芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド(GOA)「キャリアアップゼミ」&「ショーケース」レポート
音楽家としてどう生きるかを問い続ける
text by 八木宏之
東京芸術劇場が2014年から開講している「芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド(以下、GOA/旧称:芸劇ウインド・オーケストラ・アカデミー)」は、音楽大学を卒業した若手の管楽器奏者を対象に、ソロ、アンサンブル、オーケストラ・スタディといった実技から、演奏会の会計業務やプログラムノートの執筆に至るまで、音楽家として独り立ちするのに必要な学びを、3年間のカリキュラムとして提供している。アカデミー生は単に演奏技術を磨くだけでなく、音楽家として生きていくことの意味を3年にわたって自らに問いかけ続け、社会の荒波へと飛び立っていく。GOAのアドヴァイザーを務める福川伸陽がアカデミーのパンフレットに寄せた「われわれはアカデミーを通じて“波に流されない芯”と“波を自分で作る発想力”をもつ音楽家を育てることを目的としています」というメッセージには、GOAの理念が凝縮されている。
そうしたアカデミーの教育を象徴するプログラムが、「キャリアアップゼミ」と「ショーケース」である。「キャリアアップゼミ」は、さまざまな領域で活躍する専門家に話を聞き、多様なキャリアの築き方を学ぶ講座である。原則としてアカデミー生の全員が出席し、講座の最後にはたっぷりと質疑応答の時間が設けられる。「ショーケース」は、GOAの修了後に本格的な演奏活動をスタートするにあたり、自分の名刺代わりとなる30分の企画を準備し、それをアカデミー生や講師だけでなく、招待された音楽関係者にも披露して自らの売り込みを行う、アカデミーでの集大成といえるプログラムだ。「ショーケース」の1ヶ月前には「ランスルー」も実施され、準備した企画をアカデミー生と講師、東京芸術劇場スタッフに見てもらい、意見を出し合ったうえで、内容のブラッシュアップを行う。今回は2種の異なる「キャリアアップゼミ」と「ランスルー」の様子を取材したので、その模様を詳しくレポートする。
子供たちの感受性と向き合う
2025年10月2日の「キャリアアップゼミ」は、玉川上水の「ロバハウス」で開講された。「キャリアアップゼミ」では、ときに東京芸術劇場の外へと足を運ぶこともある。この日の講師は、「ロバハウス」を拠点に全国の子供たちに音楽を届ける「ロバの音楽座」のメンバーである。「ロバの音楽座」は、1982年に中世・ルネサンス古楽器奏者の松本雅隆によって創設されたアンサンブルで、中世、ルネサンスの古楽器から「空想楽器」と呼ばれるオリジナルの楽器まで、さまざまな楽器を用いて、独創的な音楽体験を探求している。松本は1973年から「カテリーナ古楽合奏団」を主宰しているが、そこで出会った子供たちに刺激を受け、彼らの音楽体験の原点となるようなパフォーマンスを目指して「ロバの音楽座」を立ち上げた。松本はこれらの活動を生業にすると心に決め、少しずつ仲間を増やしながら40年以上にわたって「ロバの音楽座」を発展させ続けてきた。1992年には「ロバハウス」が完成し、絵本のなかに迷い込んだようなユニークな空間には、詩人の谷川俊太郎をはじめとする多くの芸術家が集った。


この日の講座では、前半に「ロバの音楽座」によるパフォーマンスが披露され、彼らが普段、子供たちに提供しているプログラムを実際に体験したあと、1時間の質疑応答が行われた。「ロバの音楽座」のステージは、長い静寂のなか、季節の音に耳を傾けることから始まる。「耳をすます」ことは、松本たちがずっと大切にしてきたキーワードである。「ロバの音楽座」の音楽をなにより特徴づけるのは、新聞紙やペットボトルなど身の回りにあるものを用いて作られる「空想楽器」で、そこにブリューゲルの絵画に描かれているような歌と踊りが織り交ぜられる。バグパイプ、足踏みオルガン、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバといった古楽器や民俗楽器も次々と登場して、中世にいるのか、ルネサンスにいるのか、はたまたフランドルにいるのかスコットランドにいるのか、鑑賞者は不思議な時間旅行へと誘われる。歌われるのは、もちろん小さな子供でも楽しめる言葉遊びに満ちた歌で、鑑賞には歴史や地理の知識は必要ない。子供と大人がそれぞれの視点でパフォーマンスに入り込める多層的なステージに、私は取材であることを忘れて思わず見入ってしまった。

