<Review>
Noism×鼓童『鬼』
新潟から世界へ、音楽と身体の新たなる共鳴
text by 有馬慶
cover photo by Kishin Shinoyama
視覚化される「オリエンタリズム」
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動するダンス・カンパニー「Noism Company Niigata」と、佐渡島を拠点に活動する太鼓芸能集団「鼓童」。新潟から世界へ向けて独自の創作を発信しているふたつの団体の共演がついに実現した。
まず、前半は『お菊の結婚』(こちらはNoismのみ出演)。ディアギレフの生誕150周年を記念して、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《結婚》にNoism芸術監督の金森穣がオリジナルの演出振付を行った。ストーリーはロティの小説『お菊さん』を基にしている。この小説はメサジェによってオペラ化され、プッチーニの《蝶々夫人》に影響を与えたと言われる。明治初頭の長崎を舞台に、フランス海兵のピエール、遊女のお菊や遊郭の人々が登場し、長崎を訪れた外国人の間で行われていた性的な関係を目的とした「日本式結婚」、つまり「現地婚」が描かれる。
一見、相容れないように思われるストラヴィンスキーの音楽と『お菊さん』の物語。しかし、のちのバルトークやオルフに通じる土俗的なリズムが、西洋から見た東洋の異物感にとてもよく合うのだ。お菊をはじめとした日本人は人形として描かれていることもその効果を増幅させている。西洋人にとって、少なくとも当時の日本人は同じ人間ではなく「物」なのである。今回のプロダクションは、西洋から見た東洋の物語をメロドラマとして消化せず、東洋の側から批判的に捉えてみせた。こうした「オリエンタリズム」をあらためて日本から発信する意義は大きいだろう。
精神の光を求めて
そして、後半はメインの『鬼』。こちらは初共演するNoismと鼓童のために作曲家の原田敬子が音楽を書き下ろした。大小さまざまな和太鼓のみならず、銅鑼やシンバルなどの打楽器から奏者のブレス音まで、あらゆる音を駆使して摩訶不思議な音響の世界を繰り広げる。
明確な物語は設定されていないが、佐渡の鉱山で働く役行者(えんのぎょうじゃ)と修行者たち、清音尼(せいおんびくに)と遊女たちが交錯する様が描かれる。男女が出会い、すれ違い、交わり合う中で、彼らは「鬼」へと変貌を遂げていく。「鬼」はもちろん人間とは異なる存在である。この「人間」対「異物」の構図は、「西洋」対「東洋」を描いた前半とも共通する。
金森穣は公演プログラムで、『鬼』の創作について「音楽に深く深く潜り込み、身体を深く深く掘り下げていく。そこにあるかもしれない金(精神の光)を求めて」と語っている。つまり、金を掘り当てる役行者が行き着く先にいた「鬼」とは、なにか有害な排除すべき存在ではなく人間の根源的な姿だと言えるのである。異物と交わる瞬間、それは強烈な官能性を帯びており、人間を「鬼」へと回帰させる。終盤での全員による激しい踊りは、《春の祭典》の「生贄の踊り」や《ダフニスとクロエ》の「バッカナール」を想起させた。
『鬼』のラストシーンで、踊り手たちは背景に現れた金の幕の向こうへ姿を消していく。果たして彼らは「精神の光」にたどり着いたのか、それともすべては幻想なのか。不思議な余韻を残して、静かに幕が降りた。私は埼玉公演(彩の国さいたま芸術劇場)を2回観たが、これはぜひ彼らの本拠地、そして『鬼』の舞台でもある新潟で観たかったと思う。新潟での再演を希望すると同時に、日本のみならず世界へ向けてもぜひ発信してほしい。
【Noism×鼓童『鬼』公演Webページ】
https://noism.jp/npe/noismxkodo/