丹波篠山国際ヴィオラマスタークラス
レポート【後編】
text by 原典子
2024年9月12日から21日まで、10日間にわたって開催された丹波篠山国際ヴィオラマスタークラス。後編では20日と21日の『マスタークラスコンサート』の模様を中心にレポートする。
マスタークラスやコンサートの会場となった丹波篠山市立田園交響ホールは、その名のとおり豊かな田園風景のなかに建つ美しいホール。1988年に開館し、朝比奈隆が名誉館長を務めていたという。ホールの向かいには篠山城跡の小高い丘があり、城下町の華やかさを今に伝える街並みが残っている。取材に訪れた9月は収穫の秋まっただなかで、あたり一面の水田には頭を垂れる稲穂が揺れ、あちこちの店の軒先では丹波名物の栗や黒枝豆が売られていた。素晴らしい音響のホールと自然に恵まれた環境で、世界から集まったヴィオリストたちが切磋琢磨する10日間。私が取材したのは、その最後の2日間である。
マスタークラスの成果を披露する修了コンサート
20日は11時から田園交響ホールにて『マスタークラスコンサートI 修了コンサート』。12人の受講生が、個人レッスンで受講した楽曲から1曲ずつ演奏、加えてアンサンブル・レッスンで受講したヴィオラ・クァルテットの楽曲を3グループに分かれて披露する。長丁場のコンサートだが、入場無料で地元住民も気軽に出入りできるのがいい。
日頃、ヴィオラの演奏をこれだけまとめて聴く機会は滅多にないが、出身国も年齢も異なる12人のヴィオリストの演奏を聴いていると、身体の使い方や音の出し方がそれぞれに違って興味深い。そして、「ヴィオリストにとって、ヴィオラで自分の声を見つけることが本質的に重要」だと語っていた講師のウェンテイン・カンの言葉が思い出された。そういった意味では、一聴して惹き込まれる音色をもち、心を震わせるような歌を聴かせたアントワーヌ・テヴォ、一音一音を刻み込むように深く、スケールの大きい歌を聴かせた大森悠貴が印象的だった。また、ミンスク・ヨーの完成度の高さと見通しのよい構成力、笠井大暉の圧倒的な個性と表現の大胆さは特筆ものであった。
またヴィオラ・クァルテットでは、ヴァインツィール《夜の小品》での濃密に溶け合う響き、ノックス《スペインのフォリアによる変奏曲》での個々の豊かな表情から、同じメンバーでひとつの作品にじっくり取り組んだマスタークラスの成果を聴くことができた。コンサートの最後には、笠井大暉(1st)、アントワーヌ・テヴォ(2nd)、大森悠貴(3rd)、ジンリン・シュー(4th)が登場し、ヴィヴァルディの協奏曲集《四季》より「夏」を演奏。すでに「自分の声」をもつ4人のなかでも、シューのエッジィな切り込みがとくに光っていた。
講師ひとりずつからフィードバックをもらう講評
コンサートの後は、受講生が5人の講師(今井信子、ファイト・ヘルテンシュタイン、ウェンティン・カン、ニアン・リウ、大島亮)からフィードバックをもらう「講評」の時間が設けられており、受講生は各講師のいる部屋をまわって1対1の会話を5分程度ずつ行なう。丹波篠山国際ヴィオラマスタークラスの実行委員として運営サイドを束ねる小野ひとみは次のように語る。
「コンクールでは審査員による講評がありますが、マスタークラスで講評の時間を設けているのは珍しいと思います。濃厚なレッスンの日々が続き、講師との信頼関係ができ上がっているので、受講生にとってフィードバックをもらうことが大きな喜びなんです。だから、みんなニコニコして部屋から出てくるでしょう。厳しいことを言われたとしても、“ああ、そうか”って納得できるから、次のステップへとつながっていく。このマスタークラスの自慢になる、素晴らしい時間だと思います」(小野ひとみ)
講評を終えた受講生たちのコメントも紹介したい。
「修了コンサートでは、マスタークラスの期間中に先生方からいただいたアドバイスをもとに、トライすることをいちばんに考えて演奏しました。結果、自分自身のなかで100%満足のいく演奏ではなかったかもしれませんが、お客様や先生の前でトライできる機会をいただけたことが嬉しくて。とても充実した時間でした」(難波洸)
「自分ひとりで練習していても気づけない身体の使い方、たとえば右手と楽器との関係などについて先生方からアドバイスをいただきました。その課題について、修了コンサートでは70%ぐらい達成できたと思いますが、引き続きトライしていきたいです。なにより自分にとっての課題と、その改善方法が見つかったのが本当にありがたいことです」(大森悠貴)
「修了コンサートではじめてヒンデミットの《ヴィオラ・ソナタ(1939)》をお客様の前で弾きました。今井先生とのレッスンで“とにかく楽しんで、いろんなアイデアを”というお言葉をいただいたので、本番では1楽章の酔っ払ったような感じや、2楽章の壊れた機械のような雰囲気など、さまざまなキャラクターを出せるよう意識して演奏して、自分でもすごく楽しんで弾けましたね。マスタークラスでは、身体の右側に力が入っていることを先生方から、それぞれ違う言い方で教えていただいて、自分のフォームを見直す良い機会になりました。おかげで講評では“1週間前とは音が全然変わった”と言っていただけました」(笠井大暉)
