<Artist Interview>
濱田芳通
日本で古楽を探求する意義【前編】
text by 有馬慶
cover photo ©︎Tomoko Hidaki
リコーダー、コルネット奏者として、また指揮者として日本の古楽を牽引する存在である濱田芳通。私が初めて濱田の音楽に触れたのは、彼が主宰するアンサンブル、アントネッロによる『天正遣欧使節の音楽』の録音である。天正遣欧使節の遍歴を当時の音楽を用いて描くというコンセプトのアルバムであるが、ただ単に当時の音楽を再現するだけでなく、残された記録や資料を参照した上で、独自のアレンジを大胆に加えている。その辺りの経緯はライナーノーツに詳しく書かれているが、私はまず音楽を聴いて衝撃を受けた。
冒頭、素朴な声で〈五木の子守歌〉が歌われるが、当たり前に日本の音楽である。やがてそこに器楽が加わると、一気に異国風の香りがするのである。ヨーロッパ的というよりはアラブ的で、まさに「異国風」と呼ぶしかない不思議な香りである。特に濱田の奏するコルネタ(コルネット)の響きが物悲しく、曲の陰影が一層濃くなる。その後、様々な曲を通して少年たちの悲劇的な生い立ちを描いていった後、最後に静かな祈りの音楽に至るのであるが、このプロセスはまさに受難曲であると感じた。
これはぜひ生で聴かねばならないと思い、2017年に東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた『モンテヴェルディの肖像』を聴いた。当時の私はモンテヴェルディや初期バロック以前の音楽には親しみが持てず、歴史的な重要性は認めるが、あまり面白くない音楽といった認識であった。ところが、その認識はこの夜の演奏で見事に打ち破られ、モンテヴェルディをもっと聴きたいと思うようになる。それは曲ごとやフレーズごとの性格が明確に描き分けられ、通り一遍の「きれいなハーモニー」に終始しないからだ。
それ以来、私は濱田の音楽に魅了され、ダ・ヴィンチの《オルフェオ物語》やモンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》、ヘンデルの《メサイア》、『モンセラートの朱い本』など様々な演奏を聴いてきた。アーノンクールやブリュッヘンの時代とは異なり、今や古楽は一般的な音楽のアプローチである。サヴァールやクリスティ、ミンコフスキ、ヘンゲルブロック、ピションなど素晴らしい奏者・指揮者はたくさんいるが、強烈さ・個性の強さという点では濱田の演奏が常に圧倒的であると思う。
では、そんな濱田の音楽の源泉はどこから来るのか。私は今回、彼にインタビューをする機会を得た。彼の生い立ちも含めて探っていきたいというのが本インタビューの趣旨である。

音楽との出会い
――まずは濱田さんと音楽との「出会い」についてお聞きしたいと思います。濱田さんは音楽一家に生まれ育ったと伺いました。
確かに父は指揮者でしたが、忙しい人でしたから子供の音楽教育までは手が回っていませんでした。もちろんピアノやヴァイオリンなど一通り習いましたが、私が本格的に音楽にのめり込んだのは、小学5年生の頃に始めた吹奏楽からでした。楽器はトランペット。はじめは父の影響でバロック音楽を聴いていましたが、フランスの金管五重奏団のルネサンス音楽を聴き、その素晴らしさに目覚めました。
――入口が吹奏楽というのは意外でした。ただ、トランペットは現在も演奏されているコルネット(ツィンク)と通じるところもありますね。そこから、リコーダーへ転向されたのはどういう経緯だったのでしょうか。
高校のときの音楽の先生がリコーダー奏者の矢沢千宣先生でした。矢沢先生から日本ではルネサンス音楽は学ぶことができないから、とバーゼル・スコラ・カントルムへの留学を勧められました。ただ、父の強い希望もあって、まずは日本の音楽大学で学ぶことにしました。その際に、トランペットは挫折していたこともあり、思い切ってリコーダーに転向したのです。結局、一浪して桐朋学園大学に入りました。
――お父さまや矢沢先生のお話がありましたが、濱田さんの人生や音楽に大きな影響を与えた、尊敬する人はいらっしゃいますか。
どのように音楽と対峙するか、という精神的な部分では家族の影響が強いです。そこには音楽は何より素晴らしいもので、最高の音楽のためならすべてを犠牲にする、といった「音楽至上主義」的な考え方があり、世間一般的には受け入れがたいものかもしれません。そのほかには、桐朋学園大学でリコーダー奏者の花岡和生先生に影響を受けました。彼もまたストイックで厳しい方でしたが、多くを学びました。
古楽アンサンブル「アントネッロ」
