馬場武蔵
現代音楽の空白を埋める仕事人【後編】

<Artist Interview>
馬場武蔵

現代音楽の空白を埋める仕事人【後編】

text by 小島広之

前編では、現代音楽との出会いや日独での位置付けの違い、そして現代音楽の普及について話を聞いた。後編では、2022年に始動したアンサンブル・トーンシークをはじめとする今後の活動、そして馬場の指揮観について語ってもらった。

最新のものだけをやるバンドになってはいけない

――今後、アンサンブル・トーンシークでやりたいことは何でしょうか? このアンサンブルは、ヨーロッパの文脈を持ち込みながら、前編でお話しされていた「空白の70年」を埋めるプロジェクトなのでしょうか。

アンサンブル・トーンシークの代表発起人である久保哲朗のマニフェストは、若手作曲家に作品を委嘱することなんですよ。ただ、僕が意見したのは、そこまで行き着くにはアンサンブル・トーンシークとしての顔が出てくる必要があるということです。最新のものと同時に、シェーンベルクのような古典をやらなければいけないし、その間にあるフランコ・ドナトーニとかマグヌス・リンドベルイとかエンノ・ポッペとか野平一郎とかをやらなきゃいけない。最新のものだけをやるバンドにはなってはいけないっていうことを僕はいつも強く思っています。

細川俊夫先生に初めて会ったとき、それは新国立劇場で《松風》を上演しているときでしたけど、「学生の曲だけを演奏していても、良い音楽に出会えることの割合は少ないですから、あなたはシェーンベルクやベルクやウェーベルンのような古典を勉強しなさい」と言われました。それは正しかったですよね。本当に細川先生には感謝です。

なぜブーレーズを演奏したいかというと、基本的にそれがすごくカッコよくて、魅力的に映るからです。その一点なんですよね。ただそれは、古い音楽の聴衆からしてみたら自分たちの理解を超えるもので、一番新しいものを聴きたいと思っている人たちにとっては古いものです。

――新作を通して「現代音楽」全体の評価を問うことは危険なので、そういった新作と旧作の間を「埋める」活動は聴衆にとっても有意義だと思います。

必ずしも全てそうとは言えませんが、学生が現代音楽をやらなくなるっていうのは、学校の中で作曲科の学生の作品を演奏して嫌な思いをしたからでしょう。そうした体験から「現代音楽は面白くないんだ」という印象を持ってしまったというのが真相だと思いますね。先生や学生に口を酸っぱくして言いたいのは、「良い現代音楽をやろう」ということです。

――馬場さん自身は作曲をしないのですか。

しません。おそらくトロンボーンの演奏だけでは生きていけないと思い、ではどうやって生きていこうかなと考えたとき、最初に思い浮かんだのは音楽理論の先生になることでした。多くの人に勧められて、それは良いアイデアだなと思いました。そのとき、オペラ演出家や作曲家になることもありえたわけです。実際、「作曲はしないのか」と何度も聞かれてきました。けれども、作曲をしないことは決めているんです。そうした結論に至った理由もあります。地元のユース・オーケストラで先生に「コントラバスが空いているよ」と言われて弾いてみたとき、下手くそでも、この音は自分の音だなと感じたんです。一方、ハンス・アイスラーの音楽理論の授業で作曲をしたときには、自分の思った通りのものがちゃんと書けたときでさえ、そこに自分がなかったんです。自分の中から生まれたと思っている作品のなかに、自分の要素はないなと思った。

