新国立劇場 ドビュッシー 《ペレアスとメリザンド》
ドビュッシーが完成させた、ただひとつのオペラ

<Review>
国立劇場 ドビュッシー 《ペレアスとメリザンド》

ドビュッシーが完成させた、ただひとつのオペラ

text by 永井玉藻
cover photo 撮影:堀田力丸/提供:新国立劇場

 

クロード・ドビュッシー(1865–1918)の《ペレアスとメリザンド》は、フランス・オペラの代表作であり、20世紀のオペラを代表する一作でもある。とはいえ、この作品は19世紀までのフランス・オペラの系譜に連なるものではなく、また19世紀末からフランスで盛んに演奏されるようになった、ヴァーグナーの楽劇の流れに属するものでもない。音楽学者のエルヴェ・ラコンブが指摘するように、《ペレアスとメリザンド》は「その独自性 singularité」ゆえに、オペラ史においても特殊な存在であるといえよう。そうした背景もあって、日本で全幕上演される機会が決して多いとは言えないこの作品が、新国立劇場の2021-2022年シーズンを締めくくる演目として7月2日から17日にかけて5回上演されたのは、それだけでも大きな成果である。

謎の存在 メリザンド

今回上演されたのは、2016年のエクス=アン=プロヴァンス音楽祭で初演された、ケイティ・ミッチェル演出によるプロダクション。その演出コンセプトは、《ペレアスとメリザンド》の物語を一人の女性の夢として描くというもの。そのため、幕開きではオーケストラが演奏を始める前に長い無音の状態があり、その間舞台上では、ホテルの一室に駆け込んできたドレス姿の女性がベッドで眠りに落ちていくまでの過程が示された。

夢の中では、日常では起こりえないようなことも、文脈のよくわからない会話も、自分とは別の自分が登場することも、何でもありで起こる。「目覚めてみたら全て夢だった」という今回の方向性は、不思議な暗示に満ちたこの作品の演出として、いささか安直に感じた聴衆も少なくなかったようだ。

しかし、その「夢落ち」の出発点として、ミッチェルの今回の演出が「女性の視点を中心に、他の登場人物たちが己を投影していくような形」を取ったことは、注目すべきだろう。主人公のメリザンドは、森の中で出会ったゴローに促されるまま彼の城へ行き、その妻となる。一方、いつの間にかゴローの異父弟ペレアスがメリザンドに惹かれるようになると、彼女は「私もあなたを愛している」「あなたを見た時から」と告げる。つまり、メリザンドは他者(特に男性)が彼女に対して「こうあってほしい」「こういうことを言ってほしい」と思っていることを実行したり、言葉にしたりする、主体性に欠けた存在として描かれている。今回の演出で登場した発話しないメリザンドの分身は、その象徴だったように思う。

新国立劇場《ペレアスとメリザンド》より 撮影:堀田力丸/提供:新国立劇場

芳醇な音楽と充実の歌手陣

ドビュッシーがまだパリ音楽院の学生だった17歳の頃から、彼はヴァーグナーの音楽に魅了されていた。パリ・オペラ座では、1890年代に入ってから本格的にヴァーグナー作品が上演されるようになったが、ドビュッシーはそれよりも前、1888年にはバイロイトへ赴き、翌年も《トリスタンとイゾルデ》を観劇することができた。しかし、この1889年のバイロイト詣でを境に、ドビュッシーのヴァーグナー熱はしぼんでしまう。その背景には、同じ年の5月からパリで行われていた万国博覧会で、彼が西洋音楽とは異なる音楽(ジャワのガムランなど)に触れた体験があったと言われる。

その後に始まった《ペレアスとメリザンド》の作曲過程においても、ドビュッシーは自身の中のヴァーグナー色を消そうと努力した。ドビュッシーの自筆・草稿研究を行うデイヴィッド・グレイソンによると、《ペレアスとメリザンド》の草稿には、音楽がヴァーグナーらしくならないように、楽曲を構成するモティーフの扱い方などに関して、作曲家が試行錯誤した痕跡が見られるという。

そうした背景を持ち、織物のように音の層が重なる《ペレアスとメリザンド》の音楽だが、大野和士と東京フィルハーモニー交響楽団は、音の大きな箇所ではスコアをヴァーグナー風の芳醇さで響かせ、ときおり歌唱を覆ってしまうこともあった。一方弱音部では、音量が巧みにコントロールされ、ドビュッシーの意図したことが見事に実現されていた。東京フィルは今年5月にも、《ペレアスとメリザンド》の初演の年から作曲が始まったドビュッ シーの《海》を演奏している(指揮:チョン・ミョンフン)。その際のメンバーと今回ピットに入っていたメンバーは、必ずしも同一ではないが《海》で聴かせた繊細な音作りは健在だった。

新国立劇場《ペレアスとメリザンド》より 撮影:堀田力丸/提供:新国立劇場

歌手陣も納得の布陣だった。ペレアス役のベルナール・リヒター、メリザンド役のカレン・ヴルシュ、ゴロー役のロラン・ナウリはもとより、メリザンドに欲情する面も見せつつ、深い声質を通して老王としての威厳を滲ませたアルケル役の妻屋秀和には、ぜひ再度この役での出演を願いたい。また、歌唱箇所自体は多くはないものの、ジュヌヴィエーヴ役の浜田理恵、イニョルド役の九嶋香奈枝も、キャラクターに沿った歌唱ぶりで、各々の美点を存分に発揮していた。

オペラの伝統が色濃いフランスの作曲家でありながら、ドビュッシーが生涯に完成させることができたオペラは、この《ペレアスとメリザンド》一作しかない。日本ではどうしても彼のピアノ曲や管弦楽曲が取り上げられがちだが、《ペレアスとメリザンド》も、今回の演出を含めたさまざまなプロダクションによって、日本で上演される機会がもっと増えても良いのではないだろうか。

新国立劇場《ペレアスとメリザンド》より 撮影:堀田力丸/提供:新国立劇場

 

【新国立劇場《ペレアスとメリザンド》公演Webページ】
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/pelleas-melisande/

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