パリ管メンバーによるGOA公開マスタークラスレポート
フレンチ・オーケストラ・サウンド その根底にあるもの
text by 八木宏之
cover photo by 冨田了平
アンサンブルのなかで学ぶオーケストラ・スタディ
東京芸術劇場が2014年に開講した「芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド(以下、GOA/旧称:芸劇ウインド・オーケストラ・アカデミー)」は、音楽大学を卒業した若手管楽器奏者が、プロの音楽家として活動するのに必要な能力を、3年かけて磨く学び舎である。ソロやアンサンブルのレッスンでは、管楽器以外の演奏家も講師に招かれ、それぞれの楽器のテクニックにとどまらない、多彩な表現を学んでいく。演奏だけでなく、プロの音楽家として生きていくうえで必要なさまざまなスキル、たとえば企画の運営に不可欠な会計や広報の知識、プログラムノートを執筆するための文章力などを身につける「キャリアアップゼミ」も開講されるなど、GOAはより広い視野での演奏家養成を10年にわたって続けてきた。
多くのアカデミー生たちにとって、プロのオーケストラのオーディションに合格し、正団員のポストを得ることは大きな目標のひとつである。そのため、オーディションで課されるオーケストラ・スタディ(オーケストラのレパートリーのなかから、各楽器のソロや技術的難所を抜粋したもの)への対策も、アカデミーのカリキュラムのなかで重要な位置を占めている。木管楽器、金管楽器のセクション単位でオーケストラ・スタディのレッスンを受けられるのも、多くの演奏家が集うアカデミーならではの利点だろう。自分がソロを吹いているときに、ほかのパートがどのような動きをしているのかを正確に把握することはオーディション合格の鍵となるが、ひとりでオーケストラ・スタディに取り組み、一対一のレッスンを受けるだけでは、こうした知識はなかなか得ることができないのだ。
「ひとりで演奏しているときにはわからないほかの楽器との絡み方などを、実際にアンサンブルのなかで学べることは大きなメリットです」(栗山かなえ/クラリネット・10期生)
「セクションでレッスンを受けるときには、ひとりで準備してきたものを、周りを意識しながら出さなければならないので難しさもありますが、その分気づきも多く、より実践的だと感じます。先生方からは、“そこはトランペットと聴き合って”“あなたがイニシアティブを取るように”など、セクションでのレッスンならではの、視野の広がるようなアドバイスもいただけます」(古川優貴/ホルン・10期生)
音楽とアンサンブルで遊ぶオーケストラ
2025年6月17日にめぐろパーシモンホールで開催された、パリ管弦楽団メンバーによる、GOAアカデミー生を対象にした公開マスタークラスは、このアカデミーが提供する貴重な学びの一例だろう。パリ管によるGOAアカデミー生へのマスタークラスは、2023年に続き2回目となる。今回のマスタークラスに参加した受講生のなかには、2023年にもパリ管のメンバーから指導を受けたアカデミー生もおり、前回のレッスンで得た学びをさらに深めようとする彼らのモチベーションは高い。今回、講師として参加したパリ管のメンバーは、フィリップ・ベロー(首席クラリネット奏者)、助野由佳(ファゴット奏者)、ブノワ・ド・バルソニー(首席ホルン奏者)、ギヨーム・コテ=デュムーラン(首席トロンボーン奏者)、ステファン・ラベリ(首席テューバ奏者)の5名。セクションごとのレッスンをスムーズに進めるために、指揮者の西村広幸(東京藝術大学大学院在籍)がアカデミー生たちの演奏をサポートする。木管楽器と金管楽器、各3時間ずつのレッスンでは、パリ管のレパートリーを中心に、オーケストラ・スタディの充実したレッスンが展開された。
