愛知室内オーケストラ挑戦の記録
Vol.8 新たなる歴史の始まり

愛知室内オーケストラ挑戦の記録

Vol.8 新たなる歴史の始まり

text by 池田卓夫(音楽ジャーナリスト@いけたく本舗®︎)
写真提供:愛知室内オーケストラ

これまでの共演の成果が現れた音楽監督就任披露公演

2022年4月。山下一史が愛知室内オーケストラ創立20周年の節目に、初代音楽監督の仕事を始めた。4月16日の第31回定期演奏会(ゲスト・コンサートマスター:近藤薫)ではブラームスの《大学祝典序曲》、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:三浦謙司)、シューマンの交響曲第2番が、『オール R.シュトラウス・プログラム Part1』と題された30日の第32回定期演奏会(ゲスト・コンサートマスター:大江馨)では歌劇《インテルメッツォ》から4つの交響的間奏曲、オーボエ協奏曲(独奏:山本直人)、付随音楽《町人貴族》(1920年組曲版)が、いずれも三井住友海上しらかわホールを会場に演奏された。

《大学祝典序曲》の重心低く、しっかりと鳴る音、ドイツ語の響きを思わせるゴツゴツしたリズムに接しただけで、2021年7月以来続けてきた山下とACOの共演の成果がはっきりと感じられた。山下得意のドイツ音楽、新時代の幕開けにふさわしい選曲だった。コロナ禍とウクライナでの戦争の影響で来日を取りやめたハンガリーの名手、デジュ・ラーンキに代わり、ベートーヴェンのソロを弾いた三浦謙司は、2019年のロン=ティボー=クレスパン国際コンクール・ピアノ部門の優勝者。アンコールのドビュッシー《アラベスク》でみせた玲瓏繊細な音のセンスの方に本領があると思われ、ベートーヴェンに期待される堅固な様式感やタッチの重量にはまだ、克服すべき課題を残した。

山下の指揮は5曲あるベートーヴェンのピアノ協奏曲の折り返し点、モーツァルトの影響が残る第1番と第2番、巨大なスケールを獲得していく第4番と第5番《皇帝》の分水嶺としての第3番の立ち位置を適確にとらえて過度な重さを避け、室内オーケストラ編成にふさわしい柔軟な音楽を造型した。ACOが2021年12月末にゲルハルト・オピッツ独奏、ユベール・スダーン指揮で全曲演奏会を成功させた効果は大きく、クラリネットをはじめとする管楽器のソロの聴かせどころも、見事に決まった。

シューマンではロマン派に強いアフィニティ(親和度)をみせる山下の情熱が、大河の奔流のように激しい音楽を生んだ。発想の基本はどこまでも健全、レナード・バーンスタインの破滅型狂気には至らず、セルジュ・チェリビダッケのメタフィジカル(形而上)な響きもない半面、1曲のシンフォニーとして楷書体の構造を究めた演奏だった。山下は後日「ちょっと、煽り過ぎたかな」と漏らしたが、就任披露の熱気の成せるわざだから許容範囲内だろう。むしろ、「静」の場面で楽員が山下の指示から何を感じ、どう自分たちの音楽を返すか、より美しい音を出すのに何が必要か……といった自発性の部分に、改善すべき課題をみた。会場の喝采を受け、山下は「皆さんのオーケストラです。応援、よろしくお願い申し上げます」と呼びかけ、今後につないだ。

三浦謙司と共演する山下一史&愛知室内オーケストラ
写真提供:愛知室内オーケストラ

新時代の始まりを告げるオール R.シュトラウス・プログラム

オール R.シュトラウス・プログラムの定期は公演前日、碧南市エメラルドホールでのリハーサルから立ち会った。山下は《インテルメッツォ》でワルツをどうエレガントに、軽やかに弾ませるかに腐心、「がんばって弾き過ぎないで!」と言葉を掛け、「ホールの力を借りて、豊かな響きをつくるように」と指示した。力を抜いて弾けば弾くほど弱音の美しさが増し、《ばらの騎士》を思わせる優雅でロマンティックなうねりが現れる。山下は弦楽器アドヴァイザーの川本嘉子(ヴィオラ)に対し「ここ、振っていた方がいい? それとも聴いていた方がいい?」などと意見を求めながら、アンサンブルの自発性を引き出していった。《町人貴族》では「大真面目ではなく、おどけた感じ」を強く求めた。客演首席奏者の山本をソロに迎えたオーボエ協奏曲では、山本が川本と「対話」する場面もあり、指揮者を交えた三者で音楽を詰めていく様は、山下が師事したヘルベルト・フォン・カラヤン時代のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ローター・コッホ(ベルリン・フィル首席オーボエ奏者)との共同作業を彷彿とさせた。

