ミューザ川崎のパイプオルガン企画
《あした》という言葉から紡がれる三者三様の未来
text by 原典子
ミューザ川崎シンフォニーホールのパイプオルガンを軸に、異ジャンルとのコラボレーションなど、オルガンの多彩な魅力を引き出す意欲的な試みを展開してきた「ホールアドバイザー松居直美企画」シリーズ。10月1日(土)に開催される「言葉は音楽、音楽は言葉 Vol.4 《あした》」には、次世代を担う3人のオルガニストが登場する。
《あした》という言葉からイメージするプログラムを3人それぞれが考え、ひとりずつ演奏していくというコンサート。コロナ禍が世界を覆ったここ数年の間に羽ばたきの時期を迎えた若きオルガニストたちは、《あした》になにを思い、なにを託すのか。
宗教的な作品からコンテンポラリー、編曲作品まで、組まれたプログラムは三者三様。三上郁代、大平健介、石川=マンジョル 優歌に、それぞれ聴きどころを語っていただいた。
三上郁代
暗闇から夜が明けていくイメージ
《あした》という言葉に対し、コロナ禍における今の状況では、以前のように明るいイメージを持つことができなかったと語るのは三上郁代。2018年にフランス留学から帰国後、演奏活動をし始めた頃にコロナ禍に見舞われ、閉塞感のある日々のなかで日本での活動をスタートさせた。
「松居直美先生から今回の企画について、《あした》というテーマをご提案いただいたのは今年の1月頃でした。コロナ禍がここまで長引くとは思っていませんでしたし、コンサートは再開されたものの、まだ先々どうなるか楽観はできないという時期。《あした》と言われても、前より明るい未来というものをイメージできず、最初はちょっと困ったなと思ったというのが正直なところです」
その気持ちを出発点に、三上が組み立てたのは「暗闇から《あした》へ向かって夜が明けていく」プログラム。
「先が見えず、ときに暗い気持ちになる自分と向き合いつつ、今は暗闇のなかにいても、“明けない夜はない”とよく言われるので、《あした》に向かって少しずつ希望を見出していくようなプログラムにしたいと思いました」
冒頭に置かれたJ.S.バッハの《幻想曲とフーガ》ハ短調 BWV537は、まさに暗闇からのはじまりを感じさせる作品である。
「ドーーーッと鳴り響くいちばんはじめの重低音からしてそうですよね。上で鳴っているメロディも私にはすごく悲しげに聞こえるので、イメージ的には暗い世界です。それが、次のブラームス《11のコラール前奏曲》作品122 より〈わが心の切なる願い〉になると、少し光が差し込んでくるように感じます。今年はじめてこの作品を練習しているのですが、派手さはないけれど深遠さに満ちた曲で、こういう暗い時期に演奏してこそ、なにか見えてくるものがあるかもしれないと思いました。コラールの歌詞には、救いを求める、心の底からの強い願いが書かれているので、そういった感情を演奏からも感じていただけるよう表現したいです」
次にプログラムされたのは、現代の作曲家ヴァレリー・オーベルタンによる《星のためのソナチネ》。それまでとはガラッと雰囲気が変わり、アナログシンセサイザーにも通じるような不思議な響きを体験できるだろう。
「前々から大好きで、いつか取り組んでみたいと思っていた作品。暗闇から朝に向かう途中で、星々がまたたく夜があるのもいいなと考え、ここに入れました。宇宙的な空間の広がりを感じていただけたらと思います」
そして最後は、フランクのコラール第1番 ホ長調。夜が明けて、太陽が昇ってくる光景が目に浮かんでくる。
「《3つのコラール》は第1番から第3番までいずれもフランクの代表作ですが、第1番は穏やかであたたかみがあり、最後に向かうほど広がりが出ていくような感じがあり、《あした》に向かって少しずつ夜が明けていくイメージにぴったりだなと。今年はフランクの生誕200年のアニヴァーサリーで、たくさん演奏されるでしょうから、候補から外そうかなと思ったりもしたのですが、やっぱり入れてよかったです」
東京藝術大学および大学院でオルガンを専攻し、トゥールーズとカンの地方音楽院で学んだ三上。現地の教会のパイプオルガンを演奏することで得た経験を、今後、日本のコンサートホールでどのように活かしていこうと考えているのだろうか。
「トゥールーズは教会に歴史的なパイプオルガンがたくさん残っていることで有名な土地。音楽院が教会と提携していて、空いている時間にそういった楽器でレッスンを受けたり、練習させてもらえるのはとても恵まれた環境でしたし、パリではなく地方だからこそできた経験だったと思います。そこで演奏したときの音色や響きを自分の記憶のなかにしっかりと残して、日本のホールのオルガンを弾くときも、それになるべく近づけるようなレジストレーション(パイプオルガンの音を作る作業)を意識していきたいと思います」
大平健介
