが映画のために書いた曲は明快で、すぐに人々の心を掴む。しかし、彼の人生はそれとは裏腹に一筋縄ではいかないものだった。本作を観れば、彼の音楽に対する印象がこれまでとは違ったものになるだろう。
『モリコーネ 映画が恋した音楽家』
2023年1月13日(金)より
TOHO シネマズ シャンテ、Bunkamura ル・シネマほか全国順次ロードショー監督:ジュゼッペ・トルナトーレ『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』
原題:Ennio/157分/イタリア/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/字幕翻訳:松浦美奈 字幕監修:前島秀国
出演:エンニオ・モリコーネ、クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノほか
公式HP : https://gaga.ne.jp/ennio/
©2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras