NHK交響楽団の「いま」を聴く
茂木大輔と読み解くN響の名手たちの妙技

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NHK交響楽団の「いま」を聴く

茂木大輔と読み解くN響の名手たちの妙技

text by 八木宏之

NHK交響楽団の5月公演ではオーケストラそのものにスポットをあて、コンサートマスターや首席奏者の妙技を楽しめる作品が多くプログラミングされている。そこで長年にわたりNHK交響楽団首席オーボエ奏者を務め、現在は指揮者として活躍するなど、オーケストラについて知り尽くす 茂木大輔氏に5月公演を楽しむポイントや聴きどころを聞いた。

矛盾するようなふたつの能力を併せ持つオーケストラ

――茂木さんは1991年から2019年まで28年間にわたりNHK交響楽団首席オーボエ奏者を務められました。そんな茂木さんからみて、NHK交響楽団はどんな特徴をもったオーケストラなのでしょうか? 音色やサウンドにはどんな特色がありますか?

僕が思う良いオーケストラの条件はふたつあります。ひとつは、指揮者や作品によって全く異なる音を出すことができる、多彩なパレットを持っていること。もうひとつはオーケストラ固有のサウンドを持っていること。この矛盾するようなふたつの能力が共存しているのが良いオーケストラだと思いますし、NHK交響楽団はまさにそういうオーケストラです。N響のサウンドにはやはり日本人の美意識というものがにじみ出ていて、サラサラとした日本画のような奥ゆかしい美しさがあるのではないでしょうか。

――茂木さんはN響に入団される前、シュトゥットガルト・フィルやバイエルン放送交響楽団、バンベルク交響楽団などドイツの名門オーケストラでご活躍されていましたが、ドイツのオーケストラとN響ではどんな違いがあったでしょうか?

オーケストラの特質を決めるひとつの要素として、国民性のなかで何を好み、何をやりたいか、という部分よりも、何を我慢できないか、という部分が大きいと思います。日本人は皆が好き勝手なことをやって、秩序のない状態は我慢できないですよね? そういう部分はオーケストラの性質に強く現れてきますし、N響の精密なアンサンブルに繋がっていると思います。反対に、抑えつけられたり、我慢を強いられたりするのに耐えられない個人主義のドイツ人たちが生み出すサウンドというのは、また特別なものです。そういう意味で、N響とドイツのオーケストラには大きな違いがありましたね。N響でとりわけ忘れられないのはリハーサルです。初日からメンバー全員が完全な準備を整えてリハーサルに臨んで、リハーサル初日から高い完成度にある。N響のこうした美質は世界でも大変珍しいものだと思いますし、ドイツでは体験したことのないものでした。

――茂木さんが首席オーボエ奏者を務められた時期は、デュトワ、アシュケナージ、プレヴィン、パーヴォ・ヤルヴィといった世界的なマエストロをシェフに迎え、N響が国際的オーケストラへとさらに飛躍していった時代と重なります。28年間のなかで、オーケストラはどう変化していったでしょうか?

僕が在籍した28年間でオーケストラは大きく変化しました。オーケストラというのは音楽史を見てみても、社会のひとつの象徴、社会が生み出す産物と言えます。僕が体験した28年間のN響の変化は、日本社会の変遷と強く関係しているのです。入団した頃は、まだまだ戦後昭和の強気な社会の名残がオーケストラの中にも感じられました。学生運動に代表されるような、より良い社会の実現のために互いの意見をぶつけ合う世代と言えば良いでしょうか?男性楽員の比率も圧倒的に高かったですし、「俺たち(N響)がやらなきゃ誰がやる!」という気概に満ちたとても「強い」オーケストラでしたね。
指揮者とレパートリーもサヴァリッシュ、スウィトナー、シュタイン、ブロムシュテットといったドイツ系の巨匠たちと、ドイツ・オーストリア系のレパートリーを中心に取り組んでいた時代でした。それがデュトワ時代になり、レパートリーが拡大していく中で、オーケストラが目指すもの、求められるものも大きく変化しました。アシュケナージ、プレヴィン、そしてパーヴォの時代と進み、オーケストラはさらに国際化していき、楽員の世代交代も進んでいくなかで、技術は高く、無駄のないリハーサルが可能になり、音色の色彩、パレットが増してきた反面、強い音、強いオーケストラというものはどこかに置いてきた気がします。社会やお客様も変化していく中で、それは必然だったのかなと思っています。

