アンソニー・ロマニウク
常に問い続け、常に挑み続ける【後編】

<Artist Interview>
アンソニー・ロマニウク

常に問い続け、常に挑み続ける【後編】

text by 布施砂丘彦
interpreted by 久野理恵子
cover photo ©︎maruszak.photo

まず曲を決め、ひとつの道となるように並べていく

――ロマニウクさんは先ほど、プログラムの構造について「刺激」という言葉を用いました。どのような繋がりを考えて、CDやコンサートのセットリストを構成しているのでしょうか。

「美しく、バランスが取れていて、調和が取れているものが大事です。公式のように特に決まった方法はありません。

まず、楽曲を決めます。その後で、それがどのような順番で流れていけばよいか、ひとつひとつ組み合わせながらやっていきます。それはまるで、冒険の旅に出るような感覚です。自分が決めた道のりに合うように曲目を当てはめるのではなく、決まった曲をひとつの道となるように並べていくのです」

©︎Richard Dumas

――昨今のコンセプト・アルバムによく見られるような、物語性を持って作品たちを紡いでいく方法とは異なっているようで、たいへん興味深いです。そのようにして作られたアルバムやコンサートに対して、ロマニウクさん自身は、自分がその音楽の「作者」である、というような認識はあるのでしょうか。

「そうですね。正直に言って……イエスです。おっしゃる通りです。私自身が作家である、そういう意識はあります。

コンセプト・アルバムのなかには、音楽の外側にある観念を集めて作るというものもあり、自分自身も興味を持ってやったことがありました。しかし、本当に自分だけのものということを考えたとき、内的な音楽的アイディアを大事にしたいと考えています。それが結実したのが、2枚のアルバム、『BELLS』と『PERPETUUM』です。ここでは音楽的アイディアがどこから発生しているのか、そのルーツがどこにあるのか、といったことを考えて構成しています」

チェンバロ、フォルテピアノ、フェンダー・ローズ

――さて、ロマニウクさんが使っていらっしゃる素晴らしい楽器について伺いたいと思います。昨日の公演で聴かせていただいた電気ピアノ(フェンダー・ローズ)の音は本当に美しく、まっすぐに届きました。あるときはオルガンのように聞こえ、あるときはSF映画を観ているかのようにも感じました。しかし、いわゆる「古楽」の奏者があのような楽器を選択することは突飛なことにも見えるでしょう。ロマニウクさんがなぜフェンダー・ローズを使うようになったか教えていただけますか。

「フェンダー・ローズにはフェンダー・ローズの音があります。アンプでその音をいろいろと変えてはいますが、やっぱり究極的にはフェンダー・ローズの音です。チェンバロにはチェンバロの音があり、フォルテピアノにはフォルテピアノの音があるように。ただし、フェンダー・ローズに関してちょっと複雑な感情もあるのが、音が洗練されていないということです。元々はジャズやロックなどで叩くように演奏するために作られたものですので、洗練された微妙な音のニュアンスを出すためのアクションの動きという面で、やっぱり丁寧にアクションが動かないところがある……。将来的には私が求めているような、デリケートな音が出るアクションの動きを持った楽器を作りたいですね」

©︎@sightways.be

――どの作品をフェンダー・ローズで演奏するかということは、どのように決めているのでしょうか。

原理や定義はなく、むしろフィーリングです。昨日演奏したチック・コリアの《チルドレンズ・ソングズ》ではジルバーマン(フォルテピアノ)を使いました。あえてその選択をしたのは、それまでにすでにフェンダー・ローズをいっぱい使っていたというバランスの面もありましたが、ジルバーマンが持っている独特の色彩感、たった1弦でどれだけ反響ができるのかという試みがこの曲に合っているのではないかと思いました。

わたしは1枚目のアルバム『BELLS』のなかで、バッハのプレリュードをふたつの異なる楽器で演奏しました。フェンダー・ローズを用いた演奏はグルーヴィーでスウィングするような演奏となり、一方で現代ピアノを用いた演奏は緊張感溢れる速い演奏で、30秒ほど早く終わりました。つまり、楽器を変えることで、解釈が変わるということがあります」

