生きるとは、心の底から歌うことだ。
――ジョヴァンニ・ソッリマと100チェロが掻き鳴らすもの
text by 青澤隆明
photo: 2019年8月12日 すみだトリフォニーホール©石田昌隆
音楽に必要なもの、それはとりもなおさず情熱だ。いろいろと異論もあろうが、好奇心と探求心、そして情熱なくして、音楽の感情はまず沸騰しない。ハートに火をつけて、人々を大きく巻き込んで、うねりのような共鳴を呼び起こすもの、それがパッションの力だ。
ジョヴァンニ・ソッリマの話である。彼にとっては、すべてが音楽する魂の問題だ。ソッリマの愛するチェロという楽器は、そこに共鳴し、表現として驚くべき振幅を拡げつつ、人々のあいだをわたり、自然や宇宙のなかに生きとし生けるものと呼び交わすように歌われる。その音にはなんにつけても直接的な手触りがある、衝撃波として身に迫ってくるような。
ぼくらはみんな音楽である――そのように私は書いて、ジョヴァンニ・ソッリマが火をつける「100チェロ」の日を待ち焦がれていた。あれは2019年のことだった。日本で初めて100チェロが鳴り響いたのは、ちょうどお盆の頃、8月12日、すみだトリフォニーホールで、まさしくホールのなかも夏真っ盛りになった。知っている曲もいっぱいやったし、知らない曲だってあるにはあったが、どれもこれも身近な肌触りで、ひたすら熱く響いた。
みんなで歌えることが、100人がチェロで共演する条件ならば、それはまた聴き手が心のうちでいっしょに歌うための要件でもあった。チェロを弾こうと弾くまいと、むかしふうの言葉でいうシング・アロングが、いつのまにか湧き起こっているのが100チェロだ。フットボールのスタジアムで、思いきり地声のユニゾンで歌うチャントにも気持ちは近い。
古くはイタリアやギリシャの伝統音楽、ヴィヴァルディ、バッハ、ヘンデル、パーセル、ブラームスにワーグナー、デイヴィッド・ボウイ、ピンク・フロイド、ニルヴァーナ……、なんでもござれの闇鍋みたいで、しかもこってりと強火で煮込む風情だ。いっしょに音を出して、いろいろ試しながら、ステージにかけるプログラムを決めていくのだという。いちばん大事なのはそれぞれの曲に歌心があり、リズムのうねりとメロディーの力があることだろう。
「世界を売った男」「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」など、もし歌詞を忘れてしまっていても、ぶっといチェロの響きが難なく呑み込んでくれる。アンコールでレナード・コーエンの「ハレルヤ」が鳴り響いたとき、いっしょに歌っていない人なんて、そこに果たしていたのだろうか。歌う準備はできているか――とロックンロール・スターがステージで煽るのとおなじことを、ソッリマはただチェロを掻き毟るように弾き始めるだけで、たちまち成し遂げてしまう。誰にもなんの遠慮もいらないのだ。必要なのはただ、音楽する心、いっしょに声を上げるほんの少しの勇気だけである。
100チェロはソッリマが拠点とするイタリアやハンガリーから、いきなり東京へ飛び火して、それはそれはよく燃えた。あの焔がホールのなかのコンサートのひとときで、あえなく鎮まったとはとても思えない。ステージでチェロを弾いた人々はみんなリトル・ソッリマとなって、それぞれの場所へ帰っていったに違いない。あれから5年の間、彼らはそれぞれにソッリマし、100チェロしていたはずである。私たち聴き手だって、大なり小なりおなじようなものだ。そろそろ、また集まってみてもいい頃じゃないか。それが春になれば、こんどは西へ舞台を移し、5周年を迎えたフェニーチェ堺を沸かせていく。「チェロよ、歌え!」というソッリマの人気曲のタイトルのように。
《Violoncelles, Vibrez!(チェロよ、歌え!)》というのは、同門の盟友マリオ・ブルネロに捧げられた曲で、師アントニオ・ヤニグロが若きふたりのまえでくり返し説いていた言葉と響き合う。抒情に打ち震えるヒロイックな音楽で、ミニマル調の反復を好みながらも、弦の息づかいが柔軟に宿るところがソッリマらしい。ふたりは同年代の親友で、いっしょに街中で弾いたりしていたが、ブルネロは北イタリア、ソッリマはシチリアの男だ。ソッリマのチェロは鋭く激しく熱い。電子音響も用いた多様な作品を手がけ、独自のアルバムを創り続けている。そんなソッリマのことを一言で称するなら、チェロというタフな武器を掲げた、最後のロマンティストともいうべき冒険家である。