写真提供:NHK交響楽団

ひとつの合奏体としてのコンチェルト

 ――今回の5月公演のプログラムはN響そのものが主役と言えるもので、コンサートマスターや首席奏者がソロを務める作品がたくさん演奏されます。まず首席奏者の役割について教えていただけますか?

首席奏者の役割というのは管楽器と弦楽器では意味合いが大きく異なります。管楽器奏者は1番奏者、2番奏者がそれぞれ独立したパートを演奏していて、1番奏者は和音のなかで主に高い音を、2番奏者は低い音を担当しています。木管なら8人〜12人が全員、それぞれ主体的にハーモニーを作ることが求められているわけです。1番を吹く人を首席奏者(海外では“Solo-Oboist”などと言います。)と呼びますが、それは、その楽器のソロが1番奏者(首席)のパートに書いてある=演奏するという事情を反映しているだけとも言えるでしょうね。役割として1番奏者が2番奏者よりも偉いということもなければ、2番奏者が1番奏者の指示に従わなければならないというルールもありません。現役の池田昭子さんや和久井仁さんから「上司」と冗談で呼ばれたりしましたけど・・入団当時は2番の小島葉子さんや浜道晁さんから毎日お説教されていましたよ(笑)。2番奏者も1番奏者と同じように、自分のパートにおいて意見をもって表現していくことが求められます。なお、今回のようにコンチェルトのソリストをオーケストラのメンバーが務める場合には、慣例的に首席奏者がその役割を担うことがほとんどです。

それに対してコンサートマスターを含む弦楽器の首席奏者は、各パートのリーダーと言えます。ボウイング(弦楽器の弓の扱い)を決定するのも首席奏者の仕事ですし、指揮者の目の前、最前列に座って、どう弾いていくのかをパート全体に示して(視覚的にも)引っ張っていく役割を担っています。パート、セクションに対してどういう種類の責任を負っているかという点で、管楽器と弦楽器の首席奏者はその役割が違うのです。

――そんな首席奏者がソロを務める協奏的作品の演奏は、ゲストのソリストがソロを務める演奏とどんな違いが生まれるでしょうか? オーケストラの首席奏者がソリストを務める協奏的作品の演奏ならではの聴きどころはどんなところでしょう?

ゲストのソリストによるコンチェルトと、コンサートマスターや首席奏者によるコンチェルトはその性質が大きく違うと言えます。オーケストラのメンバーがソリストを務める場合、それは仲間同士のアンサンブルという側面が強くなります。こうしたアンサンブルとしての要素が強い協奏曲の演奏は、たとえばモーツァルトの時代の名門オーケストラとして名高いマンハイム宮廷楽団ではしばしば行われていました。モーツァルトの友人でマンハイム宮廷楽団の首席オーボエ奏者だったフリードリヒ・ラムは、モーツァルトの《オーボエ協奏曲》を何度も演奏していますが、これはまさにオーケストラの首席奏者がソロを吹いて、普段一緒に演奏しているオーケストラと親密なアンサンブルを楽しむような作品です。
今回演奏される《協奏交響曲》のオリジナルと考えられていた作品も、ラムさんたちマンハイムのソリストを想定して、パリのコンセール・スピリチュエルで演奏するために作曲されたわけですし、首席奏者たちがソリストを務めるのにぴったりの作品ですね。オーケストラが普段一緒に演奏している仲間をソリストに迎えてコンチェルトを演奏するときは、音楽的な探り合いなど必要なく、アットホームな雰囲気のなかで、ひとつの合奏体としてコンチェルトを演奏するわけで、特定の楽器に長大なソロがあるアンサンブル作品のようなものと言えるかもしれません。

――いまお話にあがったモーツァルトの《協奏交響曲》ではオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンがソロを務めます。茂木さんが最も深く関わられた木管セクションについて聞かせてください。 N響の木管セクションにはどんな特色があるのでしょう?

