<Review>
有田正広
フルート音楽で巡る18世紀、パリの風景
1-5. アンヌ=ダニカン・フィリドール:
フルートと通奏低音のためのソナタ ニ短調 〜「フルートと通奏低音のための作品集 第1巻 第4番」
6. ジャック=マルタン・オトテール《ル・ロマン》:
フルートと通奏低音のための《プレリュード》ホ短調 〜「プレリュードの技法 作品7」
7-10. ジャン=マリー・ルクレール:
フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 作品2-1 〜「ヴァイオリンまたはフルートのためのソナタ集 第2巻」
11-16. フランソワ・クープラン:
フルートと通奏低音のためのコンセール 第1番 ト長調〜「王宮のコンセール」
17-23. ジャック=マルタン・オトテール《ル・ロマン》:
フルートと通奏低音のための組曲 第2巻〜第2番 ハ短調 作品5-2〜「フルート、またはその他の楽器と通奏低音のための作品集第2巻 作品5」
24-28. ミシェル・ブラヴェ:
フルートと通奏低音のためのソナタ第2番 ニ短調 作品2-2〜「混合されたソナタ集 作品2」
29. ミシェル・ピニョレ・ドゥ・モンテクレール:
フルートと通奏低音のための《プレリュード》ニ短調 〜「フルートと通奏低音のためのコンセール集 第2番」
30. ジャン=マリー・ルクレール:
フルートと通奏低音のための《ガヴォット》ニ長調 〜「ヴァイオリン、またはフルートのためのソナタ集 第1巻 ソナタ第2番より」有田正広(フルート)
有田千代子(チェンバロ)録音:2021年10月25日〜28日 かながわアートホール
DENON/日本コロムビア株式会社
text by 鉢村優
五感でめぐる、陰翳礼讃
フルート奏者・有田正広の新譜『フルート音楽で巡る18世紀、パリの風景』がリリースされた。有田はモダンからバロックまであらゆるフルートでの演奏を担い、日本を代表する音楽家として活躍してきた。本盤は彼の「半世紀にわたる音楽人生の夢」が詰まった一枚である。フィリドール、オトテール、ルクレールらによるフルート音楽の清雅を、自ら複製した銘器で演奏するという夢がここに実現した。
フルートをはじめ管楽器は吹いていると湿ってしまうため、よい状態で後世まで残る楽器は多くない。そこで重要になるのが古楽器の復元である。過去の資料や図面をもとに、どんなイントネーションだったか、音色だったかと複製家は思いを凝らす。複製家の解釈と想像によって楽器の性格は全く異なったものになるのである。古楽演奏とは知性とイマジネーションの賜物であり、さらに楽器の製作にも有田自身が携わっている本盤では、有田の考える「よい趣味」が幾重にも織り重ねられている。
有田の手による「小説」がライナーノーツの中心を占めるところも特徴的である。ジャン・ダリトウこと有田青年を主人公としたファンタジーは、「大好きな作曲家があの名曲を書く瞬間に立ち会いたい、彼らの演奏を聴けたら……」という願いを物語る。ライナーノーツを手に聴けば、そこはフルート音楽が華やいだ18世紀パリである。薄暗い路地には異臭が立ちこめ、ガタガタ道にはあちこち得体の知れない汚物が転がり、汚水があふれている。一方、王宮では文化の粋を一身に集めた美男美女による饗宴が行われているのだ。
パリは昔も今も清濁が共存する街である。汚いものは実に汚く、美しいものは実に美しい。汚いものを隔離するシステムが整備された現代にあって、それはパリの特徴かもしれない。むきだしの生のエネルギーと荒々しさを、一本の笛に満ち満ちる息の音に聴くのは過剰だろうか。
フルートは19世紀にベーム式キーシステムを導入する「改良」が行われた。それを境に、旧来のフルートをバロックフルートと呼び、対して現在一般に演奏されるフルートをモダンフルートと呼んでいる。フルートはこの「改良」を通じて、全ての調性をより正確な音程で演奏できるようになり、どの音域も均質に朗々と鳴り、より大きな音量を手に入れてロマン派時代に活躍の幅を広げた。しかし、こうして「何でもできるようになってしまった」フルートは生き物らしさを失ったとも言える。人の手で描く線は決して直線にはならないように、あなたとわたしの声が違うように、異なるものの魅力を、画一性を尊ぶ工業的価値観に染まったわたしたちは忘れていまいか。かつてフルートはハ短調を苦手とした。それを「うまく鳴らない」と否定することもできる。しかしその口ごもるためらいの音色は、他に代えがたい表情を持っている(トラック18/オトテール:フルートと通奏低音のための組曲 第2巻~第2番 ハ短調 作品5-2[2]Allemande, tendrement)。
本盤は一見すると普通の音楽に聞こえてしまうが、それは有田の超絶技巧のなせるわざである。注意深くでこぼこや音の不安定さをクリアした上で、それでもなお残された不均質さ、かげり、濁りは画一的になりようがない音の姿である。そのもっともよい現れが、トラック9/ルクレール:フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 作品2-1[3]Sarabanda, Largo。空へ伸びあがる青色のグラデーション、大切なことを伝えようと言葉を選ぶアーティキュレーション、それを夕陽のように照らすチェンバロの響き。ひとたびそのニュアンスに気づいてしまったら、聴く者の耳はもう元には戻れない。
本盤の魅力を十二分に受け取るために、イヤホンやヘッドホンでの聴取も試してほしい。繊細にうつろうニュアンスを含んだ音はあまり遠くへは届かないのだ。古楽器は大きな会場で奏でることを想定していない。ヴェルサイユ宮殿でさえ、もっとも大きな部屋でも500人程度しか収容できなかったという。手を伸ばせば届くような距離に、耳を凝らして近づきたい。