<Artist Interview>
坂入健司郎
新たなる指揮者像を追い求めて【前編】
text by 八木宏之
cover photo by Taira Tairadate
私が坂入健司郎と初めて出会ったのは20歳のときだった。「指揮者の先輩が自分のオーケストラを作ったんだけど、次の演奏会のためにイングリッシュホルン奏者を探しているから来てみないか?」とフルートを吹く友人に誘われた。そうして参加したのが、坂入率いる慶應義塾ユースオーケストラだった。最初の練習の日、作品はチャイコフスキーの幻想曲《フランチェスカ・ダ・リミニ》。最晩年のレナード・バーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックの録音を愛聴していた私は坂入のテンポにパニックとなり(レニーのテンポ感とはまるで違うものだった)、練習に混乱を生じさせてしまった。坂入にとって私の第一印象は不器用で要領の悪いイングリッシュホルン吹きだったに違いない。一方、私は自分と2歳しか変わらないこの指揮者の才能とカリスマ性に圧倒されていた。自らオーケストラを組織して、理想の音楽を仲間たちと探求しているその姿はキラキラと輝いて見えた。その後、演奏会の直前には東日本大震災が発生し、開催が危ぶまれたが、坂入は強いリーダーシップを発揮して演奏会を成功に導いた(この演奏会はAltusによってCD化されている)。
それから10年。坂入は今、注目の若手指揮者として、全国のクラシック音楽ファンから熱い視線を送られている。坂入はこの10年、サラリーマンとしてフルタイムで働きながら指揮活動を続けてきた。その間に坂入が東京ユヴェントス・フィルハーモニー(前身は私も参加した慶應義塾ユースオーケストラ)と演奏したマーラーやブルックナーの大作の数々はCD化され、批評家たちからも高い評価を得た。ユヴェントスの演奏会には毎回クラシック音楽の熱心なファンが集い、次第に坂入の名は全国に知られるようになっていく。
10年勤めたぴあ株式会社を退職し、指揮者として新たなステージに進んだ2021年には、プロのオーケストラに次々と客演して各地で大きな成功を収めた。指揮者としての才能と情熱に溢れているだけでなく、同世代屈指の豊富なクラシック音楽の知識を持ち、また文才にも恵まれている坂入は、ラジオや雑誌などさまざまなメディアでも活躍している。FREUDEの「Cross Review」でも話題の新譜を親しみやすい筆致で読み解いてくれているのはご存知の通りだ。
坂入が示している指揮者像、そのキャリアはクラシック音楽界に新風を巻き起こしている。これまでの若手指揮者のキャリアは国際コンクールで優勝して注目を集めるか、オーケストラに期待の新人としてチャンスを与えられ、少しずつ経験を積んでいくのが一般的であった。それに対して坂入は自らオーケストラを組織して、マーラーやブルックナーの大作で成功を収め、プロ・オーケストラにデビューする段階ですでに坂入の熱心なファンが客席を埋めているのだ。指揮者坂入健司郎のこれまでの歩みから、音楽に対する考え、これからのビジョンまで、深く掘り下げていく今回のインタビューは、坂入の音楽をより楽しむためのガイドとなるだろう。
とにかく表現をしたい
――坂入さんがクラシック音楽に出会ったきっかけはどんなものだったでしょうか?
幼稚園年長のときに歴史漫画を両親に買ってもらって、そこに登場するモーツァルトやベートーヴェン、チャイコフスキーといった作曲家たちに興味を持ったのが最初のきっかけです。ちょうどその頃、デアゴスティーニからCD付きブックでクラシック音楽の作曲家シリーズが発売されて、両親はクラシック音楽をよく聴いていたわけではなかったのですが、数年かけて全巻を買い揃えてくれました。それによってクラシック音楽にのめり込んでいきました。
――幼稚園児でクラシック音楽のファンになるとは早熟ですね!
デアゴスティーニのシリーズには作曲家の生涯がわかりやすく書かれていて、それを読むのが楽しくて、少しずつ知識を蓄えていきました。幼稚園児にはベートーヴェンやシューベルトを苦しめた「梅毒」がどんな病気なのかわからなかったのですが……(笑)。小学校1年生のとき、誕生日プレゼントにドヴォルザークの《新世界交響曲》のCDを何枚ももらうということがあったんです。最初はプレゼントが被ったとがっかりしていたのですが、よく聴いてみると、1枚1枚指揮者によって演奏が異なるということがわかってきて、指揮者という仕事に興味を持つようになりました。それでピアノを習い始めたのですが、その当時は楽器の練習にあまり熱心ではありませんでしたね。
――坂入さんはチェロも演奏されますが、チェロはどのように始められたのですか?
私が慶應義塾普通部(中学校)に入学するタイミングで、弦楽部と吹奏楽部が合併する形でオーケストラ部ができました。普通部にはチェロがあって、3年間無償で貸し出してもらえるということで、チェロを弾き始めました。オーケストラ部は吹奏楽コンクールにも出場するので、夏の間はパーカッションも演奏していました。
――初めて指揮をされたのも中学生のオーケストラ部だったのですか?