ノイブランデンブルグ・フィルハーモニーを指揮する馬場武蔵。
2019年11月、ドイツ・ノイブランデンブルグにて。

指揮者の仕事は非クリエイティブ

――指揮には自己を見出せますか。

結局そういうことにはなっているんですけど、最終的に僕は指揮者である必要はないと思っています。僕はトロンボーンの才能があったらトロンボーンを吹いていたいと思う人だったわけです。学生時代、この場にいるトロンボーンのクラスメイトよりも自分は楽譜をよく読んでいて、どういう風にリハーサルをしたら良いかわかるから、僕が何か発言した方がアンサンブルがうまくいくなというときに、「ムサシがアドバイスしたことによって演奏が良くなったね」と言われることが多々あって、この感覚だったら生きていけると思いました。こっちの方がうまくできると思ったからやっているだけで、そこに必然性とか、どうしても自分が前に立ちたいといったことは、いまだにないんです。指揮者の友達の中には、「僕はブラームスをこういう風に作ります」みたいな言い方をする人たちがいますけど、それは嘘だろうって思ったりします。僕が音楽を作っているわけじゃない。例えば「この箇所の音程がうまくいっていないからちゃんと注意して聴こう」という風に、僕には障害を取り除くことしかできないんですよ。指揮者の仕事は非クリエイティブで、仕方なく人の前に立っているだけで、裏方の人ぐらいの感じだと思っています。このように言うと、いろんな人にびっくりされますけど。

――興味深い指揮者観です。馬場さんにとって指揮者の仕事はどのようなものですか。

例えば10人のアンサンブルがいたとして、その10人が10人とも、目の前の曲についてちゃんと勉強しているということは残念ながらあまりないんです。日本では結構ありますけどね。そして、こういう風にやってみた方がうまくいくよっていうプランを考えるのには、けっこうエネルギーがいるんですよ。ましてやその人たちには自分の練習もある。じゃあそのエネルギーが要る、面倒くさい作業を僕が引き受ければいいんじゃない。そういうことくらいにしか思っていない。皆さんは素晴らしい音でヴァイオリンが弾けて、ピアノが弾けて……だから、それができない僕はほかのことで頑張ろう。僕の仕事は、スコアを読んで、意味を考えて、リハーサルの進め方を決めるという、みんなが面倒くさいと思うような作業をやらなくても済むようにすることに尽きます。だからいつも思うんです。自分がクリエイティブに音を出していたらどんなに良かっただろうなって。僕はそれを断念したと思っています。トロンボーン奏者から指揮者になったと言うと、みんなは「より良いところへ行ったね」と言ってくれますけど、僕はステップ「ダウン」したって思っています。

Ergon Ensembleを指揮する馬場武蔵。
2021年10月、ギリシャ・アテネにて。

――演奏会の準備として具体的に何をしますか。

僕は「楽譜を読みなさい原理主義」じゃないんですよ。つまり、作品を勉強するときに絶対に音源は聴いちゃいけないって言う人がいますけど、僕は演奏が良くなる方法があるなら、それを使えばよいのではないかという考えです。過去の演奏には「ここ、お決まりでフェルマータだよね。ここはゆっくりするよ」といった慣習があるんですけど、こういう先人たちの知恵を無視するっていうのは怠惰だと思っているので、聴けるものは聴きなさいと思っています。けれど、現代音楽を頻繁に振る僕の場合は、必然的に音源がなく、楽譜を読むしかないケースが多いですね。

指揮者仲間たちがやらなくて、僕がずっと自分に課しているのは、全パートを1回自分で歌ってみることです。「指揮科に入ります」みたいな人は、ピアノがそこそこ弾けて、スコア・リーディングのテクニックがあって、だからピアノで音にする。けれど、それだけだと、ファースト・フルートとセカンド・フルートが違う人間であることを忘れてしまいがちです。僕はよくティンパニから歌い始めます。そうすると、この瞬間にこんな長い休みがある、この瞬間に音変えをするのか、みたいなことがわかるんです。それを全パートやるまでは、絶対にリハーサルに行かない。同じヴァイオリンでもコンサートマスターのつもりで歌う、トゥッティの一番後ろに座る人のつもりで歌う、真ん中ぐらいのプルトの人のつもりで歌うというのをやっていたこともあります。