N響の木管セクションの何よりの美質は、必ず「ユニットとして機能する」信頼性です。編成に応じて8~16人の木管楽器奏者たちが有機体として機能しているのです。バランス、音色、アタック、音程など非常に複雑な要素を、指揮者の要求に対してだけでなく、セクションのなかでお互いに作用し合い、瞬時に反応し、変化していく力がずば抜けているのがN響の木管セクションなのです。《協奏交響曲》はそうしたN響木管セクションの魅力を堪能できる作品と言えます。旋律はもちろん、その伴奏の「ただ譲っているだけではない」主体性、旋律を操ってしまう魔術に是非注目していただきたいですね。

お話をうかがった茂木大輔氏

長い時間をかけて培われるサウンド

――ポーランドの作曲家パヌフニクの《交響曲第3番「神聖な交響曲」》では4本のトランペットを筆頭に金管楽器が大活躍します。茂木さんは長くその演奏を背中で聴いてこられたわけですが、N響のトランペットセクション、金管セクションにはどんな特色があると思いますか?

N響の金管セクションが持っている音色、サウンドの「重さ」というのは本当に得難いものだと思います。そうした音色、サウンドの「重さ」は長い時間をかけて、ブルックナー、マーラー、R.シュトラウスなどの作品を繰り返し演奏していくなかでイメージとして培われていき、セクションで共有されていきます。急に真似をしようと思ってもできない、一朝一夕には作ることのできない響きなのです。皆がソリストとして一流であることはもちろんですが、トランペット、トロンボーン・チューバ、ホルンの各パート、そして金管セクションとしてのサウンドをレパートリーの中で探求し続けてきた結果が、いまのN響金管セクションのサウンド、音色なのだと思います。休憩時間によく彼らだけで練習したり、ディスカッションしたりしていたのが印象的でした。

――パヌフニクの交響曲では金管セクションとともに打楽器も大活躍します。また今回日本初演となるグアルニエーリの《弦楽器と打楽器のための協奏曲》では打楽器が主役を務めます。N響の打楽器セクションについてはいかがでしょう?

打楽器セクションもまた、レパートリーの中でサウンド、音色を探求し続けていると思います。シンバルやトライアングル、大太鼓などの1音は、長いオーケストラ経験の中で、こだわりにこだわり抜いて作り上げられていきます。植松透さん(首席ティンパニ)にインタビューしたとき、「一発入魂」と言っていたんですよね。同時にN響の打楽器のメンバーは全員が卓越したソリストですので、打楽器協奏曲では普段は聴けないような彼らの技も堪能できるのではないでしょうか。普段はティンパニに注目が集まりがちですが、打楽器セクションの底力、N響の底力を感じていただけると思います。

――ドビュッシーの《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》はハープのもっとも重要なレパートリーですが、今回はN響ハープ奏者の早川りさこさんがソロを務めます。オーケストラのなかのハープの存在とはどんなものなのでしょう?

