石上真由子
奇を衒わずに、心を込めてひたむきに
SEVEN STARS in 王子ホール Vol.7
text by 八木宏之
クラシック音楽を「今」の時代にアップデートする若き音楽家たちのコンサート・シリーズ『SEVEN STARS』(主催:日本コロムビア)。最終回となる1月22日の演奏会(王子ホール)には、ヴァイオリニストの石上真由子が登場する。
石上真由子ほどエネルギー、バイタリティに溢れる演奏家はそう多くないだろう。演奏会を積極的に企画して、受け身ではない能動的な活動を展開する若いアーティストが近年増えているが、石上はそうした世代を代表するひとりだ。コンサート・シリーズ『Ensemble Amoibe』(アンサンブル・アモイべ、以下アモイベ)を2018年1月に立ち上げ、月に2回から3回(“年に”ではなく“月に”である!)の演奏会を主催し、自身が今取り組みたい作品を、その作品に理想的な共演者と演奏している。アモイベで取り上げるレパートリーはソロから室内楽まで実に幅広い。多岐にわたるレパートリーをこれほどの頻度で演奏していても、石上のコンサートは常に高い完成度を誇り、演奏会後も記憶に残り続けるものばかりである。
この数ヶ月、石上の演奏を立て続けに聴いたが、そのどれもが入念に準備を重ねた、こだわりの演奏であった。10月24日、東京ハルモニア室内オーケストラとの共演では、幼少期から弾きたいと願ってきたというメンデルスゾーンのヴァイオリンと弦楽のための協奏曲ニ短調で渾身の演奏を聴かせ、11月1日、アモイベの東京公演では、敬愛する大山平一郎や同世代の仲間たちとシェーンベルクの《浄夜》とブラームスの弦楽六重奏曲第1番を演奏した。この《浄夜》はとりわけ名演で、浜離宮朝日ホールに集った聴衆は終演後しばらく身動きできなかったほどだ。
さらに12月には、江崎萌子とシューマン、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏に挑んだ。私はブラームスの演奏を聴いたが、プログラムの最後に置かれたソナタ第1番《雨の歌》では静謐な世界が広がって、石上の新境地に触れることができた。これだけでも充分過ぎるほどに実り豊かな演奏活動だが、石上の音楽への欲求はとどまるところを知らず、愛知室内オーケストラにゲスト・コンサートマスターとしてたびたび客演して、合奏の極意を探求している。
石上が京都府立医科大学に学んだ医師免許を持つヴァイオリニストであることはよく知られているが、それらはすでに多く語られてきたことである。この記事の目的は、現在の石上の充実した音楽活動とそのスピリットを伝えることであり、ここでは医学の話は深掘りせず、アーティスト石上真由子の実像と核心にとことん迫っていきたい。
ローマへ行けるのなら!
幼少期にエレクトーンを学んだあと、5歳でヴァイオリンを始めた石上だが、最初はあまり熱心な生徒ではなかったという。石上の気持ちに火がついたのは8歳のとき。オーディションに受かればローマの音楽祭へ参加できると聞いて、猛練習を始めた。
「要領がよく器用だったこともあって、熱心に練習する子供ではありませんでした。最初は練習しなくても難なく進級できていましたが、次第にエレクトーンが辛くなり、エレクトーンから逃げたいと思っていたところに母からヴァイオリンを差し出され、藁にもすがる思いで掴んでしまいましたが、最初はやはり真面目な生徒ではありませんでした。8歳のときに、通っていた才能教育(スズキ・メソード)の教室で、オーディションに受かればローマの音楽祭に参加できるという話があり、映画『ローマの休日』にはまっていた私は、“ローマへ行けるのなら!”と俄然練習に熱が入り、無事にオーディションにも合格して、念願のローマへ行くことができました」(石上真由子、以下同)
『ローマの休日』に憧れてローマへ向かった石上だったが、現地ではソロ演奏だけでなく、弦楽合奏も経験して、アンサンブルの面白さに目覚めるきっかけを掴んだ。
「ローマではソロも弾かせてもらいましたが、強く印象に残ったのは、モーツァルトの《ディベルティメント》K.136やグリーグの《ホルベルク組曲》といった、弦楽合奏の面白さでした。帰国後、佐渡裕さんに会ってみたくてチャレンジしたスーパーキッズ・オーケストラの1期生オーディションにも合格して、そこで仲間たちとアンサンブルする楽しさをさらに知ることができました」
