現代音楽プロジェクト『かぐや』を読み解く Vol.4
ユハ・T・コスキネンと吉澤延隆が語る「結縁」――《イザナミの涙》世界初演へ向けて

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現代音楽プロジェクト『かぐや』を読み解く Vol.4

ユハ・T・コスキネンと吉澤延隆が語る「結縁」

《イザナミの涙》世界初演へ向けて

text by 八木宏之
cover photo by Maiko Katayama

東京文化会館にて、2024年1月13日に開催される現代音楽プロジェクト『かぐや』は、ヨーロッパで活躍する日欧の若手作曲家の作品に接することのできる演奏会だ。2部からなる公演の前半には、2023年6月にこの世を去ったフィンランドの巨匠、カイヤ・サーリアホへのオマージュとして、彼女の弦楽四重奏曲《テッラ・メモリア》のほか、サーリアホに縁の深いふたりの作曲家、ユハ・T・コスキネンと横山未央子の新曲が初演される。

コスキネンは1972年にフィンランドのエスポーに生まれ、ヘルシンキのシベリウス・アカデミーで学んだ。リヨン国立高等音楽院やIRCAMなどフランスでも研鑽を積み、その作品は世界各地のコンサートホールで演奏されている。コスキネンは生前のサーリアホに薫陶を受け、サーリアホの息子、アレクシ・バリエールとも親しく交流してきた。今回の演奏会で初演されるのは、コスキネンが箏曲家の吉澤延隆のために作曲した《イザナミの涙》である。

吉澤は1982年に宇都宮市に生まれ、7歳より箏を学び始めた。第15回賢順記念全国箏曲コンクールでは第1位・賢順賞を受賞するなど、日本を代表する若手箏曲家のひとりとして高い評価を獲得している吉澤は、より多くの人に箏の演奏を届けて、邦楽器に関心を持ってもらうことをライフワークに掲げ、東京文化会館での親子ワークショップをはじめとする教育活動に取り組むほか、同時代を生きる国内外の作曲家への新しい箏曲の委嘱も積極的に行なっている。

現代音楽プロジェクト『かぐや』を読み解くシリーズ記事の第4回では、《イザナミの涙》やふたりのこれまでのコラボレーションについてなど、コスキネンと吉澤にじっくりと話を聞いた。

ユハ・T・コスキネン ©︎Pekka Lehtonen

四季をテーマにしたツィクルス

コスキネンと吉澤の共同作業は2018年の《薄氷》に始まり、2020年の《天浮橋》がそれに続いた。今回の《イザナミの涙》は両者のコラボレーションの第3弾にあたるが、ふたりの出会いは2011年まで遡る。

「2011年に私がヘルシンキに滞在していた際、トーキョーワンダーサイト(現在のトーキョーアーツアンドスペース)のコンポーザー・イン・レジデンスを終えてフィンランドに帰国したコスキネンさんと出会いました。コスキネンさんが日本の文学、伝統芸能や仏教に関心を持っていると熱心に話してくれたのをとてもよく覚えています。2012年には、コスキネンさんが能声楽家の青木涼子さんのために書いた《Wayfaring Moon》の初演を東京で聴き、その後も互いに連絡を取り合っていました。2017年にフィンランド独立100周年を記念したコンサートでコスキネンさんが来日したときに、翌年の自分のリサイタルのために箏独奏曲を書いて欲しいとお願いし、それが最初のコラボレーションとなりました。

そのリサイタルのテーマは“秋の連歌”でした。私は海外の作曲家が箏のために書いた作品を演奏したいと常々思っていましたし、コスキネンさんは和歌にも造詣が深く、邦楽器のために作曲をしてみたいと以前から話していたので、共同作業を始めるには絶好のタイミングでした。そうして生み出されたのが《薄氷》です。

このときの経験が互いにとってとても意義深いものだったので、四季をテーマに、日本とヨーロッパの文化を重ね合わせて新しい箏曲を作るプロジェクトをふたりで始めました。《薄氷》は秋、《天浮橋》は春、そして今回の《イザナミの涙》は冬と結びついています。夏の作品はまた次の機会に書いてもらう予定です」(吉澤延隆)

