名古屋フィル 第534回定期演奏会レポート
老匠カサドシュ、恐るべき若さのベルリオーズ!

名古屋フィル 第534回定期演奏会レポート

老匠カサドシュ、恐るべき若さのベルリオーズ!

text by 平岡拓也
cover photo by 中川幸作
写真提供:名古屋フィルハーモニー交響楽団

名古屋フィルハーモニー交響楽団
第534回定期演奏会〈ある芸術家の肖像〉

2025年5月16日(金)18:45 / 5月17日(土)16:00
愛知県芸術劇場コンサートホール

ジャン=クロード・カサドシュ(指揮)
トーマス・エンコ(ピアノ)

ガーシュウィン:ピアノ協奏曲 ヘ調
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

公演詳細:https://www.nagoya-phil.or.jp/2025/010323562229444.html

ルグランの映画音楽を聴くようなガーシュウィン

5月中旬に栄の愛知県芸術劇場で、名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はジャン=クロード・カサドシュ。
ピエール・デルヴォー、ピエール・ブーレーズに師事し、20世紀フランスの大ピアニスト、ロベール・カサドシュの甥にあたる名伯楽。1974年のORTF(Office de Radiodiffusion Télévision Française、フランス放送協会)解体に伴い解散となったリール市のオーケストラを再編し、現在のリール国立管弦楽団を創設。以後カサドシュとリール国立管は、40年にわたって地域の音楽振興に貢献してきた。また、同市が欧州文化首都に選ばれた2004年、カサドシュの発案で始まった「リール・ピアノ・フェスティバル」は、フランスの若手からヴェテランまで、幅広いピアニストが登場する音楽祭として定着している。

彼の指揮に初めて接したのは、昨年の秋のこと。2002年以来22年ぶりに読売日本交響楽団を指揮してのベルリオーズ『幻想交響曲』で、その前の在京オーケストラ指揮は2017年の新日本フィルハーモニー交響楽団客演だから、東京の聴衆の前に姿を見せるのはやや久々のことだった。東京での不在の間も京都や金沢、広島など、日本のオーケストラには度々登壇。そのたびに静かな興奮の声は各地から届いていたので、89歳(当時)にならんとする名匠が振る十八番『幻想交響曲』は東京の聴衆にとっては待望の公演で、そしてそれは、あまりに素晴らしい演奏だった。この項で演奏の仔細を述べることはしないが、「あの体験をもう一度」という思いは、筆者を名古屋へと駆り立てるのには十分だった。

コンサートの前半に置かれたのはガーシュウィン『ピアノ協奏曲』。愛孫でもあるトーマス(トマ)・エンコとの共演で、この演奏会がなんとジャン=クロード翁にとって同曲の初指揮だったという。90歳を目前にして、孫との共演でガーシュウィンに挑戦するとは―それだけで「何と格好良いお爺ちゃん!」と思ってしまうが、そのチャレンジ精神と同じくらいに演奏が味わい深い。リズムのキレと自然な歌心が両立され、その闊達さと色気はまるでミシェル・ルグランの映画音楽を聴くようだ(マエストロはルグランとも何度も仕事をしたそう)。スポーティなだけではない行間がある。そして、エンコの独奏がまた音色、センスともに抜群だ。エルメス・カラーの鮮やかなジャケットに身を包んだエンコは、曲の「崩し」も殆どなく直球に仕上げていき、カデンツァでは「I Got Rhythm」の旋律も織り込む。第2楽章ではメロウに歌うトランペットに反応して妖しく奏で、一転第3楽章はオケと共に鋭く切り込んだ。

©︎中川幸作

カーテンコールでエンコは「このオーケストラはすばらしい、私の祖父もすばらしい」と日本語で称賛を述べ、アンコールに即興演奏を披露した。何が始まるのか…と客席が集中したその瞬間、どこかからiPhoneのアラーム! うわっ、と思った刹那、エンコはこのアラームを模倣した同音連打で即興演奏を軽やかに弾き出したのだ。あたかも最初からそのつもりだったかのように! 流麗な即興の途中には、後半ベルリオーズの第2楽章ワルツの旋律もさり気なく忍ばせ、大いに客席を沸かせた。なんとも粋な、前半の締めくくりとなった。

