マーラー《復活》歌ってみた
オンライン合唱練習体験記
text by 原典子
cover photo ©Taira Tairadate
坂入健司郎が音楽監督を務める東京ユヴェントス・フィルハーモニーが、コロナ禍による休止期間を経て活動再開記念演奏会を開催したのは2022年1月15日のこと(公演についての坂入のインタビューはこちら)。オーケストラは延期となっていた定期演奏会を前年7月に開催していたが、専属の合唱団である東京ユヴェントス・フィルハーモニー合唱団にとっては2020年1月以来、2年ぶりのステージとなった。
歌った作品はマーラーの交響曲第2番《復活》。アマチュア合唱団であるユヴェントス・フィル合唱団は、2021年8月からメンバーの募集をはじめ、9月からオンラインで練習を重ねてきた。じつは今回、この合唱団に私も参加させてもらったので、遅ればせながらその体験レポートをまとめておきたい。コロナ禍により日本中の合唱団の活動が大きく制限されている現在、オンラインを活用した試みと、その可能性をお伝えできたらと思う。
いつでも好きなときにアーカイヴで練習できる
はじめに断っておくと、私の合唱経験はといえば中学・高校時代のみ。熱血合唱部で燃え尽きてしまったのか、卒業以来、歌うこととはまったく無縁に生きてきた。だが、ユヴェントス・フィル合唱団のメンバー募集を見たとき、なにかが心の中で動いた。そういえば混声合唱で歌ったことってなかったな(女子校だったので)。コロナ禍の今だからこそ、マーラーの《復活》を歌うことに意味があるのでは。オンライン練習なら子育て中の私でも参加できそう。ということで、思いきって参加してみることに。なにより心と身体が「生身の体験」を求めていたというのが大きい。
ここで合唱団の活動スタートから本番までの流れを振り返ってみよう。はじめに、参加者はひとりずつ歌唱を録音して提出することが求められる。坂入の指揮と伴奏が収録されたガイド映像を見ながら《復活》の一部を歌い、その音源を送るのだが、これはあくまでパート分けのために使われるとのこと。自分の歌声を聴き直すと「こんなんで大丈夫なのか?」と不安が込み上げてくるが、もう後戻りはできない。
練習に先立って、オンライン決起会が開催された。80名近いメンバーがZoomで集い、顔合わせをする。ユヴェントス・フィルは2015年にも《復活》を演奏しており、そのときも参加していたベテラン勢も多かったが、ほかにも、遠方に住んでいる人、子育て中で外出が難しい人、所属している合唱団が休止中だから参加したという人など、年齢層も幅広く、オンラインだからこその多彩なメンバーが集まっていた。
そして、いよいよ9月末からオンラインでの練習がはじまった。ユヴェントス設立当初から合唱指導にあたってきた谷本喜基、柳嶋耕太、佐藤拓の3氏が、それぞれ3回ずつ指導にあたり、計9回の練習が行なわれる。基本的には毎週末に2時間程度の練習となるが、その日時に参加できなかった人は後でアーカイヴ視聴できる。参加した人も、いつでもアーカイヴを見て復習できるのがオンラインのいちばんのメリットだろう。合間には、坂入をはじめ指導陣全員が揃ってトークをする回や、ユヴェントス・フィルのオーケストラ練習を生中継する回なども挟まれた。
オンライン練習がすべて終わった後は、対面でのリハーサル。合唱のみのリハーサルが1回、本番の舞台であるミューザ川崎シンフォニーホールを使ったオーケストラとのリハーサルが2回、あとは本番当日のリハーサルがあるのみだ。つまり、合唱団のメンバーがリアルに集まって声を合わせる機会は、本番を含めてたったの5回ということである。果たしてこれで合唱が成立するのだろうか? 参加した誰もが「やってみるまで分からない」状態だった。
言葉や楽譜への理解を深めるオンライン練習
では具体的に、オンラインでの練習はどのように進められていったのか。オンラインでの合唱活動のノウハウを持った3人のコーチのおかげで、参加者は皆スムーズに練習に入ることができた。Zoomの設定は、基本的に参加者の音声はミュートにした状態にしておくため、コーチの声や伴奏は聞こえるが、それに合わせて歌うこちらの声は届かない。ここがオンラインとリアルのもっとも大きな違いだろう。毎回、最初の30分程度はたっぷりウォーミングアップや発声練習にあてられるが、コーチによって練習メニューや方法がさまざまで面白い。
谷本の指導による練習では、なによりドイツ語の「発音」が歌の質を決めるということを最初に教えられた。正しく発音するためには、表に見える口の動きよりも、舌の動かし方や口蓋の筋肉の使い方が重要とのこと。とくに《復活》においては、合唱が入る第5楽章の無伴奏部分において、全員が発音を美しく揃えて歌うことが成功の鍵となる。ひとつひとつの単語を発音しながら、舌の形まで細かく確認し、次の段階でメロディに言葉を乗せていく。発音を磨くことに重きを置く練習では「歌う」時間こそ少なくなるが、自分以外のパートが音取りをしているときに、自分のパートを重ねて歌ってみたりできるのはオンラインならではの練習法だと思った。
