<Artist Interview>
濱田芳通
日本で古楽を探求する意義【後編】
text by 有馬慶
cover photo ©︎Tomoko Hidaki
リコーダー、コルネット奏者として、また指揮者として日本の古楽を牽引する濱田芳通。彼の音楽の源泉を探っていくのが本インタビューの趣旨である。前編では彼の生い立ちと過去の演奏活動について掘り下げたが、後編では視点を未来に向け、濱田の今後の演奏活動と彼の考えるクラシック音楽の展望について掘り下げていきたい。

バッハの音楽が持つ「物語性」
――直近では、2024年11月に東京オペラシティでヨハン・セバスティアン・バッハの《ミサ曲ロ短調》を演奏されました。毎度のことではありますが、各曲の描き分け、特徴づけが見事で、あっという間に2時間が過ぎてしまいました。特に終盤の〈Agnus Dei〉における闇の深さと〈Dona nobis pacem〉の切実な祈りは印象的でした。
本作はかつてカール・リヒターの録音によって親しまれ、その演奏は北方的で禁欲的なイメージを与えるものでしたが、近年は南方的で官能的な演奏も増えていると思います。濱田さんはバッハや本作にどのようなイメージを持っていますか。
バッハは父のライフワークでありよく演奏していたので、幼いころから聴きに行かされていました。父の海外ツアーにナチュラル・トランペットで参加したこともあります。なので、非常に親しみのある存在です。
《ミサ曲ロ短調》については、昨年の《マタイ受難曲》と同様に、すべて洗い直して「本当にそうか」という問いを立てて取り組みました。

バッハ《ミサ曲ロ短調》を指揮する濱田 ©︎Tomoko Hidaki
――そうした作品は、古典ということで、ある種の「権威」のようになっており、なかなか手が付けにくいのかもしれません。《ミサ曲ロ短調》はオラトリオや受難曲とは異なり、ミサ典礼文をテキストとしているため、抽象度が高いと思います。
バッハはカンタータにせよミサ曲にせよ、物語性を持たせて作曲しています。《ミサ曲ロ短調》も非常に物語性が強く、ある種の「レクイエム」のような感じだと思います。冒頭の〈キリエ〉は追悼ミサ用に作曲されたものであり、幼いころから「レクイエム」だと思って聴いていました。本作には作曲家自身の過去作からの引用も多く、バッハの絶筆であり、ほとんど目が見えない状態で書かれたと言われています。バッハはこの作品に取り組みながら、自らの死を強く意識していたのではないかと思います。
――自分への「レクイエム」というあり方は、モーツァルトの《レクイエム》を思い出させます。来年2025年2月には、兵庫と神奈川でモンテヴェルディの《オルフェオ》が上演されます。オペラの原点と言われている本作を取り上げる理由はどのようなものでしょうか。
カメラータの人々が上演していたものを、モンテヴェルディが「自分も」と思い作ったのが《オルフェオ》だと思います。それが結果的に、その後のオペラへの橋渡し的な存在になりました。全編レチタル・カンタンドという手法で歌われており、極端なことを言えばアリアはなくすべてレチタティーヴォというようなものです。ただしそれは現在のレチタティーヴォとは決定的に異なるものです。レチタティーヴォは本来抑揚のない言葉に長短をつけて、リズムを崩すところに良さがありますが、レチタル・カンタンドは逆にリズムを前面に押し出すものだと思います。これと同じ手法は現代のラップにも見られます。この手法を先日の《リナルド》でもやってみたのですが、より本来の形で行うということで《オルフェオ》を取り上げようと思いました。
――現代のラップに通じるところがあるというのは非常に面白いですね。今後、取り上げたい曲や取り組みたい活動はありますか。
すでに決まっているところですと、リコーダーが活躍するカンタータや、エンサラーダスというスペインの楽曲をやる予定です。
――バロックより後の時代の音楽を取り上げるといったことはありますか。