パリ管は1967年の創設以来、フランスのオーケストラ芸術を代表する存在として、世界各地で演奏を行ってきた。前身のパリ音楽院管弦楽団時代を含めると約200年の歴史を誇る名門オーケストラであり、フランスのオーケストラのサウンドといえばパリ管のそれを思い浮かべる音楽ファンも少なくない。フランスのオーケストラでありながら、フランス式のバソンではなくドイツ式のファゴットを使用し、グローバリゼーションに適応しながらも、フランスのオーケストラらしい軽やかで色彩豊かな響きを今日まで保ち続けてきた。アカデミー生も、ホールに集った音楽ファンや管楽器学習者も、彼らの音色やサウンドがどのように作り上げられているのか、その秘密を知る手がかりを得たいとの思いは同じだろう。

ペローとバルソニーには個別にインタビューの時間を持つことができたのだが、興味深いことに、パリ管のサウンドの特徴について、ふたりはまったく同じ話を聞かせてくれた。パリ管は国際化が進み、日本人を含むさまざまな国籍の楽員が活躍するようになったが、オーケストラの核となる部分は今でもしっかりと守られているという。魔法のような時間を創造するべく、メンバー全員が一つひとつの演奏会に、ときに指揮者へ提案をするほどの自発性を持って臨んでいることが、パリ管のなによりの特徴であり、ペローはそんなパリ管を「室内楽的」なオーケストラであると語っていた。バルソニーによると、その中心にいるのはいつも木管セクションだという。指揮者とソリストの顔ぶれや、取り上げるレパートリー、使用する楽器がいかにグローバル化しようとも、パリ管の本質は決して変わらないと、ペローもバルソニーも断言する。
2019年からパリ管のファゴット奏者を務める助野にもパリ管の音楽的特徴について尋ねると、「とにかく音楽とアンサンブルで遊ぶオーケストラ。首席奏者だけでなく、全てのメンバーがソリストの意識を持って主体的に演奏することが、パリ管の天から降り注いでくるようなサウンドを作り出している」と答えてくれた。パリ管に入団する前は、バンベルク交響楽団のアカデミーで研鑽を積み、スイス、ドイツ語圏のベルン交響楽団のメンバーだった助野だが、自由な空気を持つパリ管にはごく自然に馴染むことができたという。こうした懐の深さも、パリ管の音楽を語るうえで欠かすことのできない要素だろう。

イメージから作り出される音色
木管楽器のレッスンで取り上げられたのは、ベルリオーズの《幻想交響曲》とドビュッシーの《海》の2曲。どちらの作品も、1967年11月14日にシャンゼリゼ劇場で行われた、楽団創設記念演奏会で取り上げられたパリ管の十八番であり、《幻想交響曲》は2025年の日本ツアーのプログラムにも含まれている。レッスンの冒頭で披露されたアカデミー生たちの演奏は、今回のマスタークラスのために多くの準備を重ねてきたことが窺える、完成度の高いものであったが、ベルリオーズもドビュッシーも、作品に対するイメージがメンバーの間で共有されていない印象を受けた。ベローはアカデミー生たちが音を正確に並べることに注力している点を見逃さず、楽章ごとに音楽のイメージとキャラクターを具体的に示していく。
《幻想交響曲》であれば、静謐な第1楽章冒頭から物語を語るように、そして音楽の要所では物語の登場人物になりきって演奏すること。第2楽章では、オーケストラで一体となってワルツを踊りながらも、そのなかで登場人物の心理がどのように揺れ動いているかを常に意識すること。《海》では、ドビュッシーがその眼で見たブルターニュの海や、さらにその奥にある浮世絵のなかの海をイメージし、作曲家のインスピレーションの源に想いを馳せながら、響きやフレーズを作り上げることの大切さを説いていく。ペローの言葉の数々は、パリ管の色彩豊かなサウンドの秘密を解き明かすヒントとなるものであろう。アカデミー生たちの演奏も、具体的なイメージを得て、明らかに立体感を増していった。こうした指導からも、演奏家は普段から頭のなかにできる限り多くのイメージをストックしておく必要があり、そのためには楽器の練習だけでなく、人生そのものを充実させなければならないということに気付かされる。GOAが楽器のレッスンに限らない、さまざまなカリキュラムを用意しているのも、そうした豊かさを得るためのものであろう。レッスンを受講したアカデミー生たちも、音楽のイメージを明確に持つことの重要性をしっかりと受け止めていた。