30日の本番。山下の推進力あふれる指揮の基本は16日の公演と変わらないが、軽やかな身のこなしが目立ち、ワルツが揺れに揺れる。息の長いフレーズを紡ぎながら転調の瞬間を鮮やかに決め、首席奏者たちの妙技を際立たせていく。山下は曲間、良いソロを奏でたメンバーをチアすることも忘れない。ワルツをはじめとする擬古典的な機会音楽の世界が穏やかな回想へと帰依する過程で、1949年に亡くなったR.シュトラウスがロマン派と総括される時代の本当に最後の作曲家だったことにも思いが至る、秀逸な選曲だった。協奏曲では山本のソロを包み込み、積極的にキャッチボールを試みるACOの仲間たちの献身も素晴らしく、「大人の会話」をじっくりと味わえた。本公演のゲスト・コンサートマスターに迎えられた大江は1994年生まれ。桐朋学園のソリスト・ディプロマ・コースと同時に慶應義塾大学法学部、ドイツのクロンベルク・アカデミーでも学んだ新進気鋭のソリストである。最近は、日本各地のオーケストラからゲスト・コンマスとして招かれている(2023年4月から神奈川フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任予定)。R.シュトラウスでも随所に美しく切れ味のいいソロを聴かせたが、めったに演奏されない作品ばかり。「今までで一番大変な本番でした」と終演後、高揚した面持ちで語った。

山下は新たな時代の始まりとなるふたつの公演を次のように締めくくった。「いつまでもこうして、互いを聴き合いながら音楽をする気持ちを大切にしていきたい。課題はお客様の獲得です。どの公演でも、800席のホールに600人は来ていただけるよう、力を合わせて頑張りましょう」

2021年から8回、1年あまり続いたACOの連載も今回がひとまず最終回。その間のACOの進化は目覚ましかった。珍しい作品に対しても旺盛な表現意欲をみせ、より自然に発揮される自発性が引き締まったアンサンブル、多彩な音色を生み、室内オーケストラ編成とは思えない豊かな音量を放つ。創設20周年を機に、明らかな上昇軌道をみせ始めたACOからは、今後も目が離せない。

R.シュトラウスのオーボエ協奏曲を演奏する山本直人、山下一史、愛知室内オーケストラ
写真提供:愛知室内オーケストラ

愛知室内オーケストラ CD発売情報

『山下一史 愛知室内オーケストラ音楽監督就任披露演奏会』
シューマン:交響曲第2番 ハ長調 Op.61
ブラームス:《大学祝典序曲》 Op.80
山下一史(指揮)
愛知室内オーケストラ
録音:2022年4月16日(ライヴ・レコーディング)
三井住友海上しらかわホール(名古屋)
MClassics
2022年12月23日発売
https://tower.jp/item/5602524/

愛知室内オーケストラ 公演情報
第45回定期演奏会『そこに残るのは無か、無限か』
2022年12月6日(火)18:45開演(18:00開場)
三井住友海上しらかわホール

山下一史(指揮)
愛知室内オーケストラ

権代敦彦:84000×0=0 for Orchestra
ベートーヴェン:交響曲第2番 ニ長調 Op.36
ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調 Op.60

公演詳細:https://www.ac-orchestra.com/20221206-aco45

特別演奏会 ACO20周年特別企画Part3~東混シリーズ第2回
2022年12月14日(水)18:45開演(17:45開場)
愛知県芸術劇場 コンサートホール

山下一史(指揮)
森谷真理(ソプラノ)
中島郁子(メゾソプラノ)
福井敬(テノール)
黒田博(バリトン)
東京混声合唱団(合唱指揮:キハラ良尚)
愛知室内オーケストラ

ヴェルディ:レクイエム

公演詳細:https://www.ac-orchestra.com/20221214-acospecial-verdirequiem

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