Yaffle

Yaffleと考える
クラシック現在進行形 Vol.1

Yaffleと考えるクラシック現在進行形

Vol.1 Yaffleのクラシック原体験

日本のポップス・シーンのメインストリームで活躍するソングライター/プロデューサーのYaffle(小島裕規)。音楽大学で作曲を学んだ経歴を持つ彼の目には、現在のクラシック・シーンはどう映っているのだろうか? Yaffleと青春時代をともに過ごした八木宏之も交えて、現代音楽からポスト・クラシカルまで、その本質を探るべく語り合った。

text by 原典子
cover photo by ROB Walbers

Yaffle(小島裕規) Tokyo Recordings(現TOKA)のプロデューサーとして、藤井 風やiri、SIRUP、小袋成彬、Salyu、Uru、adieuなどの楽曲制作やアレンジを手がける小島裕規が2018年に始動させたアーティスト・プロジェクト。海外アーティストと組んだ楽曲を発表して、2020年9月、ヨーロッパ各地のアーティスト計8名とコラボレーションした1stアルバム『Lost, Never Gone』をリリース。国内外で高い注目を集める。小島裕規名義で音楽制作に参加した映画作品に、『ナラタージュ』(17)、『響 -HIBIKI-』(18)、『映画 えんとつ町のプペル』(20)などがある。

八木宏之 FREUDE編集人。青山学院大学、愛知県立芸術大学大学院、ソルボンヌ大学にて音楽学を学ぶ。Yaffleとは学生時代からの親友。

原典子 FREUDE編集人。音楽雑誌の元編集者でありライター。ポスト・クラシカルなど新しいクラシックの潮流に興味がある。

オーガナイズする楽しさを覚えた吹奏楽部

Yaffle 香港
photo by Hngry Pow

 Yaffleさんと八木さんは小学校からの同級生だそうですが、吹奏楽部で一緒だったのですよね?

八木 中学から高校に上がったとき、吹奏楽部でオーボエがやりたくて入部しようとしたら、怖い先輩に「ファゴットの奴を見つけてこい」と言われ、たまたま通りかかったYaffleに「ファゴットやらない?」って話しかけたんです。そうしたら、すごく親しかったわけでもないのに、とくに質問もせずに「ああ」と言ってついて来た(笑)。それがいまだに不思議なんですが、Yaffleはファゴットなんて知らなかったでしょ?

Yaffle 知らなかった。でも新入生勧誘のときって、先輩たちが「すぐに音が出てすごーい! 才能ある!」とか言ってチヤホヤしてくれるから、そのまま入って。トランペットやサックスは、中学からやっている子たちが入ってきますが、ファゴットは高校からなので経験者がいないんです。高3の先輩と1年坊主の自分だけだったので、上手いのか下手なのか誰も分からないような状態で、やりやすかった。

 吹奏楽部は楽しかったですか?

Yaffle 吹奏楽という音楽そのものにはほとんど興味を持てなかったけれど、部活としては超楽しかったですよ。最高の青春だったと思います。それと、セクション・リーダーとして全体の仕切りや指導のようなことをやっていたので、そこでオーガナイズする楽しさを覚えたというのはあります。

八木 高1のときだったかな、Yaffleがフィナーレ(楽譜作成ソフト)を買って、デモ音源でちょっとしたオーケストラ曲を作って、聴かせてくれたことをよく覚えています。彼はずっとポップスが好きで、ジャズ系の先生についてピアノを習っていて、高校で吹奏楽部に入って、僕が無理矢理クラシックを聴かせていたりした。そのような音楽環境の中で、ある日、自分の曲を作りはじめたわけです。

 ピアノで作曲してみたりすることはなかった?

Yaffle ピアノで自分のなにかを表現しようとか、即興的に弾いたものを記録しておこうとかいった意識はなかったですね。自作自演のような、自己表現からの延長線上で作曲する行為には関心がなかったのかも。自分だけで完結することよりも、人を巻き込んで、オーガナイズする方が楽しかった。吹奏楽はまさにそれで、自分が書いた楽譜を50人ぐらいが演奏するって、ものすごく快感じゃないですか。だから、作るとしたら複数の楽器編成の曲だったし、インターフェースとしてフィナーレが入りやすかった。そういう意味では、もともと打ち込みではなく、五線譜の人間だったのでしょう。

 たしかに、それってクラシックの作曲家っぽい発想ですよね。

学校帰りにN響の定期公演へ

 八木さんがYaffleさんにクラシックを聴かせていたという話でしたが、どんな曲が気に入りましたか?

八木 クラシックの曲をいろいろ選んでMDを作って、人にあげるのが好きだったんです。「これが好きなら、これも好きかも」みたいにおすすめしていって。

Yaffle ジーニアス機能ね(笑)。もらったMDのなかでは、エルガーとかヴォーン・ウィリアムズ、フォーレ、ラヴェルとかが好きだったかな。「作曲家を目指すならこれを聴け」とか言われて、視聴覚室に連れて行かれ、サイモン・ラトル指揮のマーラーの交響曲第5番を聴かされたこともありました。

八木 Yaffleは好き嫌いがはっきりしていて、良いと思った音楽は、その後も自分から進んで聴いてくれていたので、嬉しかったですね。友人たちと学校の近くのNHKホールに行って、NHK交響楽団の定期公演を聴いて、帰りにロコモコ食べて帰ったりもしていました。

