第5回たかまつ国際古楽祭
「チルい古楽!」体験記【前編】
text by 八木宏之
photo by Yuji Iwaizumi, Shintaro Miyawaki
直島にチェンバロがやって来た
フルート奏者の柴田俊幸が芸術監督を務めるたかまつ国際古楽祭は、今年で5回目を迎えた。2020年はコロナ禍の影響で中止、2021年も感染症対策に最大限配慮した「エクストラスモール」な古楽祭となったが、2022年は引き続き感染症対策を実施しながら、例年の規模での開催が実現した。9月30日から10月2日の3日間にわたり、高松市内だけでなく、直島と小豆島の会場も用いて行われた第5回たかまつ国際古楽祭のテーマは「チルい古楽!」。「チルい」とは、のんびりとリラックスすることを意味する「Chill out」に由来した、近年若い世代を中心に使われている表現だが、「チルい古楽」とはいったいどんなものなのか、最初はあまりイメージがわかなかった。それならば実際に体験してみようということで、秋の高松へ飛んだ。
羽田空港を朝7時に出発する便で高松へと向かったのだが、私はこのとき、連日締切に追われ、睡眠時間も充分に取れず、心身ともにくたくたに疲れていた。家から古楽祭初日の会場がある直島まで、バスでも飛行機でもフェリーでも、私はずっとうとうとしていて、意識を保っていられず、気がつくと草間彌生のかぼちゃが置かれた直島の港に着いていた。そこから島のバスに乗って、古楽祭の1公演目が行われる直島ホールへと向かう。今年はたかまつ国際古楽祭と瀬戸内国際芸術祭の会期が重なったこともあり、島には多くの観光客の姿が見られた。
2022年のたかまつ国際古楽祭の開幕を飾る『島古楽 in 直島』は休憩なし1時間弱のコンサートで、公演には地元の直島小学校の小学生たち37名も招かれた。ハーディ・ガーディの野崎真弥、チェンバロの大山まゆみ、石川友香理、リコーダーの大塚照道、そしてフラウト・トラヴェルソの柴田俊幸がクープランからバッハ、コレッリまで、バロック音楽の親しみやすい楽曲をトークを交えながら演奏していく。直島でチェンバロが演奏されるのは、今回が初めてのことだという。チェンバロの石川とリコーダーの大塚は、クープランのクラヴサン曲集を聴いてそのタイトルを当てるクイズを行うなど、子どもたちを飽きさせない工夫も忘れない。小学生たちは最初から最後まで集中して、古楽器の織りなす未知の響きにじっと耳を傾けていた。
直島ホールから歩いて10分ほどのところにあるカフェ、茶話まつしまでは『ハーディ・ガーディ集会』なるイベントが開かれた。ハーディ・ガーディとは中世ヨーロッパに起源を持つ楽器で、大きなヴァイオリンのような形をしている。奏者が右手でハンドルを廻すとホイールが回転し、楽器に張られた弦が擦れて音が鳴る仕組みで、左手で鍵盤を操作することで音の高さが変わる。ハーディ・ガーディ研究者の木村遥とハーディ・ガーディ奏者の野崎が実演を交えながら、楽器の歴史を丁寧に紐解いていった。
中世には教会で演奏されていたハーディ・ガーディ(当時はオルガニストルムと呼ばれた)は、次第に世俗音楽にも用いられるようになり、16世紀頃にはライアーやヴィエルという名称で貧しい人やハンディキャップのある人によって盛んに演奏された。シューベルトの《冬の旅》の〈辻音楽師〉で聴こえてくるのもライアーの音色である。庶民の楽器となったハーディ・ガーディは、18世紀に入ると、フランス、ヴェルサイユの宮廷の田園趣味を背景に貴族たちの間でも流行し、以来今日までヨーロッパで盛んに演奏されている。日本ではあまり馴染みのないハーディ・ガーディだが、参加者たちはみな驚くほど熱心で、ハイレベルな質問が飛び交っていた。ハーディ・ガーディに対する愛に満ちた空間は、なるほど確かにレクチャーというより「集会」と呼ぶに相応しいものだった。
