柴田俊幸
古楽と現代の間を行き来する芸術家でありたい【前編】

<Artist Interview>
柴田俊幸

古楽と現代の間を行き来する芸術家でありたい【前編】

text by 原典子
cover photo by Chakky Kato

柴田俊幸というフルート奏者の存在を筆者がはじめて知ったのは2020年、コロナ禍に入ってからのことだった。ベルギーを拠点に活動する柴田が、みずからプロデュースする「たかまつ国際古楽祭」のために帰国、しかし感染拡大のため音楽祭は中止となり、ベルギーにも帰れなくなった。そこで彼がはじめたのが「デリバリー古楽」なるサービス。お遍路笠を使った特製フェイスシールドを被り、個人宅を訪問して1対1でフラウト・トラヴェルソ(※モダン・フルートの前身となった古楽器)の生演奏を届ける活動は大きな話題を呼び、新聞やテレビなどでも取り上げられた。

それから何度も柴田と話す機会があったが、話を聞くたびに新しいプロジェクトに取り組んでいる彼の活動は、多面的かつ展開が速すぎて記事ではとても追いきれない。そこで今回は、柴田俊幸はどういう音楽家であるのか、彼が歩んできた道を振り返りながらポートレイトを描いてみたいと思う。

「コンクールもオーディションも受けてこなかったダメ人間なんで、僕の話なんて聞いてもなんにもなりませんよ」とインタビュー中に何度も口にする柴田。しかし、敷かれたレールの上を進むのではなく、みずからの意志で道を切り拓き、古楽と現代の間を往来しながら活動する彼の姿は、新しい時代の音楽家のあり方とその可能性を映し出しているのではないだろうか。

音楽家を志すきっかけとなった《第九》の指揮体験

©Malou Van den Heuvel

――まずは、フルートとの出会いについてお聞かせください。

小学校4~5年生の頃は野球部でキャッチャーをしていましたが、ある日、家の押し入れにフルートを見つけたんです。どうやら母が昔、趣味でフルートをはじめてすぐに金属アレルギーだと分かって辞めたらしくて(笑)。吹いてみたら音が鳴ったので、やってみようと思ったのがきっかけです。

――先生について習いはじめたのですか?

レッスンにも通っていましたが、すぐに辞めてしまいました。上から「~しなさい」と言われるのが昔からすごくイヤな性分で。小学校の授業でクジラの絵を描いたときも、クラスでひとりだけ緑色に塗って、「僕はそういう風に感じたんだからええやん」と言うような、そういうタイプの人間でした。
中学校ではバスケットボール部に入って、少々荒れていた学校だったので、1年生のときから先輩にボコボコにされたりしていました。高校は進学校だったのですが、合格したらフルートを買ってあげると両親に言われたので、がんばって勉強して無事合格。そこで初めて吹奏楽部に入部、オーケストラにも参加しました。

――絵に描いたようなスポーツ少年ですが、クラシック音楽を聴くのはお好きでした?

高校に入る前の段階で壁一面がクラシックのCDの棚になるぐらい、よく聴いていました。その頃はバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった「トラディショナルな和声」の音楽が大好きで、ドビュッシーとかは苦手でしたね。

――高校で音楽の部活に入って、いかがでしたか?

オーケストラ部は基本的に弦楽のみだったのですが、毎年《第九》の演奏会があって、卒業生や市民が2000人ぐらい集まって、オーケストラ部の演奏で歌うのが恒例になっていました。僕も1年生のときから歌っていて、2年生ではフルートを演奏し、3年生で指揮を任せてもらいました。そのときですね、「音楽っていいなあ、音楽の仕事がしたいなあ」と思ったのは。
高校3年生だからまわりはみんな受験勉強しているのに、どんどんベートーヴェンにのめり込んで、《第九》のCDを30枚ぐらい買い集めました。そのなかで僕がいちばん気に入っていたのはロジャー・ノリントンとフランス・ブリュッヘンの演奏だったんです。まだ古楽の「こ」の字も知りませんでしたが、「なんか面白いことやってるな」と思って、その頃一般的だったテンポよりも少し速めにしたり、スコアには書いていないrit.(リタルダンド)をしなかったり。それがまさか古楽だったとは!

――フルートより指揮の体験が、音楽を志すきっかけになったと。

こんなこと言ったら怒られてしまいますが、ピアノが弾けなかったからたまたまフルートを吹いていたというだけで、個人的にはオーボエのように、朗々と豊かにメロディを歌う楽器が好みです。フルートってメンデルスゾーン以降、オーケストラの楽器としてどんどん音数が増えていって、ドビュッシーやメシアン以降、近代から現代にいくにつれてパーカッシヴになっていくじゃないですか。そこまでいくと僕が目指している音楽とは違う。そういう意味で、僕が今「古楽」というフィールドフィールドを中心に活動しているのは、パーカッシヴな方に向かう前の時代のフルートが好きだからなんですよね。フルートを吹くなら、古楽あたりのレパートリーがいい。そこを究めるために古楽をやってみようという。

――「フルート」にも「古楽」にも縛られない考え方が柴田さんらしいですね。

芸術の力を知ったニューヨーク時代

©Jens  Compernolle

――大学は大阪大学の外国語学部に進まれたとのこと。音大は考えなかった?