「ドビュッシーの《海》での、ここは風、ここは波、ここは鐘を表しているというお話や、“自分がモネの絵画の色のひとつになったように”という例えは、とてもイメージがしやすいアドバイスでした。音楽の特徴や形式、その場面はなにを表しているのかを理解しながら演奏することを、これからも心掛けていきたいと思いました」(栗山)
「今後オーディションへ向けてオーケストラ・スタディを練習する際には、楽曲のキャラクターや時代背景など、作品の深いところまで探究したいと思います」(古川)
もちろん、音楽のイメージだけでなく、演奏するうえで必要なテクニックの指導も行われた。助野は、アカデミー生たちが求めているであろう技術的な助言を、レッスンの随所で補足していく。とりわけハーモニーの作り方を掘り下げ、セクションで和音を鳴らす際に、正しい音程だけでなく、一人ひとりが身体全体を使って音を響かせることが大切であると強調していた。バルソニーは、自らも積極的に楽器を吹いて実例を示し、ときにアカデミー生たちの隣に座ってともに演奏していた。真横で体感するパリ管首席奏者の響きは、アカデミー生たちにとって、大きな財産となったに違いない。
「今後大事にしていきたいアドバイスはたくさんあるのですが、バルソニーさんが僕たちのところまで来て一緒に演奏してくださったこと、その一瞬から多くのことを学びました。音色の選択、フレーズの運び方、首席奏者としてのリーダーシップ……至近距離で世界のトップを感じることのできた貴重な体験でした」(古川)
木管楽器のレッスンではグノーの《小交響曲》も取り上げられ、アカデミー生たちの巧みな演奏に講師たちからも「すでに作品のエスプリを理解している」と賞賛の声があがった。残り時間が少なく、細部の指導はあまり行われなかったが、アカデミー生たちは自分たちの手で、軽妙洒脱なグノーの音楽の本質を的確に捉えていた。オーケストラ・スタディの演奏に聴かれた迷いのようなものがここでは全く感じられなかったのは、室内楽の方が彼らにとってより馴染みのある領域だったからだろう。言い換えれば、オーケストラでの演奏経験を十分に得るのはそれだけ簡単なことではなく、だからこそ、こうしたマスタークラスが行われる意義は大きいのである。

多彩なパレットから適切な音色を選ぶ技術
金管楽器のレッスンでは、コテ=デュムーランの編曲によるバッハのコラールに始まり、デュカの《ラ・ペリ》からファンファーレ、ブルックナーの交響曲第9番、そして木管楽器と同じくベルリオーズの《幻想交響曲》が取り上げられた。金管楽器のレッスンでなにより驚いたのは、アカデミー生たちのハイレベルな演奏である。木管楽器も優秀なアカデミー生ばかりだったが、金管楽器はさらに一段階上の水準に達していた。
《ラ・ペリ》のファンファーレでは、思わずブラボーと叫びたくなる。それほど説得力のある演奏であった。金管楽器のレッスンでは、木管楽器以上にセクションでの響きの作り方に重点が置かれていたのは、オーケストラにおける彼らの役割を考えれば当然のことであるが、指導の核となっていたのは、そうした響きを作曲家や作品ごとにどう変化させていくのかという点であった。そこでも音楽に対するイメージが鍵となる。《ラ・ペリ》では、コテ=デュムーランがフランス語の話し方をイメージして吹くようにアドバイスすると、サウンドはより明るく、輝かしいものへと様変わりした。アカデミー生たちが入念に準備した構築的な演奏が、フランス語のイメージひとつで柔軟性を増し、デュカの音楽によりふさわしいニュアンスを得たのだ。その変わりようは、コテ=デュムーランが「あまりの素晴らしさに鳥肌が立った」と絶賛するほどのものだった。GOAのミュージック・アドヴァイザーを務めるホルン奏者の福川伸陽も、フランス語の響きがフランス音楽の演奏にどう作用しているのかをアカデミー生たちに感じ取って欲しいと話していたが、まさにそうした学びを彼らが掴み取った瞬間であった。
