<Artist Interview>
カーチュン・ウォン
アジアのクラシック音楽の未来を描く【前編】
text by 八木宏之
cover photo ©Angie Kremer
2023/2024シーズンから、日本フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者とドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者に就任するカーチュン・ウォンは、いまもっとも注目を集めるマエストロのひとり。シンガポールに生まれ、ドイツで巨匠、クルト・マズアの薫陶を受けたカーチュンは、2016年のグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールの優勝によって一気に世界の檜舞台へと駆け上がった。
日本もカーチュンの指揮活動にとって欠かすことのできない国だ。すでに首席客演指揮者を務めている日本フィルを中心に、全国各地のオーケストラに招かれ、日本のクラシック音楽ファンにも広く愛されている。日本フィル首席客演指揮者就任披露演奏会でのマーラーの交響曲第5番や、オーケストラ・インフィニチュードとのブラームスの交響曲第4番、東京フィルハーモニー交響楽団、ピアニストの高橋アキと共演した武満徹の《アーク》など、私がこれまでに聴いてきたカーチュンの演奏は、どれも予定調和とは無縁の、目の覚めるような鮮烈さを持ったものばかりだった。
2023年1月には、カーチュンと日本フィルのリハーサルとゲネプロを取材して、その音楽づくりにも間近で触れた。伊福部昭の《シンフォニア・タプカーラ》でも、バルトークの《管弦楽のための協奏曲》でも、カーチュンのアイデアはスコアの隅々にまで及び、その明確で揺るぎないビジョンは強い説得力を持ってオーケストラに浸透していく。カーチュンが英語と日本語を交えて言葉を語るたびに、響きは色彩を増し、ニュアンスは研ぎ澄まされていった。
カーチュンと私は歳の近い同世代だが、カーチュンの音楽に触れていると、そこにはっきりとした今日性を感じることがある。再現芸術としての側面が強いクラシック音楽において、ブラームスやマーラーのような過去の作曲家の音楽から「いま」を引き出すことは、極めて重要なことであるが、カーチュンはそれが可能な指揮者なのである。
この人に話を聞いてみたい。ずっとそう願っていたら、2023年4月にカーチュンへのインタビューの機会が巡ってきた。なぜ指揮者を目指したのか。マズアからなにを学んだのか。日本フィルのシェフとしてどんなことに挑戦するのか。そして、ひとりの音楽家としてどんな未来を思い描くのか。FREUDEの読者へ向けて、じっくりと語ってもらった。
ブラスバンドで培われた指揮への関心
――カーチュンさんはシンガポールご出身です。シンガポールでの子供時代、音楽、とりわけクラシック音楽とはどのように出会われたのですか?
私の両親はクラシック音楽の演奏家ではありません。父は軍隊で働いていましたし、母は保育園の先生をしていました。シンガポールはとても若い国で、公共の教育システムが大変充実している国でもあります。私は小学校1年生のときに、学校のブラスバンドに入りました。サッカーやチェスなどさまざまな部活動がありましたが、私はブラスバンドを選び、そこでコルネットを6年間勉強しました。中学校に進学すると、楽器はトランペットに変わり、高校生までコンサートバンドで演奏を続けていました。また17歳のときに国立のユース・オーケストラにも参加して、シンガポール交響楽団と最初の関わりを持ち、初めてプロの演奏家から一対一のレッスンを受けました。その頃からだんだんと音楽家の道を真剣に考えるようになっていきました。
――トランペットを演奏していたカーチュンさんが、指揮者を志すようになったきっかけはなんだったのでしょう?
指揮については子供の頃からとても興味を持っていたので、指揮者を志したのは私にとってとても自然なことだったと思います。小学校高学年になると、ブラスバンドの休憩時間に、指揮者の先生がいない間、友人たちと指揮台に登って、指揮の真似をして遊んだのをよく覚えています。
中学生になると、コンサートバンドのリーダーを務めるようになり、指揮者のアシスタントとしてウォーミングアップを担当したり、学校内のコンサートの指揮を任されたりしました。こうした経験から、少しずつ指揮者への道が開かれ、私の指揮に対する関心も強まっていきました。
2018年に東京と大阪で東京佼成ウインドオーケストラを指揮する機会に恵まれましたが、そのときに指揮したマルコム・アーノルドやジェイムズ・バーンズ、ヤン・ヴァンデルローストの作品は、高校のコンサートバンドでトランペット奏者として演奏したり、アシスタントとして指揮したりしたものです。自分の青春時代の思い出の作品を日本で指揮することができたのは、とても幸せなことでした。
――大学では作曲を専攻されていますね。なぜ指揮ではなく作曲を選ばれたのですか?