日本の文化に驚くほど精通しているコスキネンだが、日本に興味を持ったのは、ひとりの日本人作曲家との出会いがきっかけだった。

「2003年にヘルシンキの音楽祭『ムジカ・ノーヴァ』で細川俊夫さんと知り合いました。細川さんは私の作品をとても気に入ってくださり、翌年の武生国際音楽祭に招待してくださいました。そして私が作曲した『Sogni di Dante (Dante’s Dreams)』は、優れた室内楽作品に贈られる武生国際作曲賞の受賞作に選ばれました。これが私の初来日であり、日本との繋がりの始まりとなりました。私はさまざまな縁に導かれて、少しずつ日本の文化に関心を持つようになり、今では愛知県立芸術大学の客員教授として、日本に長期滞在する機会も得ました。これから日本語も学ぼうと思っています」(ユハ・T・コスキネン)

吉澤延隆

ふたつの文化を結びつける「結縁」

コスキネンは《薄氷》を書くにあたり、吉澤から多くの助言を受けながら、箏について研究を重ねた。フィンランド人であるコスキネンが日本の伝統楽器のために作曲するうえで、ある仏教の言葉がヒントになったという。

「2018年に17絃箏のために作曲した《薄氷》は、私にとって初めての邦楽器作品となりました。箏の楽器法を学ぶために、さまざまな日本人作曲家の作品も研究しましたし、吉澤さんにもたくさんのアドバイスをもらいました。日本の伝統楽器のために作品を書くときにはいつも、その楽器の歴史や背景を知る必要があります。声明のために曲を書いたときにも、東京都谷中の寺に滞在して、仏教や声明について深く学びました。箏に関して言えば、吉澤さんが私の師匠であり、奏法から歴史に至るまで、なんでも教えていただいています。吉澤さんは、私の作品がこれからも多くの箏曲家によって再演されることを前提にアドバイスしてくださるので、本当に助かっています。

吉澤さんのために曲を書くとき、いつも頭に浮かぶのは“結縁(けちえん)”という仏教の言葉です。ブッダと人間が繋がるように、日本とフィンランドというふたつの異なる文化も共存しうるというのが、吉澤さんとの「四季」のツィクルスの核となる考えです。《薄氷》のなかには真言宗のお経とメンデルスゾーンの《秋の歌》が引用されていますが、まったく異なる文化圏の要素が私の作品のなかで化学反応を起こし、新たな意味を持つのは、ひとつの“結縁”と言えるのではないでしょうか」(コスキネン)

コスキネンが書き上げた《薄氷》は、吉澤がこれまで演奏してきた箏作品とは異なるテクスチャを持った、個性豊かな作品だった。

「一般に箏と聞いて思い浮かべるのは、その余韻の美しさかと思いますが、コスキネンさんはそうした箏の王道的な魅力だけでなく、楽器が鳴りにくい“打爪”という奏法をあえて用いたり、“すり爪”という絃を擦ってノイズを出す奏法を用いたりして、箏の持つ新しい可能性を探究しています。古典作品では特殊な効果を得るための奏法が、コスキネンさんの作品では旋律を紡ぎ出す出発点になっているのです。こうした箏の書法は現代の邦人作曲家の作品には見られない、コスキネンさん独自のものだと思います。間や余白を大切にするのもコスキネンさんの音楽の特徴です。

《薄氷》を聴いたフィンランド人の方から、フィンランド語で歌っていたのかと聞かれたことがありました。でも実際にはそれはフィンランド語ではなく、真言宗のお経でした。両者は響きはとても似ているとのことで、ここでも不思議な縁を感じましたね」(吉澤)

イザナミの苦しみに重ねられる地球環境問題

1月13日に初演される《イザナミの涙》は『古事記』の「イザナギとイザナミ」を主題とする作品で、このテーマは前作の《天浮橋》から続くものだ。《イザナミの涙》には松尾芭蕉の冬の椿を詠んだ俳句も引用されるという。

「イザナギとイザナミのエピソードが、古代ギリシャのオルフェオとエウリディーチェの伝説とよく似ていることは大変興味深いことです。イザナミのいる黄泉の国は地球の下にあると表現されていますが、そこで苦しむイザナミの姿は、人間によって破壊され、苦しんでいる地球を私に想起させました。涙を意味する“ラメント”は、ヨーロッパの文化のなかで悲しみや喪失を表す大切な言葉であり、この言葉を通して、イザナミと地球は結びついています。

