小林壱成
あるヴァイオリニストの肖像【後編】

小林壱成
あるヴァイオリニストの肖像【後編】

text by 本田裕暉
cover photo ©︎T.Tairadate/TSO

東京交響楽団コンサートマスターとしての活躍はもちろんのこと、ソリストや室内楽奏者としても多彩な活動を続ける若きヴァイオリニスト小林壱成。インタヴューの前編では、ヴァイオリンと出会った幼少期から東京藝術大学に進むまでの歩みをたどってきた。後編では、べルリン芸術大学大学院での学びや、自身が所属するラ・ルーチェ弦楽八重奏団とステラ・トリオの面白さ、そしてひとりの音楽家として守りたい信条について、今の小林の想いを聞いた。

小林壱成

ベルリンにて

――私が初めて小林さんの演奏を耳にしたのは「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2016」のエリア・コンサートでのことでした。ブラームス《ヴァイオリン・ソナタ第2番》第1楽章などを拝聴して、ノーブルでしっとりとした音色に魅了されたのですが、近年の小林さんは当時よりも一段と芯の強い音を奏でられるようになったと感じます。小林さんがベルリンに留学されたのは、ちょうどその翌年の2017年のことですが、やはり留学による変化は大きかったのでしょうか。

そうですね、やはりドイツで学んだのは大きかったと思います。ドイツでは主にミリヤム・コンツェン先生とアントン・バラホフスキー先生に教えていただきました。まず、コンツェン先生からは「集中すること」と「曲のディテールをいかに妥協なく弾くか」について学びました。よく言われたのは「マクドナルドになっちゃだめだよ」ということでしたね。「“レストラン小林壱成”として調理法や調味料の使い分けを全てハンドメイドでやっていくことが、演奏家としての価値を高めることにつながるから」と。どの音も集中して妥協なく弾くことの大切さを教えていただきました。

一方で、バラホフスキー先生には管弦楽作品のソロ部分なども含めて、コンツェン先生とはまた異なった角度から指導していただきました。まるで楽曲を解剖していくかのようなアプローチだったんです。「この音をこう弾くためには、こういう風に筋肉が運動する。それを頭に入れた上で……」といった具合に1音1音を丁寧に整えていく。そうして全ての音が「よい音」になったとき、結果的に「よい音楽」になる、と。面白いですよね。

クラスコンサート終演後の様子

――さらに、ベルリンではアルテミス四重奏団のもとで室内楽を学ばれていますね。

彼らがすごかったのは、4人が本当に同じことを考えていたところ。言葉まで一緒という感じでした。私はクァルテットは職人芸だと思っているんですよね。呼吸がどうとかではなく「なんだかわからないけれど合う」という次元まで持っていかなくてはならないものだと。その点、アルテミス四重奏団は本当にすごかったです。

――それを目指したいと思いましたか?

当時組んでいた仲間たちと色々頑張ってみたんですが、半年や1年でできるものではなかったですね(笑)。でも、深淵は見た気がします。

――貴重な体験をされましたね。

本当に。ちょうど私がべルリン芸術大学大学院の学生になった2017年から、ヴィネタ・サレイカ=フォルクナー先生(元・アルテミス四重奏団ヴァイオリン奏者)が教えはじめたのですが、レッスンで弾いてくださった音の全てが巧すぎて衝撃を受けました。ベルリンで過ごした5年間、私もそうした「真似できない巧さ」を目指し続けていました。

――小林さんの「音」は本当に色々な先生からの学びがあって、複雑に形成されてきたのですね。そして今では小林さんならではの唯一無二の音を奏でていらっしゃいます。

だとよいのですけれど(笑)。でも、確かに経歴的な部分では不思議なルートをたどっていると思います。ここまでたくさんの先生に習ったことも珍しいですし、いわゆる「コンクールの先生」のような人に習っているわけでもないのですよね。でも、自分にとってはそれがよかったのだと思います。

同世代からの刺激――ラ・ルーチェ弦楽八重奏団

――小林さんは室内楽の演奏にも積極的に取り組んでいらっしゃいますね。東京藝術大学と桐朋学園からそれぞれ4人の弦楽器奏者が集まり、2013年に結成されたラ・ルーチェ弦楽八重奏団での活動も10年以上続いています。ラ・ルーチェの一員として演奏されるなかで得たものはありますか?