中学1年生のときに学校の合唱大会のためにクラスの合唱を指揮したのが最初です。オーケストラを初めて指揮したのは中学2年生で、プロコフィエフの《古典交響曲》の第3楽章でした。初めてオーケストラを指揮するということもあって、全てのフレーズに表情をつけようと、顔も身体も100%使ってオーケストラを指揮していたら、クラリネット奏者に「笑ってしまって吹けない」と言われてしまいました(笑)。とにかく表現をしたいという欲求が強かったのを覚えています。
――中学生時代にはどのような指揮者を模範としていたのでしょう?
普通部では夏休みにかなり大掛かりな自由研究をして、それを文化祭で発表する伝統(労作展)があるのですが、私は1年生から3年生まで毎年作曲家の研究をして、3年生ではそれに加えて指揮者の研究もして、賞をもらったりしていました。指揮者研究の際に「自由研究で指揮者の研究をしていて、自分も指揮者に憧れています」と日本中の指揮者に往復ハガキを出したら、小林研一郎さんからお返事をいただくことができたんです。当時は『MUSIC DIARY』という冊子がヤマハなどに売られていて、そこに指揮者の連絡先が載っていました。小林さんは「この日ならリハーサルを見学して、30分くらいインタビューしていいよ」と言ってくださり、インタビューの際には「来年からいわきで指揮法セミナーをやるから来てみたら」とお声がけいただきました。それで高校1年生から小林さんの指揮法セミナーに通うようになったんです。
――東京藝術大学指揮科教授を務めるなど、教育者としても知られている小林研一郎さんらしい素敵なエピソードですね。そのほかにも影響を受けた指揮者はいたのでしょうか?
デアゴスティーニの付録CDにはマニアックな指揮者が揃っていたのですが、ミラン・ホルヴァートは好きでしたね。そのほかには小学5年生のときに『N響アワー』の「思い出の名演奏」で観たロヴロ・フォン・マタチッチのブルックナーの交響曲第8番には震えるほど感動しました。指揮らしい動きをほとんどしていないのにオーケストラが信じられないくらいに能動的で、音が一点に集まってくるその演奏に圧倒されたのを覚えています。
――小学5年生にしてブルックナーとはやはり早熟ですね。高校でもチェロを演奏されながら指揮を続けられたのですか?
高校では文化祭で指揮をすることができたほか、高校3年生になると慶應義塾高校ワグネル・ソサィエティ・オーケストラ(高校ワグネル)の正指揮者のポジションに立候補して、投票で選ばれて、高校ワグネルを指揮していました。
自らの足で立ちたかった
――それほどまで指揮に情熱を注がれていたのに、音楽大学ではなく慶應義塾大学に進学されたのはなぜなのでしょう?
小林研一郎さんの指揮セミナーでは様々な指導者から音楽大学の指揮科への受験を勧めていただいたのですが、受験準備には毎月たくさんのお金がかかります。私立に通わせてもらっていたのもあって、両親へ簡単に音大受験をしたいとは切り出せず、まず高校の音楽の先生に相談しました。
慶應義塾高校の音楽の先生はオトマール・スウィトナーのもとで指揮を学ばれた方だったので、進路について相談したところ「カール・ベームもエルネスト・アンセルメもハンス・クナッパーツブッシュも一般大学で学んでいるのだし、一般大学での4年間の勉強は決して無駄にはならないから、あなたは慶應義塾大学へ進むべき」と言われ、両親に相談するまでもなく、慶應義塾大学経済学部へ進学することにしたんです。
――その後、慶應義塾大学でも活発に指揮活動を展開され、次第に坂入さんの才能に大きな注目が集まるようになりますが、卒業後はぴあ株式会社に入社されます。
やはり指揮者、音楽家である前にひとりの人間として、経済活動をして、自分の足で歩かなければいけないという思いが強くありました。コロナ禍になって、例えば演奏家がUber Eatsで働きながら音楽活動をするというような選択にも寛容になってきていますが、今から15年ほど前は、音楽家たるもの音楽のみに打ち込むべき、という風潮が強くありました。でも、やはり音楽家になるにしても、私は自分の経済活動によって、自分の足で立ちたかったのです。
名指揮者たちとの出会い
――坂入さんと言えばウラディーミル・フェドセーエフさんとの交流が知られていますが、フェドセーエフさんと出会われたのはどういったきっかけだったでしょうか?
