Yaffle

Yaffleと考える
クラシック現在進行形 Vol.2

Yaffleと考えるクラシック現在進行形

Vol.2 作曲におけるクラシック的思考とは

藤井 風やiri、SIRUP、小袋成彬、Salyuなどの楽曲制作やアレンジを手がけるYaffle(小島裕規)。Vol.1では彼の音楽的ルーツと音大生時代の話を語ってもらった。Vol.2では、クラシック的な思考が現在のソングライティング/プロデュース業にどう活かされているかを考察する。

text by 原典子
cover photo by ROB Walbers

「コンセプチュアルである」という発想

photo by Hngry Pow

 Yaffleさんの現在のソングライティングやプロデュースはポップスが中心ですが、そういった仕事のなかで、音大でクラシックを専門的に学んだことは、どう活かされているのでしょう?

Yaffle 「コンセプチュアルである」という発想は、現代音楽っぽいかなと感じます。国立音大で川島素晴先生に学んだことなのかもしれないですけれど。たとえば川島先生の作品に、クラリネットを分解しながら演奏して最後に元に戻すという曲(《Manic-Depressive I》1997)がありますが、そこでは「クラリネットを分解する」というコンセプトがなにより大事なわけで。そのように、はじめから通貫したコンセプトがあるのが現代音楽のひとつの肝ですよね。自分が作るポップスに関しても、「これはこういう曲だ」と決めたら、あまりゴチャゴチャさせずに一貫性を持たせるというのは意識しています。

 ブレないことが大事だと。

Yaffle 5分の曲のなかにわざわざ笑いあり、涙あり、友情ありって全部詰め込まなくてもいいじゃないですか。今はSpotifyとかでなんでもすぐに聴けるから、悲しかったら悲しい曲を聴けばいいし、パーティしたかったらパーティ・ソングを聴けばいい。だから僕の場合は、1曲に対して基本的にワン・イシュー、あまり幅を持たせないようにしています。それってポップ・ミュージックにおいても大切なことだと思うんです。

 音楽のテクニカルな部分というより、考え方において現代音楽的ですね。

Yaffle コントローラブルでありたいという考え方も、そうかもしれません。自分がコントロールできない、曖昧な現象をそのままにしておくのがあまり好きではないというか。音楽制作ってブロック塀を積み重ねていくような作業なわけですが、ロックやジャズの人たちは、エモーションが先走って、その場のノリでちょっとグチャッとなった部分があっても気にしない。けれど僕はわりと神経質な方で、整合性のとれない部分があったら放置せずに取り除いてしまいます。自分が意識的に「ここのブロックは介入しないで無秩序にやる」と決めた部分が無秩序になっているならいいのですが、そうでない部分に関してはすごく整理したがるというのはクラシック的なのかな。クラシックってあらゆる音楽のなかで、もっともデザイナー(作曲家)がエラいジャンルですから。

八木 たしかに、作曲家が全権を握っているからね。

Yaffle ヴァイオリニストが楽譜に書いてないことをノリで勝手に弾いたら怒られるでしょ?

 Yaffleさん名義の1stアルバム『Lost, Never Gone』では、8組の海外アーティストとのコライト(共同で曲作りをする)というスタイルをとっていますが、その過程においては「自分がコントロールしない部分」を意識しているのでしょうか?

Yaffle そうですね。僕の場合、共同作業ではありつつ、向こうから素材をいただいてこちらで編集するという感覚に近いので、素材の部分に関してはコントロールし得ないということになります。元の素材が違ったら、違うものができるから面白い。

 たしかに、それぞれの曲がまったく異なるテイストを持ちながら、アルバム全体に“Lost, Never Gone(喪失を悲しむ必要はない)”という感情が通底している、コンセプチュアルなアルバムでもありますね。

Yaffle さらに言うと、ポップスの世界って理論というものにアンチな人が多いのか、「ここは理論ではなくエモーションを優先させた」といった言葉をよく耳にしますが、じつは理論とエモーションは対立軸にあるものではないと思うんですよね。つまり、いかなるエモーションも、それを音楽で実現する段階でロジカルなもの(エクリチュール)になるし、それを聴いてカッコいいなと思った人が自分の作品に取り入れようとした段階で理論になる。だから「理論ではないエモーショナルな表現」というのは存在しないはずでは? と。

 めちゃくちゃクラシック!

「クラシックの素養」とは?

 近年では、ロックやポップスのフィールドで活躍するクラシック出身のアーティストも増えてきました。レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドや、ザ・ナショナルのブライス・デスナーは超人気バンドのメンバーでありながら、現代音楽の作曲家としても活動していますが、そういった現象についてはどう思いますか?

