音楽を「魂の糧」にしてほしいのです
――サントリーホール&ウィーン・フィルの青少年プログラム 公演レポート
text by 本田裕暉
cover photo ©Naoya Ikegami / SUNTORY HALL
「ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2024」の一環として、今年も中高生を対象としたレクチャーコンサート『サントリーホール&ウィーン・フィルの青少年プログラム』が開催された(11月16日、サントリーホール)。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がズービン・メータとともに来日した2009年9月に第1回公演が行われて以来、恒例となっている本企画だが、残念ながら筆者は学生時代に体験したことがなかった。そのため、公演の詳細については知らないままにサントリーホールへと向かったのだが、いざ実際に体験してみると「これは一人でも多くの中高生に参加してもらわなくては!」と強く思わせてくれる内容だった。以下、公演の模様を写真も交えてご紹介しよう。
世界最高峰の響きを中高生に届ける
『サントリーホール&ウィーン・フィルの青少年プログラム』は1時間ほどの上演時間のなかで、オーケストラや作品についてのレクチャーと毎年異なる楽曲の演奏がなされるという構成のプログラムだ。例年は学校や部活単位での申し込みが必要だったが、今年は個人での参加も可能となり、中学1年生から高校3年生(12~18歳)までの学生であれば、わずか2000円で世界最高峰のオーケストラの響きに触れることができるようになった。クラシック音楽ファンでない方に向けて念のため補足しておくと、この料金は衝撃的なレベルの“破格”であり、普通はこの値段でウィーン・フィルを聴くことはかなわないし、もちろん自らウィーンに旅行して聴こうとするとより高額な費用が必要となる。それだけに、サントリーホールとウィーン・フィルがこのような場を設けて、次代を担う若者たちに「本物の」芸術に触れる機会を提供してくれていることにはただただ頭が下がる思いだ。そして、こうしたチャンスを利用して、数多くの中高生が足を運んでくれていることもまた、筆者には非常に喜ばしく、また頼もしく感じられた。
ホールの担当者によると、今年は音楽科のある学校や音楽関連の部活動団体(オーケストラ部、吹奏楽部など)を中心に10校の中高生が参加していたとのことであり、それに加えて、個人枠の中高生もかなりの人数が来場していたようだった。当日、筆者がホールに到着したのは開場時刻から10分ほど経って、学校団体の入場が一段落した頃だったが、ちょうど個人受付の窓口に2、3名グループの男子高校生が連れ立って訪れていたのを見かけて、とてもうれしい気持ちになった。
楽団員による充実のレクチャー
青少年プログラムで扱われる楽曲やレクチャーの内容は毎年異なり、その進行は毎回ウィーン・フィルのメンバーと指揮者が相談して決定するのだという。今回のテーマ作品には、同日夕方の公演のプログラムからショスタコーヴィチ《交響曲第9番 変ホ長調》が選ばれた。
前半のレクチャー・パートでは、まずは2人の楽団員、ララ・クストリヒ(第1ヴァイオリン)とヘルベルト・マイヤー(コントラバス)がマイクを持ってオーケストラの前に立ち、楽団の歴史やウィーン・フィルならではの楽器の特徴について英語で説明してくれた(通訳:井上裕佳子)。ウィンナオーボエやウィンナホルン、そしてプラスチック製の皮ではなく本革を張ったティンパニなどは、ウィーン・フィルについて語る上では外せない要素だが、そうした楽器を用いる意義について、マイヤーは「これらの楽器には非常にあたたかい音が出る一方で、音が乱れやすいというリスクがあります。しかし、だからこそウィーン・フィルというオーケストラの響きが、そして言語ができあがったのです」と解説し、静かに耳を傾ける学生たちに音色に注意して聴くよう促していた。

そのうえで、レクチャーはショスタコーヴィチの《交響曲第9番》を紹介する後半パートへ。第1楽章の軸となる2つの主題や、第4楽章冒頭の「一説にはスターリン政権をイメージしていると言われる」(クストリヒ)暗いトロンボーンとテューバの響き、あるいは第4楽章で哀しいモノローグを吹いていたファゴットが、急にユーモラスな旋律を歌い始める第5楽章への移行部など、計7か所の実演を交えつつ、専門用語を用いずに、ときには大きな身振り手振りも駆使して解説していたのが印象的だった。ショスタコーヴィチの《第9番》は全5楽章のうち、後ろの3つの楽章が連続して演奏される作品であり、普段クラシック音楽を聴かない学生が事前知識なしに聴いた場合には、どこが楽章の切れ目なのかわからなくなってしまう可能性をはらんでいるが、楽曲中の重要な主題(=聴きどころ)を的確にピックアップしていくクストリヒとマイヤーのレクチャーは非常にわかりやすく効果的であり、この丁寧な解説を聴いた後であれば“迷子”になってしまうことはまずなかっただろう。
筆者は常々、普段クラシック音楽を聴かない人がこうした音楽を聴く際に、まず障壁となるのは「演奏時間の長さ」だと考えているのだが、今回のレクチャーでは、例えば「第3楽章で私が一番気に入っているのは、トランペットが西部劇のような音楽を奏でる部分なんです」(マイヤー)といった具合に、注目すべき部分をピンポイントで示すことによって、聴き手の印象を「全体で25分の交響曲」から「数十秒から数分の聴きどころが次々と現れる作品」へと(決して押しつけがましくはならずに)変化させることに成功していたように感じられた。こうしたアプローチによるレクチャーは、来場した中高生はもちろんのこと、同行していた教員にとっても大いに参考になる内容だったのではないだろうか。また、配布されたA5版のプログラム冊子には出演者のプロフィールや楽団員名簿の他に、飯尾洋一氏が本公演のために書き下ろした明快なプログラム・ノート(見開き1頁)も掲載されており、しかもこの解説文は、団体として申し込んだ学校の教員には事前学習用にあらかじめ共有されていたのだという。もちろん、個人で参加した中高生の事後学習にも大いに役立つはずだ。それにしても、楽譜を読む代わりにフォルクハルト・シュトイデ(コンサートマスター)やシュテファン・ハイメル(トランペット)、ソフィー・デルヴォー(ファゴット)といった名手たちのソロを聴けばよいとは、なんと贅沢なレクチャーなのだろう……!

