永永無窮の自然の営みを描く
横浜みなとみらいホール Just Composed 2023
茂木宏文新曲初演《ゆく河の流れは絶えず》

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永永無窮の自然の営みを描く

横浜みなとみらいホール Just Composed 2023

茂木宏文新曲初演《ゆく河の流れは絶えず》

text by 八木宏之

公益財団法人横浜市芸術文化振興財団が1999年から続けている現代作曲家シリーズ『Just Composed in Yokohama』は、気鋭の作曲家への新曲委嘱と過去の委嘱作品の再演を軸に、コンテンポラリー・ミュージックを未来へと継承することを目的としている。作曲家の池辺晋一郎と音楽学者の白石美雪、ふたりの選定委員のほか、毎回異なる演奏家が加わって、委嘱作曲家の選定を行っているのも特徴だ。『FREUDE』ではすでに、山本哲也が委嘱作曲家に選ばれた2022年2月の『Just Composed』を取り上げているので、読者のなかにはこの演奏会シリーズについてご存知の方もいらっしゃるだろう。

山本哲也が挑んだのはオンド・マルトノという際立った個性を持つ楽器(選定委員はオンド・マルトノ奏者の大矢素子)だったが、2023年春の『Just Composed』の委嘱作曲家、茂木宏文が向き合うのは、クラシック音楽の王道とも言うべき楽器、ピアノである。選定委員を務めた演奏家はピアニストの福間洸太朗。来年デビュー20周年を迎える福間は、コンセプチュアルなアルバムを数多くリリースし、フィギュア・スケートをはじめとするさまざまなパフォーミング・アーツとのコラボレーションにも意欲的に取り組む音楽家だ。

福間はこれまでもたびたび自らの名前の漢字「洸」から想起される「Shimmering Water きらめく水」や、「音楽と文学」といったテーマをもとに演奏会のプログラムを組んできた。今回の『Just Composed』でも、「Shimmering Water」や「文学」は重要なキーワードとなる。茂木は、ピアノという楽器、福間という音楽家、そして福間の掲げるテーマにどう応えるのか。委嘱作品を完成させたばかりの茂木に話を聞いた。

《月に憑かれたピエロ》に魅せられて作曲の道へ

《不思議な言葉でお話しましょ!》で、2016年度武満徹作曲賞第1位(審査員は一柳慧)となり、併せて第27回芥川作曲賞(現在の名称は芥川也寸志サントリー作曲賞)を受賞。若手作曲家の登竜門であるふたつのコンクールを制した茂木は、今最も注目される作曲家のひとりである。しかし、意外にも茂木が音楽の道を志したのは高校2年生になってからだった。

「母がピアノを弾いていたので、家には楽器がありましたが、私はピアノを習うこともなく、子供の頃は楽器に触って遊ぶ程度でした。小学校の部活動で合唱とブラスバンドを経験して、中学校、高校でも合唱とブラスバンドは続けました。中高はミッション・スクールの男子校だったので、男声合唱の聖歌隊でシューベルトのミサ曲をはじめ、いろいろな宗教曲を歌いましたね。でも、音楽の専門家になるつもりはなく、将来は理系の研究職に就きたいと考えていました」(茂木宏文、以下同)

受験勉強をしながら、合唱や吹奏楽を趣味として楽しんでいた茂木が、音楽家の道へと歩みを変えたのは、ある作品との出会いがきっかけだったという。

「高校2年生のときに、シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》を聴いて、こんな世界があるのかと衝撃を受けました。それから作曲家になることを考え始め、一旦は都内の大学の数学科に進学したのですが、その後受験をし直して、20歳のときに東京音楽大学作曲科に入学しました。
東京音大ではとにかくたくさんのことを学び、吸収したいと思っていたので、毎日のように図書館に通って楽譜を読んだり、CDを聴いたりしましたし、コンサートへ行ってさまざまな作品の実演に触れることも大切にしていました。本当に自分のことで精一杯の毎日でした。
学生時代から誰かと一緒になにかを作り上げるのが好きだったので、卒業後は友人たちと舞台作品やサイレント映画を制作したり、まだ初演されていませんが、『古事記』をテーマにしたオペラを書いたりもしました。1960年代から70年代のアバンギャルドな演劇にはとても興味があり、大学院の研究テーマとして、寺山修司や唐十郎の舞台作品を中心にいろいろと調べたり、各地の劇場をまわったりしていたこともありました」

