ロー磨秀
「今」この瞬間に全てを注ぐピアニスト
SEVEN STARS in 王子ホール Vol.3
text by 八木宏之
若き才能たちがクラシック音楽を「今」の時代にアップデートするコンサート・シリーズ『SEVEN STARS』(主催:日本コロムビア)に、筝アーティストのLEOに続いて、ピアニストのロー磨秀が登場する。今回がロー磨秀にとっては日本での初めての本格的なピアノ・リサイタルとなる。
ドビュッシーとの出会い
ロー磨秀は、従来のクラシック音楽の型には収まらない、新しいタイプのアーティストだ。桐朋学園在学中から国内外の数多くのコンクールを席巻し、その才能は広く知れ渡る。 名門パリ国立高等音楽院でもさらなる研鑽を積み、審査員満場一致の最優秀首席で卒業した。ピアニストとしての才能は言わずもがなであるが、彼の情熱は歌にも向かい、「マシュー・ロー」の名でシンガー・ソングライターとしても活動。その圧倒的な歌唱力で熱心なファンを獲得している。
そんなロー磨秀がデビュー・リサイタルに合わせて、ファースト・アルバムのフィジカル盤もリリースする。そのタイトル「Mélangé」(メランジェ、フランス語で「混ざり合った」の意)は、イギリス人の父と日本人の母を持つ自らのルーツや、ピアニストとシンガー・ソングライターのふたつの顔を持つことから来ているものだ。ピアニストとして、自らを世に問うアルバムの中心に据えたのはドビュッシーだった。《沈める寺》や《月の光》などの名曲が並ぶが、ロー磨秀にとってとりわけ大切なのはリサイタルでも弾かれる《アラベスク》だと言う。
「小学4年生の発表会で初めてドビュッシーの《アラベスク》を弾きました。この作品に初めて触れた時から、音楽が体に自然と入ってきたのを覚えています。それ以来ずっとドビュッシーに魅了されて、留学先を考えるときも、ドビュッシーの生きたパリ以外には考えられなかった。それくらいドビュッシーは僕にとってかけがえのない作曲家だし、《アラベスク》は自分のピアニストとしての原点となった作品です」(ロー磨秀、以下同)
大きな困難のなかパリへ
ロー磨秀のピアニストとしてのこれまでの歩みは、そのプロフィールだけを見ると順風満帆に見えるが、そこには大きな困難があった。高校生1年生で局所性ジストニアというピアニストにとって難しい病気(脳や神経の異常によって指の不随意運動が引き起こされ、思い通りに指が動かせなくなる)を発症し、それ以来ロー磨秀のピアノ人生は常に病気との戦いだった。
「高校生で最初の症状が現れてから、ずっと局所性ジストニアと向き合いながらピアノを弾いてきました。大学生になると症状が悪化して、もうピアノをやめようと思ったこともあったくらいです。そんなとき、桐朋学園に教えに来ていたジャック・ルヴィエと出会い、彼が教えるパリ国立高等音楽院への受験を決意して、これに落ちたらもう後がないと背水の陣で臨み、合格することができました。そうした経緯があったので、渡仏した時は、新しい人生を始めるような晴れやかな気持ちになったのを覚えています」
「Mélangé」ではドビュッシーのほかにカプースチンやバルトーク、メシアンといったロー磨秀のピアニストとしてのヴィルトゥオジティやパレットの豊富さを堪能できる作品が並ぶが、とりわけメシアンにはこだわりがあったという。
「メシアンにはフランス留学の終わり頃に出会いました。その神秘的な響きに衝撃を受けて、パリ音楽院の修士論文ではメシアンの音楽語法を研究したくらい夢中になりました。ドビュッシーと比べて、あまり馴染みのない作曲家かもしれないけれど、20世紀の音楽は難しいと決めつけずに、その美しさを自然に聴いてもらいたい、そう思って自分が最初に弾いたメシアンの作品をアルバムに入れています。20世紀以降のレパートリーも積極的に聴いてもらおうという姿勢はフランスで学んだことかもしれません。ドビュッシーを聴きたくてアルバムを手にとった人が、メシアンの美しさにも気づいてくれたら嬉しいです」
「Mélangé」でとりわけ目を引くのはフィジカル盤にのみ収録されるガーシュウィンの《Summertime》の弾き歌いだ。私は《Summertime》のレコーディングに立ち合ったが、自らの身を燃やしながら音楽と向き合う姿と全身から放出されるその音楽には、多くの困難を乗り越えてきた彼の人生が滲んでいるようで、強く心を揺さぶられた。
「エラ・フィッツジェラルドやフランク・シナトラのようなジャズ・ヴォーカルの音楽が大好きなんです。《Summertime》はフランス時代にシンガーとして活動し始めたときからずっと大切に歌ってきた作品なので、自分を知ってもらう意味でもアルバムの最後に置きました。普段歌うときは、何より歌を聴いて欲しいと思うけれど、今回はピアノのアルバムなので 、自分のクラシック・ピアニストとしてのアイデンティティも大切にしながら、アルバム全体との調和や、歌とピアノの対等さも意識してアレンジしました。クラシックのピアノ作品が聴きたくてアルバムを聴いてくれた人がヴォーカルの世界に興味を持ってくれたり、ヴォーカルが聴きたくてアルバムを聴いてくれた人がクラシックの世界に興味を持ってくれたり、この《Summertime》がそうした媒介になってくれたら幸せだなと思います」
クラシックとポップスのどちらの道も極めたい