モーツァルトは取り上げたいと思っています。《レクイエム》を今後取り上げる予定があります。
「日本人のために音楽をやらなければ何にもならない」
――それは楽しみです。濱田さんはもともとヨーロッパでキャリアをスタートされて、現在は日本での活動に軸足を置いていらっしゃいます。ヨーロッパと日本で音楽の受容のされ方に違いを感じることはあるでしょうか。
ヨーロッパの聴衆の方が大らかで、ちょっとした演奏でも拍手喝采をくれます。おそらく日本の聴衆の方が厳しいと思います。
――私もヨーロッパで音楽を聴きますが、それは非常に感じるところであります。
父が私に言った言葉で印象的なものがあります。「日本人のために音楽をやらなければ何にもならない」。当時はあまりピンときませんでしたが、今はよくわかります。私は日本人の感性に非常に誇りを持っています。特に古い音楽に関しては、日本人との親和性が高いと思います。比較的最近まで武士道と幕府があった国です。騎士道と絶対王政の頃の音楽と精神的には近いところにあるのではないでしょうか。なので、日本人のために古い時代のヨーロッパの音楽をやることに意義を感じています。
――アーノンクールが先陣を切り、当初は異端視されていた古楽ですが、モダン・オーケストラも古楽奏法を取り入れるなど、いまやクラシック音楽の主流となっています。これからの古楽とクラシック音楽は、どのようなものになると思いますか。
独自の考え方と個性を持った音楽家が台頭してくるのが望ましいと思います。
個人的にはクラシック音楽は戦前の時代より前まで戻るべきだと考えています。中世から脈々と続いてきた音楽の流れがそこで断絶していると思うからです。そこまで戻せば、僅かなファンしかいないクラシック音楽という世界から脱却できると思います。
――最後に、クラシック音楽がもっと若い世代に広がっていくには何をすべきだと考えますか。
それは非常に難しい問題です。私たちの演奏会も学生は1,000円で聴けるようにしていますが、ほとんど利用されていません。単純に私たちの責任だと思います。面白いと思われていないから、聴きに来ないわけです。アピールする方法は様々あろうかとは思いますが、まずは面白い演奏をしなければだめです。ポップスやスポーツは人気です。そういった世界に比べて、私たちがやっていることはつまらないと思われていると、きちんと自覚しなければならないでしょう。
――濱田さんは素晴らしい音楽を演奏されており、決して「つまらない」とは思いません。事実、会場に足を運んだ人たちの感想は非常に良いものだという印象です。
ありがとうございます。古楽に関しては特にそうですが、古典をつまらないと感じるのはお客さんのせい、受け手側に教養がないから、と言われることがしばしばあります。しかし私たちはそれに甘えてはいけないと思います。

本インタビューを通じて、濱田芳通の謙虚な姿勢と音楽に対する確固たる意志を感じ取ることができた。特に終盤における現在のクラシック音楽界への厳しい言葉は重い。たしかに、私たちはどこかで「理解できない方が悪い」という思いを持っているかもしれない。もちろん、「子供騙しでは子供は騙せない」ように、むやみにハードルを下げる試みには感心しないが、理解できてもできなくても「本物」に触れる機会を増やすことは重要だ。濱田をはじめとした多くの音楽家たちは素晴らしい演奏を行っている。そのことをきちんと伝えていくことこそ、私たちの役目であろう。この世の中にはあなたの知らない素晴らしい音楽が、面白い世界が、まだまだたくさんあるのだということを伝えなければならない。
まずは本記事を読まれたみなさまには、ぜひ濱田の演奏を体験していただきたい。私も彼の活動を引き続き追いかけ、その魅力を少しでも多くの人に伝えることができれば幸いである。
濱田芳通 Yoshimichi Hamada