これまで、前述の《不思議な言葉でお話しましょ!》のほか、《Violin Concerto ―波の記憶―》(山響作曲賞21受賞作)や《雲の記憶〜チェロとオーケストラのための〜》(サントリー芸術財団委嘱作品)など、管弦楽作品で高い評価を獲得してきた茂木の持ち味は、緻密な楽器法、オーケストレーションと、そこから生み出される繊細なテクスチャである。茂木作品の響きはポエジーや抒情性を感じさせ、奇を衒ったところがまるでない。

「東京音大の大学院で西村朗先生に師事していたとき、西村先生がよくおっしゃっていたのが“特殊なことをすれば特殊な響きになるのは当然だけど、特殊奏法を用いなくても、オーソドックスな手法で新しいことができる余地はまだある”ということでした。私も特殊奏法を用いることはありますが、大切なのは、今いる世界を超えていくために必要な主体的選択として、それらの奏法を用いるということです。そうでなければ、それらは表面的な効果にとどまってしまいます。私たち日本人は、明治以降に輸入した西洋音楽の成り立ちや社会での本来の在り方を今一度考え、それを受け身で惰性的に消費するのではなく、主体的に関わり、享受し、発信していくことが重要だと思います。特殊奏法もその延長で捉える必要があるのではないでしょうか」

茂木宏文

ピアノとティンパニが表す水と人間の共生

茂木が今回の『Just Composed』のために作曲した作品は、ピアノとティンパニのためのデュオ。ティンパニには、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のティンパニ首席奏者、目等貴士が招かれる。永永無窮の自然の営みからインスピレーションを得て作曲されたという作品のタイトルは《ゆく河の流れは絶えず》。茂木が鴨長明の『方丈記』の冒頭の一節をタイトルに選んだのはなぜなのか。そしてなぜティンパニとのデュオなのか。

「私は曲を書くとき、言葉やタイトルよりも先に、音楽的アイデアから出発することが多く、この作品もはじめに音楽のイメージの断片のようなものがあって、そこから作曲がスタートしました。とはいえ、“Shimmering Water”というテーマを前に、自然のなかの水と光を自身の全ての感覚で触れておく必要があると思い、友人と山梨県の滝を訪れました。そこは特に有名な滝ではなかったのですが、じっと滝の水が落ちていく様子を観察していたら、曲のアイデアが少しずつ膨らんでいき、ふと『方丈記』の冒頭の一節が頭に浮かんできたのです。その文学的な力は音楽を書き進めていく助けとなってくれました。
今回改めて『方丈記』を読み直してみて、日本人が古来培ってきた自然との共同体は、今はもう失われてしまっているのだということを痛感しました。老子も“上善は水の如し”と言っていますが、水はいつも人間のそばにあり影響を与えてきました。水がなければ人間は生きていくことができません。同時に水は人間を死に至らしめることもできます。しかし、水や自然というものは、有史以前から存在しているものであって、きっと人類が滅んだとしても、それらはなにかしらの形で存在し続けると思います。人間が水や自然を“良いもの”だとか、ときには“災いをもたらすもの”だと勝手に判断し、消費し、コントロールしようとしているだけなのです。
この作品では、ピアノが水を、ティンパニが人間を表していると捉えることもできます。それを示すかのように、ピアノ・パートはほぼ下降音型だけで書かれています。水は上から下に落ちていくものですからね。水が濁っていくのと同じように、同じモチーフや音が留まり続ける箇所では、音楽は澱み、濁流のように展開していきます。ティンパニは常にピアノとともにありますが、両者の間に古典的な掛け合いは少なく、ずっとずれたまま進んでいき、合ったと思ったらまたずれていきます。今回ティンパニを選んだのは、ピアノともうひとつの楽器が旋律と伴奏の関係にある作品にはしたくなかったからです。ピアノとティンパニの組み合わせであれば、そうした構図を超えていけるだろうと思ったのです」

