第4回たかまつ国際古楽祭レポート【後編】

PR

第4回たかまつ国際古楽祭レポート【後編】

text by 原典子
cover photo by Shintaro Miyawaki

フォルテピアノで聴く《月光》ソナタ

2021年9月25日(土)と26日(日)に香川県高松市にて開催された「第4回たかまつ国際古楽祭」のレポート。後編は香川県文化会館 芸能ホールで行われた2つのコンサートの模様をお届けする。

まずは25日の「小倉貴久子、スガダイロー コンサート」。フォルテピアノの名手である小倉の演奏でモーツァルトやベートーヴェンを聴いたあと、ジャズ・ピアニストのスガダイローが登場するという前代未聞の組み合わせである。本来は別々の会場で単独のコンサートが予定されていたが、「XS(エクストラスモール)」での開催に変更となり、急遽、30分ずつのジョイント・コンサートという形になったのだった。しかし、それが結果的には誰も想像しえなかった化学反応を生み出していたように思う。

小倉貴久子 photo by Shintaro Miyawaki

この日のために小倉の自宅からはるばる高松まで運び込まれた楽器は、アントン・ヴァルターの1795年製をモデルに、クリス・マーネが1995年に製作したフォルテピアノ。まさにモーツァルトやベートーヴェンがウィーンで愛用していた楽器と同じモデルである。

作曲された当時の演奏会のスタイルに倣い、小倉はモーツァルトの《ファンタジー》ニ短調 K.397(補筆:小倉貴久子)と《プレアンブルム(前奏曲)》K.deest、そしてベートーヴェンのソナタ 嬰ハ短調 Op.27-2「幻想曲風ソナタ」《月光》を、曲間をあけずに続けて演奏。フォルテピアノならではの軽やかな機動性を活かし、鮮烈で生気に満ちた音楽がノンストップで繰り広げられていく。

なかでも圧巻だったのが《月光》ソナタである。激しい第3楽章などはモダンピアノのリッチな響きで聴くよりも、音の減衰が早いフォルテピアノで聴いた方が細部の動きがよりクリアになり、疾走するドライヴ感にアドレナリン全開。ベートーヴェンの時代の聴衆が耳にしていたのはこんな響きだったのか! 誰もが知る有名曲だけに、聴衆の驚きは大きかったに違いない。

「18世紀の音楽家たちは、現代のジャズ・ピアニストにも近い部分があったのではないでしょうか。たとえばベートーヴェンが旅行をしたとき、マンハイムではピッチが違ったので、急遽ピッチを変えて演奏したとか、そのときに置かれた環境で、できることをやっていた。そんな即興的なノリも古楽のひとつの魅力だと思います。そういう意味で、今回古楽祭ではさまざまな制約のなかで変更に次ぐ変更がありつつも、“そのときになにができるか”という古楽演奏の本質的な部分をお伝えできたのではないかと思います」と終演後に小倉は語ってくれた。

スガダイローによる天地創造

前半終了後、小倉貴久子に柴田俊幸とカニササレアヤコが加わったアンコールをはさんで、いよいよスガダイローが登場。真っ黒なモダンピアノに向き合った黒い衣装のスガがスポットライトに浮かび上がる。右足を組んだままペダルを踏む独特のスタイルで弾きはじめた途端、会場の空気は一気に「異界」へと変容した。

スガダイロー photo by Shintaro Miyawaki

演奏されたのは、スガが暦をテーマに12ヶ月それぞれの曲を書き下ろした曲集『季節はただ流れて行く』(2018年にアルバムリリース)に、即興を織り交ぜたもの。「この曲集には、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》のプレリュードみたいなイメージで作った曲がいくつもあって、それなら古楽祭にも合うのではないかと。4月から9月までの曲を演奏する予定だったけれど、30分という枠のなかで8月までしか到達できなかった。弾いている途中で“あ、間に合わねーや!”って」と言って笑うスガは、いかにもジャズマンである。

とはいえクライマックスでは、ずっと同じ一音を一本指で連打していたかと思えば、天地創造のごとく混沌と渦巻く響きの大海を現出させたスガ。それは小倉によるフォルテピアノとは対照的に、モダンピアノの響きと性能をフルに活かした音響世界であった。クラシック音楽ではありえない轟音に「すごいものを聴いた!」と興奮した聴き手もいれば、耳を塞いだ聴き手もいただろう。けれど、そういったヴィヴィッドな反応こそ演奏会のあるべき姿だとも言えるのではないか。耳なじみのいい予定調和的な音楽ではない、芸術のコアを忖度なしに聴衆にぶつける古楽祭の本気を見たように感じた。