石上の名前とその才能が全国に知れ渡ったのは、2008年の第77回日本音楽コンクールで第2位を受賞したときだった。17歳の石上が本選で聴かせた力強くも瑞々しいブラームスの協奏曲は、全国の音楽ファンに強烈なインパクトを与えた。
「日本音楽コンクールの前年、高校1年生のときに、プロのオーケストラとコンチェルトを演奏できるオーディションを受けたのですが、そのときはパスすることができませんでした。そんなときに日本音楽コンクールの募集要項をみたら、本選の指揮者が飯森範親さんだったんです。もし、そのコンチェルトのオーディションに受かっていたら飯森さんの指揮で演奏できたので、今度こそリベンジという気持ちで日本音楽コンクールにチャレンジしてみることにしました。
とはいえ本選まで残れるとは思っておらず、ファイナル進出の結果に私も先生も、みんながびっくりしました。当時は本選で演奏する協奏曲を選べなかったので、ブラームスを弾くしかなかったのですが、ブラームスの協奏曲は高校生の精神世界とは遠い円熟した作品です。高校生の私は、誰のどんな作品かは正直あまり考えていませんでしたが、先生はなんとかしなければと本選までの1ヶ月間、ほぼ毎日レッスンしてくださいました。このとき習っていた先生は、音楽だけでなく、思想や哲学など本のお話もたくさんしてくださる方で、多感な10代後半にとても大きな影響を受けました」
やりたいことをたりたいときにやる
石上が大きな影響を受けた人物としてもうひとり、指揮者、ヴィオラ奏者の大山平一郎のことも忘れてはならないだろう。石上は大山が芸術監督を務める室内楽団体「Music Dialogue」に参加して研鑽を積むだけでなく、大山と個人的に親交を結び、自身の演奏会にもたびたび招いて共演している。
「医学部6年生のとき、このまま研修医に進むか、演奏活動1本で生きるか悩んでいたら、大山さんが“あなたは音楽家になるべき人だ”と強く背中を押してくれました。こういったキャリアについてのアドバイスには責任が伴うので躊躇するものですが、大山さんがはっきりとそう言ってくださったことで迷いが消えました。“Music Dialogue”で室内楽のいろはから奥深さまで教えていただいているだけでなく、個人的に協奏曲のレッスンをしていただくこともあるのですが、“先生”として教えるのではなく、ひとりの共演者として対等な立場でアドバイスやヒントを与えてくれる大山さんは“師匠”である前に“音楽の仲間”であるという想いが強いんです。
大山さんに出会うまで、私は自分自身がどう感じてどう弾きたいかを何より大切にして、音楽を感覚で捉えているようなところがありました。大山さんはその感覚の裏付けとなる部分を教えてくださいます。説得力のある演奏をするためにはどうしたら良いか、大山さんには明確な考えがあって、例えば“ドルチェなら楽譜に指示がなくても少しテンポは落ちるはずだ”というように、共演する演奏家がみな納得できる解釈を共有可能な言葉にできる方なのです」
アモイベでは月に数回、意欲的な自主企画の演奏会を開催していることはすでに述べたが、石上は演奏会のプログラムノートも自ら執筆しており、それらは専門的な内容を楽しく読ませる魅力的なものばかりだ。演奏だけにとどまらないそのエネルギーとバイタリティはどこから生まれてくるのだろうか。
「やりたいことをやりたいときにやる。それがアモイベの活動の根底にあるものです。オファーをいただいて演奏するだけでなく、自分から積極的にやりたいことをやって発信していきたいのです。プログラムノートを自分で書くことにもずっとこだわっていて、単に史実を伝えるだけでなく、お客さんがより音楽を楽しめるように工夫しています。
プログラミングも有名曲だけでなく、自分がこの作品を聴いて欲しいと思えば、たとえ人気曲でなくても演奏します。コンサートでは、演奏家の想いとこだわりがある作品を演奏するべきだし、その演奏を通して“すごい体験をした”と思ってもらえたら、お客さんは名曲プログラムでなくても絶対に満足してくれます。人気曲じゃないとお客さんは来ない、ということは決してないのです」
「芸は心」の精神
1月22日の王子ホールでのリサイタルも、そうした石上の想いとこだわりが感じられるプログラムである。共演するピアニストは『SEVEN STARS Vol. 3』に登場したロー磨秀。唯一無二の個性を持つふたりのアーティストによるベートーヴェンとエネスコは今から楽しみで仕方がない。