――今後、どういうことに挑戦していきたいと考えていますか。

まっさらです。僕は現代音楽で指揮を始めたんですけど、アンサンブル・モデルン・アカデミーまで行き着いた後、やっぱりベートーヴェンとブラームスもやりたいなと思って、大学の指揮科に入り直したんです。コンテンポラリーではない、普通のオペラのアシスタントもやっていました。だから基本的に何でもありかなって思うんです。でも、キャリアがどこに行っても、新しい音楽に向き合うっていうのは人生の中心であり続けるとは思います。

自分が使命だと感じているのは、間違いなくシェーンベルクの演奏です。人生の終わりに、僕よりも誰かほかの人の方がシェーンベルクを良く演奏できると思ったのなら、自分の人生を後悔するでしょう。こう言っても良いくらい、シェーンベルクを人生の軸にしています。特に《月に憑かれたピエロ》ですね。やっぱり《ピエロ》に楽譜の読み方を教えてもらった部分がかなりあります。《月に憑かれたピエロ》以上に、この作品のおかげで自分の能力が向上したと思った曲は、今のところないです。

アンサンブル・モデルン・アカデミーの仲間たちと。

朝からはじまった1時間を超えるインタビュー。この後、すぐさま馬場はリハーサル会場へ向かった。このインタビューを通して、馬場武蔵という指揮者が、「指揮者」という仕事をきわめて冷静に評価した上で、幅広いレパートリーに真摯に向き合っていることが再確認されただろう。意外だったのは、馬場にとって一番思い入れのある作曲家がシェーンベルクであることだ。「現代音楽」と呼ぶには古すぎるように思われる、100年前の時代を生きた作曲家。しかし、馬場が語るように、多くの音楽愛好家(そして音楽家)にとっては前衛的すぎる音楽でもある。彼は単に新奇な音楽に熱中しているのではなく、シェーンベルクのような特殊な位置に立つ作曲家に向き合った上で、現代音楽の価値を私たちに伝えようとしているのだろう。

馬場武蔵 Musashi Baba
神奈川県出身。ベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学(トロンボーン)、フランクフルト音楽舞台芸術大学(指揮)卒。2018/2019年アンサンブル・モデルン・アカデミー生。
マヌエル・ナウリ、ジョルト・ナジ、ルーカス・フィス、ヴァシリス・クリストプーロスに師事。
ユンゲ・ドイチェ・フィルハーモニー、ベルリン・ドイツ・オペラ、ギリシャ国立歌劇場、新国立劇場ほかで副指揮者を務める。アシスタントとして薫陶を受けた指揮者にサー・ジョージ・ベンジャミン、ディーマ・スロボデニューク、アレホ・ペレス、ジェームズ・ジャッドなど。
ヴィッテン、ガウデアムス、クラングシュプーレンほか欧州の現代音楽祭に出演。これまでに指揮したオーケストラ、アンサンブルにノイブランデンブルグ・フィルハーモニー、ブレーマーハーフェン・フィルハーモニー管弦楽団、アテネ国立管弦楽団、アンサンブル・モデルンほか。2022年よりアンサンブル・トーンシーク指揮者。

執筆者:小島広之
東京大学大学院博士後期課程在籍。音楽美学、音楽批評研究。20世紀前半を代表するドイツの音楽批評家パウル・ベッカーの言説を繙くことで、現代音楽黎明期における「新しさ」理念を分析している。音楽研究と並行して、最新の現代音楽における「作曲行為」に触れるウェブメディア「スタイル&アイデア:作曲考」を運営(https://styleandidea.com)、批評活動を行っている(第9回柴田南雄音楽評論賞奨励賞受賞)。
Xアカウント:https://twitter.com/Kojimah

※この記事は、これからの時代に活躍してほしい音楽評論家やライターを広くご紹介する、FREUDEの「執筆者応援プロジェクト」の一環として、一般社団法人ビトゥイン・ミュージック・タイズの助成を受けて制作されています。

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