福間洸太朗 × 高原英理 対談
音楽と文学における「幻想」をめぐって【後編】

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福間洸太朗 × 高原英理 対談

音楽と文学における「幻想」をめぐって【後編】

text by 加藤綾子
photo by 長門裕幸/協力:スタインウェイ&サンズ東京

ピアニストの福間洸太朗と、小説家・文芸評論家の高原英理による「幻想」をめぐる対談。後編では幻想文学の歴史と潮流を紐解くとともに、現代社会においてファンタジーが求められる意味を探る。

近代科学に反するものとしての幻想文学

──文学における「幻想」や「ファンタジー」について、もう少しお伺いしたいと思います。どちらも「現実を離れたい」という人間の思いから生まれたものなのでしょうか。

高原 19世紀から20世紀初期の文学に関しては、それが主です。「幻想文学」と我々が呼ぶジャンルは、まず近代科学が信頼された世の中でないと意味がありません。その近代科学にあえて反するような境地を描きたい、といって成立したのが近代の幻想小説です。

というのも、それ以前は宗教が人々の生活において大きな比重を占めていて、ファンタスティックなもの(現実から離れたもの)が当たり前のように信じられていた時代でした。悪魔がいるとか、鬼がいるとか、死後の世界があるとか、人は生まれ変わるとか……。そういう世界を描くことは、当時の人々にとっては幻想ではありません。リアリズムとまではいわないけれども、あくまで身のまわりの世界で起こりうることを語った記録です。

それが近代科学が確立した後の世界では、そういったものが非常にファンタスティックなものに見えるわけです。つまり幻想文学というのは、読者の視点によって決まってくるものなんですね。

――なるほど。近代科学あっての幻想文学というわけですね。

高原 そして20世紀半ばから後期になってくると、だんだん幻想というものが、反現実とか現実に抵抗するものではない、現実そのものと並行している、現実の別の層といった見方が出てきます。フランツ・カフカの作品とか、シュルレアリスムとか、南米のマジックリアリズムとかがそうですね。今もその系統の作家は多いと思います。そうやって現実の見えていない部分を描くような作家がいるいっぽうで、従来の「現実 VS 非現実」の対立を描く手法も生きているというのが現状です。

福間 私が読ませていただいた高原さんの作品のうち、『青色夢硝子』(『エイリア綺譚集』収録)がとても印象的でした。夢を物質化できる装置があるというお話なんですが、非現実的な世界にいざなってくれるような作品で、読んでいて楽しかったです。

高原 ありがとうございます。日本では長らく幻想文学は「逃避の文学」「夢に逃げる文学」というふうにいわれてきましたが、それは違うんだと。ローズマリー・ジャクスンは自身の評論で、幻想文学は「現実への異議申し立て」「現実を攪乱してしまう方法。モードである」といっていますね。自分としては、そういったことをある程度考えて書いているのが近年の作品です。『青色夢硝子』や『憧憬双曲線』(『エイリア綺譚集』収録)といった初期の頃の作品は、どちらかというと現実と非現実を分けた感じで書いています。

音楽×文学のコラボレーションがもたらす可能性

――クラシック音楽ファンにとっては、『不機嫌な姫とブルックナー団』で高原さんの作品にはじめて触れた人も多いのではないでしょうか。

福間 私もそうです。『不機嫌な姫とブルックナー団』を読ませていただいて、あらためてブルックナーの交響曲第3番を聴きました。これまでブルックナーの作品にはそれほど親しんできませんでしたが、やはり見方が変わりましたね。残念ながら、ブルックナーはピアノの曲はあまり書いていないんですけれど。

高原 わずかに、CD1枚に収まるぐらいの曲数はありますが、どれもシンプルな曲ばかりです。ブルックナーがいうには、自分の指は死んだらなくなるけれど、書き残したものは後世に残ると。当時は録音ということができなかったので、即興演奏はうまかったけれども、それはもう、その場限りのものとして記譜もしないという考え方ですね。

