ティエンチ・ドゥ
バッハをモダン・ピアノで「再創造」する

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ティエンチ・ドゥ

バッハをモダン・ピアノで「再創造」する

text by 本田裕暉

《ゴルトベルク変奏曲》をピアノで弾く/聴くことの意味

これはまた随分と面白いピアニストが出てきたな――。2022年10月にフランスのナイーブ・レーベルからリリースされたティエンチ・ドゥJ.S.バッハ《ゴルトベルク変奏曲》を聴き、その色彩感豊かで自由闊達な調べを耳にした筆者は、素直にそう思った。モダン・ピアノによる《ゴルトベルク変奏曲》のCDでここまでワクワクさせられたのは、2015年録音のイゴール・レヴィット盤以来かもしれない。

ドゥは1992年、中国南西部の貴州省貴陽市生まれのピアニスト。5歳の時にピアノを習い始め、10歳でリサイタル・デビュー。その後、ユンディ・リやサー・チェンを教えた中国の名ピアノ教師、ダン・シャオイーに師事した。これまでに香港TOYAMAピアノ・コンクール、ヴィースバーデン青少年ピアノ・コンクール、ショパン国際ピアノ・コンクール in Asiaなど、国内外の数多くのコンクールで入賞を果たしている。2016年にはボストンのニューイングランド音楽院に入学し、小林愛実の師でもあるマンチェ・リュウに師事。2021年からはニコラス・ホッジズの指導も受け、学びを深めている。

ショパンやシューマン、スクリャービン、ラヴェルなど幅広いレパートリーを誇るドゥだが、なかでもバッハに寄せる想いの熱さは格別のようで、《ゴルトベルク変奏曲》のCDブックレットには「私自身の音楽の旅は、その真の存在理由を、この点に――時とともにバッハの音楽への理解を深めていくことに――見出しているように思える」(西久美子訳)という1文まで見受けられる。ドゥはバッハの音楽の「再創造」に携われることが嬉しくてならないのだそうだ。

そんなドゥの奏でる《ゴルトベルク変奏曲》は、デュナーミクやアーティキュレーションへのこだわりが随所に感じられる変化に富んだ演奏で、聴いていてじつに愉しい。チェンバロなどを用いた、いわゆるHIP(Historically Informed Performance/歴史的知識にもとづく演奏)の流れを汲んだ録音も数多く登場している今、あえてモダン・ピアノでこの作品を演奏するからには、相応の説得力や目的意識が要求されるだろう。その点、剛柔自在にタッチを使い分けながら、上声部のしなやかな旋律線と低声部の歩みをごく自然なかたちで調和させた第2変奏をはじめとして、ドゥの演奏は本作品をピアノで弾く/聴くことの意味を存分に実感させてくれる。

Tianqi Du ©Yujing Chen

リピートあり、1時間27分に及ぶ長丁場の演奏だが(CDはもちろん2枚組)、反復時にボキャブラリー豊かな装飾が加えられており、聴き手を飽きさせないところもドゥの演奏の魅力のひとつ。それらは時として意外なまでに大胆だったりもするのだが、モダン・ピアノならではの表現力の幅広さを十全に活かしつつ、「こう弾いたら面白いでしょう?」「僕、この低音のモティーフが好きなんですよ」と――グレン・グールドよろしく鼻歌混じりに――聴き手に語りかけてくるようでもあって面白い。そうした創意工夫に満ちた「再創造」を味わえる点も、ドゥの演奏を聴く楽しみのひとつだろう。落ち着いた歩みで紡がれる冒頭のアリアから、どこか異世界からこだましてくるかのように幻想的に鳴り響く終曲に到るまで、ドゥの《ゴルトベルク変奏曲》はじつによく練り上げられている。

そして、こうした多彩な表現に説得力をもたらしているのが、ドゥの精確極まるタッチと巧みなペダリングだ。第5変奏や第26変奏などの快速部分での鮮やかな筆致も見事なのだが、それ以上に素晴らしいのは第9変奏や第13変奏、第25変奏などで聴ける素朴な歌の美しさ。特に透徹したタッチで繊細に紡がれる第13変奏の冷たい透明感をも帯びた調べは、心の奥底にすっとしみ込んで、胸の奥にしまっておいたはずの淡い哀しみをそっと思い出させてくれるかのような――そんな繊細な抒情美に満ちていて忘れがたい。

もう間もなく6月末には、この《ゴルトベルク変奏曲》によるドゥの来日公演が予定されている。ドゥが本盤を録音したのは2018年12月のことであり、それから既に4年半ほどの月日が流れた。さらなる深化を遂げたドゥが奏でるバッハは、はたしてどんな音色で鳴り響くだろうか。その熟成の成果を耳にするのが愉しみでならない。

ティエンチ・ドゥ Tianqi Du

5歳でピアノを始め、10歳で初のリサイタルを行う。その後ユンディ・リやサー・チェンも師事した中国の名教師、ダン・シャオイー教授のもとで研鑽を積み、チャイナ・スタンウェイ・ピアノ・コンクール、ヴィースバーデン・ユース・ピアノ・コンクール、サンノゼ国際ユース・ピアノ・コンクール、ショパン国際ピアノコンクールin Asiaなど、国内外の数々のコンクールで入賞を果たした。これまでにベルリン、エルサレム、トルン、サンノゼ、東京や中国の主要都市で演奏活動を行っている。2016年よりボストンのニューイングランド音楽院でマンチェ・リウのもと更なる研鑽を積んでいる。またピアノ以外にもビデオ・アートや作曲など様々な芸術形式にも関心を寄せている。

公演情報

ティエンチ・ドゥ ピアノ・リサイタル

2023年6月28日(水)14:00開演(13:30開場)
あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール

2023年6月29日(木)19:00開演(18:30開場)
電気文化会館 ザ・コンサートホール

2023年6月30日(金)19:00開演(18:30開場)
サントリーホール ブルーローズ

J.S.バッハ:《ゴルトベルク変奏曲》BWV988

公演詳細:https://www.amati-tokyo.com/performance/

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