飛行機で去っていった「つう」
岡田利規が洗い直したオペラ《夕鶴》の視覚

<Review>
飛行機で去っていった「つう」

岡田利規が洗い直したオペラ《夕鶴》の視覚

text by 池田卓夫(音楽ジャーナリスト@いけたく本舗®︎)
cover photo by サラ・マクドナルド

撮影:サラ・マクドナルド

十分に「鶴的」なつう

東京芸術劇場、刈谷市総合文化センター(愛知県)、熊本県立劇場を回る「2021年度全国共同制作オペラ」は「團伊玖磨没後20周年記念」と銘打ち、團伊玖磨(1924-2001)のオペラ代表作《夕鶴》を選んだ。現代演劇の騎手として日本のみならず、ドイツ語圏でも評価を得てきた岡田利規(チェルフィッチュ主宰)がオペラ初演出に挑み、「あなたの居心地を悪くする物語です」と宣言した上で、現代の視覚を大胆に取り入れた。指揮は東京が辻博之、愛知と熊本が鈴木優人で分担するが、岡田が主宰したワークショップにはそろって加わった。

2021年10月30日の初日は東京。辻も長く副指揮を務めてきた佐藤正浩(指揮者)のオーケストラ、ザ・オペラ・バンドが客席前方に設置されたピットに入る。舞台3方を工事現場のような足場に組まれたパネルが囲み、居間とダイニングルーム、屋上テラスを備えた与ひょう、つう夫妻の新居をやや下手(客席から見て左側)寄りにしつらえ、上手側には観客席を思わせる雛壇(ひなだん)を置いた。管弦楽が鳴り始めると、左右から巨大な球体(顔が描かれている)を抱えた子どもたち(世田谷ジュニア合唱団)が現れ、何人かが雛壇に腰を下ろす。「原作にはない劇中劇の設定。子どもたちが観客を兼ね、2つの異なるレイヤー(階層)をはっきり見せながら、存在感を際立たせるつもりです」というのが岡田の説明だ。子どもたちは純真一辺倒ではなく、時に残忍に映る

つう(小林沙羅=ソプラノ)はシックなブルーのドレス。「イノセント(無垢)な白い鳥といった既視感に抗い、最初から“白くない夕鶴”にしたいと考えました」と、岡田は制作発表で予告していた。筆者も過去に1度だけ《夕鶴》を演出した経験がある。かねて、つうがあまりに普通の女性に描かれ「鳥が人間に化ける」ホラー性、子どもたちに付きまとわれたり、夫婦関係が破綻したりする場面でも「人間の動きのまま」なのに強い不満を覚えていた。演出の現場では、そうした観客側の思いを主役のソプラノに伝え、「もっと手をバタバタさせてください」「子どもたちが“鶴が滑った”と歌う場面では思いっきり、ムーッとしましょう」などと、私はお願いした。今回、岡田が小林に与えた動きは十分に「鶴的」で、ようやく溜飲が下がった。

与ひょう(与儀巧=テノール)はクリーム色のジャケット、パンツの上下にライトグリーンのシャツ。商人の運ず(寺田功治=バリトン)と惣ど(三戸大久=バス・バリトン)はパンクロッカーかサーカスのピエロ、あるいは山本寛斎のイベントを思わせる極彩色の衣装。資本主義の象徴である男性3人はうんと戯画化され、金銭への執着を語り、歌う場面では、チェルフィッチュの演劇にも現れる妙にスローで滑稽なダンスを伴う。管弦楽のスコアに手を入れない代わり、演じ手にストップモーション(静止)をかけ、音楽と芝居が一致しない瞬間をつくり、人間、鳥の双方に「不都合な瞬間」を強調する

撮影:サラ・マクドナルド

「YOU-ZURU」

つうの部屋(機を織る場所)はコンテナを思わせる箱で、緑色で観音開きのドアには鍵がかかっている。最後の1枚を織り終え、男たちが中を覗き、正体を知ってしまったことへの嘆き、悲しみ、拒絶を歌う場面にさしかかると年長の子ども2人が「ご開帳」とばかりに扉を開ける。風俗店みたいに怪しげな内部から、宇宙服風の銀色ドレスを纏ったつう、映画『キャバレー』の登場人物あるいは場末のバニーガールのいでたちのダンサー2人が飛び出す。女たちは文字通り「身体を張って」経済を維持していたのだ。左右ドアの裏側には「YOU-ZURU」「ユーズル」と書かれて光るネオン管。「TSURU」や「TURU」「ツル」ではなく、あえて「ZURU」「ズル」としたのはもちろん、「あなた(人間の男)はずるい」のパロディーで、徹底的にベタだ。

