キリル・ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団
マーラー:交響曲第7番

<Review>
キリル・ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団

マーラー:交響曲第7番

マーラー:交響曲第7番 ホ短調
キリル・ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団
録音:2018年5月28日、29日 バイエルン国立歌劇場、ミュンヘン(ライヴ)
ナクソス・ジャパン株式会社

text by 八木宏之

レンブラントの光と陰の世界のようなナハトムジーク

サイモン・ラトルの後を継いで、2019-2020シーズンよりベルリン・フィルの首席指揮者となったキリル・ペトレンコ。ベルリン・フィル着任前、2020年まで音楽監督を務めていたバイエルン国立歌劇場(最後の1シーズンはベルリンとの兼任)のオーケストラ、バイエルン国立管弦楽団との新録音がこの度リリースされた。曲目は《夜の歌》の愛称でも知られるマーラーの交響曲第7番。この新録音はバイエルン国立歌劇場がスタートさせる自主レーベル「Bayerische Staatsoper Recordings(BSOrec)」のリリース第1弾であり、ペトレンコとバイエルン国立管との音楽的集大成のひとつと言えるものである。その評価、名声に比して録音が多いとは言えなかったペトレンコの新録音、それもマーラーの交響曲第7番となれば、大変なニュースだ。この録音は2018年5月28日、29日、ミュンヘンでのライヴであるが、そこに立ち会った聴衆は熱狂し、批評家たちから多くの賛辞が送られ、そのリリースを待ち望む声が早くから上がっていた。

ペトレンコとバイエルン国立管弦楽団による演奏に技術的な綻びは皆無だ。マーラーの交響曲はどれもオーケストラの能力の限界に挑むような作品ばかりだが、そのなかでも第7番は屈指の難曲である。この交響曲のライヴ録音でこれほどの「完璧な」演奏を成し遂げることができるとは、ペトレンコとオーケストラがいかに充実した関係を築いていたかがわかる。

しかしこの演奏の魅力は、そうした技術的な巧みさを全く感じさせないところにこそある。難しそうだろ!上手いだろ! というようなガツガツしたものは微塵もない。代わりにこの演奏を特徴付けているものは、豊かな色彩、微妙に変化し続ける温度や匂い、そして陰影である。かつて留学時代に受講した楽曲分析の講義のなかで、ジャン=ジャック・ヴェリー博士(フランスにおけるドイツ・オーストリア後期ロマン派音楽研究の第一人者)がマーラーの交響曲第7番はレンブラントの絵画と美学的にとても近いものだと語っていたのを思い出した。当時はなんとなくわかったような気がする程度だったが、このペトレンコの演奏を聴いて、初めて博士の言っていたことが感覚的に理解できた。ペトレンコの《夜の歌》に差し込む光は、暗闇の中のろうそくの炎や月の光のように柔らかく、温かい。私はこれまで、この交響曲の響きの大伽藍にばかり目を向けていたように思う。ショルティとシカゴ交響楽団の録音に代表されるソリッドで引き締まった演奏を好んで聴いていた。そうした演奏に注がれる光はオーケストラを隅々まで照らす、映画撮影用の大型照明のような輝かしさであろう。一方ペトレンコの演奏は、まさしくレンブラントの描く陰影のように、弱い光が細部の本質を照らし出すのである。

音楽は終始ゆったりと進んでいく。しかし演奏時間はごくオーソドックスな長さであり、テンポ設定で極端なことは何もやっていない。それがこの演奏の不思議なところであり、魅力なのだ。聴き手はペトレンコとオーケストラに身を委ねていれば、レンブラントの光と陰の世界、マーラーのナハトムジークの世界へと迷い込むことができる。ペトレンコという指揮者、バイエルン国立管弦楽団というオーケストラ、マーラーの交響曲第7番という作品、この新録音が持つ3つの扉のどこから入っても、しばらくはそこから出てこられないかもしれない。

Kirill Petrenko photo by Wilfried Hoesl

 

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