ハープという楽器はオーケストラでも常にソリストで、弾けばはっきりと聞こえる存在です。早川さんとは長く一緒に演奏してきましたが、彼女はN響のなかでのハープの響きというものをずっと模索、探求して進化させてこられた方だと思います。オーケストラのメンバーとして長い年月をかけて、N響のハープの音をつくってこられたわけですが、オーケストラ固有のハープの音があるというのは、とても貴重なことですし、素晴らしいことだということをみなさんに再認識していただける機会になるのではないでしょうか。

――5月公演ではゲスト・コンサートマスターの白井圭さんがソロを務めるサン=サーンスの《ヴァイオリン協奏曲第3番》、首席チェロ奏者の辻本玲さんがソロを務めるハイドンの《チェロ協奏曲第2番》が演奏されます。またチャイコフスキーの〈アンダンテ・カンタービレ〉の弦楽合奏版も演奏されますが、最後に茂木さんから見たN響の弦楽セクションとその魅力について教えてください。

食レポで一番言ってはいけない言葉が「美味しい」だそうですが、とにかく「上手い」です。テクニックもサウンドも完璧に統率されていて、しかも、「めっちゃ鳴る!」「管楽器が思いっきり吹ける!」これほどの弦楽セクションは世界でもトップクラスのものですし、そんな彼らがN響というオーケストラの核となっているのです。今回のプログラムで言えば、僕の指揮の師である広上淳一先生の指揮する〈アンダンテ・カンタービレ〉は是非とも聴いていただきたいと思います。先生が指揮するときの弦楽セクションは本当にすごい。弦楽セクションはオーケストラの土台となるものですし、人数も多いので、せっかくまとまっているものをあえていじくり回さない指揮者も多いのですが、広上先生は弦楽セクションを一音ごと徹底的に「彫り込む!」のです。一瞬たりとも同じ音で弾かせない、そのこだわりは徹底しています。そうして生み出される弦楽セクションの響き、音楽は本当に情報量が多くて、N響弦楽セクションの魅力が最大限引き出されて、間違いなく面白いと思います。ぜひ聴いて欲しいですね。

――今回茂木さんのお話をうかがって、どのプログラムも聴いてみたくなりました。N響の魅力から5月公演の聴きどころまで、たくさんのお話をありがとうございました。

 

NHK交響楽団 5月公演

■2021年5月15日(土)18:00/16日(日)14:00
サントリーホール
指揮:尾高忠明
チェロ:辻本 玲(ハイドン/N響チェロ首席奏者)
オーボエ:吉村結実(モーツァルト/N響オーボエ首席奏者)
クラリネット:伊藤 圭(モーツァルト/N響クラリネット首席奏者)
ファゴット:水谷上総(モーツァルト/N響ファゴット首席奏者)
ホルン:福川伸陽(モーツァルト/N響ホルン首席奏者)
ハープ:早川りさこ(ドビュッシー/N響ハープ奏者)
トランペット:菊本和昭、長谷川智之、安藤友樹、山本英司(パヌフニク/N響トランペット・セクション)

ハイドン:《チェロ協奏曲 第2番》 ニ長調 作品101 Hob.VIIb-2
モーツァルト:《4つの管楽器と管弦楽のための協奏交響曲》 変ホ長調 K. 297b
ドビュッシー:《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》
パヌフニク:《交響曲 第3番「神聖な交響曲」》

■2021年5月21日(金)19:00/22日(土)14:00
東京芸術劇場 コンサートホール
指揮:原田慶太楼
バンドネオン:三浦一馬

グアルニエーリ:《弦楽器と打楽器のための協奏曲》[日本初演]
ピアソラ:《バンドネオン協奏曲「アコンカグア」》
ヒナステラ:《協奏的変奏曲》 作品23
ファリャ《バレエ組曲「三角帽子」第1番》

■2021年5月26日(水)19:00/27日(木)19:00
サントリーホール
指揮:広上淳一
ヴァイオリン:白井 圭(N響ゲスト・コンサートマスター)

チャイコフスキー(マカリスター編):《弦楽四重奏曲 第1番》 作品11 ー第2楽章〈アンダンテ・カンタービレ〉(弦楽合奏版)
サン=サーンス:《ヴァイオリン協奏曲 第3番》 ロ短調 作品61
尾高惇忠:《交響曲 ~時の彼方へ~》

【NHK交響楽団公式サイト】https://www.nhkso.or.jp

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