ラ・ルーチェ弦楽八重奏団 ©︎木村敬一

もちろんです。やはりラ・ルーチェの8人は本当に個性が強いんですよね。第1回のリハーサルから「音の大洪水」だったのですが、それは今でも変わりません。まずは各々がやりたいことを全部出しきって、そこから削っていくかたちでリハーサルは進んでいきます。結局本番までに削り切れないことも多々あるのですが(笑)。こういった自分の考えを躊躇なく出していくスタイルは、私にとって新鮮な体験でした。毎年リハーサルの初日を迎えるごとに皆がどう成長してきたのかがよくわかって、それもよい刺激になっています。

摩擦があるトリオ――ステラ・トリオ

――その一方で、2017年にはラ・ルーチェのメンバーでもあるチェロの伊東裕さんと、ピアノの入江一雄さんとともにステラ・トリオも結成されていますね。

こちらは王子ホールのプロデューサーの星野桃子さんが、ホールの25周年を機に「MAROワールド」出演メンバーのなかから選んでくださって結成されたんです。私にとって室内楽の演奏は、小学生の頃に入団したジュニアオーケストラの体験の延長線上にあるものなんですよね。やはり皆と何かをやるのは楽しいし、お互いに音楽でリアクションするのも楽しい。それはずっと変わらないんです。

ステラ・トリオ ©王子ホール/撮影:横田敦史

――やはりステラ・トリオのおふたりとは音楽的な対話をしやすいのでしょうか?

じつは、ステラ・トリオはすごく「摩擦があるトリオ」なんです(笑)。もちろん対話はするのですが、考え方がだいぶ違う人間の集まりで。おそらく星野さんが、あえて個性が衝突する3人を選んだのかなとも思います。

ただ、以前は各々の個性がそれぞれ“線的”に主張していたようなところがあったのですが、最近はその“線”が一段と太くなったように感じます。個性が勢いよくぶつかりあう状態から、一人ひとりの“太さ”のある音楽がぐるぐると渦巻いて、お互いを巻き込んでいくような感覚に変わってきているんです

©王子ホール/撮影:横田敦史

オーケストラで演奏していても感じるのですが、ヴァイオリン・パートの20数名だけを見ても音楽観は各々違うのですよね。そのようななかでも最適解を見つけて、本番の舞台に持っていかなくてはなりません。ですから、最近は「皆が納得できるような答えを、いかに言葉を介さずに“聴きとる”ことができるか」ということを意識するようにしています。オーケストラでも室内楽でも、皆が思っているように弾ける“スペース”を作って、自分自身も含めた一人ひとりが“主張のある気持ちよさ”を感じながら個性を発揮できるような――そんなプレイングができるように心掛けています。

――今後も引き続き室内楽に取り組んでいかれますか?

もちろんです。室内楽でも、オーケストラでも、ソロでも、いい曲は何でも弾きたいですね。編成や形態の違いによって演奏時のスタンスは変わるかもしれませんが「音楽をする」ということに関しては何も変わりませんから。

何のために弾くのか

――小林さんは「何のためにヴァイオリンを弾くのか」と問われたら、どう答えますか?

音楽をするため、ですね。ではなぜ音楽をしているのかというと、それは自分のためです。自分がその曲を演奏したいから。音を聴きたいから。だから、私自身が音楽を再現する必要があるんです。

曲は誰かが弾かないと「実体験」にはならない。録音もよいのですが、スピーカーやヘッドホンを通して聴く体験と、演奏会場で生の音を聴く体験とでは全然違いますよね。そして、そういった「実体験」を一番直に感じることができるのは、やはり演奏している自分自身だと思うのです。自分の楽器が、からだが共鳴して、音が鳴っているわけですから。この体験を通して私自身も音楽についてものすごく考えますし、そうした一つひとつの積み重ねが「小林壱成」という人間の数十年後をかたちづくっていくのだと思います。そしてもちろん、この「再生し続ける」という行為は、会場に足を運んでくださるお客様に「何かしらの感情を持ってもらえること」にもつながっていくと信じています

――こうした考えを持たれたのはいつ頃からですか? プロを意識されたときから?