松尾芭蕉の句と『古事記』は表層的にはなんの関連性もないのですが、吉澤さんと続けているツィクルスという観点では、松尾芭蕉の句は重要の意味を持っています。先ほどお話したように、吉澤さんとのコラボレーションは四季をテーマにしており、松尾芭蕉の句は《イザナミの涙》を冬に結びつけています」(コスキネン)

「イザナギとともに日本列島を作ったイザナミは、最後に火の神カグツチを産んで焼け死んでしまいますが、私はこの伝説にイザナミとイザナギの強い愛を見出しています。コスキネンさんの音楽からふたりの愛を引き出して、お客さんに届けたいと願っています。『古事記』と松尾芭蕉には一見繋がりがないように思えますが、松尾芭蕉の句に出てくる椿の花は涙と同じようにポトリと落ちるものなので、そこには共通するイメージがあります。そうした情景にも想いを馳せながら聴いていただけたら嬉しいです」(吉澤)

ユハ・T・コスキネンと吉澤延隆

インタビューの最後に、吉澤が《イザナミの涙》の初演へ向けた想いを語ってくれた。

「コスキネンさんの音楽にはいつも、国や時代の異なる素材が“結縁”の精神のもとに集い、“コンポジション”されています。こうして作られた作品は、音楽的な側面だけでなく、人と人の結びつきも生み出していくのです。『かぐや』に出演することも、こうしてインタビューを受けていることも、コスキネンさんの作品による“結縁”ですよね。今回の演奏会には、コンテンポラリー・ミュージックやフィンランド、日本の古典文学、箏とさまざまなフックがあるので、ひとつでも興味のあるキーワードがあれば、ぜひ聴きに来ていただきたいです。

また2024年はフィンランドの作曲家と日本の邦楽器奏者が共同作業をスタートしてから50年の記念すべき年でもあります。フィンランドの作曲家、ペール・ヘンリク・ノルドグレンが、戦後の邦楽シーンを牽引していた邦楽器カルテット「邦楽4人の会」のために日本の伝統楽器のための四重奏曲第1番を書いたのは1974年のことでした。ノルドグレンは1970年代初頭に東京で日本の伝統音楽を学び、フィンランドにおける邦楽のパイオニアとなった人です。コスキネンさんと私の《イザナミの涙》もそうした歴史の連なりのなかにあるものですし、これからもフィンランドと邦楽の“結縁”を大切にしながらコラボレーションを続けていきたいですね」(吉澤)

古典的レパートリーだけでなく、未来のレパートリーとなる作品を世界へ向けて発信する東京文化会館の挑戦に、《イザナミの涙》ほどぴたりと重なるものはないだろう。日本の伝統楽器からグローバルな楽器へと飛躍を遂げようとしている箏の姿を、《イザナミの涙》のなかにぜひ見出して欲しい。

公演情報

舞台芸術創造事業
現代音楽プロジェクト「かぐや」
2024113日(土)15:00
東京文化会館 小ホール

 【第1部】
ユハ・T・コスキネン:イザナミの涙[箏独奏](世界初演)
カイヤ・サーリアホ:テッラ・メモリア[弦楽四重奏]
横山未央子:地上から[弦楽四重奏](委嘱作品/世界初演)

【第2部】
かぐや the daughter tree(委嘱作品/世界初演)
原語(英語)上演/日本語字幕付き

原作:『竹取物語』及び与謝野晶子の詩に基づく
作曲:ジョセフィーヌ・スティーヴンソン
作詞:ベン・オズボーン
振付:森山開次

【出演】
ジョセフィーヌ・スティーヴンソン(ヴォーカル)*
森山開次(ダンス)*
*第2部のみ出演

山根一仁、毛利文香(ヴァイオリン)
田原綾子(ヴィオラ)
森田啓介(チェロ)
吉澤延隆(箏)

【公演詳細】
https://www.t-bunka.jp/stage/19084/

現代音楽プロジェクト
ジョセフィーヌ・スティーヴンソン レクチャー
2024年1月11日(木)19:00
東京文化会館 小ホール

【作曲家によるトーク】
ジョセフィーヌ・スティーヴンソン(作曲家)
横山未央子(作曲家)
聞き手:八木宏之/日本語通訳付き

【演奏】
ジョセフィーヌ・スティーヴンソン:《Anamnesis》
横山未央子:《Circular Spell》より
演奏:森田啓介(チェロ)

【イベント詳細】
https://www.t-bunka.jp/stage/19724/

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