柴田俊幸
古楽と現代の間を行き来する芸術家でありたい【後編】

<Artist Interview>
柴田俊幸

古楽と現代の間を行き来する芸術家でありたい【後編】

text by 原典子
cover photo by Jens Compernolle

前編では、牛丼屋の住み込みバイトからベルギーへ渡るまでの波乱万丈な道のりを振り返った。つづく後編では、ベルギーで出会った古楽によって大きく変わった柴田の音楽人生と、そこでの経験から身をもって学んだことを語ってもらった。

古楽との出会い、「マタイ吹き」から学んだこと

アンソニー・ロマニウクとのデュオ ©Malou Van den Heuvel

――ベルギーではアントワープ王立音楽院の修士課程に入学されました。ここでの専攻はモダン・フルート?

そうです。僕が古楽に出会ったのはベルギーに来てから2年目の終わり頃だったので、来た当初はモダン・フルートでした。ここまでの話でもお分かりのように、僕はいつも学校を卒業する直前になにかが起こる人間なんですね。それでアントワープ王立音楽院のときも「ああ、卒業試験イヤだなあ、オーケストラのオーディションもコンクールも受けたくないなあ……」と思いながら、音楽院に付属する劇場の裏口から中に入って、いちばん後ろの席に座ってコンサートを聴いていました。
それが毎週の日課だったのですが、その日たまたま聴いたのが、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮コレギウム・ヴォカーレ・ヘントによるバッハの《マタイ受難曲》でした。ドイツ語はまったく分からなかったのに、「うわあ、すごいものを聴いた!」と休憩時間も席から立ち上がれないほど打ちのめされました。合唱にこんなに感銘を受けたのははじめて、それどころかコンサートでこんなに感動したのははじめてというほど。

――そのコンサートが古楽との出会いだったのですね。

その当時はトラヴェルソすら知りませんでしたからね。オーケストラのなかに、僕が見たことのない茶色いフルートを吹いている奏者がいるのを見て「なんだこれは? 吹いてみたい」と。
それでさっそく、《マタイ》のソロを吹いていたパトリック・ビュクルスというトラヴェルソ奏者の連絡先をあちこちに聞いて、いきなり「トラヴェルソやりたいです」と電話をかけました。「まずは楽器を手に入れてからだ」と言われたので、楽器を手に入れ、会いに行った。そうしたら、10分ぐらい話したところで「あなたには落ち着きがないからムリ!」と言われたんです。的を射ていただけに、落ち込みましたね(笑)。

――古楽奏者には落ち着きが必要だと。本当にそうなのでしょうか?!

結局、その後も話を聞いていただく機会があったので、「パトリック、あなたも落ち着きないですよね?」と言ってみたら、「その通りなんだよ。だから君もいけるかもね」と言って、レッスンをしてもらえることになりました。パトリックはコレギウム・ヴォカーレ・ヘントで30年以上首席をやっている名手で、誰もが認める「マタイ吹き」。《マタイ》をどう歌うかを熟知した人です。ベルギーというとバルトルト・クイケンが有名ですが、パトリックのトラヴェルソはバルトとは正反対なんですね。僕はたぶん日本人ではじめてバルトに習わなかった世代。だからまったくスタイルが違います。

――たしかに柴田さんのトラヴェルソは、これまで聴いてきた演奏と違うように感じます。

いちばん大切にしているのは、お客さんに届けることです。僕は「楽器奏者」という意識があまりないかもしれません。カンタータのオブリガート・ソロを吹いていると、どうしても歌の人と一緒に歌わなければなりませんから、インストゥルメンタルな音楽を作っている感覚はないのです。楽器奏者として「この楽器では無理」「そういう奏法は楽譜に書いていないから無理」と言ってしまうと、可能性を全部消すことになってしまうのではないでしょうか。
歌手の横でずっと一緒に演奏していると、ふたりの人間が互いに影響し合いながら音を重ねていくなかで、絶対に化学反応が起こりますバッハの時代もそうやって奏法や表現が変わっていったのではないかと思うのです。ですから僕はカンタータ以外の器楽曲、ソナタやコンチェルトのときも、そういう感覚で吹いています。パトリックは僕にとって最初で最後の先生ですが、彼から学んだことが僕のアイデンティティになっていますね。笛一本でどうやって聴衆に届けるか。

古楽とコンテンポラリー・ミュージック

©Jens Compernolle

――ベルギーではその後、ゲント王立音楽院の上級修士課程に進まれています。こちらではどのような勉強を?

これがですね、入ったときはたしかにトラヴェルソ専攻だったのですが、卒業するときに証書を見たら「Advanced Master of Contemporary Music」って書いてあったんですよ!

――コンテンポラリー・ミュージック?!

