ヤマザキマリ寄稿
N響演奏会で見つけた自立と調和

ヤマザキマリ寄稿

N響演奏会で見つけた自立と調和

text by ヤマザキマリ
協力:NHK交響楽団

オーケストラがもたらすメンタルへの栄養補給

コロナ禍でイタリアの家へ戻らなくなってから既に18ヶ月が経とうとしている。この予期していなかった日本での長期間にわたる滞留によって、今までの仕事のための移動が主軸になった生活では時間的に叶わなかったことができるようになった。NHK交響楽団の演奏会へ出向いたのは5月の末のことだが、それもまた、物理的移動に置き換えたインナートリップによるメンタルへの栄養補給が目的だった。

NHK交響楽団の演奏を生で聴くのは初めてではないが、今回の前がおそらく1990年ごろ、イタリアから一時帰国した時のことだから、実に何十年ぶりである。イタリアの音楽院で作曲を学んでいた当時の彼氏がどうしても日本のオーケストラの演奏を聴きたいというので、演目は忘れてしまったがNHKホールでのコンサートを鑑賞したことがあった。この人には、どの国においても放送局のオーケストラは概ねハイクオリティだとする持論があり、それでNHK交響楽団を選んだのだが、イタリアに戻っても周りの友人たちに「放送局のオーケストラだけあって素晴らしい演奏会だった」と褒めていたのを思い出す。

更に遡ると、私がまだ小学生だったころ、札幌交響楽団の団員でヴィオラ奏者だった母と一緒に、彼女の実家へ帰省した際にN響のメンバーの知人の招待で演奏会を聴きにいったことがあった。北海道では子供の頃から妹と一緒に客席の一番前に座らされ、様々な楽曲の演奏を聴き続けていた私だが、母が「世界にも通じる優れたオーケストラ」と形容していたNHK交響楽団の演奏に、子供の耳ですら洗練された印象を持った記憶がある。
そんなN響との過去の遍歴を頭の中に巡らせながら、チェロを弾く息子を誘ってサントリーホールへと赴いた。今回のプログラムはチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」、サン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番、そして尾高惇忠の交響曲「時の彼方へ」の3曲だが、「アンダンテ・カンタービレ」以外は知らない曲だったし、広上淳一さんの指揮も初めてだった。

クラシック音楽とは縁の深い私の人生ではあるが、様々なオーケストラの特性を認識していたり、あの曲なら誰の指揮のどこそこのオーケストラがいい、などという拘りがあるわけでもない。クリティカルな耳も目も持っていないので、ただひたすらステージから放出される音に耳を傾けるのみだったが、数ヶ月ぶりのクラシックの生演奏は、昨今の社会の荒みで枯渇しがちな心に素晴らしい潤いをもたらした。家ではしょっちゅうCDやネットで音楽を聴きながら仕事をしているが、やはり生の音は浸透のしかたが違う。コロナによって私たちは常に身体的健康のことばかりを注視しがちだが、メンタルへのこうしたメンテナンスも怠ってはいけないということを痛感した。

本当に久しぶりに聴いた「アンダンテ・カンタービレ」だったが、広上氏の振る指揮棒から織り成される柔らかくロマンティックな旋律にはダイナミックさも篭っていて、前向きな気持ちでいっぱいになった。演奏を聴いているうちに、この曲が好きでたまらなかった入院中の母のことが何度も脳裏を過ぎる。音楽には過去の記憶をはっきりとした輪郭でかたどる効果があるらしい。

2曲目のサン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番は弦のトレモロによる曲の始まりから最後まで固唾を飲むような思いで聴き入った。白井圭氏が奏でる力強いヴァイオリンはまさにこの楽曲のドラマチックさを際立たせ、音と化した情熱を包み込むようなオーケストラの響きが深く切なく美しい。大きな川のうねりに身を揺蕩わせているような心地に浸りながら、文学から数学、哲学に天文学と旺盛な好奇心を持ち、文筆家や音楽評論家としても活躍した多元的な作曲家サン・サーンスの人となりを思い浮かべてみた。こういう構造的な感覚の作曲家が生んだ楽曲には、精緻な技術力と寛容な表現力を同時に兼ね合わせたような演奏がふさわしい。とにかくあまりに良い曲なので帰ってから速攻でCDを注文してしまった。

最後の曲は広上氏の師であり今年2月に亡くなったばかりの尾高惇忠の交響曲「時の彼方へ」。東日本大震災の半年後に仙台で初演された曲だと解説に書かれていた。指揮台に広げられた大きなスコアを前に全身で指揮を振る広上氏の表情は時にはにこやかに、時には厳しくと、目まぐるしく変化する。楽曲全体が体の中に入り込んでしまったかのような広上氏を受け止めるオーケストラの、それぞれの音にもぶれない表情が現れる。自立と調和が重なる、これもまた素晴らしい楽曲だった。

コロナ禍が始まり、社会が殺伐となりつつあった最中に、ヤマザキさんにとって良い社会とはどのようなものでしょうかととあるインタビューで質問されたことがある。それぞれが高い技術力と表現力を持った音楽家が、お互いの個性を尊重しつつも一体化した時点で見事な交響曲を奏でるオーケストラみたいなもの、というのが私の答えだったが、今回のN響のコンサートではそんな理想を音として体感できたような気がした。

 

尾高惇忠の交響曲「時の彼方へ」を演奏する広上淳一とNHK交響楽団 写真提供:NHK交響楽団

 

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