新国立劇場 オペラ『修道女アンジェリカ/子どもと魔法』
母と子それぞれの、互いへの想いが溢れるダブルビル

<Review>
新国立劇場 オペラ『修道女アンジェリカ/子どもと魔法』

母と子それぞれの、互いへの想いが溢れるダブルビル

text by 永井玉藻
cover photo 撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場

新国立劇場の2023/2024年シーズンは、プッチーニの《修道女アンジェリカ》とラヴェルの《子どもと魔法》という、趣向の異なる作品のダブルビルで幕を開けた。1幕ものオペラのダブルビルは、2つの作品に共通するテーマや世界観を関連づけながら行われることが多い。今回、演出の粟國淳は、「この2作品をそれぞれ独立した作品として見せようと思いました」と述べつつ、母と子それぞれの、互いへの想いが溢れる両作品を舞台に乗せた。10月7日のマチネの回を観劇した。

聖と俗の狭間の悲しみ

数年前、シスターたちによる手作りのジャムが美味しいと評判の、函館の修道院を訪れたことがある。周囲を森に囲まれた静謐な敷地内では、販売所のある前庭と、レンガ造りのこぢんまりした建物とを、高い塀が遮断していた。きっとシスターたちは、ジャムに心を躍らせる世俗の者(筆者)とは違い、祈りと労働によって神のためにのみ生きているのだろう。そんな敬虔でおごそかな雰囲気が、塀の向こうに感じられた。

規則正しい時間割に沿い、聖母マリアに日々祈りを捧げる修道女たち。《修道女アンジェリカ》の主人公、アンジェリカも7年前からそうした生活を送っている。彼女は薬草に詳しく、仲間たちから「模範的な修道女」と評される存在だ。しかしアンジェリカには、未婚のまま出産し、直後に子どもと引き離されたという過去があった。それゆえに、実は彼女は、修道女たちの中でもとりわけ強く、修道院の外への想いを抱えていたのである。

撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場

アンジェリカにとって、修道院は自分から進んで入った場所ではない。もしかしたら彼女は、いつか修道院から出て、息子と2人で生きていくことさえ夢見ていたかもしれない。ところが、作品の中盤で明かされる真実によって、彼女は自分の望みが永遠に果たせないことを知らされる――。タイトルロールのキアーラ・イゾットンは、作品中盤の見せ場であるアリア「母を見ず」で、期待を打ち砕かれた悲しみをドラマティックに歌い上げ、アンジェリカが何よりも子を思う一人の母親だったことを印象付けた。

だが、今回の公演の出色は公爵夫人役の齊藤純子だろう。威厳に満ちた声と振る舞いは、貴族の伝統に生きる役柄を的確に示していた。また、子どもの死を告げる際の逡巡や、真実を知り泣き崩れる姪(アンジェリカ)に触れるのをすんでのところで留まる演技からは、冷徹に見える公爵夫人が、姪やその子への愛情を少なからず持つように見えた。

撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場

修道院の庭から見える清々しい青空から、面会室の重苦しいモノトーンへ移り変わる舞台美術(横田あつみによる)が美しい。また、ピットの東京フィルハーモニー交響楽団も、プッチーニのスコアを豊かに鳴らしていた。特に「母を見ず」でのヴァイオリン・ソロ(コンサートマスターの依田真宣による)は、歌唱的な旋律を堅実な音色で引き立たせており、聴きどころの一つだったといえよう。

撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場

色とりどりの不思議な子どもの世界

《修道女アンジェリカ》が子を思う母の苦しみを描く作品であるのに対し、ダブルビルの2演目めの《子どもと魔法》では、親の気持ちなどものともしない子どもの自我が大爆発する。冒頭、ママの言うことを聞かずに宿題を投げ出し、家の中のものに当たり散らして壊してしまう坊やの姿に、遠い目になった聴衆もいただろう。子どもにとってイヤなものはイヤ、自分の思うように振る舞いたい。大人の意向や他人の目などは関係ないのである。そんなきかんぼうの子どもを、新国立劇場初登場のクロエ・ブリオが巧みに歌い演じた。

撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場

子どもが体験する不思議な世界はカラフルな装置と衣装によって描写され、見た目にも非常に楽しい舞台となった。特に第2部、庭の緑が舞台いっぱいに広がるさまは、まさに魔法のよう。一方、色彩の豊富さでは音楽も負けていない。《ダフニスとクロエ》や《展覧会の絵》の編曲などにも共通するように、ラヴェルのオーケストレーションは、楽器の種類の多さと、それらの楽器をアイデア豊かに組み合わせて使い尽くす点が特徴的である。《子どもと魔法》でも、多様な打楽器を含む3管編成のオーケストラにチェレスタ、クラヴサンの音色を模したピアノが用いられており、複雑なスコアを捌いた沼尻竜典の指揮が冴えた采配を見せた。

撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場

ところで、《子どもと魔法》には、歌詞のない音楽のみの部分が比較的多い。こうした箇所は、ラヴェルのオーケストレーションを存分に味わう部分でもあるのだが、一方で物語の流れは途切れやすくもなる。今回、この点を巧みに補っていたのが、伊藤範子振付のバレエだ。火や灰、カエルなどに扮したダンサーたちが、ときにダイナミックに、ときにコミカルに踊ることで、まるで動くしかけ絵本を見ているような楽しさがあった。

もちろん歌手陣も充実。特に、火/お姫様/夜鳴き鶯役の三宅理恵がコロラトゥーラの美声を聴かせ、ティーポット役の濱松孝行のおどけた演技もカーテンコールまで楽しめた。また、早口の歌詞をものともせずに整った声を聴かせた、世田谷ジュニア合唱団の面々にも大きな拍手を送りたい。

撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場

 

【新国立劇場『修道女アンジェリカ/子どもと魔法』公演Webページ】
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/suorangelica/

『修道女アンジェリカ/子どもと魔法』無料配信決定
配信期間
2023年12月16日(土)午前3時〔15日(金)深夜〕~2024年 6月15日(土)午後7時

配信メディア
・Opera Vision 公式サイト
https://operavision.eu/performance/suor-angelica-lenfant-et-les-sortileges

・新国立劇場ウェブサイト内 新国デジタルシアター
https://www.nntt.jac.go.jp/stream/

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※この記事は、これからの時代に活躍してほしい音楽評論家やライターを広くご紹介する、FREUDEの「執筆者応援プロジェクト」の一環として、一般社団法人ビトゥイン・ミュージック・タイズの助成を受けて制作されています。

執筆者:永井玉藻
パリ第4大学博士課程修了。博士(音楽学)。専門は西洋音楽史(特に19~20世紀のフランス音楽)、舞踊史。現在、慶應義塾大学、白百合女子大学ほか非常勤講師。著書に『バレエ伴奏者の歴史 19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々』(音楽之友社、2023年)『《悪魔のロベール》とパリ・オペラ座 19世紀グランド・オペラ研究』(共著、上智大学出版/ぎょうせい)など。現在、ウェブメディア「バレエチャンネル」にて「【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー」好評連載中のほか、曲目解説、コラムなどの執筆もおこなっている。
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