<Cross Review>
ケルティック・クリスマス 2023
すみだトリフォニーホール
対照的な2つのバンドが見せたアイルランドの魂
photo by 石田昌隆
ケルティック・クリスマス 2023
2023年12月2日(土)17:15
すみだトリフォニーホール
出演:ルナサ、ダーヴィッシュ、デイヴィッド・ギーニー【ルナサ】
ショーン・スミス(フィドル)
ケヴィン・クロフォード(フルート)
トレヴァー・ハッチンソン(ベース)
キリアン・ヴァレリー(イーリアン・パイプ)
エド・ボイド(ギター)【ダーヴィッシュ】
キャシー・ジョーダン(バウロン、ヴォーカル)
ブライアン・マクドナー(マンドーラ)
リアム・ケリー(フルート)
トム・モロウ(フィドル)
シェーン・ミッチェル(アコーディオン)
マイケル・ホルムス(ブズーキ)
アイリッシュ・トラッド・フォークの
神髄を射抜く2者の揃い踏み
松山晋也
ロック的センスをふりまく都会派のルナサとローカルな土の香りを漂わせた王道派のダーヴィッシュ。タイプは異なれど、共にアイリッシュ・トラッド・フォークの神髄を射抜く2者の揃い踏み。4年ぶりに開催された『ケルティック・クリスマス』にふさわしい絶妙なキャンティングだったと思う。3階席までびっしりと埋まった会場には、ようやく生でケルクリを堪能できる喜びと期待の熱気が開演前から渦巻いていた。
トップバッターのルナサは、来春早々にリリースされるライヴ・アルバム用に数日前に京都のライヴハウス「磔磔」で3夜連続公演を敢行したばかり。その余韻をひきずったまま、勢いのあるパフォーマンスで駆け抜けてくれた。ロウ・ホイッスルのゆるやかな三重奏によるメロディが泣かせる人気曲《The Miller of Drohan》にもジーンときたが、やはりアップテンポの4曲目《Morning Nightcap》~5曲目《Rock Road》(新曲)、ラスト7曲目《Tinker’s Frolics》後半あたりが彼らの最大の魅力だと感じた。時に対位的に交錯しつつユニゾンで軽快に疾走するフィドル、イリアン・パイプス、ティン・ホイッスル/フルートの3者。そのグルーヴにタイトな鞭を入れるギターとダブルベイス。トレヴァー・ハッチンソンのエレクトリック・ダブルベイスはエフェクターを多用しているのだろう、トーンを微妙に変えながら終始アンサンブル全体を土台でしっかりと支えており(時にドローンのようにも聴こえる)、実に頼もしい。やはりトレヴァーあってのルナサだと再確認させられた。
2番手のダーヴィッシュは、なんと言っても歌の素晴らしさに尽きる。スライゴー地方の田舎町のパブで出会ったヴェテラン・ミュージシャンたちの気の置けないセッションといった趣の骨太で温かいインスト・チューンは「これぞアイリッシュ!」なわけだが、そこにキャシー・ジョーダンのヴォーカルが加わると、彼らの魅力とパワーは更に2倍にも3倍にもなる。とりわけ《The Galway Shawl》には、思わず目が潤んでしまった。ゴールウェイを舞台にしたこのラヴソングはアイルランドのコンサートでも大人気で、いつも会場全体で大合唱になるというが、確かに一緒に歌いたくなる美しくも切ないメロディだ。朗々と伸びやかに放たれるキャシーのキュート&アーシーな歌声、そこに全員でコーラスを付ける男性陣5人。アイルランドのソウルと抒情性、力強さと哀しみが全部詰まった屈指の名曲、名演だったと思う。
そして、ルナサとダーヴィッシュの全員が勢ぞろいしてのアンコールでも、更なる感動が。なんとポーグスの《Fairytale of New York(ニューヨークの夢)》がキャシー・ジョーダンとルナサのケヴィン・クロフォードのデュエット&ダンスで披露されたのだ。この2日前(11月30日)にシェイン・マガウアンの訃報が駆け巡ったばかりというジャストなタイミング。アイルランドの魂を全身全霊で世界中に伝え続けた酔いどれ聖人に会場全体で思いを馳せながらの大団円。見事であった。
ルナサの正確無比で怜悧なグルーヴ
ダーヴィッシュの高度に洗練された土臭さ
大谷隆之
1997年にスタートし、今やすっかり年の瀬の風物詩として定着した『ケルティック・クリスマス』。これまでアイリッシュ・トラッドを中心に、汎ケルト文化圏のトップ・ミュージシャンを数多く日本に招聘してきました。