福間 もったいないですよね、本当に。

――福間さんは、文学とのコラボレーションによるコンサートもなさっていましたよね。

福間 はい、トーマス・マンの小説『ファウスト博士』に出てくるクレッチマーという音楽学者が、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番についての講義をするんですよね。そのシーンを朗読してもらって、講義の中で「この曲のこの部分が云々」と言われた箇所を私が弾くというコラボレーションをしたことがありました。

実はトーマス・マンにベートーヴェンについていろいろ教えた人物というのが、哲学者、音楽評論家、作曲家でもあるテオドール・アドルノだったのです。アドルノはウィーンに行って、アルバン・ベルクに作曲を師事していたんですね。そこで、アドルノの作品とベルクの作品も並べて弾いてみたのですが、すごく面白かったです。

私は、それまでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番について、楽譜や、ベートーヴェンの伝記、彼の書き残したものなどを読んで、想像を膨らませて弾いていたわけですが、文学とのコラボレーションをしたことによって少し見方が変わって。それをきっかけに「ここはもうちょっとこういう表現をしてみよう」とか、「こういう可能性もあるんだな」とか、新たな発見がありました。

──高原さんも、ご自身の作品朗読にジョン・ケージの音楽を合わせたことがおありだとか。

福間 ケージを!

高原 ああ、はい(笑)。きのこについての短い話(『日々のきのこ』)を書いたのですが、それを朗読したことがあって。そのときにケージの『プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード』の中の2〜3曲の演奏を合わせました。曲自体はきのこを題材としているわけではありませんが、ケージはきのこマニアですから。

福間 ケージは「なぜ、きのこが好きなんですか?」と問われたとき、「辞書でミュージック(Music)の隣がマッシュルーム(Mushroom)だから」と答えたとか。

高原 そうそう。ですから、ちょっと合うかなと思ってやってみたら、わりと良かったです。

人はほうっておくと夢見てしまう

──この春、福間さんが『幻想を求めて』というタイトルのアルバムを出されて、『文學界』2023年5月号では「12人の“幻想”短篇競作」特集が組まれ、高原さんも作品を寄せられました。アニメや漫画界では「異世界転生」というジャンルが流行っていたり……。今の時代に、そういった現実ではないファンタジーの世界が求められている理由は何だと思いますか?

高原 単純に考えると、現状に何か不満や異議申し立てがあるから、ということになりますが……。でも、本当のことをいうと、人は世界を認識する際に「幻想的」といわれるような認識の仕方しかできないのではないでしょうか。リアリズムとはそうやって、人の認識があまりに馬鹿ばかしい夢幻に行ってしまうのを批判するところから出た発想なので。つまり、人はほうっておくと夢見てしまうということですよ(笑)。

日本の主流文学は比較的リアリズム寄りに進んできましたが、近年の文学賞受賞作を見ると、案外多くの作家がファンタジー的なものを書いてますね。現在、日本で一番よく売れている村上春樹さんの作品の大半は、ファンタスティックな小説です。きっと日本人は幻想が大好きなんです。坪内逍遥がちょっとリアルな方向でやってみようと言い出してから、日本の近代文学が始まったわけですが、江戸時代なんてもう、『南総里見八犬伝』を読めばわかるように、怪物、妖怪、英雄、美女、悪者、幽霊、呪術使、化け猫……どんどん出てくる。そういう世界です。

――ほうっておくと夢見てしまう、たしかに。

福間 私も幻想は好きですね。昔は何か大きな構想を描いては、「現実を見なさい」とよく身内にいわれました(笑)。

高原 私が一番好きな作曲家のブルックナーは、おそらく向こうの幻想の世界ばっかり見ていた人なのでしょう。それに対してマーラーは、向こうを見ているんだけど、ときどき「ちょっと違うんじゃないか?」って振り返る瞬間がある。そういう批評性があるんです。だから緩やかな、良いメロディを、わざと速く演奏させてみせたりする。その批評性がさらに進むと、たとえばショスタコーヴィチみたいになります。おそらくショスタコーヴィチのような作曲家が一番現実的というか、辛辣な現実認識にもとづいて音楽を作ったのではないかな。