ちょうど高校を卒業するとき、大阪外国語大学と大阪大学が統合するという話を聞いて、面白そうだと思って英文科に入ったのですが、授業もまったく出ずに1年足らずで辞めてしまいました。ここで出会った友人たちはかけがえのない存在ですが、あのとき音大に進まなかったのは僕にとって「逃げ」だったと思いますし、そのせいで1年を棒に振ったことを本当に後悔しています。その時間をちゃんと音楽に費やしていたら、僕の人生はまったく違ったのではないかと……。僕はいつもそうで、コンクールや音大受験、オーケストラのオーディションといったあらゆる試験を、なんとかして受けずにやり過ごしたいと思いながら生きてきたんです。

――その後は、ニューヨーク州立大学の音楽学部に留学されました。

新宿のドルチェ楽器で、アマチュアでも受けられるマスタークラスがあって、ヨーロッパとアメリカから音大の教授が来て教えてくれるというので、受けてみたんです。そうしたら、3人の教授のうちふたりに「意外とイケる。面白いし、音も日本人離れしているから、すぐに音大で勉強した方がいいよ」と言われて、「あ、そうですか、じゃあ行きます」って。あとのひとりには酷評されたんですけど。
そんなこんなで教授たちがドルチェ楽器の人に伝えてくれて、そこからうちの両親にも話がいって、「じゃあ、ちょっと留学を考えてみようか」ということになり、ピアノの試験がない大学を選んだらニューヨークだったという。

――大学ではフルートを専攻されたのですよね?

はい、モダン・フルートです。ただ、講義には行かずに音楽の専門書ばかり買って読み耽っていました。あとはパーティ! ニューヨーク州立大学パーチェス校は、実際に行くまでまったく知らなかったのですが、ジョン・F・ケネディがヒッピーのために作った芸術大学のようなところで、当時も自由な空気に満ちていました。ルームメイトが毎晩パーティに連れて行ってくれて、ジャズ・ミュージシャンや映画監督、ダンサーといった人たちと仲良くなって、めちゃくちゃ楽しかったですね。

――クラシックの音大の雰囲気ではまったくないですね。

全然違いましたね。ただ、プロのフルート奏者を目指すという面においては、熾烈な競争社会のなかでニューヨーカーの冷たさに触れてしまう出来事が多々あって……。どんどん大学の外に出て行って、いろんな人と会おうと思うようになったのもそのせいです。アート・コーディネーターのアルバイトなどをしながら、マンハッタンのさまざまなジャンルのアーティストたちと交流していました。
そして卒業前の2011年3月に、東日本大震災が起きたんです。ニュースを見て、どうしてもニューヨークでなにかしたいと思って、僕がプロデューサーになって義援金コンサートを開催しました。プロデュースなんてしたこともなかったのですが、たまたま大学でアート・プロデュースを学んでいる学生に日本人が3人もいて、彼らにも手伝ってもらいながら、1日で100万円ぐらい集めて日本に送ることができました。
ジャズ・ピアニストの穐吉敏子さんや、いけばな草月流の勅使河原季里さんと川名哲紀さんなど、ニューヨークで活躍する偉大なアーティストたちにもご協力いただき、「芸術の力ってすごい!」と心底思いました。その頃からですね、演奏家ではなく「芸術家」になりたいという気持ちが大きくなっていったのは。芸術という媒体を使って皆にエネルギーを発信する、そういう存在になりたいと思うようになりました。

――現在、柴田さんが芸術監督を務める「たかまつ国際古楽祭」の理念にも通じるものがあるように感じます。

そうかもしれませんね。とはいえ当時は、いくらアーティストになりたいと願っても、「フルートしか吹けんわ、どうしよう」みたいな状態で。やりたいことと、できることのギャップというもどかしさを抱えながら、卒業後はニューヨークでフリーランスとして、スタジオ・ミュージシャンの仕事や、オーケストラのエキストラの仕事などをしていました。オーケストラの正規団員のオーディションも何度か受けようとはしましたが、どうしても人にジャッジされる、あの空間が苦手で……。「コンクールも受けてないのに、オーディションなんてできるわけないわ」と思って、そういうところからは手を引くことにしたんです。

牛丼屋の住み込みバイトからベルギーへ

©Malou Van den Heuvel

――ニューヨークのあと、現在拠点とするベルギーに行かれたのですか?

いえ、その間に一度日本に帰っていた期間があります。結局、ニューヨークに疲れて故郷の香川に帰ってきたんですよ。とはいえ香川には仕事がないので、ばあちゃんに10万円借りて、「ちょっと東京行ってくるわ」と上京しました。ところが東京は家賃も高いし、仕事もなかなか見つからず、路頭に迷いかけたとき、たまたま東武東上線の大山駅のそばにある牛丼屋の前を通りかかって……。

――大山駅といえば、商店街の長いアーケードがあるところですね。牛丼屋って、あのチェーン店の?