『ハーディ・ガーディ集会』が終わると、演奏家と聴衆みなで水上タクシーに乗り、高松へと戻った。船上から見える瀬戸内海の夕陽が言葉にならないほど美しく、音楽家と聴き手が瀬戸内の自然のなかで「チルい」時間を共有する。その頃には、私も朝の疲れをすっかり忘れて、心も身体も軽くなっていた。
古楽の魅力が詰まった『メイン・コンサート』
古楽祭の2日目は、高松市内にある穴吹学園ホールでの『メインコンサート』でスタートした。2022年のたかまつ国際古楽祭の核となるこの公演は、全3部構成の大規模なもの。第1部では、リコーダー奏者の濱田芳通が17世紀オランダの作曲家、ヤコブ・ファン・エイクのリコーダー曲集《笛の楽園》の抜粋を、トークも挟みながら演奏した。これが抜群に面白かった。生まれつき目が不自由だったファン・エイクは、ユトレヒトの教会のカリヨン奏者を務める傍ら、その中庭でリコーダーを演奏して人々を楽しませたという。濱田は巧みな息のコントロールで、ファン・エイクが耳で捉えた様々な情景を聴き手の前に浮かび上がらせていく。〈愛しき酒瓶を抱いていると〉での酔っ払いの描写は抱腹絶倒であると同時に、リコーダーがこれほどまで表現力豊かな楽器だったのかと強く心揺さぶられた。
第2部ではテレマンの《ターフェル・ムジーク》よりリコーダー、ふたつのフルートと通奏低音のための四重奏曲(TWV43: d1)が演奏された。フルートのパートは柴田とヒストリカル・オーボエ奏者の三宮正満が担い、リコーダーは濱田と大塚のほか、この公演のナビゲーターである朝岡聡が楽章ごとに入れ替わりながら演奏した。熱狂的なリコーダー愛好家として知られる朝岡は第3楽章を担当し、朝岡が名手たちと交わす表情豊かな対話には会場から大きな拍手が贈られた。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の森川麻子とともに通奏低音を担うはずだったバルト・ナーセンスの到着が遅れ、アンソニー・ロマニウクが急遽その代役を務めるハプニングもあったが、ロマニウクの随所にアイデアを散りばめた演奏はアンサンブルを盛り上げ、古楽が即興と不可分であることを思い出させてくれた。
休憩中にも、中庭ではお笑い芸人のカニササレアヤコによる笙のパフォーマンスが行われ、ロビーでは古楽と雅楽のコラボレーションによる《エレクトリカル・パレード》が披露されるなど、来場者を楽しませる様々な仕掛けが用意されていた。またロビーには金工アーティストの小林大地が制作した「汚名の笛」が展示された。これは中世ヨーロッパで下手な演奏家を公開処刑するために使われた道具で、資料をもとに小林が複製を試みた。この「汚名の笛」のレプリカは、もちろん実際に使用することも可能で、休憩後にはステージ上に「汚名の笛」の刑に処された柴田が登場して会場を沸かせた。
『メイン・コンサート』の最後を飾る第3部では、ロマニウクとレ・ヴァン・ロマンティーク・トウキョウ(三宮のほか、ナチュラル・ホルンの福川伸陽、ヒストリカル・クラリネットの満江菜穂子、ヒストリカル・ファゴットの村上由紀子で構成される管楽アンサンブル)によるモーツァルトとベートーヴェンの五重奏曲が披露された。ここでもロマニウクの魅力が存分に発揮され、管楽器の名手たちの鮮やかな妙技をフォルテピアノの即興的な装飾が優しく包み込んでいく。モーツァルトとベートーヴェンの曲間に管楽器のメンバーが準備をしている間にも、ロマニウクは即興演奏で音楽の流れを途絶えさせない。
アンコールでは無事高松に到着したナーセンスがベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番《月光》の第1楽章を演奏し、続けてカニササレアヤコとロマニウクが笙とフォルテピアノのコラボレーションによる神秘的な即興演奏も行って、3時間弱の『メイン・コンサート』の余韻をより魅力的なものにした。
たかまつ国際古楽祭webサイト
https://mafestivaltakamatsu.com