藤倉大:Akiko’s Piano

<Review>
藤倉大:Akiko’s Piano

広島交響楽団2020「平和の夕べ」コンサートより

藤倉大:ピアノ協奏曲第4番《Akiko’s Piano》(広島交響楽団委嘱・世界初演
ベートーヴェン:
カヴァティーナ~弦楽四重奏曲第13番変ロ長調 作品130より(弦楽合奏版)
マーラー:歌曲集《亡き子をしのぶ歌》
バッハ:
シャコンヌ~無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004より(齋藤秀雄による管弦楽版)
下野竜也(指揮)広島交響楽団

萩原麻未(ピアノ)藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)
録音:2020年8月5日、6日 広島文化学園HGBホール
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

text by 八木宏之

モニュメントではなく、祈りを

このアルバムは2020年8月5日、6日に広島文化学園HGBホールにて行われた『被曝75年2020「平和の夕べ」コンサート~Music for Peace~』を収めたものだ。このアルバムの核となるのは、広島交響楽団の委嘱に応じて藤倉大が新たに書き上げたピアノ協奏曲第4番《Akiko’s Piano》である。

「この協奏曲の主なメッセージはMusic for Peace です。しかしながらそれをいち作曲家として、明子の個人的な視点に集中して表現したいと思います。 普遍的な主題を伝えるために微視的な視点から進めるのです」

ピアノ協奏曲第4番《Akiko’s Piano》について 藤倉大

《Akiko’s Piano》とは1945年8月6日の広島への原子爆弾投下によって亡くなった河本明子のピアノのことを指す。河本明子は日本人の両親のもとロサンゼルスに生まれ、6歳で広島に帰国し、19歳で原爆の犠牲者となった。彼女がその短い生涯でずっと弾き続けていたアメリカ製のアップライトピアノは、被曝したのち修復され、今日でも演奏が可能な状態で生き続けている。藤倉大はこの「明子のピアノ」を主題にして「平和への音楽 Music for Peace」を書き上げた。その静謐で透明な音楽は、モニュメンタルでもなければ、写実的、標題的でもなく、ただ私たちに祈りの時間を与える。この協奏曲はマルタ・アルゲリッチによって初演される予定であったが、新型コロナウイルスの影響により、初演者は広島出身の萩原麻未が務めた。とりわけ印象的なのは修復された明子のアップライトピアノで弾かれるカデンツァだ。藤倉大が作品を締めくくるこのカデンツァを明子のピアノで弾くように指示したのは、視覚的で表面的な反戦のメッセージとしてではなく、まさにその明子のピアノの響きがこの音楽に必要不可欠だったからだろう。明子のピアノのガラスを思わせる「からから」とした音色で奏でられるカデンツァは誰かの独り言のようで、それはまだ言い残した事があるようにふっと途切れて消える。この協奏曲だけは作曲家本人が編集、マスタリングを行なったことからも、「明子のピアノ」の響きに対する藤倉大の徹底したこだわりがうかがい知れる。

このコンサートの後半には、予定されていたベートーヴェンの交響曲第9番に代わり、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番のカヴァティーナ(弦楽合奏版)、藤村実穂子を独唱に迎えたマーラーの《亡き子をしのぶ歌》、そしてバッハの《シャコンヌ》(齋藤秀雄による管弦楽版)という指揮者下野竜也の考え抜かれたプログラムが続いた。私はこの変更後のプログラムのほうが、《Akiko’s Piano》に続くプログラムにふさわしいものだと思う。このアルバムはぜひ最初から最後まで続けて聴いてほしい。ベートーヴェン最晩年の慰みに満ちたカヴァティーナが明子のピアノの余韻の中で奏でられると、それは本当に特別な体験となる。そのあとに続く藤村実穂子による果てしなく美しく、どうしようもなく沈痛な《亡き子をしのぶ歌》で、私たちは河本明子を含むすべての断ち切られた命を再び思い起こす(藤村実穂子自身による対訳とともに聴きたい)。そして最後のバッハの《シャコンヌ》でこの1時間強の音楽体験を反芻する時間を持つことになる。これは異なるコンテクストのなかで生み出された作品がプログラムのなかで互いに作用し合い、新たに「いま」聴く意味を持つということに成功したコンサートであり、アルバムなのだ。

Dai Fujikura  photo by Seiji Okumiya
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