今を生きる私たちの時代のオルガン音楽
同じ《あした》という言葉から、希望に満ちたポジティブなイメージでプログラムを組んだのが大平健介である。三上がフランクのコラール第1番で夜明けを迎えて演奏を終えたあと、偶然にも大平は《サンライズ》という作品で演奏をスタートする。
「まずは明るい曲で《あした》への希望をつなぐコンサートにしたい、そして、私たちが生きる現代の音楽を伝えたいという思いでプログラムを組みました。冒頭と最後に置いたカイ・ヨハンセンの作品がポイントになっています。僕はドイツのシュトゥットガルト・シュティフツ教会の専属オルガニストを務めていたのですが、その教会のカントールがヨハンセンでした。彼は現代の作曲家であり、バッハ以前の時代から続く教会音楽家の伝統の継承者でもあります。ちょうど10月1日が彼の誕生日でもあり、今回のプログラムにぜひと思いました」
そのヨハンセンの《サンライズ》は、生演奏ならではのスペクタクルを味わえる作品とのこと。
「最初は真っ暗、遠くから光がちらちらと見えはじめ、どんどん近づいてきて、クライマックスで太陽がぱあーっと目の前に昇るような、光の到来というべき作品です。ミューザ川崎のパイプオルガンの最弱音から最大音までフルに使って演奏しますので、ぜひその迫力を体感してください。ほかにも、バート・マッターの《コラール〈われ神より離れず〉 による幻想曲》や、アド・ヴァメスの《鏡》といった現代の作品を演奏しますが、どちらもとてもキャッチーでカッコイイ作品。パイプオルガンってこんな音も出るんだ! こんなリズムも弾けるんだ! と驚く方もいらっしゃるかと思います。ヨーロッパにはオルガンの作品を書く作曲家がたくさんいて、オルガニストにとってもコンテンポラリーの作品はとても身近な存在となっています。“今の音楽”としてオルガンに親しみを感じていただけたら」
その一方で、日本キリスト教団聖ヶ丘教会の首席オルガニストを務める大平らしく、リストの《オルガンのためのミサ》やロッシーニの《小荘厳ミサ》といった宗教的な作品も入っている。
「やはりオルガンはキリスト教とは切り離せない楽器ですし、キリスト者にとって《あした》は信仰のうちに希望をつなげる、生きる力の源でもありますから、リストとロッシーニを入れました」
最後のヨハンセン《賛美》は大平のために書かれた作品で、今回が日本初演となる。
「彼のもとで5年間を過ごし、僕とって上司、同僚、恩師でもあるヨハンセンが、日本に送り出すにあたってプレゼントしてくださった作品です。讃美歌のような喜びと祝福に満ちたメロディがいろいろな声部で歌い継がれていって、“おはよう! よい1日を”と語りかけてくれるような明るい曲です」
ヨーロッパの古楽器と日本の伝統楽器による独創的な活動を展開するアンサンブル室町の芸術監督も務めている大平。「オルガニストとはまたベクトルの違った活動ですよね?」と問うと、こんな答えが返ってきた。
「ベクトルは違うようで、それほど違いはありません。というのも、ヨーロッパではオルガンだけを弾いているオルガニストって、まずいないんですよね。合唱やアンサンブルの指揮もするし、芸術監督だったら人前で話す機会も多いし、教会のカントールだったらコンサートの広報や会計まで全部やります。オルガニストは本来、そういった総合的なポジションにつくリーダーとして、街のみんなの顔として、どんどん前に出ていく存在なんです。オルガンの魅力を人々に伝え、新しい芸術文化を創造していくことが、私たちに与えられた使命なのではないかと思っています」
石川=マンジョル 優歌
《あした》へと思いを馳せる日没の色彩
フランスのトゥールーズ在住、この9月に帰国するという石川=マンジョル 優歌は、《あした》という言葉に、日が沈んだあとの薄明かりの残る空の色を連想した。
「私はプログラムを組むときに感覚的なイメージから入るタイプで、ストーリー性をもたせたりしながら考えるのが好きです。今回は《あした》というテーマを伺ったとき、頭のなかにまず色が浮かびました。夕焼けの赤ではなく、日が沈んだあと、わずかに明るさが残った空の色です。こちらでは季節によっては22時過ぎぐらいまで空が明るくて、フランスの人たちは早く仕事を終えて、明るいうちからお酒を飲んだりと、夕方から夜にかけての時間をとても大切にしています。次の日を生きる活力にしているという感じでしょうか。気づけば私にとっても、1日が終わってほっとしながら、《あした》のことを考える時間になっていました」
そんなイメージを映し出すのは、ドビュッシー《月の光》、ラヴェル《道化師の朝の歌》、フォーレ《パヴァーヌ》といったフランスの作品たち。オルガンのために書かれた作品ではなく、プログラムに編曲作品が多く入っているのも特徴的だ。