中世の心を今に伝えるゴシック・ハープ

26日は「西山まりえ、柴田俊幸&鈴木大介 コンサート」。チェンバロとヒストリカル・ハープの両方を演奏する才人として知られる西山だが、今回は15世紀に演奏されていた「ゴシック・ハープ」と呼ばれる楽器を持って登場した。

西山まりえ photo by kingyo

筆者は西山がコリーナ・マルティと録音した『中世の四季』というアルバムが好きでよく聴いているのだが、西山のアルバムやコンサートにはいつも音楽だけではない「物語」がある。「私の演奏は即興が肝なので、聴いてくださっているお客さまの反応が必要。知らない曲にも心を動かしていただくために、音楽とつながる糸口になればと、曲の背景などをお話しています」と語る西山は、曲間にトークを交えながらコンサートを進めていく。

初の女性作曲家とされるヒルデガルト・フォン・ビンゲンからはじまり、ヨーロッパでは誰もが知る恋愛物語を描いた《トリスタンの哀歌》、ギョーム・ド・マショーの《恋人に逢っての帰り道、優しく美しき貴婦人よ》、そして聖母マリアに捧げる歌まで、人が人を想う気持ちや、神に祈る気持ちは今も昔も変わらないことを、吟遊詩人の竪琴の音が教えてくれる。

「中世では宮廷愛と呼ばれる、騎士が身分の高い女性に対して恋慕の情を抱くというのがお決まりの恋愛物語の題材でした。それが宗教曲になると聖母マリアへの讃美になる。女性を崇めるような、女性に対して非常に優しい時代だったのですね。中世は暗黒の時代ではなく、じつはカラフルで豊かな心に満ちた時代だったのではと思います」と西山は語る。

19世紀のフルート&ギターが生み出す愉悦と即興

そして古楽祭のトリは、柴田俊幸と鈴木大介によるデュオ。モーツァルト、ジュリアーニ、シューベルトというプログラムで、柴田は1820年頃のロマンティック・フルート、鈴木も19世紀のロマンティック・ギター(ともにレプリカ)で当時の音色を届けた。

柴田俊幸/鈴木大介 photo by kingyo

鈴木によると、かつてウィーンのサロンではギターが使われた室内楽がたくさん演奏されていたが、2度の世界大戦を経てウィーンのギター文化(楽器や文献)は絶滅し、現代はスペインから入ってきたギターがメインストリームになったとのこと。プログラムの最後に置かれた、モーツァルトのK.331にK.332の抜粋が挿入されたアンドレアス・トレッグ編曲によるソナタでは、「トルコ行進曲の部分がちょっとダサいので僕たちのオリジナル編曲にした」そうだが、そういった即興性と愉悦に満ちた音楽が、ウィーンのサロンでも日々繰り広げられていたに違いない。

「僕は今までずっと我慢していたんだということが分かりました。というのも、僕が25年前にザルツブルクで学んだ古楽というものを、日本に帰ったら誰もやっていないので、“自分が間違っているのかな?”と薄々思っていたんです。でも、“ああ、やっぱりこのままでよかったんだ”と、柴田さんと共演してはじめて思うことができました。25年ぶりに解放された感じです」と鈴木は語る。

芸術監督の柴田は、「20世紀の古楽は“答え探し”からはじまりました。でも探求が進むにつれ絶対的な答えというものはないことが分かったのが21世紀。そういったなかで、古楽というものの見方、視点を持った人たちが演奏すれば、それは時代やジャンルに関わらず“古楽”として扱ってもいいのではないか、というのが僕が考える古楽祭のテーマでした。今でこそクラシックは再現音楽と言われますが、そうではなかった時代のように、その場で音楽を作ることができる音楽家が集まって、その場でHappenさせたいという気持ちから生まれた古楽祭です」と語って2日間にわたる古楽祭を締めくくった。

「古楽とはなにか?」という問いを投げかけ、なににも縛られない自由な魂をもった音楽を聴かせてくれたたかまつ国際古楽祭。来年またこの地を訪れることが、今から楽しみでならない。

2022年も開催決定!
第5回たかまつ国際古楽祭
2022年9月27(火)~10月2日(日)
主催:(一社)瀬戸内古楽協会

たかまつ国際古楽祭webサイト
https://mafestivaltakamatsu.com/

 

最新情報をチェックしよう!