FREUDE試写室 Vol.5
『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』
text by 有馬慶
天才と凡人を媒介する宗教
1951年ロンドン、天才ヴァイオリニストのドヴィドル・ラパポートはデビュー・コンサート当日に突如行方不明となった。それから35年後、親友のマーティン・シモンズはあるきっかけから彼を探す旅に出るーー。監督は『レッド・ヴァイオリン』などのフランソワ・ジラール、原作は『巨匠神話』や『だれがクラシックをだめにしたか』などの著者として知られるノーマン・レブレヒト。ハワード・ショアの音楽とレイ・チェンのヴァイオリン演奏、パガニーニやブルッフといったクラシック音楽の数々も見どころ(聴きどころ)のひとつである。
本作は主人公マーティンの視点を中心に「ドヴィドルはなぜ姿を消してしまったのか」を追うミステリーの構造を持っている。したがって、その核心に直接言及することは避けたいが、彼とともに謎を追いたい方はぜひ鑑賞後にこの先をお読みいただければ幸いである。
さて、私が本作で特に興味深いと感じたのは「天才と凡人」の間に「宗教」が絡む構図である。『アマデウス』のように天才を目の当たりにする凡人を主人公とした作品や『シンドラーのリスト』のように第2次世界大戦下におけるユダヤ人を描いた作品は枚挙にいとまがないが、両者を有機的に結び付けてしまった例は少ないだろう。
ドヴィドルは類まれな才能ゆえに多くの人々から愛され、かつそのことに自覚的であるため奔放に振る舞うが、本質的には常に孤独を抱えている。一ヶ所に定住することなく、絶えず安息の地を求めてさまよう姿はユダヤ的でもある。一方、マーティンは人並み以上の才能はないものの、裕福な家庭で育ち、成長してからも安定した職と家庭を手に入れている。二人は相互補完的であり強い絆で結ばれていくが、同時に嫉妬や憎悪も生まれる危ういものである。
彼らの関係性の機微を描く媒体として、ユダヤ教が重要な役割を果たしている。例えば、マーティンにとって初めて目にするユダヤ教の儀式は異質なものだが、二人の距離が縮むにつれてやがて日常となっていく。さらに青年のドヴィドルは自らの意思で宗教上のある決断をするのだが、ここが二人の関係性のピークとなっている点は興味深い。なお、原作では二人ともユダヤ教徒であったようだが、映画化にあたってドヴィドルのみがユダヤ教という設定に変更されている。これにより対比構造がより明確になった。
後半で明かされるドヴィドル失踪の真実とその結末は決して後味の良いものではない。マーティンがドヴィドルと出会った時のように、理解不能なものに感じられるかもしれない。しかし、ドヴィドルにとって「天才」と「ユダヤ人」という運命は一人で抱えるには重すぎるものであり、どちらかを手放すしかなかったのだと私は考えている。
最後にひとつ。本作の原題は「The Song of Names(名前たちの歌)」である。なぜこのタイトルなのかを考えながらご覧いただくと良いだろう。
『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』
12月3日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国公開監督:フランソワ・ジラール
脚本:ジェフリー・ケイン
出演:ティム・ロス、クライヴ・オーウェン、ルーク・ドイル、ミシャ・ハンドリー、キャサリン・マコーマック
製作総指揮:ロバート・ラントス
音楽:ハワード・ショア
ヴァイオリン演奏:レイ・チェン
2019 年|イギリス・カナダ・ハンガリー・ドイツ|英語・ポーランド語・ヘブライ語・イタリア語|113分|映倫区分:G(一般)
© 2019 SPF (Songs) Productions Inc., LF (Songs) Productions Inc., and Proton Cinema Kft
配給:キノフィルムズ
提供:木下グループ