あるジャンルの精髄とも言える演奏を、日本にいながらにして毎年体感できる貴重さは、今さら言うまでもないでしょう。改めて感動したのは、お客さんの顔ぶれの幅広さです。文字どおり老若男女。マニアックなワールド・ミュージック愛好家に留まらない多様な人々が集い、躍動感あふれるステージを共有して、心から拍手喝采を送る。会場全体を温かく包み込む祝祭感は、コロナ禍を挟んで4年ぶりに開催された今回もまるで変わっていませんでした。いやむしろ、それぞれが困難な季節を乗り越えたことで、「演奏家」「プロモーター」「オーディエンス」による三位一体の信頼関係がより強まっていたと思います。それを肌で実感できたのが、いちファンとして何より嬉しかった。
参加バンドのラインナップもまた絶妙でした。目利きの招聘元(プランクトン)によるキュレーションはもともと、このイベントの大きな醍醐味です。ベテラン、中堅、若手から異端児まで。毎年さまざまな出演者を組み合わせることで、現代ケルト音楽の「幅」と「奥行き」を同時に見せてくれる。同じく伝承歌を取り上げても、世代によるちょっとした感覚の違いから、ときには大きな「歴史の流れ」が浮かんだりもします。
本公演のルナサは1997年デビューで、ダーヴィッシュは1989年デビュー。どちらもこの30年ほど、シーンの隆盛をど真ん中で支えてきた実力派です。パブや路上で演奏されていた伝承音楽を丁寧に収集し、洗練されたアンサンブルへと昇華させたザ・チーフタンズを「ケルト音楽ルネッサンス」の第一世代、それを現代的スピード感で再構築したプランクシティを第二世代とするならば、それに続く第三のジェネレーション。先人の豊かな資産を受け継ぎつつ、より多くのリスナーに開かれた音楽を志向してきた姿勢も共通しています。ただ、実際に間近で見た音の組み立て方は、かなり対照的と言っていい。
最初のステージに登場したルナサには、正確無比という言葉がぴったりです。この日も1曲目《Ryestraw》から全編、切れ味の鋭い演奏と疾走感に圧倒されました。フィドル(ショーン・スミス)、フルート(ケヴィン・クロフォード)、イーリアン・パイプ(キリアン・ヴァレリー)の緩急さまざまな旋律をユニゾンで奏で、ギター(エド・ボイド)がシャープなリズムを刻む。トラッドの分野には珍しいベース(トレヴァー・ハッチンソン)が、最小限の音数でそこにロック的な推進力を加えます。さらにその主旋律が、瞬間ごとに少しずつ色合いを変える。同じフレーズを繰り返していても、3つの楽器のテンポや重なり具合を微妙にずらすことで重層的なニュアンスが生まれていく。だから彼らのステージはインストゥルメンタルのみのセットリストでも、オーディエンスをまったく飽きさせません。
その繊細なアプローチはどこか、優れた水彩画を思わせます。白紙(無音)部分も含めて、色(音)の重ね方があらかじめ緻密にコントロールされた世界。卓越したテクニックによって描かれた、ふくよかな輪郭と中間色。そんな最高難度のアンサンブルをライブの熱量を保ちつつ再現する彼らのパフォーマンスは、やはり唯一無二のものでした。
一方、ルナサの怜悧なグルーヴに対して、後半のステージに登場したダーヴィッシュのそれはぐっと持ち重りがする。手持ち太鼓バウロン(キャシー・ジョーダン)を中心に、フィドル(トム・モロウ)、フルート(リアム・ケリー)、アコーディオン(シェーン・ミッチェル)、マンドーラ(ブライアン・マクドナー)、ブズーキ(マイケル・ホルムス)という6人編成の音が1つの塊になって、いきいき踊りだす感覚があります。その心地よい一体感、異なる楽器を塗り重ねるような音の作り方は、油絵的と言えるかもしれません。温もりのある厚みと質感。有機的な凹凸のある音のテクスチャ。
今回もその持ち味は十二分に発揮されていました。MCでも触れていましたが、彼らの出身地は北西部のスライゴー。ドニゴールと並んで、アイルランドでも特に伝統音楽が盛んなエリアです。それもあってか、演奏にもどこかパブ・セッションの匂いが漂う。オープニングの底抜けに陽気な《Maggie’s Lilt》。低い重心で、畳みかけるように駆け抜ける《The Coolea Jigs》。アイリッシュ特有の旋回フレーズでぐんぐんと加速する《Thrush in the Storm》。披露されたチューンはどれも、高度に洗練された土臭さとでも言うべき独特の輝きを放ちます。ハイトーンなのに温もりのあるキャシーの歌と器楽のみの曲を交互に演奏する、王道的なセットリストもすばらしかった。パブの流儀を思わせるこのスタイルも、伝統に深く根ざしつつ現在形の音楽を奏でるダーヴィッシュの姿勢を表しているようです。