じつは、私は「プロになりたい」という風に意識したことはないんです。でも、そうですね……学部4年生のときだったかな。当時は「お客様のために弾こう」と思っていたんです。ただ、そうすると「何百人というお客様の期待を全て満足させなくてはならない」という凄まじいプレッシャーと闘い続けることになる。そんなとき、中木健二先生が「もっと自分のために弾いたらいいんじゃないのかな」と仰ってくださって、考え方が変わっていきました。それがきっかけとなって、留学中にも「音を再現するとはどういうことなんだろう」と色々考えたんですよね。

若い世代の人たちに音楽を体験してもらうには

――小林さんが大切にされている「実体験」を、若い世代の人たちにより広く体感してもらうためには何が必要だと思いますか?

難しい問題ですね。そもそも、今日よく演奏されるレパートリーが書かれた時代と比べて、今はエンターテインメント自体がものすごく増えてきていますよね。テレビもあるしYouTubeだってある。それらがなかった時代には、クラシック音楽の演奏会は重要な娯楽の「場」であったわけで、もっと身近な、そこにあって当たり前の存在だったはずです。

――確かに、娯楽が増えた現代では、相対的に存在感が薄くなっているところはありますよね。

加えて、日本人の性格と生活スタイルという要因も大きいと思います。欧米には今でもパーティーに行く風習がありますし、レストランや商店が集まっている広場もたくさんあります。そういった人が集まる場所で、当然のようにクラシック音楽が演奏されていて。そこを訪れた若い世代の人がふとした瞬間に「この曲いいな」と気づいて、クラシック音楽の世界に入っていく、ということもあると思うのですよね。

その一方で、日本には家のなかで成り立つ習慣が多いように感じます。お店で何かを買って帰って、自宅で食事することも多いですし、そもそもお店が集まっている「広場」自体が少ない。野外で誰かがクラシック音楽を演奏しているということもほとんどありません。

――実演に触れるきっかけがないわけですね。

でも、やはりクラシック音楽は電子的な、いわゆる「打ち込み」音楽などとは性質が違うので、魅力に気づいてもらうには「実体験」として接してもらうことが必要だと思います。今のポップスが好きな人のなかには「曲自体が好きなのではなく、アーティストが歌っているのを見るのが好き」という人も結構いると思うんです。そういった人たちにもクラシック音楽の存在を知っていただきたいのですよね

そのためには、例えば公園や大きな広場のある駅などで、放送入りのオーケストラ・コンサートをしてみるのもよいのではないかなと思うんです

――放送入りの出張公演ですか。

訪れたお客様のリアクションも映してほしいと思います。お客様が楽しんでいる姿であるとか、通りかかった人が足を止めて演奏に聴き入っているというような「雰囲気」も含めて放映するのが大事だと思うのです。それによって視聴者に「楽しそうだな」と思ってもらえるのではないか、と。東京交響楽団は演奏会をニコニコ動画で配信しているわけですが、そうした配信サービスでの「偶然の出会い」も含めて、普段クラシックを聴かない人にも「行ってみたいな」と感じていただくことが重要だと思います。

ジョナサン・ノットとともに聴衆の喝采に応える ©︎MATSUO Junichiro/TSO

また、最近は「0歳のためのコンサート」のような未就学児も対象としたコンサートが開催される機会が増えてきていますが、それをさらに拡大して、例えば年4回のシリーズ公演のようにしてもいいのではないかとも感じています。1回きりの体験で終わらせるのではなくて、音楽を聴くことになじんでもらう、習慣化してもらうという部分も大切だと思うのです。「もう1回行きたいな」と思ってもらえたときに、きちんと次の機会が準備されているように回数を増やして、ある種の「行事」にできたらよいのでは、と。

――偶然の出会いの「創出」と出会った後の「継続」の両面で強化していく必要がある、ということですね。

あとは、子どもたちの音楽との出会いの場としては、やはり学校の部活動という要素も大きいと思うのですが、近年は少子化や楽器の値段の高さなどもあいまって、吹奏楽部などがだんだんと活動できなくなってしまっているらしいのですよね。こうした文化がさらになくなっていってしまう前に、サッカーや野球もすごく楽しいけれど、「競争」とは違った部分で楽しめるものとして「音楽」があるのだよということも、ちゃんと伝えていかないとなと思っています。もちろん、コンクールなどでは心情的に「競争」という風に感じてしまうこともあるかもしれませんが、でも、本質的には「音楽は誰も敵にしない」ものなんだよと、うまく伝えていきたいですね。