――現在も活動を続けられているアントネッロ設立の経緯はどのようなものだったのでしょうか。
アントネッロの活動の中では指揮者として紹介されることが多いですが、本来やりたかったのは器楽奏者の一員としてアンサンブルを作るということでした。バロック以前の音楽に関心があったのですが、さすがに中世の吟遊詩人の音楽まで遡るのは難しいところがあったので、ポリフォニー成立以後の14世紀から17世紀前半をレパートリーにすることにしました。そうした音楽を演奏するための団体としてアントネッロを設立したのです。「アントネッロ」という名称はアントネッロ・ダ・カゼルタという音楽家の名前から取りました。

――私が初めて濱田さんの音楽を聴いたのは「南蛮音楽」の録音(『天正遣欧使節の音楽』)でした。こうした音楽に取り組まれようとしたのはなぜでしょうか。
ルネサンス音楽は作曲家の名前も知られていないですし、一般的に普及しているとは言い難い状況です。そこで「シェイクスピアの時代の音楽」や「ダ・ヴィンチの時代の音楽」というように、みなさんが知っているようなワードと結び付けた企画を試みます。「南蛮音楽」は織田信長が聴いたかもしれないということで非常にキャッチ―でした。最初はそのような意図で始めたのですが、次第に南蛮音楽にのめり込んでいきました。ポルトガルの音楽やルネサンスの音楽が実は私たち日本人に影響していると考えると、日本人が西洋音楽をやっていても何も恥ずかしくないと思うようになりました。ヨーロッパでは「日本人なのになぜ西洋音楽をやっているんだ」とよく聞かれたものですが、その答えになるなと感じ、非常に意義深いものとして取り組んできました。
――南蛮音楽の、ヨーロッパ由来の音楽でありながら、日本風であり、またエスニックな香りもする不思議な響きにとても衝撃を受けました。音楽と地域性について、濱田さんはどのように考えますか。
音楽と地域性については非常に密接な結びつきがあると思います。言語の違いからくるリズムの違いが特に大きいと思います。とはいえ、南蛮音楽以前にもシルクロードを通じてヨーロッパと日本は交流があったわけですし、まったく繋がりがないとは思いません。
――これまで私が聴いた中では特に2020年に東京カテドラルで演奏されたモンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》が印象に残っています。なんとなく「きれい」だと思っていた教会音楽・宗教曲の「俗」な部分が露になり、静謐な部分とのコントラストがより際立った切実な祈りとして感じられました。今年の5月に聴いた『モンセラートの朱い本』などもそうでした。宗教曲における「聖」と「俗」のあり方についてはどのように捉えていらっしゃいますか。
私には、宗教的なものを打ち破るというような考えはまったくありません。私自身、カトリックですし、信仰心もあるつもりです。単にこれまで学んだこと・経験したことを音楽に活かしているだけですが、それが一般的には「宗教的ではない」と捉えられているようです。しかし、みなさんはどれだけ当時の宗教のこと、教会のこと、宮廷のことを学び知っているのでしょうか。果たして現代のように厳かなものだったのでしょうか。
バロック・オペラ上演プロジェクト「オペラ・フレスカ」
――濱田さんのキャリアの中で忘れてはいけないのが「オペラ・フレスカ」だと思います。私もダ・ヴィンチの《オルフェオ物語》やヘンデルの《ジュリオ・チェーザレ》など拝見させていただきました。このプロジェクトへの思いをお聞かせください。
オペラも南蛮音楽同様にのめり込んだ活動です。みなさんがまだやっていないところということで、オペラが始まったころ、17世紀初頭をやろうと思いました。ダ・ヴィンチの《オルフェオ物語》については、「オペラ以前のオペラ」というジャンルとして最近確立されてきました。
――2024年8月に上演された《リナルド》も「オペラ・フレスカ」の一環と言えるかもしれません。現代の日本で上演する意義を感じさせる、非常にアクチュアルな舞台でした。音楽的には独自のアレンジや曲の追加・引用などが印象的でした。当時も日常的に行われていた装飾音の追加などの現代的なアップデートといったところでしょうか。
バロック・オペラには、装飾音に代表されるように、奏者自らが追加しなければならない要素があります。そこをいかに表現するかというところが命題となってきます。みなさんから「大胆過ぎるアレンジでやりすぎだ」と言われることがありますが、私にとっては許容範囲であり、むしろやらなければならないことです。そのように大幅なアレンジを加えていたというエビデンスはあります。例えば、レオナルド・レオによる《リナルド》のナポリ版は全く別物と言って良いほどのアレンジです。