慌ててコーディネーターのところに行って「僕、トラヴェルソを2年間勉強したんですけど」と言ったら、「ああ、あなたが入ったときは古楽科があったんだけど、2年目に閉めたのよ。それであげられる学位がないから、コンテンポラリー・ミュージックにしたの。ほら、古楽ってはじまったのは1960年代だからコンテンポラリー・ミュージックでしょ?」みたいなことを言われて、「ええーー!」って。だから僕は結局、古楽の学位を持っていないんです。

――まあでも、古楽がコンテンポラリー・ミュージックという言い分は、ある意味わからないでもないですね。

そう、ベルギーは古楽とコンテンポラリーが盛んな国で、両極端なんです。ラ・プティット・バンドも、今でこそベルギーを代表する古楽アンサンブルですが、1970年代の創設当初は、古楽と現代音楽の両方を演奏していたそうです。創設者のシギスヴァルト・クイケンと話したとき、彼も言っていたことですが、古楽の人たちのすごいところは固定観念を持たないこと。学校で教わる「ザ・クラシック」な奏法とは別のものを学びたい、オーケストラの団員ではなくフリーランスでやっていきたいというリスクテイカーばかりです。そういったアバンギャルドな性質を持った人たちが、古楽とコンテンポラリーをやるというのは自然なことに思えますし、僕もそういったところが肌に合っているからベルギーにいるのでしょう。

――柴田さんとはじめてお話したとき、「レパートリーは2000年代まで」とおっしゃっていた意味が分かりました。

それが僕の目指しているところです。ですから、プロフィールにはできるだけ「トラヴェルソ奏者」ではなく「フルート奏者」と書いてほしいと皆さんにお願いしています。その理由は、トラヴェルソもフルートだから。僕は古楽と現代の間を行き来する芸術家でありたいと思っています。その両方のメディアを知っているからこそ、なにか新しいものを生み出すことができる存在でありたいと。
同時に、つねに変化していく芸術家でありたいとも思っています。この2~3年はたまたま古楽をやっていて、皆さんが僕の古楽器を通した演奏を好んでくださった。だからといって古楽のフィールドにずっと居続けるかというと、そうとは限りません。ただ、古楽に出会わなかったら、僕は今ここでお話していないでしょう。確実に香川でうどん屋さんをやっていたと思います。それだけ、古楽は僕の人生を変えてくれました。

上手い下手ではなく、テイストが合うか合わないか

©Malou Van den Heuvel

――柴田さんのお話を伺っていると、回り道をしてきたようで、じつはすべての出会いが必然だったように感じられます。

いやあ、でもここまでは荒れ野を行くような道のりでしたよ。よく「現場で学べ」とは言いますが、トラヴェルソなんていきなり現場に出たものだから大変でした。オーケストラのリハーサルで吹きはじめてからまわりの奏者を見ると、「なんでこの人たち、こんなことやっているんだろう?」「やば! やってないの僕だけじゃん!」みたいなことばかりで。知らないことだらけのままプロとして活動しはじめたので、冷や汗が出るような思い出ばかりです。というか、いまだに僕は自分がプロとしてやっているのが不思議な感覚なんです。

――でも、まわりを見て瞬時に対応できる察知能力と瞬発力がすごいのでは?

たしかに、まわりの人がやろうとしていることを瞬時に判断して、それを一緒にやるというのは、古楽の世界ではとても重要な能力だと思います。僕なんかはドイツのオーケストラに呼ばれて、ドイツ語が分からないのにリハーサルが進んでいって、まわりを見ながら分かったように吹くといった体験が何度もありますが、もしかしたら18世紀の人たちもそんな感じだったのではないかと
古楽のアンサンブルやオーケストラに呼ばれて、次も呼ばれるかどうかの基準は、技術的な上手い下手ではなく、テイストが合うか合わないか。それってとても昔の音楽家っぽいと思うんですよね。パートナーシップと同じく、根本的なところでシェアできる部分があるかないかを見られているわけで、コンクールで勝つための演奏が求められているわけではありません。

――テイストの合う仲間たちと、良い音楽を作る。とてもシンプルですね。

古楽とモダンのオーケストラ、両方にフリーランスとして客演した経験から言うと、古楽オーケストラの人たちは、すごく丁寧に挨拶をします。2番奏者として参加するときも、わざわざトップの奏者から話しかけてきてくれる。「新しい子がきたから、みんなでウェルカムしよう」という雰囲気があって、古楽奏者はみんな家族のような感覚なんですよね。

――ベルギーでは、アントワープの王立音楽院図書館・フランダース音楽研究所の研究員も務めていらっしゃいました。

研究員の仕事は現在はしていません。僕がやっていた研究というものは、果たして今やるべきなのか? と悩んだ日々がありました。紙の上での研究は90歳になってもできるけど、演奏会場で起こる音楽と観衆との化学反応を「研究する」ことは今しかできないな、と思ったのです。そう思っていた矢先にコロナ禍もあり、デリバリー古楽を体験し、いろいろと音楽家としての人生について考え直すきっかけになり、思い切って辞めたんです。

――そうやってつねに自分のいる場所を確認し、軌道修正していくのはなかなかできることではありません。

僕は、変化することは良いことだと思っています。それを教えてくれたのはニューヨークだったかもしれません。なんでもすぐに辞めてしまう僕ですが、人とのご縁だけは切らずに、ずっと大切にしています。

――では今後、柴田さんはどこへ向かっていくのでしょう?