クラシック・ピアニストとシンガー・ソングライターの両方でメジャー・レーベルからデビューするアーティストは稀有な存在である。誰も挑戦したことのない道に挑むロー磨秀が見据える未来は、二足の草鞋やクロスオーバーという言葉とは無縁の強い覚悟に満ちたものであった。
ピアノのレッスンの帰り道にCDショップに立ち寄って、試聴機で様々なジャンルの音楽を聴き漁っていたという小学生時代から、ロー磨秀の音楽観は形作られていった。
「僕にとっては、質の高い音楽であれば、クラシックもジャズもエレクトロもプログレッシヴ・ロックも、全てが同じように重要な存在です。僕がやりたいことは、クラシックだかポップスだかわからないような、クラシックっぽいポップスでもポップスっぽいクラシックでもありません。クラシックとポップスのどちらの道も極めたいんです。先ほどの話と重なるかもしれないけれど、自分の活動を通して、ポップスのファンがクラシックに興味を持ったり、クラシックのファンがポップスも良いなと思ったりすることが僕の理想なのかもしれません」
局所性ジストニアと向き合いながら、もし満足いく演奏ができなくなったらその時は演奏をやめるかもしれないと、「今」この瞬間に全てを注ぐロー磨秀というアーティストの生き方は、その演奏を通して聴くものにダイレクトに迫ってくる。原点となったドビュッシーや、ブラームス、シューマンからガーシュウィンまで、ロー磨秀の「今」が詰め込まれたデビュー・リサイタルは、日本のクラシック音楽シーンに強烈なインパクトを残すことになるだろう。
公演情報
ロー磨秀(ピアノ)《The Pianist》
2021年9月10日(金)19:00開演
東京・王子ホールブラームス:創作主題による変奏曲Op.21-1 ニ長調
シューマン:子供の情景 Op.15
ドビュッシー :2つのアラベスク
ホーギー・カーマイケル:The Nearness Of You feat.Debussy
ガーシュウィン:3つのプレリュード
ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー主催:日本コロムビア
問い合わせ先:Mitt Tel.03-6265-3201(平日12:00~17:00)
https://columbia.jp/artist-info/matthewlaw/■日本コロムビア エグゼクティブ・プロデューサー岡野博行氏より
高校時代から、驚異的なテクニックと類い稀な音楽センスが話題になっていたロー磨秀は、その後パリ音楽院に留学し、本格的なリサイタルを行っていませんでした。その間、シンガー・ソングライターとしての才能も発揮して、CMやドラマの音楽を担当するなど、先鋭的なクリエイターの間でも注目を集めていましたが、このたび、満を持して、アルバムをリリースし、ピアニストとして初の東京でのリサイタルを行います。
近現代作品を、ここまで音楽的に、身近なものとして表現できるロー磨秀は、まさにこれからのクラシック音楽の楽しみ方を象徴するアーティスト。是非この機会をお聴き逃しなく!
ロー磨秀/マシュー・ロー
ピアノ/シンガー・ソングライター
桐朋高等学校音楽科に特待生として入学し、ピアノ科を首席で卒業した後、桐朋学園大学音楽学部を経て渡仏。パリ国立高等音楽院のピアノ科および修士課程を、審査員満場一致の最優秀および首席で卒業。
数多くのコンクール歴を持ち、2012年には第8回ルーマニア国際音楽コンクールで第1位とグランプリ(最優秀賞)を受賞した。また、2015年第1回デュオ・ハヤシ・コンクールで第1位を獲得したほか、日本国内では、2006年第60回全日本学生音楽コンクール東京大会・全国大会第1位、2007年第3回PTNA福田靖子賞(第1位)受賞、2009年第33回PTNAピアノ・コンクール特級銅賞および聴衆賞を受賞した。
ヨーロッパ各地でリサイタルを開催しており、帰国後は東京を始め活躍の場を拡げている。
室内楽ではこれまでに、篠崎史紀、木越洋、伊藤悠貴、弓新、正戸里佳、上野星矢、吉田誠等と共演している。
ピアノを勝又浅子、今泉統子、高良芳枝、二宮裕子、ジャック・ルヴィエ、オルタンス・カルティエブレッソン、フェルナンド・ロッサーノに師事。
また、シンガー・ソングライターとしての一面を持ち、自身の作品を披露し人気を集めており、メディアへの楽曲提供なども行っている。2019年12月にPOPS配信シングル「 Want Money / Last Song 」を皮切りに連続シングルリリースを行い、新人ながらにサブスクのプレイリストに多数入る。20年6月にはPOPSアル バム『LOST2』を配信リリースし、収録曲が日テレ「バゲット」同年11月度エンディングテーマ、セキュリティソフト「ノートン」のWEB CM等に採用されるなど注目を集めている。
TBSラジオ「アフター6ジャンクション」出演や、NACK5「キラスタ」ではパーソナリティの代役を務めるなど、メディア露出でも抜群のトーク力で好評を得る。
2021年6月には、ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」(カンテレ/フジテレビ系列)の挿入歌の作詞を担ったことでも話題を得ている。
オフィシャルサイト https://columbia.jp/matthewlaw/