我が国初の私立音楽大学、東洋音楽大学(現東京音楽大学)の創立者を曾祖父に持ち、音楽一家の四代目として東京に生まれる。桐朋学園大学古楽器科卒業後、スイス政府給費留学生としてバーゼル・スコラ・カントールムに留学。リコーダーとコルネットのヴィルトゥオーゾとして国内外にて数多くの演奏活動、録音を行い、海外でリリースされたCDは全てディアパソン5つ星を獲得、高い評価を受けている。2013年バロック・オペラ上演プロジェクト<オペラ・フレスカ>を立ち上げ、指揮者としてモンテヴェルディの3大オペラ《オルフェオ》《ウリッセの帰還》《ポッペアの戴冠》、カッチーニ作曲《エウリディーチェ》(本邦初演)、ヘンデル作曲《ジュリオ・チェーザレ》、レオナルド・ダ・ヴィンチが関わったとされる劇作品《オルフェオ物語》(本邦初演)等、オペラ創成期からバロックに至る初期のオペラ作品を取り上げている。一方、戦国時代にヨーロッパから日本へ伝わった南蛮音楽の研究もライフワークとしており「天正遣欧少年使節の音楽」「エソポのハブラス」「フランシスコ・ザビエルと大友宗麟」等のテーマによりCDリリース、芝居付き演奏会を行っている。著書『歌の心を究むべし』(アルテスパブリッシング)
古楽アンサンブル「アントネッロ」主宰アントネッロ公式HP:https://www.anthonello.com/
執筆者:有馬慶
1991年、埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部哲学専攻卒業。在学中は古代ギリシャ哲学を納富信留氏に、文学、芸術を許光俊氏に師事。卒業論文のテーマは「ニーチェの哲学におけるワーグナー」。卒業後は金融機関職員、コンサルタントとしての職務経験を経て、現在は金融業界の会社員として働く。幼少期からの国内外での芸術鑑賞経験を生かし、映画、音楽、舞踊などについて執筆。「映画と音楽の関係性」や「舞台における音楽の効果」といったテーマを得意とする。『FREUDE』では「FREUDE試写室」を担当。
Xアカウント:https://twitter.com/bellsgastronomy
note:https://note.com/kei_arima※この記事は、これからの時代に活躍してほしい音楽評論家やライターを広くご紹介する、FREUDEの「執筆者応援プロジェクト」の一環として、一般社団法人ビトゥイン・ミュージック・タイズの助成を受けて制作されています。
公演情報
モンテヴェルディ:歌劇《オルフェオ》
【兵庫公演】
バロック・オペラ・エボリューション2025/開館20周年記念
濱田芳通&アントネッロの「オルフェオ」2025年2月15日(土)14:00開演
2025年2月16日(日)14:00開演
兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール公演詳細:https://www1.gcenter-hyogo.jp/contents_parts/ConcertCalendar.aspx?md=5&ko=5043212104
【神奈川公演】
開館70周年記念/音楽堂室内オペラ・プロジェクト第7弾
濱田芳通&アントネッロ
モンテヴェルディ オペラ『オルフェオ』新制作
プロローグと全5幕・イタリア語上演・日本語字幕付き2025年2月22日(土)14:00開演
2025年2月23日(日・祝)14:00開演
神奈川県立音楽堂公演詳細:https://www.kanagawa-ongakudo.com/d/orfeo2025
濱田芳通(指揮)
中村敬一(演出)坂下忠弘(オルフェオ)
岡﨑陽香(エウリディーチェ)
中山美紀(ムジカ/プロゼルピナ)
嶋俊晴(スペランツァ)
松井永太郎(プルトーネ)
今野沙知恵(ニンファ)
中嶋克彦(牧人)
新田壮人(牧人/精霊)
田尻健(牧人/精霊)
川野貴之(アポロ)
目黒知史(カロンテ)
田崎美香(合唱)
近野桂介(合唱)
酒井雄一(合唱)
アントネッロ(管弦楽)