「たかまつ国際古楽音楽祭」をはじめ進行しているプロジェクトはいろいありますが、いつか叶えたいいちばんの夢は、ブラームスのシンフォニーを指揮することです。古楽の人にしか分からない、シャイなブラームスというのを表現したい。きっと皆さんがイメージするブラームスとはだいぶ違うと思います。モダンでも古楽器でも、どちらでもいいので全曲を振ってみたい、その夢が叶ったら音楽家を辞めてもいいぐらいです。

このインタビューの後も、「こんなプロジェクトが新しく決まりました!」と柴田から近況の報告が入るたび、筆者も楽しみで胸が躍る。屈託のないポジティヴなエネルギーを放ちながらも、持ち前のアンテナの鋭さと、内に秘めた芸術家ならではの繊細さで時代の空気を読み、まわりを味方につけながら思い描く夢へと着実に歩みを進めている柴田。次はなにが飛び出すのか? その活動からますます目が離せない。

柴田俊幸 Toshiyuki Shibata
フルート奏者。香川県立高松高校卒業。大阪大学外国語学部中退。ニューヨーク州立大学音楽学部卒業。奨学金を得てシドニー大学大学院音楽学部研究生、ベルギー政府より奨学金を得てアントワープ王立音楽院修士課程、ゲント王立音楽院上級修士課程を修了。
これまでにブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団などで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメント、ヴォクス・ルミニスなど一流の古楽器アンサンブルに参加し欧州各地で演奏。また室内楽では、バルト・ナーセンス、ギィ・パンソン、エリザベート・ジョワイエ、コンソーネ・クァルテット、小倉貴久子、中野振一郎、川口成彦などと共演を重ねる。
2019年にはB’Rockオーケストラの日本ツアーのソリストにルーシー・ホルシュと一緒に抜擢され好評を博した。また同年発売の『C.P.E.バッハ:フルート・ソナタ集』は『レコード芸術』2019年11月号にて海外盤CD今月の特選盤に選出された。
2020年のコロナ禍では、芸術の灯火を消さないために「デリバリー古楽」をプロデュース。密を避けた環境での演奏会の先駆けとして、国内外のメディア計18社の取材を受けるなど多くの注目を集めた。
2022年1月にアンソニー・ロマニウクとの『J.S.バッハ:フルート・ソナタ集/バッハによるファンタジアとインプロヴィゼーション』をリリース。
全米フルート協会国際連絡委員を2014~17年に務めた。2016~2018年にはアントワープの王立音楽院図書館・フランダース音楽研究所の研究員として時代考証演奏法の研究、現在は18~19世紀のフランダースの作品の発掘、楽譜の校正と出版に携わった。2017年にはじまった「たかまつ国際古楽音楽祭」の総合プロデューサーの職を4年間務め、現在は芸術監督として同音楽祭を支える。
『音楽の友』『パイパーズ』『THE FLUTE』Webマガジン『ONTOMO』『ぶらあぼ Online』などに寄稿。

【オフィシャルサイト】
https://www.toshiyuki-shibata.com/

公演情報
東京・春・音楽祭
柴田俊幸(フラウト・トラヴェルソ)&アンソニー・ロマニウク(チェンバロ/フォルテピアノ)

2022年4月18日(月)19:00
東京文化会館 小ホール

J.S.バッハ:無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調 BWV1013 より 第3曲 サラバンド(フルートとチェンバロ版)
即興(鍵盤楽器独奏)
J.S.バッハ:フルート・ソナタ ハ長調 BWV1033
J.S.バッハ:イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV807 より 第1曲 前奏曲
J.S.バッハ:フルート・ソナタ ロ短調 BWV1030
グラス:ファサード
J.S.バッハ:フルート・ソナタ ホ短調 BWV1034
即興(鍵盤楽器独奏)
J.S.バッハ:音楽の捧げ物 BWV1079 より 第7曲 上方五度のカノン風フーガ
J.S.バッハ:フルート・ソナタ ホ長調 BWV1035

公演詳細:
https://www.tokyo-harusai.com/program_info/2022_toshiyuki_shibata_anthony_romaniuk/

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