同世代のトップ・バンドでも、アプローチにはこれだけ差がある。同じように伝統曲を演奏しても、音像やスピード感、サウンドのテクスチャなどが明確に(それこそ水彩と油彩くらい)異なる。バンド単体の魅力はもちろん、この幅を通じてシーンそのもののダイナミズムを伝えることも、おそらくは主催者の意図するところ。4年ぶりの今回も、筆者は心ゆくまで堪能しました。加えて大団円のアンコールもすばらしかった。テイストのまるで違う2つのバンドからメンバーがステージに勢揃いして、あっという間に一枚岩のセションを繰り広げます。地面にどっしり足をつけたような、その開放感たるや! ケルト・ミュージックという土壌の豊穣さ、幹の太さが露わになるこの時間こそ、自分にとってはケルティック・クリスマスからの贈り物だったなと、改めて噛み締めています。
最後にもう1つだけ。若きデイヴィッド・ギーニーの華麗なステップについても、ぜひ触れさせていただきたい。5度のワールド・チャンピオンをはじめ数々の栄誉に輝いたこのアイリッシュ・ダンサーは、セットリストの急所でステージに飛び出し、超絶的なテクニックで喝采を浴びました。彼のスタイルは、垂直方向に高く跳ねるアイルランド伝統のダンスに、フレッド・アステアばりのタップ技法を採り入れたユニークなもの。流れるようにエレガントに動きつつ、まるで宙を歩くかのように、跳躍しながら何度も踵を打ち鳴らします。そしてとりわけ面白かったのは、連続する身体の動きが、2つのバンドの音像とぴったりシンクロしていたことです。
ディテールまで緻密に配置されたルナサの楽曲では、伸び縮みする拍の長さとダンスを完璧に合わせ、一瞬の静止でブレイク(無音)を際立たせる。逆にダーヴィッシュとの共演ではリラックスした動きを前面に押し出し、懐かしいホームの雰囲気を強調する。エンターテイナーとして客席を沸かせた彼が、実はそれぞれのバンドの音の組み立て方を可視化する最高のインタープリターとしても機能していたことも、筆者には嬉しい発見でした。
グルーヴの源泉に思いを馳せて
原典子
正直に言うと、私はこれまでケルト音楽の特別に熱心なファンというわけではなかった。だが今年は、コロナ禍を経て4年ぶりの開催となった『ケルティック・クリスマス』を心待ちにしている自分がいた。無条件にあたたかく、ハッピーな気分になれるケルトの調べを欲していたのだろう。
今年はアイルランドから、ケルト音楽を代表する2組のバンドが来日した。最初に登場したルナサはデビューから27年になるが、実力派プレイヤーが揃った「新世代」バンドとのこと。たしかに、きめ細かなサウンドと強靭なリズムのバランスが絶妙で、全体が精巧に構築されているところは、勢いで突っ走るトラッド・バンドとはひと味違う現代性がある。
弓が弦に吸いついて離れない独特の奏法で旋律を繰り出すフィドル、それにユニゾンで絡むホイッスルやフルート。さらにイーリアン・パイプの持続音、ギターのカッティング、ベースが一体となって、螺旋状のリズムを高速で展開していく。その粘りのあるグルーヴの中毒性たるや。
中盤の《Morning Nightcap(朝飲む寝酒)》ではダンサーのデイヴィッド・ギーニーが入って会場の空気も一気にヒートアップ。ダンスというより、ステップの音自体が打楽器の役割も果たし、完全に音楽と一体化している。ロックでもクラシックでもない、トラッドならではの高揚感に包まれた。
いっぽう、後半に登場したダーヴィッシュは結成から30年以上にわたりケルト音楽シーンを牽引してきたトップ・バンド。まずなにより、紅一点のキャシー・ジョーダンのヴォーカルに耳を奪われた。同じ英語でも、アメリカやイギリスのシンガーとはまったく違う歌い方で、言葉のリズムやイントネーションがそのまま音楽になっているかのよう。詩と文学の国、アイルランドの底力を感じた。
いかにも姐御風のキャシーに率いられるバンドも負けてはいない。インスト曲《Thrush in the Storm》ではフルートとフィドルのハモりが多幸感を醸し出し、アコーディオン奏者のシェーン・ミッチェルのソロを起爆剤にペースアップ。このときミッチェルが演奏しながらギーニーと同じステップを踏んでいたのが印象的だった。
ルナサとは違い、ダーヴィッシュの音楽には何の仕掛けもない。じっくりコトコト煮込まれた素朴で味わい深い調べが、メンバーそれぞれのソロ回しで熱を放出し、一気呵成にクライマックスへとなだれ込む。そのグルーヴの源泉はどこにあるのか? そこに思いを馳せたとき、貧しく辛い時代を生き抜いてきたアイルランドの人々の強い魂に触れた気がした。ただハッピーなだけではない、彼らにとって音楽とは人生における光そのものだったのだろう。世界各地が戦火に包まれた一年の終わりに、小さな祈りの灯を分けてもらった一夜だった。
【ケルティック・クリスマス 2023 Webサイト】
https://plankton.co.jp/xmas23/