それから、じつは最近、そもそもクラシック音楽を「聴く」という言葉/概念自体をなくしたらいいんじゃないかなって思い始めているんです。音楽教室的な「マナーを守って素晴らしい音楽を聴きましょう」という感じではなくて、乗り物に乗るのと同じような「体験する」感覚に落とし込んでいけたらと思うのですよね。ちなみに、私自身が音楽教室などでお話させていただくときには、いつも「寝てもいい」と伝えるようにしているんです。「コンサートホールの椅子は寝やすいものではないから周りの人には配慮してほしいけれど、でも音楽を浴びるのは疲れることだから、自由に堪能していってくださるとうれしいです」と。そうすると、皆さん意外と熱心に聴いてくださるのですよね。

もっと言うと「オーケストラ鑑賞教室」のような演奏会も、ちょっと子どもたちに寄り添おうとしすぎているのではないかな、という気もしています。まずは、たくさんの人が入るコンサートホールの大きさに驚いて、続いて舞台上にたくさん人が出てくるのを見て、そのままリヒャルト・シュトラウスの《ツァラトゥストラはこう語った》を35分間聴いて、はい終わり、というかたちもアリだと思うのですよね。もちろん、丁寧なレクチャーを聴いたうえで鑑賞するのも面白いでしょうけれど、言葉なしに感じるものもきっとあるはずで。だから、普通のコンサートの前半のみヴァージョンのような機会を作るのも、とてもよい「鑑賞教室」になるのではと思うんです。ちょっと暴論かもしれませんが(笑)。

最良の部品に

――最後に、音楽家として守りたい信条はありますか?

一つには、まず妥協しないこと。「今回はそうやって弾けばいいのね」というその場しのぎの演奏はなんとなくできてしまう。でも、私たち「音楽再生者」は職人であるべきだと思うので、そのような演奏はしたくないです。この考え方は根底にあります。

ただ、最近は純粋に「舞台で音楽をしている」「今、音楽を作っている」という状態をより良いものにできたら、そして居合わせている人たちに何かしらを分かち合えたらいいなと感じるようになりました。私は演奏中に機械の歯車やねじになっているような感覚をおぼえるのですが、このパーツがよいものであればあるほど、できあがる機械全体もよいものになるわけです。そうした「最良の部品」として、アンサンブル全体をポジティヴな方向へと持っていける演奏家/人間になれるように努めていきたいです。

©︎T.Tairadate/TSO

小林壱成 Issey Kobayashi
東京藝術大学、同大学院を卒業・修了し、ドイツ・ベルリン芸術大学大学院修士課程修了。Gyarfas Competition最高位受賞。在学中、 Symphonieorchester der UDK Berlinのコンサートマスターとしてヨーロッパ各国で演奏。幼少よりN響特別コンサートマスター篠崎史紀監督の青少年オーケストラT.J.O.S.で活動し、藝大にて師事。渡独後はProf.M.Contzen、バイエルン放送響第1コンサートマスター A.Barakhovskyに、また室内楽をアルテミス・カルテットに学ぶ。青山音楽賞新人賞、日本音楽コンクール他受賞多数。野村財団、明治安田QOL文化財団、ローム音楽財団等奨学生。ソリストとして、東響、読響、兵庫芸術文化センター管(PAC)ほか、M.ヴェンゲーロフとはバッハの二重協奏曲にて共演。国内外の音楽祭出演はじめ、レーピン等著名音楽家と共演を重ねる。

X(旧Twitter):https://x.com/isseyVn
Instagram:https://www.instagram.com/issey__kobayashi/#
東京交響楽団HP:https://tokyosymphony.jp/

執筆者:本田裕暉
1995年生まれ。青山学院大学大学院文学研究科比較芸術学専攻博士前期課程修了。主な研究対象は19世紀ドイツの音楽史、とくにヨハネス・ブラームス、マックス・ブルッフらの器楽作品。2018年より音楽之友社『レコード芸術』誌に定期的に寄稿。CDライナーノーツ、演奏会プログラム等に多数執筆している。

※この記事は、これからの時代に活躍してほしい音楽評論家やライターを広くご紹介する、FREUDEの「執筆者応援プロジェクト」の一環として、一般社団法人ビトゥイン・ミュージック・タイズの助成を受けて制作されています。

最新情報をチェックしよう!