<Review>
柴田俊幸&アンソニー・ロマニウク
古楽=コンテンポラリー その本質にたちかえる
text by 八木宏之
2022年『東京・春・音楽祭』のフィナーレを飾り、話題騒然となった柴田俊幸&アンソニー・ロマニウクのデュオ公演。2024年5月に同プログラムの最新版が再演されます。2022年の公演に衝撃を受けた編集部八木が執筆し、その後未公開となっていたレビュー原稿を、今回の再演を前に蔵出し公開します。
東京・春・音楽祭
柴田俊幸&アンソニー・ロマニウク
2022年4月18日(月)19:00
東京文化会館 小ホールA.ロマニウク=柴田俊幸:J.S.バッハのサラバンドによるファンタジア
J.S.バッハ:イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV811 より ガヴォット I/II
P.グラス:ファサード
J.S.バッハ:フルート・ソナタ ロ短調 BWV1030
C.コリア:チルドレンズ・ソング より 第1番
J.S.バッハ:イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV807 より プレリュード
G.クルターグ:J.S.B.へのオマージュ
C.コリア:チルドレンズ・ソング より 第4番
C.Ph.E.バッハ:フルート・ソナタ ニ長調 Wq.129
G.リゲティ:ハンガリアン・ロック
J.S.バッハ:フルート・ソナタ ホ短調 BWV1034 ほか柴田俊幸(フラウト・トラヴェルソ)
アンソニー・ロマニウク(チェンバロ/フォルテピアノ/フェンダー・ローズ)
歴史的考証に基づいて演奏を行う古楽は、楽器やピッチの選択などの「正しさ」につい目が行きがちであるが、その真の目的は作品が初演されたときの衝撃を蘇らせて、作品を現代と同期することにある。フラウト・トラヴェルソ奏者の柴田俊幸とチェンバロ、フォルテピアノ奏者のアンソニー・ロマニウクによる演奏会は、そうした古楽の本質を私たちに思い出させてくれるものだった。
演奏会は柴田の即興演奏で幕を開け、その後も曲間にふたりの即興を挟みながら、途切れることなく進んでいく。プログラムの前半、柴田とロマニウクの共作による《J.S.バッハのサラバンドによるファンタジア》やJ.S.バッハのフルート・ソナタBWV1030を聴いていると、バッハの音楽がふたりに共有される言語であることに気づく。発音、語尾の処理やフレージングに神経が行き届いたその流暢な演奏は、母国語話者同士の対話そのものだ。グラスの《ファサード》では、ミニマル・ミュージックをフラウト・トラヴェルソとフォルテピアノで演奏する意外性よりも、むしろそのあとのバッハの聴こえ方に与えた効果に驚かされた。グラスの音楽が終わり、ロマニウクの即興を経てフルート・ソナタBWV1030に至ると、バッハの音楽はバロックとコンテンポラリーの両面性を持って響き始める。
後半では古楽とコンテンポラリーの境界線はさらに曖昧なものとなっていく。ロマニウクはチック・コリアの《チルドレンズ・ソング》第1番に続けて、J.S.バッハのイギリス組曲第2番の〈プレリュード〉もフェンダー社製のローズ・ピアノで弾いた。古楽器によるグラスがそうであったように、フェンダー・ローズによるバッハも不思議と必然性を感じさせる。プログラムの最後で、J.S.バッハのフルート・ソナタBWV1034の第2楽章と第3楽章の間にリゲティの《ハンガリアン・ロック》が挿入されたことは、この演奏会を貫く「古楽=コンテンポラリー」の精神をなにより象徴していた。リゲティの音楽を媒介にしてバッハが「いま」と同期するこのアイデアは、柴田とロマニウクと2時間をともにした聴衆の耳にはもはや奇抜なものではない。柴田は冒頭のスピーチで、「これは古楽の演奏会ではない」と宣言した。だがその演奏会は逆説的に古楽の本質を示し、300年前に書かれた音楽にコンテンポラリーとしての命を再び吹き込んだのである。
2024年公演情報
柴田俊幸&アンソニー・ロマニウク
デュオリサイタル
2024年5月2日(木)19:00開演
三鷹市芸術文化センター 風のホール
公演詳細:https://shibata-romaniuk-duo.tumblr.comアンソニー・ロマニウク
ソロ・リサイタル
2024年5月4日(土)13:45プレトーク/14:00開演
箕面市立メイプルホール大ホール(大阪)
公演詳細:https://minoh-bunka.com/2023/12/04/20240504-romaniuk/