世界最高峰の音楽塾 クロンベルク・アカデミーを知る
Vol.1 創設者の夢

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世界最高峰の音楽塾 クロンベルク・アカデミーを知る

Vol.1 創設者の夢

text by 本田裕暉

今を去ること30年前、1993年にドイツ・フランクフルト近郊の街クロンベルクにて、じつにユニークな音楽教育機関が誕生した。クロンベルク・アカデミーである。パブロ・カザルスの没後20年にあたるこの年に、自身もチェリストであったライムント・トレンクラーが、カザルスの妻、マルタ・カザルス・イストミンとムスティスラフ・ロストロポーヴィチとともに創設したクロンベルク・アカデミーは、既に国際的に活躍している若手アーティストを対象に教育活動を展開している、世界でも類を見ない珍しい教育機関である。これまでにロストロポーヴィチをはじめ、ギドン・クレーメルやアンドラーシュ・シフ、クリストフ・エッシェンバッハといった錚々たる音楽家たちが教鞭をとってきた。卒業生の一覧には、パブロ・フェランデスやヴィルデ・フラング、アリーナ・イブラギモヴァら、まさに世界の第一線で活躍しているアーティストたちが名を連ねており、また、そこには宮田大、毛利文香、大江馨といった日本が誇る若き名手たちも含まれている。

そんなクロンベルク・アカデミーはどういったきっかけで生まれたのか。そこではどのようなレッスンが行われているのか。クロンベルク・アカデミーの教育活動のスピリットとは――。その実像に迫るべく、まずは創設者のトレンクラーに話を聞いた。

アカデミー創設の夢

まず気になるのは、この個性的な教育機関がどのようにして生まれたのか、という点だ。トレンクラーがクロンベルク・アカデミーを創設した背景には、ある問題意識があったという。

「創設のきっかけというのは、つまるところ私自身の経験によるものです。私自身が教育を受けるなかで色々と感じてきたことがきっかけになっています。常々考えていたのは“才能のある若いアーティストのための教育の場”がないということ。そこに足りないものがあると、ずっと感じていたのです。一般的な音楽大学は、やはりどうしても“平均値”にあわせた教育を行わざるを得ません。一人ひとりのニーズにあわせて細かい指導をしていくことは、音楽大学においては極めて困難ですし、それはそもそも音楽大学に求められていることではないのかもしれません。ですが100人、200人といる学生のなかには、やはり個人差があるのです。例えば、新たに入学した音大生が100人いるとしましょう。そのうちの99人は、初めて受けるオーディションに向けて必死になって練習している。その一方で残りの1人は、もう既に数多くの舞台を踏んでいるアーティストである、ということがしばしば起こります。私はこのことが大変気になっていました。才能があり、アーティストとして演奏経験もあるのだけれども、なおも“学びたい”と思っている人たちに何かできないか、ということを考えていました。私にとって、そういう人たちのための教育機関を作るのが夢だったわけです」(ライムント・トレンクラー、以下同)

これに加えてもうひとつ、彼を勇気づけた「成功体験」があった。

「それは、私がクラシック音楽が持つ“人と人とをつなぐ力”に目覚めたエピソードです。30年以上も前の話ですが、当時私は、若くて意欲溢れるチェリストたちのグループ、チェリッシモ・アンサンブルのメンバーでした。ツアーのあと、ソウルからフランクフルトに飛行機で戻らなくてはならない、というときに問題が発生しました。エコノミーもビジネスも満席だったのです。でも、その便に乗らないと、それぞれのソリストとしてのスケジュールに支障が出てしまいます。絶対にこの飛行機に乗らなくてはなりません。
私たちは色々と考えた末に、機長に直接話をさせてくれと頼みました。そして、その便の機長に“取引をしましょう”と言って提案したのです。私たちをチェロともどもこの飛行機に乗せてくれたならば、最高のコンサートをあなたのために開催します、と。“最高”というところがポイントです。それで取引に成功しまして、めでたく乗れたのです。エコノミーもビジネスも満席だったので、なんとファーストクラスに乗せていただきました。我々は若い音楽家でしたから、ファーストクラスに乗るのは特別な体験でした。そして私たちは“最高度”のコンサートをクルー、そして乗客の皆さんのために提供したのでした(笑)。
このときに音楽の持つ力を実感し、音楽によって皆が一致団結する共同体験をしたことがアカデミー創設の出発点になりました。“一緒にできることってあるんだ!”ということが身に染みて感じられた出来事だったのです。その後、チェロ仲間の同窓会のような集まりから始まって、ついに1993年、10月22日のパブロ・カザルス没後20年をきっかけとして、クロンベルク・アカデミーが誕生しました」

クロンベルクでしか出会えない講師陣

かくして創設されたクロンベルク・アカデミーは、トレンクラーの問題意識を反映したじつにユニークな教育機関となった。世界の演奏会シーンで活躍している若き才能を、現代のトップ・アーティストが指導する。さらに、学生たちは特別なマスタークラスを通して、自身の演奏する楽器とは異なる分野の先達からも新たな気づきを得ることができる。

