フランク・ペーター・ツィンマーマン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァイオリン協奏曲集

<Cross Review>
フランク・ペーター・ツィンマーマン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ヴァイオリン協奏曲集(ベートーヴェン、ベルク、バルトーク)

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ダニエル・ハーディング指揮
録音:2019年12月21日、フィルハーモニー、ベルリン(ライヴ)

ベルク:ヴァイオリン協奏曲《ある天使の思い出に》
キリル・ペトレンコ指揮
録音:2020年9月19日、フィルハーモニー、ベルリン(ライヴ)

バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1番
アラン・ギルバート指揮
録音:2016年11月29日、フィルハーモニー、ベルリン(録音用無観客収録)

バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番
アラン・ギルバート指揮
録音:2016年12月4日、フィルハーモニー、ベルリン(ライヴ)

フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン独奏)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

上記全曲のコンサート映像とインタビュー映像が付属
BERLINER PHILHARMONIKER RECORDINGS/キングインターナショナル

未だかつて聴いたことがないほどに精緻で構築感のあるベルク

坂入健司郎

今回はフランク・ペーター・ツィンマーマンが独奏を務め、ベルリン・フィルと共演したヴァイオリン協奏曲集の話。

高校生の頃の私は、暇さえあれば音楽室に籠って、録り溜めてあった過去のクラシック番組の映像をなめるように観ている学生だった。なかでも印象に残っていたのが、1993年にジャンルイジ・ジェルメッティ指揮、シュトゥットガルト放送交響楽団の来日公演で、フランク・ペーター・ツィンマーマンがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾いた映像。研ぎ澄まされた技巧もさることながら、満面の笑みで音楽を心底楽しんで無邪気に弾いている姿を観ているとこちらまで嬉しくなってしまい、音楽の愉しみを教えてもらった演奏になった。

それから30年近い年月を経てリリースされた、このベルリン・フィルとの協奏曲集。録音だけを聴いてみると若き日の無邪気な姿は影を潜め、最高峰のオーケストラとのいわば「横綱相撲」を観るかような圧倒的な貫禄と技術が備わった危なげのない演奏に仕上がっていた。録音品質や演奏内容はどれも最高級で、文句の付けようがないもの。余談だが、この音盤はジャケットも素晴らしく、現在活躍する画家ヨリンデ・フォークトのドローイングによる鮮やかなものでインテリアとして飾るにも最適である。

このアルバムには、高音質版の音源と映像が収められたBlu-ray Discも付いていてレコーディングされた全ての演奏会の模様も鑑賞できる。録音では気付かなかった、若き日から変わらぬ無邪気で自由奔放な表情が見えて嬉しくなる。音楽を心底楽しむ“新進気鋭ヴァイオリニスト”だったの頃の初心を忘れずに、さまざまな演奏機会を続けてどんどんと磨き上げられ、熟成されていくツィンマーマンのヴァイオリン独奏を聴くと、音楽活動を続けることと、ひとつひとつの演奏会の度に自らを地道にアップデートしていく大切さに気付かされる、そんなアルバムだ。

とりわけ、キリル・ペトレンコが指揮したベルクのヴァイオリン協奏曲が素晴らしい。複雑な構造を全て焙り出すかのように短いモティーフを明確に際立たせて丁寧にアーティキュレーションで繋いでいく。ここまで精緻で構築感のあるベルクは未だかつて聴いたことがない。この作品、いや、数あるヴァイオリン協奏曲の中で最も美しいバッハのコラールの引用も、唐突にならず、神に導かれるかのように鳴る瞬間は、是非とも体験してほしい。

オーケストラがソリストとの共同作業にフォーカスした画期的なセット

平岡拓也

ベルリン・フィルの自主レーベルが、ソリストに焦点を当てたセットをリリースする。
これは、よく考えてみるとクラシック音楽業界、とりわけ録音業界において画期的な出来事ではないだろうか。

21世紀に入り、オーケストラが自主レーベルを通じて本格的に発信を行うようになって早20年以上が経つ。自主レーベルを通じて、大手レーベルではなかなか難しかったレパートリーや指揮者との組み合わせなど、独自の魅力を持つ演奏の数々が世に送り出されてきた。自主レーベル参入におけるベルリン・フィルの姿勢はやや慎重で、2014年に満を持して「ベルリン・フィル・レコーディングス」を設立した。ラトルとのシベリウスやベートーヴェン全集、アーノンクールとのシューベルト全集などは勿論、2016/17シーズンにコンポーザー・イン・レジデンスを務めたジョン・アダムズの作品集、複数の指揮者とのブルックナー全集などは、自主レーベルだからこそ可能な一歩踏み込んだ企画として音楽ファンを大いに喜ばせてきた。

そこに来て、このフランク・ペーター・ツィンマーマンとの協奏曲集である。これまでのセットで彼らは「指揮者」や「作曲家」をフォーカスしてきたが、今回は新たに「ソリスト」である。オーケストラが、オーケストラ自身や団に縁の深い指揮者とのコラボレーションを広く世に問うのに有用な「自主レーベル」において、敢えて「ソリスト」で絞ったセットを出すのだ。これはつまり、ベルリン・フィルがその演奏活動において、優れたソリストとの共同作業をいかに重要視しているか、ということの証左でもある。そして、そのアーティストとして選ばれたツィンマーマンは当然、団も認めた傑出したソリストであり、長年のパートナーということになる。