「コロナ禍で全てが止まってしまっていたときに、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第10番を弾きたいと強く思ったんです。この作品はどこへ向かっているのかわからない、漂流していくような音楽です。中期に分類される作品ですが後期作品のような深淵な世界を持っていて、死の直前に書かれた弦楽四重奏曲第16番の自筆譜にある“Muss es sein?(かくあらねばならぬか?)Es muss sein!(かくあるべし!)”というベートーヴェンの言葉を思い出させます。
エネスコは八重奏曲を初めて弾いたときから大好きな作曲家で、ヴァイオリン・ソナタ第3番《ルーマニア民俗風で》も関西ではたびたび演奏してきました。このソナタを東京で演奏するのは今回が初となります。エネスコは民俗音楽を演奏する人の手癖まで譜面に落とし込んでいて、料理で言えば塩胡椒の加減まで細かに書き記す作曲家です。だから楽譜通りに弾けば、ちゃんとルーマニアの民俗音楽になるのですが、それだけでは作品の魅力は伝わりません。グリッサンドも四分音も自分の内側から出てくるようになるまで弾き込まないと、この作品の本質をお客さんにお伝えすることはできないのです。
私はロー磨秀さんの歌と作品が大好きなのですが、彼はピアニストとしても特別な空気を纏っている稀有な存在です。2021年9月のロー磨秀さんのリサイタルでシューマンの《子供の情景》を聴いたとき、彼が和音の響きのひとつひとつを愛おしく噛み締めながら弾いているのが強く印象に残りました。ベートーヴェンのソナタ第10番は、ロー磨秀さんのピアニストとしての魅力が最大限発揮される作品だと思いますし、共演するのがとても楽しみです」
最後に歌舞伎の熱心なファンである石上に、歌舞伎とクラシック音楽の関係について聞いてみたら、石上の芸術の核心に触れることができた。
「私は片岡仁左衛門さんの大ファンで、仁左衛門さんの芸に対する姿勢を尊敬しています。仁左衛門さんは上方から東京に来られて、大変なご苦労もあったかと思いますが、ひたむきに歌舞伎の発展のために尽力されてきました。仁左衛門さんは“芸は心”という言葉を大切にされ、奇を衒うことなくひとつひとつの演目に誠実に向き合われています。
私も奇を衒ったことをするのが嫌いで、変わったことをしたいとは全く思いません。大切なことは個性を追い求めることではなく、心を込めて目の前のコンサートに取り組むことです。クラシック音楽の世界でも、たとえばパトリツィア・コパチンスカヤは変わったことをやっているように見えて、その本質は極めてオーソドックスなのです。 “芸は心”の精神を忘れずに、こだわりを持ってコンサートに取り組めば、たとえ有名曲、人気曲でなくともお客さんには必ず伝わると信じて、これからも演奏活動を続けていきたいです」
『SEVEN STARS』のフィナーレとなる1月22日のリサイタルでは、石上の大切にする誠実なオーセンティシティが、ベートーヴェンやエネスコの作品を通して私たち聴き手に届けられることだろう。
公演情報
石上真由子 ヴァイオリン・リサイタル
2022年1月22日(土)14:00開演
東京・王子ホールロー磨秀(ピアノ)
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第10番 ト長調
エネスコ:ヴァイオリン・ソナタ第3番イ短調 《ルーマニア民俗風で》主催:日本コロムビア
問い合わせ先:Mitt Tel.03-6265-3201(平日12:00~17:00)
https://www.columbiaclassics.jp/20220122
■日本コロムビア エグゼクティブ・プロデューサー岡野博行氏より
石上真由子という人の演奏を聴くときに感じるのは、強烈な意志の存在です。
それは、ただ意志が強いということではなく、ある時期まで、医師になるための勉強と音楽を両立してやってきた彼女が、悩んだ末に音楽家の道を選んだように、常に考え、それを実践し、壁にぶつかりながら、能動的に突き進んで来たからこそ生まれる、手応えのある建造物のような強さです。だから彼女が作り上げる世界は、どれも明確な形を備えていて、普段聴き馴染みのない作品でも、その世界に入り込ませてくれるのではないでしょうか。
今回も、王子ホールに、彼女ならではの濃密な空間が作り出され、ここでしか味わえない一期一会の体験を味わわせてくれることでしょう。是非お聴き逃しなく!