福間 私はやっぱり夢見る作曲家が好きですね。幻想世界にいざなってくれる方が幸せというか。つい最近、「夜」をテーマにしたリサイタルをしたのですが、今考えてみると、そこで弾いた曲も全部、幻想的だったなと思います。夜ってすごく神秘的でもあり、恐怖でもあり、幻想的、ファンタスティックな世界ですよね。夢に見る世界は幻想だともいえます。

今回、こうして高原さんと「幻想」をテーマに語り合うことで、幻想的な音楽を演奏する際のヒントをたくさんいただくことができました。ありがとうございます。

高原 こちらこそ、ありがとうございます。

新譜情報

『幻想を求めて – スクリャービン&ラフマニノフ』
福間洸太朗(ピアノ)
NAXOS JAPAN

スクリャービン:
3つの小品 Op. 2 – No. 1 練習曲 嬰ハ短調
12の練習曲 Op. 8 – No. 12 嬰ニ短調《悲愴》
幻想ソナタ 嬰ト短調 WoO 6
ピアノ・ソナタ第2番 嬰ト短調《幻想》Op. 19
左手のための2つの小品 Op. 9 – No. 2 ノクターン 変ニ長調
幻想曲 ロ短調 Op. 28
ラフマニノフ:
幻想的小品集 Op.3(I. エレジー 変ホ短調/II. 前奏曲 嬰ハ短調「鐘」/ III. メロディ ホ長調/IV. 道化役者 嬰へ短調/V. セレナード 変ロ短調)
ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op. 36(1931年改訂版)

アルバム情報ページ
https://naxos.jp/special/NYCC-27314

アルバムPV
https://www.youtube.com/watch?v=iPpHDJe_Ros


福間洸太朗 Kotaro Fukuma

ピアニスト。20歳でクリーヴランド国際コンクール日本人初の優勝およびショパン賞受賞。パリ国立高等音楽院、ベルリン芸術大学、コモ湖国際ピアノアカデミーにて学ぶ。
これまでに世界の主要ホールでリサイタルを行ない、国内外の著名オーケストラと50曲以上のピアノ協奏曲を演奏してきた。また、フィギュア・スケートのステファン・ランビエルら一流スケーターとのコラボレーションや、パリ・オペラ座バレエ団エトワールのマチュー・ガニオとも共演するなど幅広い活躍を展開。
CDはこれまでに『バッハ・ピアノ・トランスクリプションズ』『France Romance』『ベートーヴェン・ソナタ集』(ナクソス・ジャパン)などをリリース。そのほか、珍しいピアノ作品を取り上げる演奏会シリーズ『レア・ピアノミュージック』のプロデュース、OTTAVAやぶらあぼWeb Stationでの番組パーソナリティを務め、自身のYouTubeチャンネルでも幅広い世代から注目されている。
https://www.japanarts.co.jp/artist/kotarofukuma/

高原英理 Eiri Takahara
1959年生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業。東京工業大学大学院社会理工学研究科博士後期課程修了(価値システム専攻)。博士(学術)。1985年、第1回幻想文学新人賞受賞(選考委員は澁澤龍彦・中井英夫)。1996年、第39回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞(選考委員は柄谷行人、後藤明生、高橋源一郎、中沢けい、李恢成)。
主な著作に『詩歌探偵フラヌール』『日々のきのこ』(河出書房新社)、『高原英理恐怖譚集成』『エイリア綺譚集』(国書刊行会)、『観念結晶大系』『うさと私』(書肆侃侃房)、『歌人紫宮透の短くはるかな生涯』『怪談生活』(立東舎)、『不機嫌な姫とブルックナー団』(講談社)など。
今年7月、連作長篇小説『祝福』を河出書房新社から刊行。
また来年生誕200年を迎えるブルックナーの生涯を事実とフィクションとで語る『ブルックナー譚』(仮)を中央公論新社から刊行予定。

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