長い年月をかけて培われてきた「ロバの音楽座」の世界観にアカデミー生たちも心を動かされたのか、質疑応答では次々と質問が飛んだ。アカデミー生たちも、アウトリーチなどで子供たちと接する機会は多く、どうしたら子供たちを飽きさせないステージを作れるのか、悩むことが多いという。松本は「子供の集中力には限界があるという考えには疑問を持っています。最初は泣いている幼児も、間がわかると次第にステージに集中するようになるし、子供であっても“なんだか懐かしい”という感情を理解することもできる。だから、子供相手にはこうしなきゃいけないという風に思うことはないのです」と応じていた。最古参のメンバーである弦楽器奏者の上野哲生も「時代が移り変わっても、子供の感受性は普遍的なもので、子供たちに自分にも音楽を奏でられそうだと感じてもらうことが大切です。新聞紙を使った合奏は40年前からずっと続けていて、演奏が終わったあと、子供たちは新聞で夢中になって音を奏でます」と語ってくれた。「ロバの音楽座」の講座は、アカデミー生が今後子供たちの前に立つときに大きな助けとなるだろう。

セルフマネジメントの達人
11月18日の「キャリアアップゼミ」の講師には、日本フィルハーモニー交響楽団客演首席ヴィオラ奏者の安達真理が招かれた。講座のタイトルは「セルフマネジメントについて」。オーケストラだけでなく、ソロや室内楽でも幅広く活躍する安達が、桐朋学園大学を卒業後、オーストリア、スイスへと留学し、ヨーロッパそして日本へと活動の場を広げていくなかで得た知見を、10のアドバイスにまとめて講演した。その内容は、挨拶をはじめとする基本的なコミュニケーション、SNSとの向き合い方や情報発信の重要性、仕事の選択から、結婚、出産といったライフステージの変化のなかでの目標の立て方まで多岐に渡り、話の一つひとつが安達の経験に基づく説得力あるものだった。

安達は演奏家からもファンからも尊敬を集める名手であり、次の時代のヴィオラ界を引っ張っていくニューリーダーのひとりだが、音楽事務所に所属することなく、自らの努力と工夫によって飛躍を遂げてきた「セルフマネジメントの達人」でもある。私を含め、講座に参加した皆が、安達はヴィオラ奏者として一歩一歩着実にステップアップしてきたと思い込んでいたが、実際にはヴィオラを置き、セラピストになろうと模索した時期もあったという。このエピソードは予想外でとても驚かされたが、安達の話を聞いていると、セラピストとして人の心に安らぎをもたらしたいという思いが、今の彼女の音楽活動の核となっていることに気づき、安達の演奏が持つ説得力の源泉を理解することができた。日本の伝統と美意識を独自のスタイルで音楽化している作曲家、平野一郎との協働は、そうした安達の哲学を象徴する仕事のひとつだろう。紆余曲折や迷い、悩みが人生を豊かにし、それが演奏表現のパレットを充実させることは、パリ管弦楽団のメンバーによるマスタークラスでも指摘されていた。こうした心の豊かさは、GOAがアカデミー生たちにもっとも期待している学びでもあるだろう。
質疑応答では、自主企画の練り方から、仕事に呼ばれたときの心得、留学に適したタイミングや演奏活動と家庭のバランスなど、アカデミー生たちが直面するさまざまな悩みに、安達が一つひとつ丁寧に答えていった。安達の講演で一貫していたのは、誠実に目の前の仕事と向き合っていれば、自然と人との良縁が生まれ、それが自らを新しいステップへと導いてくれるという考えだった。基本的に誰もが広義のフリーランスである音楽家は、絶えず不安を抱えているものだが、自分らしさを失わずに音楽の道を極める先輩の話に、アカデミー生たちは大いに勇気づけられたに違いない。