続くコーチの柳嶋は、ドイツでの活動経験の長いドイツ語のスペシャリスト(合唱団には個人練習用に、柳嶋による《復活》の歌詞の朗読音源が配布されていた)。正しく発音するだけでなく、生きた言葉として捉えるための意味の説明や解釈が丁寧に行なわれた。静寂のなかから合唱が最弱音で歌い出す「Aufersteh’n(よみがえる)」という一瞬で、ここに至るまでオーケストラが繰り広げてきた長いドラマのすべてが浄化される。ゆえにここでは音符と音符の間にある「時間」を合唱が作っていかなければならないという話が印象的だった。ほかにも、マーラーが楽譜に細かく書き記した速度に関する指示の意味を、実際の演奏と合わせて解説するなどして楽譜への理解を深めた。
ラストの佐藤は、これまでの2人による指導内容をより深め、仕上げていく。発声の面ではアッポッジョとソステーニョ(日本語ではどちらも「支え」と呼ばれる)についての指導とトレーニングが行なわれた。また、《復活》という作品全体について、オーケストラや独唱がどのように動き、なにを語っているかについて把握したうえで、合唱へどのように受け渡されるかが解説された。集中的に練習したフーガの部分では、各パートに受け渡されながら螺旋状に高まっていく音楽が、「勝ち得た翼によって飛び去って行く」という歌詞と相まって壮大なうねりを生み出していく。さらには総まとめとして、テンシュテットやゲルギエフが指揮する既存の音源を流して佐藤が指揮をし、通しで歌う練習も。ここでもほかのメンバーの声は聞こえないが、ハーモニーを想像して歌うことがどれだけ大切か、のちの合わせのときに実感することとなる。
ハーモニーを想像することで培われる「聴く力」
このようなオンライン練習を経て、ついに12月18日、はじめての対面リハーサルが行なわれた。川崎駅近くの産業振興会館ホールという場所で、合唱のみの合わせとなる。ディスタンスをとり、マスクをして歌っても、やはり生の声が合わさったときの感動は忘れられないものだった。指導にあたった谷本も、はじめて聴くメンバーの声に「予想していたよりもはるかに良い」と驚いた様子。さて、ここからどんな音楽が作られていくのか。
その翌日は、本番と同じミューザ川崎シンフォニーホールでのオーケストラとのリハーサル。合唱団はステージを上から見下ろすP席に座り、出番が近づいたら立つ(この演奏会では第1楽章の後に休憩が入ったが、第2楽章から第5楽章の出番までも30分以上ある)。まさか自分がミューザで歌う日がくるとは……あらためて恐ろしくなったが、もう後戻りはできない。
この日と、1月8日の2回にわたるオーケストラとのリハーサルでは、コーチが客席に座って響きをチェックし、フィードバックが行なわれた。出だしの最弱音でいかに世界を作るか、クライマックスでオーケストラに埋もれずいかに響かせるか。歌える回数は1〜2回だが、1回ごと着実にレベルアップしていくのがわかる。坂入の明確な指揮とモチベーションを上げてくれる言葉に支えられ、ようやく歌うことへの実感が湧いてきた。オーケストラも年末と年始のリハーサルの間に驚くほどスケールアップし、壮絶さを増している。
そして、ついに迎えた本番。年末にはコロナの感染状況も一旦落ち着き、マスクなしでの歌唱も検討されたが、結局、ふたたび感染が拡大しはじめたため、マスク装着での歌唱となった。それでも歌唱に大きな影響が出なかったのは、指導陣の発声・発音指導のおかげだろう。オンラインでまわりの声が一切聞こえないなか、想像力をフル稼働させてハーモニーをイメージし、練習を重ねてきた。そこで培われた「聴く力」が本番で大きな効力を発揮したようで、「Aufersteh’n」の合唱の入りの部分に感銘を受けたという感想も多くいただいた。
死の影が世界を覆った2年間を経て、「私は死ぬのだ、生きるために!」と歌うことは、私にとって終わりと始まりを意味するような、かけがえのない体験だった。どんな困難があろうとも歌うことを止めない、そんな熱い想いを胸に、知恵を絞ってこの場を作ってくださった3人の若き指導陣および指揮者、運営スタッフの皆さまに心からの感謝を捧げたい。
次回公演情報
東京ユヴェントス・フィルハーモニー第22回定期演奏会
2022年5月28日(土)14:00
第一生命ホール坂入健司郎指揮
東京ユヴェントス・フィルハーモニーリュリ:《町人貴族》組曲
ラモー:《優雅なるインドの国々》組曲
シューマン:交響曲第2番 ハ長調全席指定¥2,000 ※5歳未満は入場不可チケット購入:https://teket.jp/251/11329