「この音楽アカデミーの最大の特徴は、一人ひとりの個性にあわせたレッスンが行われている、ということです。ここに集まる多くの若い音楽家は、既に国際的に活躍しているような人たちなのです。ですから、それぞれにあわせて、例えば演奏活動と両立できるようなかたちで授業を受けることができます。そして、これもまた私たちのアカデミーの特徴だと思いますが、ここで教えているアーティストにはよその大学で教えていない人が多いのです。例えばヴァイオリニストのクリスティアン・テツラフは、自身も演奏活動を行いながらクロンベルクで指導に当たっているわけですが、他の学校では教えていません。彼らは“自分自身が自らのなかで育んできた音楽的遺産を次の世代に伝えたい”という想いを持って、ここで教えているのです。
また、毎月のように特別マスタークラスが開催されており、こちらではその都度講師を招いてレッスンを行っています。例えば、指揮者をマスタークラスの講師として招くことで、若きアーティストたちに指揮者の視点から学んでもらうこともあります。
加えて、私自身がとりわけ大切だと考えているのは、単に才能を伸ばすだけでなく、それぞれの個性や人間性も重視するという点です。これはまさしく、カザルスの価値観に基づいて私たちが大切にしていることです。また、ここで学ぶ若い人たちには、音楽家として音楽に対してのみ責任感を持つのではなく、人として、世界全体に対する責任感を持つことを身につけてほしいと思っています。そうした責任感を自分のなかに取り込み、内面化して、それをまたさらに伝えていくような、そんなアーティストになってほしいのです」

クロンベルク・アカデミーで指導にあたるギドン・クレーメル
©Andreas Malkmus/Kronberg Academy

カザルス・フォーラム

さらに、「学ぶ場」と「演奏する場」が密に組み合わせられていることもアカデミーの重要な特徴のひとつだという。2022年9月、まさにその理念を反映したかのようなキャンパスが完成した。約600人収容の室内楽ホールとレッスン室、業務棟が一体化した「カザルス・フォーラム(Casals Forum)」である。

「クロンベルク・アカデミー創設当初から考えていたことは、とにかく場所をつくる、ということでした。学生が音楽を学ぶために必要なすべてが整っているキャンパスをつくることができた、というのは私たちにとってとりわけ大きな出来事でした。時間はかかりましたが、大変な困難を乗り越えてついに実現することができました。
クロンベルク・アカデミーはドイツで、いやヨーロッパで唯一、私立でありながら音楽大学レベルの教育を行っている非営利の音楽専門教育機関です。ドイツでは高等教育は無償でして、教育は国の責任で行われるものなので大学でも授業料は一切かからないのですが、その点私たちは私立の教育機関ですから、当然資金が必要になります。我々のアカデミーは、様々なスポンサーシップや民間の団体からの支援を受けて成り立っているのです。音楽という素晴らしい芸術様式、音楽という言語を広めたい、それに尽くしたいという価値観を同じくする個人や団体、組織の支援を得て、私たちは活動できています。いまではその支援の輪がニューヨーク、ロンドン、チューリッヒ、そして大阪と、国際的な広がりを見せているのです。
ちなみに、今回新しく完成したホールは、ヨーロッパで最も音響のよい室内楽ホールを目指してつくられました。実際、演奏家の反応も、お客様の反応も、私たちの期待を上回るものとなっています。また、この先数年かけてさらに建物を増築し、もう少し小さいホールや学生寮もつくる予定になっています。これは、私たちがこの先を、アカデミーの将来を見据えているためです」

カザルス・フォーラムの外観 ©Patricia Truchsess

講師と学生が互いに学び合う場

ニューヨーク、ベルリン、ロンドン、パリでの公演やクロンベルク・アカデミー・フェスティヴァルなど、学内外で演奏会を積極的に開催している点も、クロンベルク・アカデミーの特徴のひとつである。ここには、アカデミーの「演奏を通した学び」を重視する姿勢が顕著にあらわれている。

「私たちは若いアーティストの皆さんが演奏を通じて成長していくことを強く願っているのです。そして、演奏機会が多ければ多いほど、それはお互いに学び合う機会がたくさんあるということでもあります。私たちが演奏会において重要視しているコンセプトのひとつは、世代を超えて、幅広い年代のアーティストたちがともに演奏することです。著名なソリストとして知られている講師が、若い学生と一緒に舞台に上がって、室内楽作品を演奏する。そういった機会を通じてお互いに学び合う。このようなかたちで室内楽を学んでほしいと考えているのです」

今年6月には、新型コロナ・ウイルスの影響で延期となっていた日本ツアーが3年越しに実現するが、このツアーもまさに今井信子やミハエラ・マルティン、フランス・ヘルメルソンといったヴェテラン講師陣と、宮田や毛利、大江たち卒業生、そして現在アカデミーで学ぶ在校生たちが「互いに学び合う場」となることだろう。