与ひょうが謝罪の泣きを入れ引き止めるたび、つうも2人のダンサー(振付を兼ねる岡本優と工藤響子=TABATHA)も感情のないチャチな動きで拒絶や嘲りの意思を伝える。空へと旅立つ場面、3羽の鶴は下手側のパネル1枚をバーンと大きな音で突き破り、決然と出ていく。女たちが経済的に破綻した男たちを見限り、堂々と自立を宣言する瞬間だ

最後は正面のパネル最上部の窓に、高度を上げる飛行機とヒコーキ雲が映し出されて「羽を使い切って自力で飛べず、文明の利器に頼ったな」と、妙な納得? をする。つうもしっかり、資本主義の恩恵は受けていたのである。もちろん航空会社は日本航空だろう。ならば尾翼の鶴のマークまで見せてほしかったと、こちらの勝手な欲望もつのったのであった。

歌に関していえば、与ひょうの与儀、運ずの寺田が優れていた。ミュージカルでも活躍する三戸、演技は申し分ないのだが、惣どの音域がバス・バリトンより一段低いバスで書かれているため、発声に苦心する箇所があったのは残念だった。小林はイノセントな存在をうまく出していた半面、ソプラノの高音のハンデを差し引いても日本語発音、音程コントロールにいくぶんの難があった。2度、3度と歌い込むにつれ、激しい情念の噴出に期待したい。

撮影:サラ・マクドナルド

拝金主義と人間疎外への批判という原点に立ち返る

戯曲の新潮文庫版に、原作者の木下順二(1914-2006)は1966年、1997年の2度、あとがきを記した。日本経済の高度成長期の66年には「日本の民衆のいわば“過去の総和”を、どうやって未来への指向を現在のテーマとして作品化するか」、バブル崩壊後の97年には「“鶴女房”という民話を単なる素材と考えて一篇の現代劇を書いたわけで、だから『夕鶴』にだけは、民話劇という呼び名を私は使わない」と、一貫して現代との接点を探っていた。團は1949年に戯曲の付随音楽を作曲、さらにオペラ化を申し出たとき、木下は「文言を一字一句、変えてはならない」と条件をつけた。1952年の初演時で28歳と若かった團は、ワーグナーの助手でオペラ《ヘンゼルとグレーテル》の作曲家のフンパーディンクの管弦楽法、ライトモティーフ(示導動機)の使い方などを手本に、抒情美あふれる旋律に日本風の響きを交えたスコアを書いた。生前の團は可能な限り自分で指揮、演出家には「日本昔ばなし」調の田園地帯に和装のつう……といった視覚を求め続ける一方、抜粋やピアノ伴奏の上演に演出をつけることを禁じた。

筆者は團の生前に一度、「日本の創作オペラの未来像」をテーマにインタビューを申し込んだ。話は噛み合わず、團はひたすら自作の理想的上演への夢を語り続けた。作曲家なのだから、それはそれでひとつの見識で、批判には当たらない。

岡田演出最大の功績は拝金主義と人間疎外への批判という原点に立ち返り、團が生きていたら許さなかった次元まで、視覚の現代化を図った点にある。永峰高志(国立音楽大学教授・NHK交響楽団元首席第2ヴァイオリン)がコンサートマスターを務め、在京オーケストラ楽員やフリーランスの腕利きを集めたザ・オペラ・バンドを37歳の辻がダイナミックに鳴らし、スコアの隅々まで克明に再現したとき、《ヴォツェック》(ベルク)の30年後、《ムツェンスク郡のマクベス夫人》(ショスタコーヴィチ)の20年後、《ピーター・グライムズ》(ブリテン)の7年後……というタイミングで書かれたとは俄かに信じがたい作曲の素朴さに、愕然とした。岡田が意図的に仕掛けた舞台上の視覚と管弦楽の位相のズレが、より管弦楽への注意を喚起する効果を発揮した点でも、画期的なプロダクションだといえる。

撮影:サラ・マクドナルド

【公演webページ】
https://www.geigeki.jp/performance/concert233/

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