作品の変容を追う
神奈川県立音楽堂 シリーズ「新しい視点」
紅葉坂プロジェクト Vol.1 本公演に寄せて

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作品の変容を追う

神奈川県立音楽堂 シリーズ「新しい視点」

紅葉坂プロジェクト Vol.1 本公演に寄せて

text by 八木宏之
cover photo ©ヒダキトモコ

聴衆参加型プレゼンテーション「ワーク・イン・プログレス」

神奈川県立音楽堂が2022年にスタートしたシリーズ「新しい視点」〈紅葉坂プロジェクト〉は、作曲家や演奏家が聴衆に対してどのように音楽を発信するのか、また聴衆はいかにしてそれらの音楽と出会うのか、という双方向の可能性を広げる試みである。そのキーワードとなるのが、一旦かたちになった作品が作り手によって手を加えられ、さらに変容していく創作手法「ワーク・イン・プログレス」だ。

「新しい視点」はコンテンポラリー・ミュージックの企画ではあるが、一般的な作品公募とは一味違う。一柳慧(作曲家、ピアニスト)、沼野雄司(音楽学者)、鈴木優人(指揮者、鍵盤楽器奏者、作曲家)の3人の企画委員によって審査され、選ばれたプロジェクトは、選考時点では完成した作品ではない。それら「未完成」の作品を、アーティスト(応募者)たちは企画委員と一般聴衆にプレゼンテーションし、寄せられたコメントや質問を踏まえてブラッシュアップしたうえで、完成版を本公演で披露する。その「ワーク・イン・プログレス」のプロセスにこそ「新しい視点」の核心があるのだ。FREUDEは2022年2月27日に神奈川県立音楽堂で行われた聴衆参加型プレゼンテーションを取材したので、その模様をここでリポートしよう。

この日、神奈川県立音楽堂には100人以上のモニター観客が集まり、「ワーク・イン・プログレス」に参加した。企画委員3名のうち委員長の一柳は体調不良のため惜しくも欠席となったが、沼野、鈴木の両企画委員は聴衆とともに、アーティストたちのプレゼンテーションに耳を傾けた。

沼野雄司企画委員 ©ヒダキトモコ
鈴木優人企画委員 ©ヒダキトモコ

音がそこにあった証明

1組目の発表は作曲家、パフォーマーのささきしおりによる「描線の音楽会〜ユポドラムによるドローイング サウンド パフォーマンス〜」。バスドラムにユポ紙と呼ばれる水に強い素材を貼り付け、絵具をつけたスポンジやブラシで擦ることで音が鳴り、同時にユポ紙には線が描かれていくというパフォーミング・アートである。ステージ上に置かれたユポドラムを今村俊博、小栗舞花、西木史未の3名が「演奏」し、それによって発生する線描がスクリーンに映し出される(音響は磯部英彬)。このパフォーマンスのほかにも、ロビーでユポドラム体験が行われ、開演前には沼野、鈴木両企画委員が、終演後には希望するモニター観客がそれぞれささきの作品を体験する場も設けられた。

この作品のコンセプトは、生まれた瞬間に消えていく音と、定着してかたちが残る線描というふたつの相反するものを共存させるところにある。「視覚、聴覚だけでなく、実際に体験することで触覚まで動員する多層的な作品」(沼野)であるユポドラムは、ささきが作曲のスケッチとして線を描いていたことを出発点に、ペンとスケッチブックによる即興作品を経て、現在の形態に至ったという。音が線になって定着し、本来ならば目にすることのできない「音がそこにあった証明」を見ることができるというところがささきにとってなにより重要なのだ。音を視覚化する行為であるユポドラムの演奏だが、会場からは音楽としての時間の流れについても質問があがった。ささきはユポドラムに決まった時間の構成はなく、音が線になって定着することにこそ目的があると答えたが、この問いが7月の本公演に向けて作品にどのように投影されるのだろうか。コンセプトが綿密に練り上げられ、すでに強い説得力を持っているこの作品のさらなる深化と発展を楽しみに待ちたい。

ユポドラムのパフォーマンス ©ヒダキトモコ

電子音響との新たな出会い

発表2組目は作曲家、電子音響デザイナーの佐原洸とヴァイオリニストの河村絢音による「kasane かさね 〜呼応する弦楽器と電子音響〜」である。パリ国立高等音楽院やIRCAM(フランス国立音響音楽研究所、ピエール・ブーレーズのもと1977年に設立)で電子音響を用いた作曲を学んだ佐原は、帰国後自らの活動の場として「spac-e」を立ち上げ、自作だけでなく、世界各国の作曲家たちによる優れた電子音響作品を演奏し、その魅力を紹介している。河村もパリ国立高等音楽院と東京藝術大学で電子音響とヴァイオリンのための作品とその演奏法を研究している。この日の発表ではステージに佐原が立ち、河村はパリからオンラインで参加した。この企画の目的は「電子音響作品とはなにか」「電子音響デザイナーの役割とはなにか」という問いを明らかにすることにある。電子音響とアコースティックの融合である「Musique mixte」(ミュジーク・ミクスト)、ライブ・エレクトロニクスについてはまだまだ知られていないことも多く、電子音響デザイナーが演奏中にパソコンの前でなにをしているのか答えられる人はそう多くないだろう。