「本当に大きな喜びと幸福感をもって、6月に行われる日本での演奏会を心待ちにしております。ひとつには、日本は本当にクラシック音楽に対して皆さんが敬意をもって、大切に思ってくださっている国だからです。そしてもうひとつは、私たちが長年培ってきた多くの素晴らしい方々――サントリーホールの館長でいらっしゃる堤剛さんや今井信子さん――との繋がり、個人的結びつき、友情があるからです。日本において私たちを長年サポートしてくださっている(一財)小野文化財団の小野ひとみさん――小野さんには日本におけるクロンベルク・アカデミーの大使もお願いしています――の助けなくしては、日本での公演は実現しなかったと思いますので、この場をお借りして彼女にも深く感謝申し上げたいと思います。そして、クロンベルク・アカデミー出身の素晴らしい若手日本人アーティストの皆さんも一緒に演奏するということで、非常にわくわくしていますし、今から大変楽しみです」

ライムント・トレンクラー カザルス・フォーラムにて

最後に、この先クロンベルク・アカデミーをどのように発展させていきたいと考えているのか、そのヴィジョンについて尋ねてみた。

「私は1993年に自分が見た夢を、さらに見続けたいと思っています。私たちは“ともに”ということを何よりも重要視しています。私たちがともにある、ともに進んでいく、という理念が他の方々にとってもお手本になるような、そんな存在になりたいと思っていますし、そういったことに貢献できるクロンベルク・アカデミーでありたいと思っています。私たちの活動によって、この世界が少しでもよくなることが私の願いであり、将来に向けたヴィジョンなのです」

Vol.2へつづく

クロンベルク・アカデミー日本ツアー 2023

2023年6月13日(火)19:00開演(18:30開場)
ワキタ コルディアホール

ミハエラ・マルティン(ヴァイオリン)
大江馨(ヴァイオリン)
毛利文香(ヴァイオリン)
今井信子(ヴィオラ)
ハヤン・パク(ヴィオラ)
サラ・フェランデス(ヴィオラ)
フランス・ヘルメルソン(チェロ)
アレクサンダー・ヴァレンベルク(チェロ)
ユリアス・アザル(ピアノ)

モーツァルト:ピアノ四重奏曲第2番 変ホ長調 K.493(大江、今井、ヴァレンベルク、アザル)
メンデルスゾーン:弦楽五重奏曲第2番 変ロ長調 Op.87(マルティン、毛利、今井、フェランデス、ヴァレンベルク)
ブラームス:弦楽六重奏曲第2番 ト長調 Op.36(毛利、大江、パク、フェランデス、ヘルメルソン、ヴァレンベルク)

公演詳細:https://www.amati-tokyo.com/performance/2304042204.php

2023年6月15日(木)19:00開演(18:30開場)
サントリーホール ブルーローズ(サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2023)

ミハエラ・マルティン(ヴァイオリン)
大江馨(ヴァイオリン)
毛利文香(ヴァイオリン)
ハヤン・パク(ヴィオラ)
サラ・フェランデス(ヴィオラ)
フランス・ヘルメルソン(チェロ)
宮田大(チェロ)
アレクサンダー・ヴァレンベルク(チェロ)
ユリアス・アザル(ピアノ)

ドホナーニ:セレナード ハ長調 Op.10(毛利、フェランデス、ヴァレンベルク)
シェーンベルク:《浄められた夜》 Op.4(マルティン、大江、パク、フェランデス、ヘルメルソン、宮田)
ドヴォルジャーク:ピアノ五重奏曲第2番 イ長調 Op.81(大江、毛利、パク、宮田、アザル)

公演詳細:https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20230615_S_3.html

2023年6月17日(土)19:00開演(18:30開場)
サントリーホール ブルーローズ(サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2023)

ミハエラ・マルティン(ヴァイオリン)
大江馨(ヴァイオリン)
毛利文香(ヴァイオリン)
今井信子(ヴィオラ)
ハヤン・パク(ヴィオラ)
サラ・フェランデス(ヴィオラ)
フランス・ヘルメルソン(チェロ)
アレクサンダー・ヴァレンベルク(チェロ)
ユリアス・アザル(ピアノ)

モーツァルト:ピアノ四重奏曲第2番 変ホ長調 K.493(大江、今井、ヴァレンベルク、アザル)
メンデルスゾーン:弦楽五重奏曲第2番 変ロ長調 Op.87(マルティン、毛利、今井、フェランデス、ヴァレンベルク)
ブラームス:弦楽六重奏曲第2番 ト長調 Op.36(毛利、大江、パク、フェランデス、ヘルメルソン、ヴァレンベルク)

公演詳細:https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20230617_S_3.html

クロンベルク・アカデミーWebページ:https://www.kronbergacademy.de

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