すでにプロとして演奏活動をしている受講生も多く、日々忙しく仕事に追われている彼らにとって、普段はなかなか見直すことのできない基本的なフォームについて、さまざまな角度からアドバイスをもらい、じっくり向き合う10日間はとても貴重な期間だったようだ。また、寝食をともにして日々音楽に向き合った受講生たちはすっかり打ち解けた様子で、講評を待つ間も楽しそうにおしゃべりしていたのが微笑ましかった。ここでのよき仲間、よきライバルとの出会いは、彼らのこれからの演奏家人生にとって大きな糧になるのだろう。
ザ・イマイ・ヴィオラ・クァルテットによるコンサート
最終日の21日は13時から、同じく丹波篠山市立田園交響ホールにて『マスタークラスコンサートII ザ・イマイ・ヴィオラ・クァルテットコンサート』。今井信子、ファイト・ヘルテンシュタイン、ウェンティン・カン、ニアン・リウの講師4人からなるザ・イマイ・ヴィオラ・クァルテットによるヨーク・ボーエンの《4つのヴィオラのためのファンタジー 作品41》で幕を開けた。前日の修了コンサートでの受講生たちによるヴィオラ・クァルテットでは、丁寧に練られたアンサンブルに感銘を受けたが、講師たちの演奏は4人の響きが融合するだけでなく、そこから個々人の歌が立ちのぼってくる。
続く講師ひとりずつの演奏では、ジョージ・ロックバーグの《ヴィオラ・ソナタ》を弾いたニアン・リウの絵画的な佇まいを感じる音と、レベッカ・クラークの《眠りの神》を弾いたファイト・ヘルテンシュタインの柔らかく繊細な音が対照的。画家による筆使いの違いを見るようだった。ウェンティン・カンが気品ある音色と潔いボウイングで聴かせた一筆書きのクララ・シューマン《3つのロマンス 作品22》も美しかった。
コンサートの最後には、今井信子がJ.S.バッハ《ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第1番 ト長調 BWV1027》を草冬香のチェンバロとともに演奏。一体どうしたらこんなにもふくよかで、ガンバが鳴っているような音が出せるのか、その魔法のような音色にはただ驚くばかり。今井はこのマスタークラスを開催するにあたり、「丹波篠山は天から降ってきたような場所」と語っていたが、今井こそが天から与えられた存在であるとつくづく感じるものだった。
音楽を愛する地元住民のサポート
さらに、コンサートの終了後にはプログラムに載っていないサプライズが。受講生と講師たち、そして丹波篠山を拠点に活動するアマチュア・オーケストラ、メロマン室内楽管弦楽団のメンバーがステージに登場し、J.S.バッハの《ブランデンブルク協奏曲第3番 ト長調 BWV1048》第1楽章を演奏したのだ。メロマン室内楽管弦楽団のコンサートマスターを務める萩本学は丹波篠山国際ヴィオラマスタークラスの実行委員長でもあり、受講生と講師の受け入れ体制を整え、地元との橋渡しに尽力してきた。
「篠山は城下町ということもあり、昔から文化芸術活動が盛んな街。メロマン室内楽管弦楽団も来年で結成60周年を迎えます。篠山音楽協会にはコーラスや吹奏楽、シルバーアンサンブルなど20近くの団体が加盟し、音楽活動を楽しむ市民が多いです。丹波篠山国際ヴィオラマスタークラスは今年で4回目を数えますが、最初の2回はコロナ禍で制限がありましたので、今井先生と日本の受講生だけがここに集まって、海外の講師と受講生はオンラインで参加という形でした。昨年から全員が集まって開催できるようになり、地元の皆さんにヴィオラという楽器の魅力を知ってもらうために市役所での『おでかけコンサート』や学校コンサートなども開催しています。将来的には、全国のヴィオラ好きが丹波篠山に集まってくれたらいいなと思いますね」(萩本学)
終演後のステージでは、受講生、講師、実行委員会の面々が集まって閉講式が行なわれ、今年のマスタークラスはすべてのプログラムを終えた。友との別れを惜しむ受講生たちの表情は充実感に満ち、それぞれの世界へと帰っていく。ここ丹波篠山から新たな才能が羽ばたいていくことを楽しみに、今後のマスタークラスにも注目していきたい。
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丹波篠山国際ヴィオラマスタークラス〜ヴィオラの本質を探究する学びの場
丹波篠山国際ヴィオラマスタークラス オフィシャル・サイト
https://tsvmc.com/
丹波篠山国際ヴィオラマスタークラス Instagram
@tambasasayamaviolamasterclass