Yaffle 理由のひとつには、ロックが大衆性を失い、クラシックやジャズに近いスノビッシュで格式ある音楽になったからというのがあると思います。ロックはもはやストリート・カルチャーを代表するジャンルではなくなってしまった。クラシックの敷居が下がったのではなく、ロックの敷居が上がったというべき現象ではないかと。

 なるほど、それはあるかもしれません。

Yaffle 僕もよく「クラシックをバックボーンに」とかプロフィールに書かれたりしますけど、藝大出身の坂東祐大さんや網守将平さんなど、ポップスのフィールドにも、僕以上にガチでクラシックな人はたくさんいますから。

 ポップスで活躍している音大出身のアーティストは、メディアなどで「クラシックの素養がある」と紹介されたりしますが、なにをもって「クラシックの素養」なんだろう? と思ったりするんです。ポップス曲にオーケストラの楽器をフィーチャーしているからといってクラシックとは限らないですよね。逆に、Yaffleさんのようにクラシック的な思考でポップスの作曲をしている人もいるわけですし。

Yaffle それは面白いテーマですね。

八木 突き詰めると「クラシックとはなにか?」という問題でもありますよね。

Yaffle でもまあ、ヴァイオリンが鳴ってたらクラシックなんじゃないですか(笑)。フラット・ナインスのコード使ったら全部「ジャズっぽい」って言われちゃうみたいに。要は、一般大衆にとってクラシックという文化がなにを遺したか、その文化周辺のファンを超えてポピュラリティを獲得した要素がなにかというと、それがヴァイオリンだったということ。ものすごく引いた目で見ればですよ。

八木 記号的な意味におけるクラシック。もし仮に現代音楽のトータリー・セリーの響きがめちゃくちゃポピュラリティを獲得していれば、セリーを聴かせれば「クラシックっぽい」って言われるだろうけど、そこまでポピュラリティを獲得していないから、記号的に大衆とはつながらないと。

※トータル・セリー
アルノルト・シェーンベルクが提唱した12音技法(12の音高すべてを均等な頻度で扱う作曲法)をさらに発展させて、登場頻度だけでなく音の長さや音の強さにも12音の均等を目指した作曲様式。
オリヴィエ・メシアンの《音価と強度のモード》(1949)でその可能性が示され、ピエール・ブーレーズの《構造第1巻》(1951)によってその理論が完成した。

Yaffle そう、売れたもん勝ち。やっぱりクラシックといえばヴァイオリンの美しい旋律、視覚的には茶色い木目のイメージなんですよ。

ポスト・クラシカル誕生の背景

 ポピュラリティといえば、2000年代以降、クラシックの新たな潮流としてポスト・クラシカルというシーンが人気を集めていますが。

Yaffle そうそう、ポスト・クラシカルというのはまさにそれで、クラシックがかつてポピュラリティを獲得した要素を使った音楽なわけ。つまり、クラシックの本家本流は「現代音楽」になって、大衆性を放棄してしまった。そこへ、「もっとうまくできるのに」って思った人たちがやってきて、ポスト・クラシカルをはじめたらウケたという。

八木 たしかに現代の作曲家たちの多くは、「つねに自分は革新的でなくてはならない」という、ある種の強迫観念に駆られて、クラシックの伝統を感じさせる要素をことごとく否定してきた。そうやって捨て去ったものを取りに行って、今風にアップデートさせたのがポスト・クラシカルだと。ピアノやカルテットでうやうやしく美しい旋律を奏でる、みたいな音楽が多いですものね。

Yaffle そう、売れた遺産を使って作った。だいたい「ポスト・クラシカル」っていう言葉自体がすごくうまいよね。ある日会議で、「これからはイージーリスニングと呼ぶのをやめて、ポスト・クラシカルって呼びましょう」と決めたとしか思えない(笑)。なんか意地の悪いことばかり言ってるけど、ポスト・クラシカルが嫌いなわけじゃないですよ。僕もよく聴いてるし。自己ブランディングはとても大事だという話。

 会議で決めた(笑)。「ポスト・クラシカル」という言葉を最初に使ったのはマックス・リヒターだそうですが、たしかに自己ブランディングですね。

Yaffle 結局、ポスト・クラシカルを聴いて「ただのファ・ソ・ラの繰り返しじゃん」って言っちゃったら終わりなんです。ストラクチャー(構造)としての進化をやめた音楽だから、それを構造的に分析しようとしても意味がない。ストラクチャーとしての進化をやめたかわりに、テクスチャーの部分で新規性を打ち出したところが、ポスト・クラシカルの肝なわけで。僕だって曲作りをするときに、同じ五線譜の「ド」でも、シンセサイザーのどんな音色で「ド」を出すのか選ぶのに、ものすごい労力をかけますから。メロディやコード進行を考えるのより大変です。今は、ストラクチャーよりテクスチャーで音楽を捉えることが重要な時代なんです。

 おお、なんか核心に近づいてきました!

――次回は、ポスト・クラシカルを深く掘り下げることで、いよいよ音楽の本質に迫っていきます!

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