「編曲ものに取り組むのが好きで、コンサートでは必ず入れるようにしています。自分自身が好きな作品はオルガンだけに限りませんし、皆さんに愛されている“名曲”といわれる作品を、オーケストラのようにいろいろな音を作れるパイプオルガンで演奏するのが楽しくて。だいたい作品の時代やスタイルによって音の選び方には決まりがあって、我々はそれに則って基本的なレジストレーションを学ぶわけですが、編曲ものを演奏するときは、そういった決まりにまったくとらわれることなく、この音とこの音を混ぜてみたらどうなるだろう? みたいな試行錯誤ができるのがいいですね。あとは、原曲の響きをどうやったら再現できるかを考えたり、逆に、あえて変えてみようと試みたり」
今回のプログラムの編曲は、どういったものなのだろうか。
「《月の光》は、パリのサント・クロチルド教会のオルガニスト、オリヴィエ・ペニンさんが弾いていらっしゃる映像をYouTubeで見て、とても素敵だと思ったので、面識がないのにFacebookでメッセージを送って“楽譜をいただけないでしょうか?”とお願いしたら、“いいよ!”と送ってきてくださいました。《道化師の朝の歌》も、友人がトゥールーズでコンサートをしたときに弾いていて、“どこで楽譜を手に入れたの?”と尋ねたら、編曲者を紹介してくれて。ヴァイオリンのピッツィカートみたいな音をパイプオルガンで出すところが面白いアレンジです」
サン=サーンス《死の舞踏》まで編曲ものが続いたあとは、ギランの《マニフィカトのためのオルガン曲集 − 第2旋法による組曲》、ヴィドールのオルガン交響曲第10番《ロマネスク》という、フランスらしい華やかな作品がラストを締めくくる。
「《死の舞踏》を入れたのは、必然的にコロナ禍のことを思い浮かべたからですが、キリスト教においては死のあとに復活が訪れます。心の拠り所であるオルガン音楽にも、《あした》という希望に向かって頑張ろうという気持ちになれる要素が詰まっていると思うので、最後はキリスト教的な作品にしました。ヴィドールの作品は、アリスティド・カヴァイエ=コルという高名なオルガン・ビルダーが手がけた楽器にインスピレーションを得て書かれており、私はトゥールーズのサン・セルナン教会にあるカヴァイエ=コルのオルガンで、この曲をよく弾かせていただいていました。そういう意味でも、とても思い入れのある作品です」
祖父が教会の牧師という家庭に育ち、幼い頃からオルガンは身近な存在だったという石川だが、今、彼女自身が目指しているのは教会のオルガニストではなく、コンサートホールのオルガニストなのだという。
「フランスにいる間は教会のオルガニストとしての仕事が多く、もちろん学ぶことの多い貴重な経験になりましたが、私はやっぱりどうしても日本のコンサートホールで仕事がしたくて、このたび帰国することにしました。渡仏する前に、横浜みなとみらいホールでインターンをしていたことがあって、そこでオルガンに関わるイベントを企画したり、子どもたちにオルガンのレクチャーをしたりするのが本当に楽しくて、夢のある仕事だと思いました。宗教とは切り離された場所で、パイプオルガンがひとつの“楽器”として活躍している日本のコンサートホールだからこその企画、ここでしかできない音楽を、今後やっていけたらいいなと思います」
才能あふれる若き3人のオルガニストが描く《あした》に、日本のパイプオルガンの未来が託されている。
公演情報
ホールアドバイザー松居直美企画
言葉は音楽、音楽は言葉 Vol. 4 《あした》2022年10月1日(土)14:00
ミューザ川崎シンフォニーホール三上郁代、大平健介、石川=マンジョル 優歌(パイプオルガン)
<三上郁代>
J. S. バッハ:幻想曲とフーガ ハ短調 BWV 537
J. ブラームス:《11のコラール前奏曲》作品122 より 「わが心の切なる願い」
V. オーベルタン:星のためのソナチネ
C. フランク:コラール第1番 ホ長調<大平健介>
K. ヨハンセン:サンライズ
M. レーガー:楽興の時 ニ長調 作品69-4
B. マッター:コラール《われ神より離れず》による幻想曲
F. リスト:《オルガンのためのミサ》より サンクトゥス、ベネディクトゥス
A. ヴァメス:鏡
G. ロッシーニ:《小荘厳ミサ》より 「宗教的前奏曲」
K. ヨハンセン:賛美(日本初演)<石川=マンジョル 優歌>
C. ドビュッシー:月の光
M. ラヴェル:道化師の朝の歌
G. フォーレ:パヴァーヌ
C. サン=サーンス:死の舞踏
J-A. ギラン:《マニフィカトのためのオルガン曲集 − 第2旋法による組曲》より テノールをティエルスで
C-M. ヴィドール:オルガン交響曲第10番《ロマネスク》より 終曲公演詳細:https://www.kawasaki-sym-hall.jp/calendar/detail.php?id=3073