実際に演奏を聴いてみると、どれも名演揃いだ。ツィンマーマンは卓越した技巧を有しているが、それを分かり易く提示して喝采を得るタイプの奏者ではない。技巧は音楽表現の中に細やかに盛り込まれ、絶妙なフレージング、正確かつ豊かな重音、美しいボウイングといった点で表出する。そして現在の彼の内的充実が、千変万化のベルリン・フィルとの共演で結晶化しているのがよく分かる。ベートーヴェンで独奏の旋律を受け継ぎ短調に転ずる弦は、シルクのようになめらか。かと思うと、同音連呼では苛烈に刻み付ける。その変わり身の早さ。ベルクでは独奏と管弦楽が極限まで音楽のドラマを突き詰めてゆき(ペトレンコの指揮の凄絶さ!)、待望の初録音となったバルトークでは独奏は民族色を纏いつつも洗練された音色を披露し、ギルバート指揮の管弦楽は土煙をあげ邁進する。全曲の全篇が聴きどころと言って差し支えない仕上がりのため、4曲を一気に聴き終えると心地よい疲れがどっと押し寄せてきた

ツィンマーマンの現在の高みをじっくりと味わえると共に、作品が求める姿に応じていかようにでも変貌し得るベルリン・フィルのポテンシャルを存分に味わえる本セット。繰り返しにはなるが、「自主レーベル」から「ソリスト」に焦点を当てたリリースという点でも興味深い。枠組みやこれまでの概念にとらわれず、時代を先導し最良の音楽を届ける―そのようなベルリン・フィルの姿勢まで、透けてくるではないか。

ペトレンコ、ベルリン・フィルと共演するフランク・ペーター・ツィンマーマン ©Stephan Rabold

ソリスト、指揮者、オーケストラが三位一体となるベートーヴェン

八木宏之

「正統派」や「王道」といった言葉は、近年の音楽批評にはあまり用いられない。YouTubeやサブスクリプション・サービスを通して、誰もが簡単に過去の名盤から最新の録音まであらゆる演奏にアクセスできる音楽環境は、演奏様式を著しく多様化させた。そんな今日においては「正統派」や「王道」などもはや存在せず、時代を代表するスタイルを語ることも極めて難しくなっている

そうした今日においても、フランク・ペーター・ツィンマーマン(1965年ドイツ、デュイスブルク生まれ)の演奏を聴くと、「正統派」や「王道」と言った言葉が頭に浮かんでくるのはなぜだろうか。ツィンマーマンの演奏が絶対的な価値観を提示しているわけではないだろうし、彼も自らの演奏をそのように聴かれることは望んでいないだろう。それでもツィンマーマンが「正統的」で「王道」な印象を与えるのは、その演奏が楽譜に対して徹底的に誠実であり、フレーズの細部に至るまで深く彫り込まれ、圧倒的な説得力をもって迫ってくるからにほかならない

ベルリン・フィルの自主制作シリーズから新たにリリースされた、ツィンマーマンの協奏曲集のライナーノート(カタリーナ・ウーデとベネディクト・フォン・ベルンストルフによる)では、ツィンマーマンとヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の演奏様式が結び付けられているが、なるほど確かに両者の演奏家像は重なるものがある。150年近くの隔たりがあるふたりの名手を直接結びつけるのは少し無理もあるが、ツィンマーマンのヴァイオリンが「楽譜の一音一音、付点や表情記号に細心の注意を払う厳格な」(ライナーノートより引用、城所孝吉訳)ヨアヒムの演奏様式を想起させるのは確かだろう。

美しい装丁の書籍のような本盤にはベートーヴェン、ベルク、バルトークの協奏曲が収められているが、とりわけ惹かれたのは、ヨアヒムがその真価を世に知らしめたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲だ。「ヴァイオリン協奏曲の王」とも呼ばれるこの作品は、19世紀初頭の協奏曲としては異例の長さを誇り、とりわけ第1楽章は果てしない。演奏によっては冗長に感じてしまうこともしばしばだが、ツィンマーマンは疾走感のあるテンポでこの巨大な協奏曲を駆け抜けていく。こうしたテンポ設定は古楽からの影響を感じさせるものの、そこで聴かれる音色は太く豊かであり(ヨアヒムのヴァイオリンはこんな音だったのだろうか)、ロマンティックな響きと21世紀に相応しいアプローチが矛盾なく見事に融合しているのだ。

ダニエル・ハーディングの指揮するベルリン・フィルもそうしたツィンマーマンの演奏と完全に調和して、ソリスト、指揮者、オーケストラが三位一体となってこの協奏曲の形式を立体的に浮かび上がらせる(付属のブルーレイで演奏映像を観てみると、ツィンマーマンはソロだけでなく、トゥッティのパートもオーケストラと一緒に演奏している)。この演奏が今後ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を語るうえで、欠かすことのできないものであることは間違いないだろう。ハーディングの指揮で聴くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はいつも素晴らしく、これまでにルノー・カプソンとイザベル・ファウストとの共演をパリ管弦楽団で聴いたが、そのどちらも大変な名演だった。最高の円熟期を迎えたツィンマーマンが、ベルリン・フィルと、それもハーディングの指揮で、この協奏曲をレコーディングしてくれたことに心から感謝したい。

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