私は国立の芸術大学に進学しましたが、この大学は設立されてからまだ日が浅く、指揮科はありませんでした。そこで作曲を専攻することにしたのです。
これには良い面と悪い面があったと思います。悪い面は、指揮を専門的に勉強する機会が得られなかったことです。しかし指揮科がなかったからこそ、私は指揮に対してある程度の自由がききました。自分が興味を持った作品があれば、学校に迷惑がかからない範囲で、自らメンバーを集めて、オーケストラを編成し、指揮することができました。
リハーサル室を確保して、図書館へ行ってスコアとパート譜を入手して、パート譜にボウイングを書き込み、本番のホールを予約して、会場では照明からセッティングまで、全て自分でやりました。さまざまな作品を指揮することができただけでなく、ライブラリアンやステージマネージャーなど、オーケストラを支える仕事も経験し、演奏会を開催するプロセスを学ぶことができたことは本当に良かったと思います。
マズアの呼吸
――カーチュンさんはたびたび、師であるクルト・マズアの教えについて語られています。マズアとの出会いはどのようなものだったのでしょう?
大学を卒業してまもない2011年10月に、クロアチアのザグレブで行われたマタチッチ国際指揮者コンクールに挑戦して2位になることができました。私はコンクールが終わるとすぐにドレスデンへと向かい、ドレスデン・フィルを指揮していたマエストロ・マズアに会いに行きました。楽屋を訪ねて、マエストロに弟子入りを志願したのです。すると、翌年にニューヨークのマンハッタン音楽院で行われるマエストロのマスタークラスに申し込むように言われました。私はそのマスタークラスに出願して、無事に選抜を突破し、初めてマエストロのマスタークラスを受けることができました。その後、2012年から2014年の間に、ライプツィヒをはじめとするドイツ各地や日本で開催されたマエストロのマスタークラスに立て続けに参加しました。
ライプツィヒのマエストロのお宅でスコアを一緒に勉強することもありました。マエストロから教わったレパートリーにはベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、ブルックナーの交響曲や、ムソルグスキーの《展覧会の絵》などが含まれます。《展覧会の絵》はラヴェルではなくゴルチャコフの編曲によるものでした。
――マズアのレッスンで特に印象に残っている教えはありますか?
もっとも記憶に残っている印象深いレッスンは、洗足学園音楽大学で行われたブラームスの交響曲第4番のマスタークラスです。この交響曲の冒頭はオーケストラの呼吸を合わせるのがとても難しく、5人の受講生が指揮をしましたが、どれもマエストロの満足のいくものではありませんでした。マエストロは納得のいく演奏でないととても感情的になる人でしたので、彼が満足していないのは明らかでした。
この頃すでにマエストロのパーキンソン病はかなり進行していて、手足は絶えず震えていたのですが、マエストロはゆっくりと指揮台に登り、そこでふっと呼吸をしました。すると、これまで合っていなかったオーケストラの呼吸が一瞬にしてひとつになったのです。特別なことはなにもしていません。マエストロはただ深く呼吸をしたのです。そのときのオーケストラは若い学生たちによって構成されていたので、経験豊かなアンサンブルではありませんでしたが、彼らはマエストロの呼吸に瞬時に反応することができました。
私はこの体験から多くのことを学び、指揮をするとはどういうことなのかを知りました。マエストロの病気が進行して、コンサートを指揮することが難しくなっていった時期に、マエストロがそれでも音楽を続けたいと取り組んでいたのがマスタークラスでした。そこに参加して、晩年のマエストロの音楽に接することができたことは、本当に幸運なことだったと思います。
世界でもっとも質の高い聴衆
――2011年のマタチッチ国際指揮者コンクールに続き、2016年のグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールでは優勝を果たされたカーチュンさんは、現在ヨーロッパ、アメリカ、そしてアジアで国際的な指揮活動を展開されています。そのなかでも日本はカーチュンさんにとって重要な活動拠点のひとつです。これから、カーチュンさんに続く才能溢れる指揮者や演奏家が東南アジアからたくさん羽ばたいていくと思いますが、シンガポールをはじめとする東南アジアの音楽家にとって、日本のクラシック音楽シーンはどのように映っているのでしょうか?