石上真由子 Mayuko Ishigami
5歳からヴァイオリンを始め、8歳の時にローマ国際音楽祭に招待される。
高校2年生で第77回日本音楽コンクール第2位、併せて聴衆賞及びE・ナカミチ賞受賞。第7回ルーマニア国際音楽コンクール弦楽部門第1位、全部門最優秀賞及びコンチェルトデビュー賞受賞。第5回宗次エンジェルヴァイオリンコンクール第4位受賞。第14回チェコ音楽コンクールヴァイオリン部門第1位受賞。2017年9月バルトークコンクールにて特別賞受賞。
NHK『クラシック音楽館』、テレビ朝日『題名のない音楽会』、NHK-FM『名曲リサイタル』『リサイタル・ノヴァ』『ブラボー!オーケストラ』などに出演。NHKテレビではドキュメンタリーや、東京交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団との共演も放送された。
東京交響楽団、東京都響交響楽団、読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、ブラショフ国立交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、東京ニューシティ管弦楽団、セントラル愛知交響楽団など、国内外で多数のオーケストラと共演。
アメリカ・ヨーロッパ各地の音楽祭・演奏会に出演。
ソロ活動と共に、京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団、日本センチュリー交響楽団、愛知室内オーケストラなどに客演首席として出演するほか、長岡京室内アンサンブル、アンサンブル九条山のメンバーとしても活躍している。
2018年1月、京都を中心に室内楽のコンサートを行うEnsemble Amoibeシリーズ(www.ensembleamoibe.com)を立ち上げ、京都・東京各地で公演を行う。
Music Dialogueアーティスト。CHANEL Pygmalion Days室内楽アーティスト。京都コンサートホール第1期登録アーティスト。令和2-4年度 公共ホール活性化事業登録アーティスト。
令和元年度 京都市芸術新人賞受賞。2019年度音楽クリティック・クラブ賞 奨励賞受賞。令和元年度 大阪文化祭賞奨励賞受賞。2019年度第29回青山音楽賞 青山賞受賞。
2019年1月、日本コロムビアの新レーベルOpus OneよりCD『ヤナーチェク:ヴァイオリン・ソナタ』(レコード芸術準特選盤)をリリース。同年9月にリリースの『ラヴェル:ツィガーヌ』(東京ユヴェントス・フィルハーモニー・坂入健司郎指揮)もALTUSレーベルより好評発売中。
2021/22シーズンは、『コンポージアム2021』で東京都交響楽団とのデュサパン作品共演が絶賛されたほか、大阪交響楽団や読売日本交響楽団との共演も好評を博し、関西フィルハーモニー管弦楽団との共演の様子はNHK-FM『ブラボー!オーケストラ』にて放送された。
2022/2023シーズンには日本フィルハーモニー交響楽団との共演も予定されている。
公式ホームページ www.mayukoishigami.com