枠組みや境界がぼやけていく感覚

――わたしは、楽曲にとって「誤った」楽器を選択する、ロマニウクさんの演奏が好きです。それは、わたしたちが聴いたことのない世界へ連れて行ってくれるからです。優れた文学作品が、言葉では表現できないことを言葉で表現するように、ロマニウクさんの演奏は、チェンバロでは表現できないことをチェンバロで表現し、あるいはバッハでは表現できないことをバッハで表現します。そういったことを繋げていくことで「楽曲」や「楽器」といった枠組みや境界がどんどんとぼやけていく。その結果、わたしたちがいままで知らなかった、体験したことのなかった感覚を創り出してくれるのです。わたしはこれからもロマニウクさんの活動を楽しみにしていますが、これからももっとこのような活動を続けていかれるのでしょうか。

「いま決まっているレコーディングは、実は、ピリオド楽器による19世紀の室内楽曲など、楽譜通り、記譜通りに演奏するものばかりです。ですが、わたしがこれまで即興の演奏者などとして培ってきたものがありますので、スタンダードなアプローチとは異なると思います。オーソドックスな解釈による演奏を否定することはありませんが、私が演奏する場合は、その必要性をいまの時点では強くは感じていませんから」

©︎Gerda Willems

ロマニウク氏へのインタビューは不思議な時間であった。それは非常に充実した時間でありながらも、実のことを言うと心地よいものではなかった、とでも言えようか。なぜなら彼は、こちらの求めに対し、いつでも安易に答えを与えてくれるわけではないからだ。あるときにはこちらの問いかけに対する答えが、さらなる問いかけのように思えるときすらあった。このインタビュー記事に対してある種の「ぎこちなさ」を感じる読者がいたとしたら、それはもちろんインタビュアーであるわたしの力不足ではあるのだけれども、実はそれだけでなく、ここには思考の軌跡と、言語化へのゆるやかな抵抗感が見え隠れしているのかもしれない。

ロマニウク氏は2025年にふたたび来日するようである。その内容に関しても、わたしが望むものとは異なる形態のものかもしれない。まったく同じものを繰り返すことはあまり考えられないからだ。彼はこれからも常に問い続け、常に挑み続けることだろう。だから彼からは目が離せない。

 

公演情報

速報! アンソニー・ロマニウク&柴田俊幸 2025年ツアー開催決定!

2024年春ツアーのインパクトも記憶に新しい二人が再び日本に戻って来る!
デュオでの新CDリリース記念となる2025年ツアー
8月中旬より全国各地で公演を開催予定!

2025年
8月17日(日)愛知県:豊田市能楽堂公演(デュオ)
8月21日(木)群馬県:高崎芸術劇場公演(デュオ)
8月23日(土)兵庫県:KOBE 国際音楽祭 酒心館ホール公演(デュオ)
ほか、全国各地でデュオ、ソロ公演を開催予定!(随時公開)

問合せ:株式会社テレビマンユニオン md_info@tvu.co.jp

アンソニー・ロマニウク Anthony Romaniuk
鍵盤楽器奏者アンソニー・ロマニウクは、自身の即興演奏の才能を生かし、幅広い音楽スタイルを常に追求する「ジャンルフリー」の音楽家である。
青年期に故郷のオーストラリアでジャズに傾倒し、ニューヨークのマンハッタン音楽院でモダンピアノを学んだ後、オランダのアムステルダム音楽院とハーグ王立音楽院でチェンバロとフォルテピアノを専門として学んだ。
ヒストリカル楽器を用いてのルネサンスから後期ロマン派、そしてモダンピアノでの現代音楽に至るまで幅広いクラシック音楽のレパートリーを持つ一方で、即興、アンビエントやエレクトロニカ、インディ・ロックの領域でも演奏活動を行なう。
ヴァイオリニストのパトリツィア・コパチンスカヤをはじめ、古楽アンサンブルのヴォクス・ルミニス、ピーター・ウィスペルウェイ(チェロ)、デンマークのロックグループ「Efterklang」など数多くのアーティストと共演を重ねる。

執筆者:布施砂丘彦
東京芸術大学卒業。演奏、批評、公演の企画・制作や舞台公演の演出などを行う。ピリオド楽器の演奏家としては、歴史的コントラバスおよびヴィオローネを用いてアントネッロやバッハ・コレギウム・ジャパンなどの公演に出演。批評家としては時評「音楽の態度」で第7回柴田南雄音楽評論賞奨励賞を受賞してデビュー。朝日新聞をはじめとしてなどさまざまなメディアに寄稿している。「箕面おんがく批評塾」塾長。
Xアカウント:@Stift_St_Floria

※この記事は、これからの時代に活躍してほしい音楽評論家やライターを広くご紹介する、FREUDEの「執筆者応援プロジェクト」の一環として、一般社団法人ビトゥイン・ミュージック・タイズの助成を受けて制作されています。

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