東南アジアの音楽家に限らず、どの国の音楽家にとっても日本のクラシック音楽シーンは魅力的なものだと思います。世界中の音楽家が日本で演奏したいと望んでいます。日本のクラシック音楽界をなにより特徴づけているのは、世界でもっとも質の高い聴衆です。日本のクラシック音楽ファンは作品を本当によく理解していますし、演奏会の前に、過去の優れた録音で予習をしてからホールにやって来ます。そのような国は世界でも稀です。
例えば私がブルックナーの交響曲を東京で指揮するとしたら、聴衆のなかにはセルジュ・チェリビダッケとミュンヘン・フィルのブルックナー演奏に接したことのあるひとがたくさんいるのです。こうした豊かな音楽体験を持つ熱心な聴衆の存在が、日本のクラシック音楽シーンを魅力的なものにしているのだと思います。耳の肥えた日本の聴衆を前にして指揮をするためには、たくさんの準備をしなくてはいけません。私が日本で取り上げる作品が、ヨーロッパですでに演奏したことのある、熟知した作品ばかりなのには、そうした理由があるのです。
自分たちのスタイルと個性を大切に守るオーケストラ
――カーチュンさんは首席客演指揮者として、すでに何度も日本フィルと共演されており、今年の秋には「客演」が取れて、いよいよ首席指揮者に就任されます。私がリハーサルとゲネプロ、そして本番を取材させていただいた伊福部昭とバルトークのプログラムも、本当にエキサイティングなものでした。これからパートナーとなっていく日本フィルの特質について、カーチュンさんはどのように捉えていらっしゃいますか?
私にとって、日本フィルと仕事をすることはいつも光栄であり、このような長い歴史と伝統を持つオーケストラと定期的に共演できるのは、本当に大きな喜びです。これからの数年間で、日本フィルとともにたくさんのことを学び、音楽性を磨き、音楽家として深みを増していくことができるのは本当に楽しみです。
日本フィルと初めて共演したときから、大きな手応えがありました。日本フィルは、指揮者が望んでいることに敏感に反応することができるオーケストラです。日本フィルと仕事をしていると、私のアイデアが良いものなのか、あるいはもっとほかの方法をとった方がよいのか、すぐに感じ取ることができます。日本フィルにはそうした繊細さが備わっています。
ピエタリ・インキネンさん、山田和樹さん、小林研一郎さんといったマエストロたちが日本フィルを指揮した演奏会を聴いて、私がなにより感じたのは、日本フィルの演奏、サウンドが指揮者によってガラッと変わるということです。日本フィルは、指揮者が目指していることに丁寧に耳を傾け、それを演奏によって実現することができる技術と情熱を持ったオーケストラなのです。
60年前には、レナード・バーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックのような、強い個性を持った指揮者とオーケストラのコラボレーションがたくさんありました。しかし今日では、演奏家の技術レベルは飛躍的に向上し、世界中に優れたオーケストラがあるにも関わらず、その演奏は均一化され、それぞれの個性は失われてきています。そのなかで日本フィルは、自分たちのスタイルと個性を大切に守っている数少ないオーケストラのひとつだと思います。
――先日の取材では、カーチュンさんのリハーサルの情報量の多さと手際の良さに驚きました。指示は簡潔で、用いる比喩も音のイメージを伝えるのに適切なものばかりでした。オーケストラの集中力が途切れないように、時間の使い方にも気を配っていました。若い指揮者にとって、オーケストラとのリハーサルはときに難しいものですが、カーチュンさんはどのようにして自分のやり方を見つけていったのでしょうか?