ネルソンスのメッセージ
作品を演奏する前に、指揮者が中高生に語りかけたメッセージもまた心に残るものだった。マイヤーの「この曲を演奏するには優れた指揮者が欠かせません。ボストン交響楽団の音楽監督とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長を務めている、アンドリス・ネルソンスです」との紹介を合図に登場したネルソンスは、客席に向かってにこやかに「おはようございます。私は長くは話しません」と前置きしたうえで、学生たちに向かって次のように語っていた。
「音楽を一生の糧にしていただきたいです。コンサートは人から“ここが大事”と言われて聴くものではありません。音楽を聴いて楽しいと思う人もいれば、悲しくなる人も、あるいは退屈に感じる人もいるでしょう。一人ひとりが音楽との個人的な関係を築いてほしい。そして、音楽を皆さんの“魂の糧”にしてほしいのです」(ネルソンス)

ネルソンスのスピーチに先立って、楽団員はショスタコーヴィチの音楽を味わうための基礎を示してくれたわけだが、こうしたレクチャーには、どうしても「お勉強」のようなニュアンスが多少なりとも含まれてしまう。ネルソンスはそうした「教えてもらった聴き方」から、学生たちを解放したのであった。
もちろん、クラシック音楽を聴くうえで知識は多いに越したことはない。クラシック音楽は、作品や作曲家、曲が書かれた時代背景などの情報を知れば知るほど、より深く楽しめる分野である(と筆者は確信している)。しかし、そうした知識を蓄えることと同じくらいに、聴き手である一人ひとりが直接音楽と向き合い、それぞれに想いを巡らしながらホールに響き渡る音を味わうこともまた大切である。短くも重要なメッセージを伝えた後、ネルソンスはオーケストラに向き直り、タクトを振り上げた。
当たり前のことを書くようだが、やはりウィーン・フィルは巧い。客席全体をあたたかく包み込むような、よく融けた響きのなかから聞こえてくる魅力的なソロの数々。ハイメルが奏でるどこまでも突き抜けていくかのような「西部劇」の調べ。デルヴォーが紡ぐ、美しく味わい深いモノローグ。あるいは、2日前の晩にマスタークラスで3人の音楽家を熱心に指導したソロ・フルート奏者カール=ハインツ・シュッツの躍動感あふれる熱演(途中、顔を真っ赤にしながら吹いている場面まで見られた)。
だが、それ以上に印象に残ったのは客席の極めて高い集中力だった。学生たちが1音たりとも聴き逃すまいと真剣に耳を傾けていることが手に取るように伝わってくる、得も言われぬ緊張感をもはらんだ静寂。これほどまでに一体感のある客席は、なかなかお目にかかれない。来場した中高生にとって、この25分間は、いったいどんな時間だっただろう。
一口に「音楽」と言ってもこれだけ様々な響きの色があるのだということを、「音色」という言葉の意味を、世界最高峰のオーケストラが直接教えてくれる――。このかけがえのない営みがこの先も脈々と受け継がれていくことを願うとともに、来年以降も、一人でも多くの若者たちがこうしたプログラムを通して「音楽」について考え、興味を持ってくれることを願うばかりだ。そして、少しでも興味を持ったならば、また別の公演にもぜひ足を運んでいただきたいと思う。日本では、サントリーホールをはじめとする数々の素晴らしいホールで、毎日のようにコンサートが開かれているのだから。
公演情報
ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2024
サントリーホール&ウィーン・フィルの青少年プログラム2024年11月16日(土)11:00
サントリーホール 大ホールアンドリス・ネルソンス(指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(管弦楽)曲目:
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 変ホ長調 作品70演奏前の楽団員による曲目解説(日本語通訳:井上裕佳子)
ララ・クストリヒ(第1ヴァイオリン)
ヘルベルト・マイヤー(コントラバス)公演詳細:
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20241116_M_1.htmlウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2024特集ページ:
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/feature/wphweek2024/