演奏家としての生き様を30分に凝縮して
12月9日には、2026年1月の「ショーケース」へ向けた「ランスルー」を取材する機会も得た。前述のように、GOAの「ショーケース」は、アカデミーでの学びの集大成であるだけでなく、自分の名刺代わりとなる企画を音楽関係者に披露して、自らをアピールする売り込みの場でもある。「ショーケース」はエントリー制で、GOAの修了に必須ではないが、この春にアカデミーを巣立つ10期生は全員が「ショーケース」にチャレンジする。「ショーケース」の内容については、アカデミー生が提出する企画書を福川とGOAの事務局スタッフがチェックし、アドバイスを行うこともあるという。こうしたやりとりも、今後ホールを借りて公演を主催する際に役立つだろう。
「ショーケース」は、コンクールや音楽大学の卒業試験でしばしば見かけるリサイタル課題とは似て非なるものだ。こうしたリサイタル課題は、プログラムの構成力やテクニック、表現力をアピールすることが主たる目的となっているが、GOAの「ショーケース」では、MCも持ち時間に含まれ、音楽と言葉の両面で客席とコミュニケーションを取らなければならない。「ショーケース」はいわば演奏家としての生き様を30分に凝縮したものであり、選曲だけでなく、MCの長さやタイミングから間の取り方まで入念な準備が求められる。
この日の「ランスルー」に登場したのはファゴットの加地佑唯とホルンの古川優貴の2名。加地はギャロンの《レシとアレグロ》、シューマンの《ミルテの花》より〈献呈〉、ジョリヴェのファゴット協奏曲の3曲でプログラムを構成した。テーマは「Fagottopia」。ピアノは大堀晴津子が担当した。ファゴットに興味を持つきっかけとなったジョリヴェ、恩師のアルバムに収録されていたギャロン、そしてアカデミーで思い悩んだときに支えてくれた人々に捧げるシューマン。MCで語られる言葉の一つひとつと演奏が自然に調和し、加地のこれまでの道のりや等身大の真面目な人柄、そしてファゴットへの深い愛情が浮かび上がるプログラムは、彼女の理想郷「Fagottopia」を、強い説得力を持って示していた。

古川は、ピアノの大堀とヴァイオリンの小山梨花を共演者に迎え、ブラームスの大作、ホルン三重奏曲に初めて挑む。テーマの「ホルンを抱えて」からも窺えるように、これからプロのホルニストとして歩み始める、その第一歩として、ブラームスのトリオを選択した。古川が満を持して取り組んだブラームスは、ホルン、ヴァイオリン、ピアノという個性の異なる楽器によるアンサンブルゆえに、繊細なバランス感覚が必要となる難曲だが、古川は作品への強い共感をもってそれを見事に吹ききってみせた。古川の真摯な内省がブラームスの音楽に深みと広がりをもたらし、彼がどんな人物なのか、音楽によって語られたことは、「ショーケース」の趣旨ともしっかりと合致する。

自らの過去を総括するような加地のプログラムも、新しい船出を宣言するような古川のプログラムも、聴き手の心を強く揺さぶるもので、アカデミー生や東京芸術劇場スタッフのコメントは好意的なものがほとんどだった。一方で、限られたMCの時間にパーソナルなエピソードと聴き手が必要とする作品の情報をどれくらいの割合で織り交ぜるべきなのか、またトークをどの程度フォーマルなものにすべきなのかなど、さまざまな意見も寄せられた。そうしたコメントを踏まえて、加地も古川も「ショーケース」の仕上げを行うことになる。

「キャリアアップゼミ」や「ランスルー」「ショーケース」といったGOAのカリキュラムに通底するのは、「音楽家としてどう生きるか」という問いである。音楽大学で演奏技術の向上に取り組んできた若者が、GOAでさらに学び続ける意義は、この問いに対する自分なりの答えを見つけることにある。GOAで自ら考える力を培った音楽家たちは、急速に変貌を遂げる社会にも柔軟に対応し、その音楽でコミュニティに新しい波をもたらすだろう。そんな期待を抱かせる、「キャリアアップゼミ」と「ランスルー」の取材であった。
公演情報
芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド(GOA)
第1回 ライジングスターズ・コンサート
2026年1月16日(金)14:00
東京芸術劇場 コンサートホール公演詳細:https://www.geigeki.jp/performance/concert325/
芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド(GOA)webサイト:https://www.geigeki.jp/special/goa/