そうです! あの商店街を「お腹減ったなあ、どうしようかなあ」と思いながら彷徨っていました。ふと目に入った牛丼屋に入って行き、「バイトしたいんです」と言ったら、店長さんが出てきて「どういう状況なの?」と聞かれました。そして「うちの店長室、夜中は使っていないから、そこで寝れば?」と言ってくださったんです。まさに渡りに船ということで、店長室に寝泊まりしながら、週5~6日のシフトで働きはじめました。牛丼屋に住み込みで働いた音楽家って、ほかに絶対いないですよね。

――その店長さんも人情に篤い方ですね。

もともとなにか事業に失敗して、牛丼屋で店長をしていたそうで、僕みたいな人を見て助けてあげたいと思ってくれたのでしょうね。ベルギーで仕事が軌道に乗りはじめてから「元気にやってます」とメールを出したら、とても喜んでくれました。今の僕があるのは、彼のおかげです。

――そこからベルギーに行くきっかけは、どのように訪れたのでしょう?

牛丼屋でひと月ほど働いていたある日、急にドルチェ楽器から電話がかかってきて、「柴田くん、日本にいるなら通訳してくれない?」と頼まれ、マスタークラスの通訳をしました。ベルギーのオーケストラの団員によるマスタークラスだったのですが、急遽、僕も飛び入りで演奏することになって。フルート奏者とピッコロ奏者と一緒にパパッと吹いたんです。そうしたら、ふたりに「ベルギーに来たらなんか仕事あるけど、どう?」と言われ、「あ、行きます」みたいな流れに。
「ベルギーに行くにはどうしたらいいのですか?」と聞いたら「演奏のビデオを送って」と言われたので、店長に3日間だけ休みをもらってビデオを撮影し、送りました。そして「来ていいよ」と言われたので、牛丼屋の店長室から直接ベルギーに飛んだという。

――すごい展開ですね!

千載一遇のチャンスを逃さず、波乱万丈の展開を経てベルギーへと渡った柴田。そこで出会った古楽の魅力とは

後編へつづく

柴田俊幸 Toshiyuki Shibata
フルート奏者。香川県立高松高校卒業。大阪大学外国語学部中退。ニューヨーク州立大学音楽学部卒業。奨学金を得てシドニー大学大学院音楽学部研究生、ベルギー政府より奨学金を得てアントワープ王立音楽院修士課程、ゲント王立音楽院上級修士課程を修了。
これまでにブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団などで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメント、ヴォクス・ルミニスなど一流の古楽器アンサンブルに参加し欧州各地で演奏。また室内楽では、バルト・ナーセンス、ギィ・パンソン、エリザベート・ジョワイエ、コンソーネ・クァルテット、小倉貴久子、中野振一郎、川口成彦などと共演を重ねる。
2019年にはB’Rockオーケストラの日本ツアーのソリストにルーシー・ホルシュと一緒に抜擢され好評を博した。また同年発売の『C.P.E.バッハ:フルート・ソナタ集』は『レコード芸術』2019年11月号にて海外盤CD今月の特選盤に選出された。
2020年のコロナ禍では、芸術の灯火を消さないために「デリバリー古楽」をプロデュース。密を避けた環境での演奏会の先駆けとして、国内外のメディア計18社の取材を受けるなど多くの注目を集めた。
2022年1月にアンソニー・ロマニウクとの『J.S.バッハ:フルート・ソナタ集/バッハによるファンタジアとインプロヴィゼーション』をリリース。
全米フルート協会国際連絡委員を2014~17年に務めた。2016~2018年にはアントワープの王立音楽院図書館・フランダース音楽研究所の研究員として時代考証演奏法の研究、現在は18~19世紀のフランダースの作品の発掘、楽譜の校正と出版に携わった。2017年にはじまった「たかまつ国際古楽音楽祭」の総合プロデューサーの職を4年間務め、現在は芸術監督として同音楽祭を支える。
『音楽の友』『パイパーズ』『THE FLUTE』Webマガジン『ONTOMO』『ぶらあぼ Online』などに寄稿。

【オフィシャルサイト】
https://www.toshiyuki-shibata.com/

公演情報
東京・春・音楽祭
柴田俊幸(フラウト・トラヴェルソ)&アンソニー・ロマニウク(チェンバロ/フォルテピアノ)

2022年4月18日(月)19:00
東京文化会館 小ホール

J.S.バッハ:無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調 BWV1013 より 第3曲 サラバンド(フルートとチェンバロ版)
即興(鍵盤楽器独奏)
J.S.バッハ:フルート・ソナタ ハ長調 BWV1033
J.S.バッハ:イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV807 より 第1曲 前奏曲
J.S.バッハ:フルート・ソナタ ロ短調 BWV1030
グラス:ファサード
J.S.バッハ:フルート・ソナタ ホ短調 BWV1034
即興(鍵盤楽器独奏)
J.S.バッハ:音楽の捧げ物 BWV1079 より 第7曲 上方五度のカノン風フーガ
J.S.バッハ:フルート・ソナタ ホ長調 BWV1035

公演詳細:
https://www.tokyo-harusai.com/program_info/2022_toshiyuki_shibata_anthony_romaniuk/

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