©︎中川幸作

19世紀の薫りが息づく音楽

後半、ベルリオーズ『幻想交響曲』。昨秋の読響と共通していたのは、カサドシュのこの曲の演奏は「最初からなにかが狂っている」ということ。響きが荒っぽいとか、表現が表面的で烈しいということでは全くなく、むしろ一点一画も揺るがせにせずフレーズを末尾まで厳格に紡ぎぬく。冷静で、分析的なアプローチでこの作品を見つめるのだが、それゆえにベルリオーズの革新性が内部からじわじわと顕らかにされていくのだ。

第1楽章序奏部、切なく歌うヴァイオリンの裏、低弦は恋焦がれる青年の拍動のようにズシンと鳴る。固定楽想(idée fixe)を出すヴァイオリンの強弱の描き分けもきわめて精密だ。第3楽章の心象風景には大胆なアゴーギクを持ち込み、ティンパニが遠方で不気味に雷鳴を轟かせた後、楽章冒頭同様に呼びかけを行うイングリッシュ・ホルンに応えるオーボエはもういない。第4楽章からはいよいよオーケストラが狂乱の度合いを高め、ホルンのゲシュトップフト(右手の操作で金属的な音色を出す特殊奏法)など野卑な音色も効果的に用いる。スポーティに進むこの作品の演奏も多い中、カサドシュは腰の座ったテンポで克明に細部をえぐり出す。第4楽章結尾でギロチンの刃が落とされる瞬間、走馬灯のようによぎる恋人の固定楽想を奏でるクラリネットはギリギリまで引き伸ばされ、執着を叩き切るが如く主人公の首は落ちた。その壮絶なドラマといったら! 第5楽章もどっしりとした運びで「魔女のロンド」と「怒りの日」引用を対比し、終盤に差し掛かってもそれほどテンポを上げずに進む。狂乱の終結に向けてテンポを上げて華々しく終わることも可能だろうが、敢えて逆を採ることでこのフィナーレの異常性や前衛性を聴衆に刻み付けた。

©︎中川幸作

自家薬籠中の名曲を振るマエストロは、時折にやりと悪魔的な笑みを浮かべ、名古屋フィルから自らの音楽を引き出した。その老練な指揮にはジョルジュ・プレートルを思い出す。背中を少し反らせながら振る姿はフルトヴェングラーにも似ているのだが…。何より1935年生まれのこの名匠が振る音楽には、最近ではほとんど失われた19世紀の薫りがどこか息づいているのだ。それは簡単に形容できるものではないが、細部の微妙なニュアンスなどに感じることができる。
オーケストラは積極的に彼の指揮に応え、カサドシュ翁の自在なグルーヴと濃厚な音色を体現した。特に荒井英治(首席客演コンサートマスター)の渾身のリードは音楽に厚みと表情を与え、木管(特にクラリネット)の攻め方が印象的で、第5楽章の嘲笑をいきいきと描いた。

終演後、楽屋でもカサドシュ翁は驚くほどに元気で、いかにベルリオーズが革新的かを筆者に熱っぽく語ってくれたほか、前半のガーシュウィンを成功裏に終えられたことも大変喜んでいた。また、日本のオーケストラのクラシック音楽への理解の深さや文化的成熟を称賛していたのも印象的だった。
齢90を目前にしながら、いまなお乗馬やテニス、スキー(!)を楽しむ驚異的なスタミナのマエストロ。カーテンコールの最後には指揮台から両足揃えて飛び降りるなど、壮健ぶりをアピール。名古屋フィルと、また日本の他のオーケストラとも、まだまだ彼の芸術を愉しむ時間が持たれることを心から望みたい。素晴らしい一夜だった。

©︎中川幸作
最新情報をチェックしよう!