FREUDE試写室 Vol.3
『ドライブ・マイ・カー』

FREUDE試写室 Vol.3(September 2021)

text by 有馬慶

『ドライブ・マイ・カー』
単なるメディアミックスの次元を大きく上回る表現の変容

濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』は、村上春樹の短編小説集『女のいない男たち』に収録された同名小説を原作としている。舞台を中心に活躍する主人公の家福は、愛する妻を亡くしていた。彼はドライバーの渡利みさきや俳優の高槻と出会い、自身の喪失感や妻が抱えていた秘密と向き合っていく。これがあらすじである。

村上春樹の小説は極めて人工的であり、ときに寓話的である。本作にも顕著であるが、「理解不能な他者」と「孤独な男性の自我」が描かれることが多い。一人称で観念的な主題を扱うことに長けている文章という媒体ならではだ。およそ日常生活では耳にすることのない持って回った言い回しに代表されるように、これをストレートに映像化してしまえば、ことさらに作為性が際立ってしまう。では、リアリズムや自然主義的な手法が良いかというとそうでもない。それはそれで良い作品ができるかもしれないが、村上春樹の世界とは大きくかけ離れたものになるだろう。

©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

濱口監督は本作をベッドで交わされる男女の会話から始めた。明け方の薄明りを背に女性のシルエットが「こちら側(相手の男性であり、カメラであり、私たち観客=主体)」へ語りかける。そのシチュエーションといい台詞といい、いかにも村上春樹らしい。しかし、これは家福(西島秀俊)が妻の音(霧島れいか)から「物語」を聴かされるシーンだから、非日常的な言葉が用いられても決しておかしくはない。その後のシーンでは、もっと自然であっさりとした口語である。開始早々、観る者を無理なく村上春樹の世界へと誘うその手際には脱帽した

©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

また、ただ単に原作に忠実というわけではない。同じ短編集の他作品(上記の冒頭シーンは「シェエラザード」をモチーフにしている)や映画オリジナルの要素も大胆に加え、自由に構成している。むしろ、こうした部分にこそ作品の本質がよく表れているように思う。

例えば、家福には演出家としての側面を与え、彼の携わる劇が物語の軸となっていく。その作劇は一風変わっており、役者たちの国籍はバラバラで、台詞も各々の母国語で発話される。日本語の他に、韓国語や北京語、フィリピン語に英語、さらに手話も登場するのだ。当然のことながら初めの稽古では役者間に齟齬があり、不満も出てくる。それでも丁寧な本読みを行い、地道な稽古を重ねるうちに理解が生まれていく。不条理で雑多なままに調和する。これこそがこの世界のあり方だと言うように。クライマックスはチェーホフの『ワーニャ叔父さん』の本番だが、有名なソーニャの台詞がどのように表現されるのか。その感動的な瞬間をぜひ観てほしい。

そして、みさき(三浦透子)の存在も拡大され、もう一人の主人公と言っても過言ではない。彼女は稽古に「偶然」立ち合い、本番を客席から観るなど、物語の行く末を中心から一歩引いた地点で見守る。同時に、その生い立ちや内面の変化も詳細に描かれる。これによって彼女は単に記号的な役割であることをやめ、能動的に行動する主体となる。この世に端役はいない。誰もが主人公なのだ。特にラストシーンはそれを象徴していると思う。

このように本作は、原作の魅力を的確に伝えつつ、小説ではなし得ない表現に挑み、単なるメディアミックスの次元を大きく上回っている。歴史に残る傑作映画を新作として劇場で観ることができるのは今だけである。この稀有な機会を逃す手はない。

『ドライブ・マイ・カー』
全国大ヒット公開中!

原作:村上春樹 「ドライブ・マイ・カー」 (短編小説集『女のいない男たち』所収/文春文庫刊)
監督:濱口竜介 脚本:濱口竜介 大江崇允 音楽:石橋英子
出演:西島秀俊 三浦透子 霧島れいか/岡田将生
製作:『ドライブ・マイ・カー』製作委員会 製作幹事:カルチュア・エンタテインメント、ビターズ・エンド
制作プロダクション:C&Iエンタテインメント 配給:ビターズ・エンド
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
2021/日本/1.85:1/179分/PG-12
【公式サイト】http://dmc.bitters.co.jp

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