高校ワグネルではとにかくチャイコフスキーを演奏する機会が多かったのですが、当時の私は正直チャイコフスキーがあまり得意ではなくて。それでチャイコフスキーをもっと知って、もっと好きになろうと、図書館で片っ端からチャイコフスキーのCDを借りて、聴いていったんです。そこで1番心に響いたのがフェドセーエフさんの演奏でした。フェドセーエフさんが来日されたときにサイン会に並んで、Google翻訳で作ったロシア語の手紙を渡そうとしたところ、通訳の方が「これでは全く意味が通じないから日本語でメッセージを言ってくれたら通訳します」と言ってくださり、それで想いを伝えて、「これからはモスクワでもウィーンでも東京でもリハーサルは全て見学していいよ」と言っていただいて、それ以来、立ち会えるリハーサルには全て参加して、たくさんの交流をさせていただいています。
――フェドセーエフさんのほかにも大学時代からさまざまな指揮者の方と交流されていますね。
金沢の指揮法セミナーで指導していただいた井上道義さんや、慶應義塾ワグネル・ソサィエティ・オーケストラ(大学ワグネル)で指揮をしてくださった飯守泰次郎さんには多大な影響を受けました。
大学ワグネルの欧州演奏旅行中、飯守さんの鞄持ちをさせていただいたのですが、「ドイツ、オーストリア、チェコではそれぞれに空気の匂い、味わいが違いますね」とお話ししたら、「生涯その感受性を持ち続けなさい、あなたは指揮者になれます」と言ってくださって。それがとても大きな自信になりました。その後も東京シティ・フィルのリハーサルを見学させていただくなど、飯守さんには大変良くしていただきました。
金沢の指揮法セミナーでは、井上さんがどのようなことを考えて指揮をしているのか、詳らかに知ることができました。このセミナーには、沖澤のどかさんや和田一樹さん、水野蒼生さんなど今第一線で活躍している方たちがたくさん参加していて、音大生ではなかった私には同世代の指揮者たちと交流することができるとても貴重な機会でした。
ここまで坂入のクラシック音楽との出会いや指揮者としての最初の歩みに迫ってきた。語られたエピソードのひとつひとつから坂入の早熟で人並外れた感受性を窺い知ることができるだろう。インタビューの後編では、ともに音楽を作ってきた仲間である東京ユヴェントス・フィルハーモニーへの想いやプロの指揮者としてのこれからについて、大いに語ってもらう。
後編へつづく
坂入健司郎 Kenshiro Sakairi
1988年5月12日生まれ、神奈川県川崎市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。
これまで指揮法を井上道義、小林研一郎、三河正典、山本七雄各氏に、チェロを望月直哉氏に師事。また、ウラディーミル・フェドセーエフ氏、井上喜惟氏と親交が深く、指揮のアドバイスを受けている。13歳ではじめて指揮台に立ち、2008年より東京ユヴェントス・フィルハーモニーを結成。これまで、J.デームス氏、G.プーレ氏、舘野泉氏など世界的なソリストとの共演や、数多くの日本初演・世界初演の指揮を手がける。2015年、マーラー交響曲第2番「復活」を指揮し好評を博したことを機に、かわさき産業親善大使に就任。同年5月には、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンへ出演を果たし、MOSTLY CLASSIC誌「注目の気鋭指揮者」にも推挙された。2016年、新鋭のプロフェッショナルオーケストラ・川崎室内管弦楽団の音楽監督に就任。その活動は、朝日新聞「旬」にて紹介された。2018年には東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団に初客演しオルフ「カルミナ・ブラーナ」を指揮、成功を収め、マレーシア国立芸術文化遺産大学に客演するなど海外での指揮活動も行なった。2020年、日本コロムビアの新レーベルOpus Oneよりシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」をリリース。2021年1月に愛知室内オーケストラへ客演、ブルックナー:交響曲第3番を指揮し名古屋デビュー。同年8月には名古屋フィルハーモニー交響楽団に初客演。またオーケストラ・キャラバンTOKYO 名古屋フィルハーモニー交響楽団公演にも客演し、東京オペラシティコンサートホールにてロシア・プログラムを指揮。喝采を浴び、新星登場を予感させた。同年11月に大阪フィルハーモニー交響楽団へ客演。
今後、新日本フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団などへの客演も予定されている。公演情報
東京ユヴェントス・フィルハーモニー活動再開記念演奏会2022年1月15日(土)18:00 開演(17:15 開場)
ミューザ川崎シンフォニーホール指揮:坂入 健司郎
独唱:中江 早希 谷地畝 晶子
合唱:東京ユヴェントス・フィルハーモニー合唱団
演奏:東京ユヴェントス・フィルハーモニーアイヴズ:《答えのない質問》
V.ウィリアムズ:《トマス・タリスの主題による幻想曲》
マーラー:交響曲第2番《復活》公演詳細:https://tokyojuventus.com/
愛知室内オーケストラ ソリスト川本嘉子シリーズ 第2回〜ヒンデミット〜
2022年1月23日(日)15:00 開演(14:00 開場)
愛知県芸術劇場コンサートホール指揮:坂入健司郎
ヴィオラ:川本嘉子バッハ/ストコフスキー編:平均律クラヴィーア曲集 第1巻 – 第24番 前奏曲
ヒンデミット:《白鳥を焼く男》
ブルックナー:交響曲第4番《ロマンティック》
※新ブルックナー全集 コーストヴェット校訂 1878/80年 第2稿(日本初演)