Yaffle ワーグナーとかドビュッシーはあんまり好きじゃないんだよなあ。

八木 そうそう、だいぶ後年の話になりますが、僕がフランスに留学していたときにYaffleが遊びに来て、一緒に現代音楽のコンサートを聴きに行ったことがありました。1曲目が山本哲也さんの《In the circle…》のパリ初演、後半にはクセナキスやアンディ・アキホなどが演奏され、Yaffleは「なにこれ、サイコー!」とか大興奮でした。けれど唯一、「3曲目の奴はほんと才能ないと思った」と言っていて、それはドビュッシーの《遊戯》だった(笑)。彼にとっては作曲家の知名度とか、名曲として認知されているかとかは一切関係ないところが良いですよね。

和声はパズルゲーム

Yaffle 高校のときの思い出といえば、八木とやった「オーボエをかっこよく見せる」プロジェクトも面白かったなあ。音楽にまったく興味のない、ごく普通の高校生から見ても、オーボエを吹いている八木がカッコ良く見えるようにする企画。

八木 Yaffleがファイナルファンタジーの曲をオーボエ、ピアノ、ヴァイオリンの編成にアレンジしてくれたんだよね。

Yaffle 陰キャがやってると思われないようにイケメンのヴァイオリニストを入れて。あとは、とにかく八木が映えるようにオーボエにエフェクターをつないで、めちゃくちゃリバーブをかけた(笑)。

八木 小さい講堂なのに、パリのノートルダム大聖堂みたいなものすごい残響だったよね。

Yaffle まず「オーボエがカッコ良いと思われたい。チヤホヤされたい」という解決すべき問題があって、それに向けてアレンジや演出を考えるという意味では、あれがプロデュース業のいちばん最初の仕事だったかもしれない。

 楽しい高校時代ですね。音大に進学しようと思ったのも、その頃から?

Yaffle 高1のとき、吹奏楽部の先輩が音大を目指しているという話を聞いて「へえ」と思って。それまでは音大って、代々音楽家の家系の人が入るようなイメージで、自分からは遠い存在に思えていたのですが、身近に行く人がいるとリアルになりますよね。「一般人でも入れるんだ。なら行ってみようかな」と。結局、1浪して入ったのですが。

 音大受験のための勉強は大変でしたか?

Yaffle 和声の勉強は楽しかったですよ。でもソルフェージュは本当に苦痛だった。

※西洋音楽の基礎能力訓練。初見の楽譜を歌う新曲視唱やピアノで弾かれたものを書き取る聴音などがある。

八木 「なにも聴こえない」って言ってたもんね。

Yaffle ソルフェージュって要は天才児ぶる作業でしょ。和声はパズルゲームだから、「模様123」が「模様567」になればマルがもらえるっていうことだけ覚えていった。そうしたら和声は学年上位になって合格しました。頭の中で音が鳴らなくてもいけるんだなと。

「現代音楽ごっこ」に力尽きる

 そして国立音楽大学の作曲専修に入学されたわけですが、アカデミックな音楽の世界はいかがでしたか?

Yaffle 和声、対位法、創作、それぞれに担当教員がいて、和声は丸山和範先生、対位法は山口博史先生、創作は川島素晴先生でした。受験前から和声を習っていた山口先生が、川島先生のクラスについて「虎穴に入らずんば虎子を得ず、ハイリスク・ハイリターン」とおっしゃっていたのを覚えています(笑)。いろんなヤバい先生がいて面白かったですね。それで、1年のいちばんはじめの頃だけ「現代音楽ごっこ」を全力でやってたんだけど、そこで力尽きちゃって。2年から4年までは成績悪かったです。

 「現代音楽ごっこ」とは??

Yaffle いわゆるアートの本流、芸術を突き詰めるのが現代音楽ですよね。国立音大ではそのほかにも、劇伴とかの商業音楽や、音楽理論の先生になるコースなど、いくつかコースが選べたのですが、僕はどれも選ばずにぬるっと卒業しちゃいました。ジャズ・コースはとってたのかな。とにかく、1年のときだけガチの芸術系のクラスをとっていたのですが、そこでは散々でしたね。作曲の必修課題でサックスの曲を書いたら、「サックスは要綱に含まれていません」とか言われて、教授会にかけられて、北爪道夫先生が鶴の一声で「いいじゃないですか」と言ってくださったおかげでOKになったことも。

八木 でも、ずっと後に僕がパリで先ほど話に出た山本哲也さんと知り合ったとき、Yaffleが友人だと言ったら、「彼が最初に書いたサックスの曲は素晴らしかった。良い作曲家になると思っていたのに、違う道に行ってしまって非常に残念だ」とおっしゃっていたんですよ。

Yaffle 山本さんは国立の川島素晴門下の先輩だからね。でも大学時代に誰かから褒められたり、学校から評価された記憶はまったくないですね。恩師がいないというか。3年のときも、ひたすらドラマーがクラッシュシンバルを鳴らしまくる曲を書いて、教授たちに「耳が飛ぶ」と言われたり。教授会にかけられてばかりいた

八木 青山学院大学のビッグバンドのサークルでは本格的に活躍していたんじゃない?

Yaffle そっちでは、1年のときから生意気にもジャズ・オーケストラの譜面を書いて、サークル内でお金をもらったりしていました。ビッグバンドのコンテストのための譜面を書いたり。そこでの評判は良かったですね。

――音大で学んだことは、Yaffleの作曲・プロデュース業にどう活かされていくのだろうか? 次回をお楽しみに!

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