リハーサルというのは全ての指揮者にとって難しい、1番の課題だと思います。それは20代の若い指揮者だけでなく、70代の巨匠にとっても同じです。音楽大学の指揮科ではバトン・テクニックを学ぶことはできますが、リハーサルの方法は誰も教えてくれません。私はシンガポール響のトランペット奏者にレッスンを受けていましたが、先生はよくリハーサルの休憩時間に、「今すぐホールに来て、オーケストラが酷い指揮者とどのように仕事をしているのか見学しなさい」と電話をくれました。私はしばしば大学の授業を欠席して、そうしたリハーサルに立ち会い、オーケストラが指揮者に反発したり、抵抗したりしている様子を目の当たりにしました。これらのリハーサルは勉強になりましたし、そのときの経験はその後大いに役立ちました。良いリハーサルから学ぶことも多くありますが、悪いリハーサルから学ぶこともたくさんあります。リハーサルでなにをしてはいけないのかを知ることは、とても大切なのです。ドイツに留学してからも、ベルリン、ドレスデン、ライプツィヒなど、ドイツ各地のオーケストラのリハーサルを見学しました。今でもリハーサルのあとには、その日のリハーサルの進め方は適切だったか、オーケストラの集中力に配慮できていたか、反省と振り返りを必ずしています。
インタビューの前編では、カーチュンが指揮者を目指すようになった経緯やこれまでの歩みを中心に話を聞いた。後編では、日本フィルの首席指揮者としてどんなことに挑戦するのかなど、カーチュンのこれからについてさらに掘り下げていく。
後編へつづく
カーチュン・ウォン Kahchun Wong
今秋より、日本フィルハーモニー交響楽団首席指揮者、およびドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者に就任となるシンガポール出身のカーチュン・ウォンは2016年グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝、その名を世界に知られることとなる。2022年8月までニュルンベルク交響楽団首席指揮者を務め、これまでに、ニューヨーク・フィルハーモニック、ロサンゼルス・フィルハーモニック、クリーヴランド管弦楽団、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団を含む国内外の主要楽団との共演も果たす。
2016/2017年にロサンゼルス・フィルハーモニック ドゥダメル・フェローシップ・プログラムを拝命。また、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学にてオーケストラ/オペラ指揮の音楽修士号を取得。
2019年、33歳という若さでシンガポールとドイツの文化交流並びにドイツ音楽文化の海外普及における献身的な取り組みと顕著な功績により、シンガポール出身の芸術家として初めてドイツ連邦大統領より功労勲章を与えられた。
2021年12月の日本フィルハーモニー交響楽団定期公演で演奏されたマーラー交響曲第5番のライブ録音CDが日本コロムビアよりリリースされている。
公式ホームページ:https://kahchunwong.com公演情報
日本フィルハーモニー交響楽団 第750回東京定期演奏会
2023年5月12日(金)19:00開演(18:20開場)
2023年5月13日(土)14:00開演(13:10開場)
サントリーホールカーチュン・ウォン(指揮)
佐藤晴真(チェロ)
日本フィルハーモニー交響楽団ミャスコフスキー:交響曲第21番《交響幻想曲》嬰ヘ短調 Op.51
芥川也寸志:チェロとオーケストラのための《コンチェルト・オスティナート》
ヤナーチェク:《シンフォニエッタ》公演詳細:https://japanphil.or.jp/concert/20230512
日本フィルハーモニー交響楽団 第754回東京定期演奏会
カーチュン・ウォン 首席指揮者就任披露演奏会
2023年10月13日(金)19:00開演(18:20開場)
2023年10月14日(土)14:00開演(13:10開場)
サントリーホール
カーチュン・ウォン(指揮)
山下牧子(メゾ・ソプラノ)
harmonia ensemble(女声合唱)
東京少年少女合唱団(児童合唱)
日本フィルハーモニー交響楽団マーラー:交響曲第3番 ニ短調
映像配信
日本フィルハーモニー交響楽団 第747回東京定期演奏会
2023年1月20日(金)19:00開演
サントリーホールカーチュン・ウォン(指揮)
日本フィルハーモニー交響楽団伊福部昭:《シンフォニア・タプカーラ》
バルトーク:《管弦楽のための協奏曲》配信リンク(購入期限 〜2023年7月19日):https://members.tvuch.com/v/classic/225/
日本フィルハーモニー交響楽団 第244回芸劇シリーズ
2023年1月29日(日)14:00開演
東京芸術劇場カーチュン・ウォン(指揮)
小菅優(ピアノ)
日本フィルハーモニー交響楽団ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 Op.30
ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 Op.27配信リンク(購入期限 〜2023年7月28日):https://members.tvuch.com/v/classic/226/