そして100チェロはもともと、18世紀からの歴史をもつローマのヴァッレ劇場のとり壊し決定に抗して、2012年にソッリマとエンリコ・メロッツィが起ち上げたのが始まりだった。出自も実力も問わずチェロを弾く同志が一堂に集い、近隣に寝泊まりしながら、作編曲も含めて音楽を起ち上げていく共同創造のスタイルをとる。そのありようは祝祭的なコミューンを思わせ、たんに一度の演奏会を共にするということを大きく超えて、言ってみれば魂の鼓動を個々の人に拡げていく運動のようにみえる。ソッリマやメロッツィの自作曲はもちろん、バロックからクラシック、ピアソラ、民族音楽、クイーンやプリンスの名曲も獰猛な胃袋で消化し、100人の仲間に広がる大きな心と分厚い響きで謳歌する圧巻の歌絵巻をくり広げる。
2019年夏の東京では総勢129人ものチェリストが一堂に会した。しかし数の問題ではない。そのとき3日間で意気を重ねた大合奏からなにが起こったか。とにかくもの凄い音圧と熱量だった。小ぎれいにまとめようなどとは、誰も思っちゃいない。ばらばらで、雑味も野性味もある。だが、思いはひとつ、自由に向かって切実に音を鳴り響かせていた。
おなじことは二度とは起こらない、とはいえ、ひとつわかっていることがある。私たちが音楽をするのではなく、音楽が私たちを歌い、私たちはそのまま音楽になるのだ。100のチェロはそのとき、それぞれの歌を、そして大きなひとつの心を、つよく激しく叫んでいる。
100チェロとはなにか?
――ソッリマ語録より「チェロ・アンサンブルには古くからの歴史があり、1500〜1600年代のヴィオラ・ダ・ガンバ・コンソートにはじまり(ダウランド、フレスコバルディ、パーセルらによる多くの作品がある)、その後、フランショーム、ゴルターマン、クレンゲル、カザルス、ヴィラ=ロボスらにより世紀を超えて受け継がれてきた」
「2012年にスタートした100チェロの参加者は、6歳から75歳まで幅広い年齢層にわたり、プロ、ソリスト、アマチュア、学生、子ども、初心者、2日前にチェロを買ってYouTubeで学んだ人……と、じつに多種多様な人々が集まった」
「100チェロの活動は、共通の権利としての音楽と文化のため、学ぶ権利のため、チェロを大衆に広めるため、ヴァッレ劇場をはじめいまだ危機状態にあるイタリアの音楽と文化の発信地の状態を改善するためにある。我々は劇場で寝泊まりし、すべてを共有した。それはまさににボランティア活動だった。多くのチェロの先生が生徒を連れてやってきた。集まったのはイタリア人のみではなく、バロック、クラッシック、ロック、ジャズ、現代音楽などさまざまなバックグラウンドを持つチェリストたちだった」
「100チェロはすべての人、すべてのレベル、すべての経歴の人にオープンであり、真の愛の結晶だ。リハーサルは最初からオーディエンスに公開しており、本当に楽しいんだ! そしてたくさん試行錯誤する。いわばシンフォニー・オーケストラと巨大なロック・バンドの融合のようなものだよ」
(まとめ:編集部)
公演情報
フェニーチェ堺 開館5周年特別企画
100チェロ・コンサート「チェロよ、歌え!」2025年3月30日(日)15:00
フェニーチェ堺 大ホール(大阪府)出演
ジョヴァンニ・ソッリマ
エンリコ・メロッツィ
公募により選ばれた100名以上のチェリスト曲目(予定)
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番〜プレリュード
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
ソッリマ:チェロよ、歌え!
パーセル:冷たい歌
ヘンデル:サラバンド
ピンク・フロイド:アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォールズ
ニルヴァーナ:スメルズ・ライク・ティーン・スピリット
レナード・コーエン:ハレルヤ ほかチケット料金
一般7,000円 子ども3,500円(4~18歳) ※全席指定/税込