今回の作品はピアノというテーマ楽器のためだけでなく、福間洸太朗というピアニストのために書かれたものでもある。茂木から見た「ピアニスト 福間洸太朗」についても尋ねてみた。

「福間さんとお会いしたときに、“茂木さんの作品は自分と呼吸が合って、とても共感できる”と言っていただき、これまで自分がやってきたことは間違っていなかったのだなと嬉しく思いました。福間さんは古典とコンテンポラリーのどちらも弾かれる方です。私は古典にもコンテンポラリーにも通じている福間さんを信頼していますし、福間さんの研ぎ澄まされたテクニックやピアニストとしての魅力が引き立つような側面も作品のなかで大切にしました。もちろん、これは優れた洞察力をお持ちの目等さんに対しても同じで、ふたりの音楽家の出会いが創造的な音楽表現に繋がると信じています。コンテンポラリーの演奏会で、プログラムには馴染みのない作品が並んでいるかもしれませんが、福間さんのファンの方はもちろん、音楽に興味がある方にはぜひ聴きに来ていただき、日常の外へ出るきっかけを掴んでもらいたいですね」

茂木がピアノとティンパニのデュオに込めた人間と自然の共存や、水の永遠性。それを福間と目等はどのように描き出すのか。作品が初演される3月11日は、私たちが圧倒的な水の力の前にただ無力であった、あの東日本大震災から12年目の祈りの日である。コンサートの冒頭には、近藤浩平の《海辺の祈り―震災と原子炉の犠牲者への追悼》も演奏される。ぜひ横浜みなとみらいホールで《ゆく河の流れは絶えず》の初演に立ち会って、音楽から生まれる果てしない風景を自ら眺めて欲しい。

福間洸太朗©Marc Bouhiron
目等貴士

Just Composed 2023 Spring in Yokohama ー現代作曲家シリーズー
Shimmering Water ―ストーリーズ

2023年3月11日(土)
横浜みなとみらいホール 小ホール
開演:15:00(開場:14:30)

福間洸太朗(ピアノ)
目等貴士(ティンパニ)(※)

近藤浩平:海辺の祈り ― 震災と原子炉の犠牲者への追悼 Op.121
田中カレン:クリスタリーヌII(1995年度 横浜市「日本の作曲家シリーズ」委嘱作品)
田中カレン:ウォーター・ダンス
茂木宏文:ゆく河の流れは絶えず(Just Composed 2023 Spring 委嘱作品 初演)(※)
レヴィツキ:魅惑の妖精 ― ピアノのための詩曲
カスキ:泉のほとりの妖精 Op.19 No.2
ラヴェル:《夜のガスパール》より 〈オンディーヌ〉
ルトスワフスキ:ピアノ・ソナタ

【公演詳細はこちら】
https://yokohama-minatomiraihall.jp/concert/archive/recommend/2023/03/2428.html

茂木宏文 Hirofumi Mogi
千葉県野田市出身。2012年東京音楽大学卒業。2014年東京音楽大学大学院作曲指揮専攻作曲研究領域修了。《Violin Concerto ―波の記憶―》にて第3回山響作曲賞21を受賞(2014 年)。2015年ヴァレンティノ・ブッキ国際作曲コンクールファイナリスト。2015年度奏楽堂日本歌曲コンクール第22回作曲部門(一般の部)第3位及び畑中良輔賞受賞。2016年度武満徹作曲賞第1位受賞。第27回芥川作曲賞受賞。東京ハッスルコピーより打楽器アンサンブル、オーボエ・トリオ等の作品が出版されている。現在、東京音楽大学、東京成徳短期大学非常勤講師。

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