7月の本公演では、ホールでフィリップ・マヌリやルイス・ナオンの電子音響作品を演奏するだけでなく、ロビーに電子音響の体験コーナーを設置して、聴衆の電子音響作品に対する理解を深める試みも行うとのこと。沼野企画委員も「予想通りのハイレベルな内容」と太鼓判を押し、鈴木企画委員も「クラシック音楽のファンにライブ・エレクトロニクスの魅了を伝える貴重な機会となる」とその意義を認める「kasane かさね」だが、もう一押し「新しい視点」にふさわしいアイデアが欲しいとの声もあがり、沼野企画委員から当初のプログラムにはなかった佐原自身の新作初演のリクエストも出た。電子音響作品に馴染みのない人がその魅力に気づけるような作品が披露されるのだろうか。新たな出会いに期待が高まる。

「kasane かさね」のプレゼンテーション ©ヒダキトモコ

予定調和とは無縁の刺激的なカオス

最後の発表は、ヴァイオリニストの滝千春とピアニストの中野翔太による「音+音〜“響き”を通して知る音楽の根源 そして新たな“響き”の探求」。すでに演奏家として豊富な実績を誇るふたりの企画だが、今回そこに作曲家の梅本佑利がジョイントして、3人でのプレゼンテーションとなった。当初はこのプロジェクトのための新作委嘱を受けた梅本だが、単に作品を提供するだけでなく、3人でプロジェクト全体の再構築を行った。テーマとなるのは「空間」と「響き」。ヴェネツィアのサン・マルコ寺院など歴史上の重要な空間と、そこで生み出されてきた響きをマルチ・チャンネル・スピーカーで追体験し、音楽史における空間と響きの発展を辿ることがコンセプトである。

プレゼンテーションではヴェネツィア楽派の作曲家、ジョヴァンニ・ガブリエリの《ピアノとフォルテのソナタ》がヴァイオリンとピアノで演奏された(梅本による編曲)。これはアコースティックの演奏だが、本番ではマルチ・チャンネルによってサン・マルコ寺院の音響が再現されるとのこと。プレゼンテーションではあえてアコースティック・バージョンを聴かせることで本番への期待を高める趣向である。本公演では、聴衆がVRヘッドセットをつけて体験する、仮想空間での新しい音響を追求した梅本の新作が発表される。また梅本がコラボーレーションを重ねる作曲家山根明季子による、ゲームセンターの空間と響きをテーマにした作品も初演される予定だ。

企画原案にあった中野によるローズ・ピアノ(ヴィブラートがかけられる電子ピアノの1種)を用いたドビュッシーの《月の光》の演奏は、この作品のインスピレーションの源泉となったヴェルレーヌの詩の一節「マスクとベルガマスク」と現代の仮面とも言えるVRヘッドセットをかけて、梅本作品のあとに置かれる。2002年生まれの若き作曲家の発想はとにかくユニークだ。滝と中野のアイデアに梅本の刺激的なスパイスが加わって、プロジェクトは結果が予測できない、予定調和とは無縁のこれぞ「ワーク・イン・プログレス」というべきカオスとなった。梅本のエネルギーに圧倒されながらも、企画の全体像を掴もうと、聴衆からはその構成についての質問が飛んだ。梅本によれば、このプロジェクトには一遍の映画のようなストーリーがあるのだという。どんな物語かはまだはっきりとは見えないが、それが「新しい視点」を与えてくれるものになることは間違いないだろう。

ここまで、2月27日に行われた聴衆参加型プレゼンテーション「ワーク・イン・プログレス」の模様をお伝えしてきた。プレゼンテーションには参加できなかった方も、若きクリエイターたちの未完成の作品がどのように7月2日の本公演を迎えるのか、ぜひ自らの眼と耳で確かめていただきたい。

「音+音」の発表で梅本佑利編曲のガブリエリ作品を演奏する滝千春と中野翔太 ©ヒダキトモコ

公演情報

神奈川県立音楽堂 シリーズ「新しい視点」
紅葉坂プロジェクト Vol.1

2022年7月2日(土)15:00開演(14:00開場)

全席自由:2,500円
シルバー割引(65歳以上):2,000円
U24(24歳以下):1,250円
高校生以下:無料
チケット一般発売:2022年4月24日(日)
チケットかながわ:0570-015-415(10:00~18:00)

公演詳細はこちら(モニター観客のコメントも読むことができる):https://www.kanagawa-ongakudo.com/d/momijizakaproject

お問い合わせ:神奈川県立音楽堂(指定管理者:公益財団法人神奈川芸術文化財団) 045-263-2567(9:00-17:00 月曜休館)

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