作曲家ごとに求められているサウンドを理解し、多彩なパレットから適切な音色を選ぶことが必要とされるオーケストラ演奏において、イメージは演奏技術の一部をなしていると言えるかもしれない。金管楽器の講師陣がマスタークラスの課題曲にさまざまな国や時代の作品を選んだのは、そうした音や響きの使い分けを学んで欲しいという意図があってのことだろう。ブルックナーのサウンドは当然、デュカのそれとは全く異なるものであり、フレージングも、アタックやリリースの処理も、絶えずオルガンを意識して演奏するようにと、ラベリは繰り返し指導していた。

《幻想交響曲》では、テューバに対して、オフィクレイドとセルパンの鼻をつまんで話すようなくぐもった響きを意識して演奏するようにアドバイスしていたのが印象に残った。こうした助言は、HIPや古楽器の知識がモダン・オーケストラのプレイヤーにも欠かすことのできないものになっていることを感じさせた。作曲家がどのような音色をイメージしてオーケストレーションを施し、初演時にその作品はどのように鳴り響いたのか。そうした学びは、大西洋の波の音を知るのと同じように大切なのだ。
アカデミーの最終年次に在籍する山田悠貴は、現在、仙台フィルハーモニー管弦楽団の首席テューバ奏者を務めているが、すでにプロのオーケストラで活躍する山田にとって、そうした知識は欠かすことのできないものである。
「パリ管の方々が、作曲当時のオーケストレーションはどんなものだったのかなど、作曲家が生きた時代や楽曲の背景を強く意識しながら演奏していることを知りました」(山田悠貴/テューバ・10期生)

レッスンの終わりには質問コーナーが設けられ、講師たちに、本番との向き合い方やリフレッシュの方法から、身体に負担のかからない演奏法まで、さまざまな質問が寄せられた。そのなかに「日本人の演奏の特徴と、そこに足りないものはなにか」という質問があり、コテ=デュムーランは「日本の若者は以前から真剣に音楽に取り組んでいたが、今はそこに、一歩踏み出して自分らしい表現を追い求める意欲も感じられるようになった。そのレベルは今や欧米と同じ水準に達している」と答えていた。マスタークラスに立ち会った私も、彼と同じ意見である。とりわけ金管楽器のアカデミー生たちの演奏は、世界トップレベルと言っても過言ではないだろう。ペローとバルソニーも、アカデミーのレベルの高さに驚き、とりわけバルソニーは「すでにプロのオーケストラで通用するレベルの人が何人もいた」と話していた。しかし、アカデミー生たちの表情からは、講師たちのコメントを信じきれない様子も窺えた。彼らが自らの努力に誇りを持ち、自分の音楽を心から信じられるようになったとき、アカデミー生たちは世界へ大きく飛躍するだろう。その日はすぐそこに迫っていると感じさせるマスタークラスであった。

公演情報
東京芸術劇場×フィルハーモニー・ド・パリ 海外劇場間交流事業2025
パリ管弦楽団メンバーによる公開マスタークラス2025年6月17日(火)13:00
めぐろパーシモンホール 小ホール講師:
フィリップ・ベロー(クラリネット・首席)
助野由佳(ファゴット)
ブノワ・ド・バルソニー(ホルン・首席)
ギヨーム・コテ=デュムーラン(トロンボーン・首席)
ステファン・ラベリ(テューバ・首席)指揮:西村広幸
フランス語通訳:大庭パスカル、名嘉地圭
受講生:芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド アカデミー生
公演詳細:https://www.geigeki.jp/performance/concert302/
芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド Webページ:https://www.geigeki.jp/performance/goa/