FREUDE試写室 Vol.1
『アジアの天使』『ライトハウス』
text by 有馬慶
言葉の持つ美しい力
私たちは普段何気なく「言葉」を使い、他者とコミュニケーションを取っている。しかし、実際にはどれだけ自己を表現し、他者を理解できているのだろうか。石井裕也監督の映画『アジアの天使』は、あえて「言葉」が通じない異国を舞台にすることで、その問いに答えようとする。
本作の主人公、青木剛(池松壮亮)は売れない小説家。新事業を立ち上げるという兄の透(オダギリジョー)を頼り、息子の学(佐藤凌)とともに韓国のソウルへやってくる。序盤では異国で感じる孤独や疎外感が描かれるが、これは彼が日本で成功できなかったことと相似関係になっている。
もう一人の主人公、チェ・ソル(チェ・ソヒ)は元人気アイドル。兄妹の生活を支えるため、芸能事務所の社長と愛人関係になりながら辛うじて仕事を続けている。その鬱屈した思いは密かに詩としてノートへ綴られる。
二人の距離が決定的に縮まるのは中盤でのコンビニ前のシーンだ。言語は違えども、「言葉」を紡ぐ者としてのシンパシーを感じたのであろう。それまではそれぞれの言語で一方的に話しかけていたのが、ここで初めて拙いながらも英語で会話を交わすようになる。付属的な装飾語は削ぎ落され、必要最低限の単語で伝えようとする。その凝縮された単語が意味することをなんとか汲み取ろうとする。上手く表現できないもどかしさとそれでもなんとなく伝わる喜びが入り混じったこのシーンが私は大好きだ。
ところで、本作の題名になっている「天使」とは、剛と透が幼少期に遭遇し、ソルも街角で目撃したものだ。その姿はなぜかアジア人のおじさんであり、しかも噛みついてくるという。その解釈は観る人に委ねられるが、私は「言葉」のメタファーだと考える。片言の英語のように美しくなく歪で、時には相手を傷つけることさえある。しかし、羽が宙を舞うように軽々と国境を超えて、人と人を結び付けることもある。
本作はこの分断の時代を生きる私たちに大いなる翼を授けてくれた。
『アジアの天使』
7月2日(金)テアトル新宿ほか全国ロードショー脚本・監督:石井裕也
エグゼクティブプロデューサー:飯田雅裕
プロデューサー:永井拓郎、パク・ジョンボム、オ・ジユン
撮影監督:キム・ジョンソン
音楽:パク・イニョン
製作:『アジアの天使』フィルムパートナーズ (朝日新聞社、RIKI プロジェクト、D.O.CINEMA、北海道文化放送、UNITED PRODUCTIONS、ひかり TV、カラーバード)
制作プロダクション:RIKIプロジェクト、SECONDWINDFILM
配給・宣伝:クロックワークス
© 2021 The Asian Angel Film Partners
【公式HP】https://asia-tenshi.jp
感覚をフル動員して味わう不安と恐怖
2015年、ロバート・エガースは『ウイッチ』で長編映画デビューを果たし、その驚くべき才能で映画界を震撼させた。そして、待望の第2作『ライトハウス』がついに日本でも公開となる。
舞台は19世紀後半、ニューイングランドの離島。そこにやってきた2人の灯台守は、嵐によって孤立してしまう。彼らは現実と幻想の狭間で狂気に至り、壮絶なマウントの取り合いを繰り広げる。その過程を通して、普遍的な人間の性(さが)が浮き彫りとなる。
中世の魔女を題材とした前作同様、古い時代の怪奇的な出来事がモチーフである。それにも関わらず、「こんな状況に置かれたら、自分も迷信を信じてしまうかもしれない」「こんな風に狂ってしまうかもしれない」と感じる。本作にそうした迫真性を与える要素は何であろうか。史実や文学・芸術をもとにした丁寧なディテールの積み上げやロバート・パティンソンとウィレム・デフォーの卓越した演技もさることながら、私は映像と音響の演出に注目したい。
まず、35㎜フィルムによるモノクロの映像。これによりデジタルのカラー映像よりも、濃厚な陰影の質感と強烈な明暗のコントラストが実現する。例えば、暗闇の中で灯台を見上げる人物の顔は、強い光に照らされてくっきりと浮かび上がる。空を飛び交うカモメは、白い雲を背景に無数の黒い影となる。また、画面のサイズは見慣れた横長ではなく正方形に近い。視界は通常よりも狭い範囲に制限されるため、ぎゅっと押し込められたような圧迫感がある。言うまでもなく、これらの技法はかつてサイレントからトーキーの時代に用いられていた。遠い過去の物語を表現していることもあるだろうが、不気味さと閉塞感を生み出す効果は絶大だ。
そして、フォグホーン(霧笛)の轟くような低音。冒頭から全体の重苦しい雰囲気を決定づけるとともに、何度も繰り返し鳴り続けるために逃げ場のない印象を与える。それに加えて、カモメの甲高い鳴き声、激しくなっていく波や風雨、雷、古い建物の床がきしむ音、年老いた男の放屁……こうした多様で不快な音響が次々に襲い掛かり、じわじわと神経をいたぶる。
このようにあらゆる感覚をフル動員して、主人公の不安と恐怖を追体験するのが本作の醍醐味だ。これを存分に堪能するためにも、本作はぜひ劇場で観てほしい。明るい屋外に出てもすぐ現実に戻ることができず、しばらくは悪夢の中にいるような気持ちに苛まれることだろう。
『ライトハウス』
7月9日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー監督:ロバート・エガース
脚本:ロバート・エガース、マックス・エガース
撮影:ジェアリン・ブラシュケ
製作:A24
出演:ウィレム・デフォー、ロバート・パティンソン
2019年/アメリカ/英語/1:1.19/モノクロ/109分/5.1ch/日本語字幕:松浦美奈
提供:トランスフォーマー、Filmarks
配給・宣伝:トランスフォーマー
© 2019 A24 Films LLC. All Rights Reserved.
【公式HP】http://transformer.co.jp/m/thelighthouse