前編では濱田芳通の生い立ちと過去の演奏活動について掘り下げた。彼の言葉の端々から父親譲りのストイックさと古楽奏者としての矜持を感じ取ることができた。一見、「大胆」「型破り」に思われるその演奏スタイルも、資料研究と長年の研鑽の成果であり、単なる思い付きではないのだ。後編では濱田の今後の演奏活動と彼の考えるクラシック音楽の展望について掘り下げていきたい。
後編へつづく
濱田芳通 Yoshimichi Hamada
我が国初の私立音楽大学、東洋音楽大学(現東京音楽大学)の創立者を曾祖父に持ち、音楽一家の四代目として東京に生まれる。桐朋学園大学古楽器科卒業後、スイス政府給費留学生としてバーゼル・スコラ・カントールムに留学。リコーダーとコルネットのヴィルトゥオーゾとして国内外にて数多くの演奏活動、録音を行い、海外でリリースされたCDは全てディアパソン5つ星を獲得、高い評価を受けている。2013年バロック・オペラ上演プロジェクト<オペラ・フレスカ>を立ち上げ、指揮者としてモンテヴェルディの3大オペラ《オルフェオ》《ウリッセの帰還》《ポッペアの戴冠》、カッチーニ作曲《エウリディーチェ》(本邦初演)、ヘンデル作曲《ジュリオ・チェーザレ》、レオナルド・ダ・ヴィンチが関わったとされる劇作品《オルフェオ物語》(本邦初演)等、オペラ創成期からバロックに至る初期のオペラ作品を取り上げている。一方、戦国時代にヨーロッパから日本へ伝わった南蛮音楽の研究もライフワークとしており「天正遣欧少年使節の音楽」「エソポのハブラス」「フランシスコ・ザビエルと大友宗麟」等のテーマによりCDリリース、芝居付き演奏会を行っている。著書『歌の心を究むべし』(アルテスパブリッシング)
古楽アンサンブル「アントネッロ」主宰アントネッロ公式HP:https://www.anthonello.com/
執筆者:有馬慶
1991年、埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部哲学専攻卒業。在学中は古代ギリシャ哲学を納富信留氏に、文学、芸術を許光俊氏に師事。卒業論文のテーマは「ニーチェの哲学におけるワーグナー」。卒業後は金融機関職員、コンサルタントとしての職務経験を経て、現在は金融業界の会社員として働く。幼少期からの国内外での芸術鑑賞経験を生かし、映画、音楽、舞踊などについて執筆。「映画と音楽の関係性」や「舞台における音楽の効果」といったテーマを得意とする。『FREUDE』では「FREUDE試写室」を担当。
Xアカウント:https://twitter.com/bellsgastronomy
note:https://note.com/kei_arima※この記事は、これからの時代に活躍してほしい音楽評論家やライターを広くご紹介する、FREUDEの「執筆者応援プロジェクト」の一環として、一般社団法人ビトゥイン・ミュージック・タイズの助成を受けて制作されています。
公演情報
モンテヴェルディ:歌劇《オルフェオ》
【兵庫公演】
バロック・オペラ・エボリューション2025/開館20周年記念
濱田芳通&アントネッロの「オルフェオ」2025年2月15日(土)14:00開演
2025年2月16日(日)14:00開演
兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール公演詳細:https://www1.gcenter-hyogo.jp/contents_parts/ConcertCalendar.aspx?md=5&ko=5043212104
【神奈川公演】
開館70周年記念/音楽堂室内オペラ・プロジェクト第7弾
濱田芳通&アントネッロ
モンテヴェルディ オペラ『オルフェオ』新制作
プロローグと全5幕・イタリア語上演・日本語字幕付き2025年2月22日(土)14:00開演
2025年2月23日(日・祝)14:00開演
神奈川県立音楽堂公演詳細:https://www.kanagawa-ongakudo.com/d/orfeo2025
濱田芳通(指揮)
中村敬一(演出)坂下忠弘(オルフェオ)
岡﨑陽香(エウリディーチェ)
中山美紀(ムジカ/プロゼルピナ)
嶋俊晴(スペランツァ)
松井永太郎(プルトーネ)
今野沙知恵(ニンファ)
中嶋克彦(牧人)
新田壮人(牧人/精霊)
田尻健(牧人/精霊)
川野貴之(アポロ)
目黒知史(カロンテ)
田崎美香(合唱)
近野桂介(合唱)
酒井雄一(合唱)
アントネッロ(管弦楽)